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ムーンウォークの起源

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 マイケル・ジャクソンの代名詞とも言えるムーンウォーク。このダンス・ステップは一体いつ誰が考え出したものなのか? '08年8月29日に生誕50年を迎えるキング・オブ・ポップだが、ムーンウォークの歴史はそれよりも長い。
 
 ムーンウォークについて語る際、まず最初に断らなくてはならないのは、一般的に“ムーンウォーク”と呼ばれる動きは、実はムーンウォークではない、ということである。

 本来のムーンウォークは、約50cm四方の空間内を、揃えた両足の踵を軸に方向を変えながら、月面でフワフワ浮くようにゆっくりと回る動きを言う。これは'92~'93年〈DANGEROUS〉ツアーや、'96~'97年〈HISTORY〉ツアーの「Billie Jean」終盤でマイケルもやっているので、見れば誰でもすぐに分かるだろう。
 これとは別に、無重力空間を旋回するように縦横無尽に滑り回る技もムーンウォークだとされる。円弧を描いて回ったり、無重力の宇宙船内を壁にぶつかりながら制御不能であちこち漂うような動き(速度は速い)が特徴で、これはサークル・グライド Circle Glide などとも呼ばれる。ポッパーのブガルー・シュリンプが映画『ブレイクダンス(Breakin')』(1984)のオープニング・クレジットや、劇中(シュリンプがヒロインの通うジャズダンス教室に乱入する場面)で披露しているのが最高のサンプルだ。
 ネットで色々検索する限り、真正ムーンウォークについては人によってかなり見解が分かれている(マイケルを指導したポッパーの一人、デレク・クーリー・ジャクソンは、ゆっくり回るヴァージョンを本来のムーンウォークだと説明している)。私も本当のところはよく分からないのだが、滑りながら回る、という点に関しては概ね衆目が一致するようだ。

 では、マイケルが「Billie Jean」のステージ・パフォーマンスで必ず見せる、前へ歩行しているように見せながら、後ろへ一直線に移動するあのトリッキーな動きは何なのかと言うと、これはバックスライド Backslide と呼ぶのが正しい。

 この技はストリート・ダンスのポッピングの中で普通に使われていたもので、マイケル以前にも、シャラマーのジェフリー・ダニエルらが出身番組の〈Soul Train〉や〈Top Of The Pops〉で、あるいは、エレクトリック・ブガルーズのポッピン・ピートがトーキング・ヘッズ「Crosseyed And Painless」(1980)のヴィデオで既に披露していた。これをマイケルが取り入れ、'83年5月16日放映のモータウン25周年特番〈Motown 25: Yesterday, Today, Forever〉出演の際、「Billie Jean」のパフォーマンス内で披露したところから、バックスライドは全世界に爆発的に知れ渡ることになる。このステップはメディアによって“ムーンウォーク”と呼ばれ、後にマイケル自身が自伝本や主演映画のタイトルに使用したこともあり、バックスライド=ムーンウォークという(誤った)認識が世界中に定着したわけである。
 “ムーンウォーク”というネーミングは確かに抜群にキャッチーで、“いや、あれは本当はバックスライドっていうんです”とわざわざ訂正しないところがキング・オブ・ポップの偉いところだと思う。

 さて、マイケルが知らしめて世界中を熱狂させたこの“ムーンウォーク”(=バックスライド。以下、ムーンウォークはバックスライドを指す)、実は20世紀前半から存在する恐ろしく古い技なのである。

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| Michael Jackson | 09:21 | TOP↑

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The Nicholas Brothers (part 3)

Risposta
The Nicholas Brothers in the movie "Botta E Risposta" (1950)

 『遥かなるアルゼンチン』(1940)から『ストーミー・ウェザー』(1943)まで、計6本の20世紀フォックス作品に出演して怒濤の快進撃を見せたニコラス兄弟。しかし、そこからパタリと出演作が途絶えてしまう。なぜか?

 実は、第二次世界大戦のためフェイヤードが徴兵され('43年3月)、ニコラス兄弟としての芸能活動が継続不能になったのである。ハロルドは身体検査の結果、100ポンド(約45キロ)未満だったため兵役を免除された。検査医師はハロルドのがっしりした肩を見て、3回も測定したという(5フィート2インチ=157.5cmという身長が、最低基準に1インチ足りなかったため免除されたという説もある。いずれにせよ、あまりにも小柄だった)。115ポンド(約52キロ)だったフェイヤードは、当初ミシシッピで洗濯要員として働かされたが、最終的にアリゾナ州のフォート・ワチューカに送られ、兵士のために芸を披露する特別任務に就いた。
 フェイヤードの不在中、ハロルドは『Reckless Age』(1944/ユニヴァーサル)と『Carolina Blues』(1944/コロムビア)にソロで出演している。

 '44年4月にフェイヤードが放免されて帰ってきた後も、しかしながら、ニコラス兄弟の黄金時代が戻ることはなかった。ダンサーとして脂の乗った時期だったにもかかわらず、20世紀フォックスは彼らと契約を更新しなかった。

 黒人のニコラス兄弟がハリウッドの白人映画にこれだけ多く出演できた理由には、彼らの芸の素晴らしさはもちろんとして、他にもうひとつ、彼らの若さが重要な要素として挙げられる。いくらスペシャルティ枠の芸人とはいえ、社会的な力を持ちうる成熟した大人の黒人が白人とタメを張るのは、当時のハリウッドの風潮からすればよろしくないことだった。しかし、終戦時にはフェイヤード31歳、7歳下のハロルドでさえ24歳と、立派な大人の男になっていた。もはや彼らは可愛い子供でも青年でもない。ましてや、彼らの常軌を逸したダンスである。フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドといった白人スターで平和に潤うハリウッド・ミュージカル界にとって、彼らは脅威以外の何ものでもなかったのだ。

 ニコラス兄弟の姉妹であるドロシー・ニコラスが語る。
「黒人が行きすぎたことをするのを良しとしない風潮が当時のアメリカにはあった。あまりにも優れていると雇ってもらえないのよ」(TVドキュメンタリー『We Sing & We Dance』)

 戦後にニコラス兄弟が出演できたアメリカ映画は、ジーン・ケリーと共演した『踊る海賊』(1948)の1本のみ。優れた才能を買われてハリウッドに招かれた彼らは、皮肉にもその突出した芸によってハリウッドから排除されることになったのだ。人種差別の分厚い壁が立ちはだかるアメリカに見切りをつけ、彼らは活動の拠点をヨーロッパに移していく。

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| Dance to Jazz and All That Jazz | 01:19 | TOP↑

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Michael Nash Associates

michael nash

 シングル「No Ordinary Love」のカヴァー・デザインを担当したMichael Nash Associates。MichaelとNashの間にナカグロが入っていることからも窺われる通り、これはAnthony MichaelとStephanie Nashという2人を中心としたロンドンのデザイン・チームの名称である。彼らは様々な商品パッケージと同時に、音楽作品のアートワークも数多く手掛けている。今回は、このマイケル・ナッシュがデザインを担当したレコード/CDの数々を紹介してみたい。

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| Sade Tree | 22:00 | TOP↑

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