2017 031234567891011121314151617181920212223242526272829302017 05

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

ジュディ・ガーランドとボブ・フォッシー


Get Happy from the movie Summer Stock (1950)
Performer: Judy Garland | Director/Choreographer: Charles Walters

 前回のフィリップ・ドゥクフレ記事の続き(?)。今年観た音楽ヴィデオの中に古典ミュージカル・ネタの面白い作品が2本あったので、まとめて紹介しておきたい。ひとつはジュディ・ガーランド、もうひとつはボブ・フォッシーへのオマージュである。

≫ Read More

| Dance to Jazz and All That Jazz | 23:40 | TOP↑

≫ EDIT

フィリップ・ドゥクフレ『コンタクト』@彩の国さいたま芸術劇場



 フィリップ・ドゥクフレの舞台『コンタクト』の来日公演を観た。
 
 “空間演出の魔術師”と称されるフランスの演出家/振付家。過去作品の名場面を集めたアンソロジー作品『パノラマ』の素晴らしかった来日公演から2年4ヶ月、再び自身のカンパニーDCAを率いて、今度はミュージカル形式の新作を上演しに来てくれた。

 私が行ったのはちょうどローリン・ヒルのゼップ東京公演の翌日で、全く観劇モードではなかったのだが、ショウが始まった途端、一気にその世界に引き込まれた。摩訶不思議なイメージ、洒脱なユーモア、魅惑的なダンスと音楽……ドゥクフレの魔法にかけられ、1時間40分の上演中、ずっと夢を見ているようだった。やっぱりこの人は面白い!

≫ Read More

| Dance to Jazz and All That Jazz | 19:35 | TOP↑

≫ EDIT

Chic──考える足

My_Feet_Keep_Dancing.jpg

「20代の初めごろ、俺は著名振付家のシヴィラ・フォートのもとでダンスを学んでいたことがある。彼女が教えていたダナム・テクニックは、バレエの訓練法を取り入れたモダンなものだった(原註:キャサリン・ダナムは“黒人ダンスの母/女性開祖”と言われる人物。彼女とフォート女史はアメリカの黒人ダンス史に名を残す伝説的な存在)。後年、俺はシックの曲に、たっての希望でニコラス兄弟に参加してもらったこともある。俺は“ダンス”という言葉と精神的にも肉体的にも繋がりを持っていた」

 自伝『Le Freak: An Upside Down Story of Family, Disco and Destiny』(2011)でナイル・ロジャーズがそう書いているシックの曲とは、'79年に発表された「My Feet Keep Dancing」のことである。

 この曲には、史上最高のタップ・コンビ、ニコラス兄弟の兄であるフェイヤード・ニコラスが参加し、間奏でタップを踏んでいる。当時、フェイヤードは65歳。残念ながら弟のハロルドは不参加だが、他の2人のダンサー──ユージーン・ジャクソン(黒人子役として'20年代から芸能界で活躍していた人物)、サミー・ウォーレン──と組んで、歯切れの良いタップ音を響かせている。ロックンロールの興隆によって職を追われた彼ら黒人タップ・ダンサーたちは、マイケル・ジャクソンやグレゴリー・ハインズといった新世代の黒人スターたちの活躍により、'80年代になって再び脚光を浴びることになる。'77年の時点でマイケルはジャクソンズのテレビ番組〈The Jacksons〉にニコラス兄弟をゲストに迎え、一緒にタップを踏んでいた。'79年にフェイヤードをレコーディングに招いたナイル・ロジャーズもさすがだと思う。

 今年はフェイヤード・ニコラスの没後10年('06年1月24日没/享年91歳)。そして、昨日はバーナード・エドワーズの没後20年の命日だった('96年4月18日没/享年43歳)。2人の偉大なリズム・マスターを追悼して、今日は2人が共演したシックの大名曲「My Feet Keep Dancing」の歌詞を和訳することにしたい。ダンサーの成功物語を描いた歌だが、タップが黒人奴隷の表現手段として生まれた歴史を踏まえると、“My feet keep dancing”という表題フレーズは、生きることへの根源的な渇望を表しているようにも思える。間奏でタップがフィーチャーされた意味はあまりにも大きい。心臓の鼓動のように激しく脈打つバーナードのベースに乗ってタップ音が響く瞬間、私はいつも涙が出そうになる。

≫ Read More

| Dance to Jazz and All That Jazz | 06:30 | TOP↑

≫ EDIT

ロシオ・モリーナ『アフェクトス』@昭和女子大学人見記念講堂



 とんでもなく素晴らしかったロシオ・モリーナの舞台『アフェクトス』。今回の来日公演は、'15年11月23日(月)に東京国際フォーラム ホールC、11月26日(木)に大阪の森ノ宮ピロティホールで各1回ずつ行われたが、実はその2公演の他にもう1回、彼女は日本で『アフェクトス』の公演を行った。国際フォーラム公演翌日の11月24日(火)、場所は東京・三軒茶屋にある昭和女子大学人見記念講堂。

 ロシオ・モリーナが昭和女子大学で公演することは、事前に全くと言っていいほど告知されていなかった。各プレイガイドはもちろん、『アフェクトス』日本公演公式サイト、フラメンコ関連の諸サイト、また、前日の国際フォーラム公演の会場でも、そのような情報は一切なかった。公演の存在そのものを知らなかったファンがほとんどだと思う。昭和女子大学の学生たちを対象にした非営利目的のイベントであるため宣伝されていなかったのだが、これは一般人でも希望すれば普通に観ることができた。私は直前にこの公演情報に気づき、国際フォーラム公演を観た翌日、昭和女子大学でもう一度『アフェクトス』を観る機会に恵まれた。この作品が死ぬほど好きな私にとっては、本当に願ってもないことだった。

 舞台自体の鑑賞記は改めて書くとして、今回は、昭和女子大学で行われたこのイベントが一体どのようなものだったのか、記録として細かく書き残すことにしたい。

≫ Read More

| Dance to Jazz and All That Jazz | 15:15 | TOP↑

≫ EDIT

『私が、カルメン』アフタートーク@オーチャードホール



 マリア・パヘス舞踊団の最新作『私が、カルメン(Yo, Carmen)』。素晴らしかった来日公演の内容は前回記事に書いた通りだが、今回はそのおまけとして、'15年4月24日(金)、私が観たBunkamura オーチャードホール初日公演の終了後に同会場で行われたパヘスのアフタートークの模様をお伝えする。

 東京公演はオーチャードホールで3日間行われたが、トークショウがあったのは初日のみ。公演終了後、15分の休憩を挟み、客電の点いたホール内のステージ上で、マリア・パヘス、ヴィヴィアン佐藤(美術家)、日本人女性通訳の3者による質疑応答が20分ほど行われた。短い時間ながら、パヘスは『私が、カルメン』の創作過程について熱心に語ってくれた。ここにそのすべてを記録として書き起こす(私はスペイン語を解さないので、転写は通訳の日本語に基づく。文章として読みやすいよう、校閲・編集を加えたことを断っておく)

 昨年観たエバ・ジェルバブエナの来日公演('14年3月22日、新宿文化センター)でも同様のアフタートークがあった。エバは熱いものを静かに内に秘めているような雰囲気の女性で、踊っている時の激しさからは想像もつかない穏やかな物腰が印象的だったが、パヘスは非常に多弁で、言葉にもブレがなく、まさに舞台で見せてくれたカルメン像そのままという感じの、とてもバイタリティに溢れる女性だった。

≫ Read More

| Dance to Jazz and All That Jazz | 01:15 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT