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David Bowie──皆が“よろしく”と

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Everyone says 'Hi'

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B.B. King──ときめきは消えた



 '16年2月15日にロサンゼルスで行われた第58回グラミー授賞式。ケンドリック・ラマーの炎のパフォーマンス(文字通り炎上していた)や、ブロードウェイから生中継されたヒップホップ・ミュージカル『ハミルトン』の映像もすごかったが、個人的には追悼コーナーがとても印象深かった。

 周知の通り、欧米ポピュラー音楽界では昨年末から大物アーティストが立て続けに他界している。レミー・キルミスター('15年12月28日没/享年70歳)、ナタリー・コール('15年12月31日没/享年65歳)、デヴィッド・ボウイ('16年1月10日没/享年69歳)、グレン・フライ('16年1月18日没/享年67歳)、そして、モーリス・ホワイト('16年2月3日没/享年74歳)。大物であるだけでなく、逝くには皆ちょっと早い年齢なので、音楽ファンが受けた衝撃も大きかった。今年のグラミーでは、ナタリー・コールに関しては年間の物故者たちの紹介VTRの締め括りに「Unforgettable」の映像が長めにフィーチャーされただけだったが、他の4人に関してはきちんと追悼パフォーマンスの枠が設けられた。

 まず感動したのは、スティーヴィー・ワンダーとペンタトニックスによるモーリス・ホワイトへの追悼パフォーマンス。授賞式の前半、彼らは年間最優秀楽曲賞のプレゼンターとしてステージに登場し、その場で「That's The Way Of The World」をアカペラで歌った。他界したのが授賞式のわずか2週間前だったため、このような急場しのぎ的なパフォーマンスになったのだろうが、それが逆に良かった。何の特別な演出もなく、6人のミュージシャンが生の歌声だけで見事なサウンドを聴かせたその場面は、入念に準備された他のどんな華やかなパフォーマンスよりも感動的で、終わった瞬間、場内は大スタンディング・オベーションになった。アメリカの音楽界の底力、あるいは、意地のようなものを感じた瞬間だった。グラミーはこういうところが素晴らしい。

 もうひとつ私が感銘を受けたのは、授賞式の後半、ボニー・レイット、ゲイリー・クラーク・Jr、クリス・ステイプルトンの3人によって行われたB.B.キングへの追悼パフォーマンスだった。実を言うと、B.B.キング('15年5月14日没/享年89歳)のことは事前にまったく私の頭の中になく、不意をつかれるような感じだったのだが、これがじわじわと胸に沁み入ってくる大変に素晴らしい追悼だった。演奏が終わったとき、私は溜息と同時に、少し涙が出た。演奏されたのは、彼の代表曲「The Thrill Is Gone」。

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世界を揺らした男

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ナイルとボウイの黒い絆



「溺れかけていた俺を、彼は救命ボートに引っ張りあげてくれたんだ」

──ナイル・ロジャーズ(14 January 2016, Standard.co.uk


 ダフト・パンクとの共演が大当たりして以降、ディスコ/ブギー流行りの波に乗って再び黄金期を迎えているナイル・ロジャーズローラ・マヴーラの新曲にまでフィーチャーされているのにはビックリ)。'70年代後半、シックの大成功によってディスコ時代の寵児となった彼は、'70年代末からアメリカでディスコへの風当たりが強まるのと同時に失速を始め、'80年代初頭には、本人曰く“誰からも電話の返事がもらえない奴”にまで落ちぶれてしまった。そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、デヴィッド・ボウイだった。

 '82年秋にニューヨークのクラブで邂逅したナイルとボウイは、すぐに意気投合し、一緒にアルバムを制作することになる。スイスのボウイ邸でデモ制作を行った後、ニューヨークのパワー・ステーションでわずか17日間で仕上げられたそのアルバム『Let's Dance』('83年4月14日発売)は、全世界で爆発的な大ヒットを記録。ボウイとのコラボレーションの成功により、以後、ナイル・ロジャーズはインエクセス、デュラン・デュラン、マドンナなど白人ポップ勢のヒット作を次々と手掛け、'80年代にプロデューサーとして第二の黄金期を迎えることになる。一方、'70年代に在籍したRCAとの契約が'82年に満了し、移籍先を探していたデヴィッド・ボウイは、自費で制作した『Let's Dance』を携えて'83年1月にEMIと巨額の契約を交わし、ポップ・スターとして新たなキャリアを歩み始めることになった。アルバムの予想を超える大ヒットが、その後の彼の迷走を引き起こしたことはよく知られるところだろう。『Let's Dance』は、まさに両者の人生を大きく変えた作品だった。

 '16年1月10日のデヴィッド・ボウイ他界に際して、ナイル・ロジャーズは英米の多くの音楽メディアからインタヴュー取材を受けた。そこでナイルは、ボウイのことを“ロックンロールのピカソ”と讃え、『Let's Dance』の制作や、時に自身の癌との闘病体験も交え、同じく癌と闘ったボウイとの親交を振り返っている。それらはどれも貴重な話だが、実はデヴィッド・ボウイとの仕事についてナイルは過去にも多くを語っていて、時には、故人を振り返る場では言いにくいような裏事情や不満も率直に明かしている。特に、『Let's Dance』の10年後に両者が再び組んだアルバム『Black Tie White Noise』('93年4月5日発売)制作時におけるボウイとの確執や、ボウイとの仕事を通してナイルが経験した黒人アーティストとしての様々な葛藤についての話──これらは'16年のインタヴューではほとんど触れられていない──は、非常に興味深いものである。

 今回は、デヴィッド・ボウイ追悼も兼ねて、ナイル・ロジャーズがボウイとの仕事について語ったこれまでのインタヴュー発言を、'16年1月の最新発言も含めて一気に紹介する(ナイル発言の補足として、デヴィッド・ボウイ本人の発言もある程度拾っておく)。ポピュラー音楽における“黒”と“白”の違い、また、それを越えた両者のミュージシャン/人間としての深い絆が、この発言集の中にはっきり読み取れるだろう。『Black Tie White Noise』発表時に撮られた上掲の写真──ナイルの肩を抱いて笑みを浮かべるボウイに対して、ナイルにはどことなく遠慮が感じられる──も、これらを読むとより感動的なものに見えるはずだ。

※以下のインタヴュー発言はすべて拙訳によるが、日本の2つの音楽誌(Crossbeat、Rockin'on)での発言は、作品名表記や一人称を変更した以外、基本的に日本語の原文をそのまま引用した。

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惜別 DAVID BOWIE──ボウイがいれば独りじゃない



 デヴィッド・ボウイが死んだ。1月10日の他界からかなり時間が経ってしまったが、ここで追悼文らしきものを書いておきたい。私は決して彼のファンではない。が、訃報を聞いたとき、とても大きなショックを受けた。正直、まるで空が落っこちたような気がした。マイケルが死んだときもショックだったが、デヴィッド・ボウイの死にはまた違った重さがある。

 デヴィッド・ボウイは世界中の落ちこぼれたちのヒーローだった。“落ちこぼれ”というのは、決して勉強ができないという意味ではなく、学校とか会社とか、社会の中に自分の居場所を見つけることができない“あぶれ者、はみ出し者”のことである。ボウイは、そうした不器用な人間たち一人ひとりに作品を通して直接語りかけ、彼らを肯定し、生きる勇気を与えた。

 '72年7月、BBCの音楽番組〈Top of the Pops〉で歌われた「Starman」は、疎外感や違和感に苛まれて生きていた当時のイギリスの大勢の若者たちを恍惚とさせた。“誰かに電話しなきゃと思って君にしたんだ(I had to phone someone so I picked on you)”と歌いながらボウイがカメラを指差したとき、テレビを観ている若者たちは、あたかも自分に向かって彼が語りかけているように感じた。あるいは、「Fame」のライヴ・パフォーマンスの際、“What's your name?”と言いながら彼が客席を指差せば、その方向にいる数百人の落ちこぼれたちが“指差されたのは自分だ”と思い込んだ。これと言った居場所やアイデンティティを持たず、孤独や不安を歌いながら常に変化を繰り返したデヴィッド・ボウイのドラマは、同時に、どこにも属せない世界中の落伍者たちのドラマでもあった。彼らは、まるで鏡を見るようにデヴィッド・ボウイの姿を眺めた。

 デヴィッド・ボウイというアーティストの存在は、ちょっと太宰治のそれと似ていると思う。太宰治もまた似たような落伍者で、しかも、洒落者の美男だった。彼の告白調の小説は、巧みな筆致で読者に親密に語りかけ、読み手の一人ひとりに“彼は自分だけに打ち明けている。彼を分かっているのはこの世で自分だけだ”と錯覚させる力を持っている。太宰治のファンは、彼の小説の中に自分のドラマを見、彼を同志のように感じ、自分こそ彼の最大の理解者であると信じる。デヴィッド・ボウイと同じように、太宰治はいつの時代でも悩める孤独な若者たちのヒーローである。

 書くのに大変勇気のいることだが、実はかつて、私はデヴィッド・ボウイの“世界一のファン”だった。俺は誰よりもボウイを分かっている、と信じて疑わない数多の落ちこぼれのひとりだった。完全な信者だったと言っていい。しかし、年をとると誰でも太宰治のファンを公言するのが気恥ずかしくなるように、私は人生のある時期から、自分がデヴィッド・ボウイのファンであることを恥ずかしく感じるようになった。

 落伍者(負け犬、弱者)というものは、大抵、心の奥底にドロドロとした怨恨感情を抱えながら生きている。世界に対して“畜生、いまに見てろよ”と思いながら、一発逆転のチャンスを夢見ている。デヴィッド・ボウイに限らず、ロックンロールという音楽の中には必ずこの怨恨感情が潜んでいる。たとえば、何の取り柄もない落ちこぼれの若者がエレキ・ギターで大音量のノイズを鳴らすとき、それは伝統的なクラシック音楽の学理や、一般社会の従来の価値観──いわゆる“既成概念”──に対する復讐を意味するだろう。自分たちが勝てるようにゲームのルールを転倒させ、“ざまあみろ!”とドヤ顔で叫ぶのがロックンロールである。私はそういうものにすがるのが嫌になった。何より、心の底にそうした負の感情を抱え込んでいる自分自身に耐えられなくなったのである。以来、私はデヴィッド・ボウイにもロックにも、自然とまったく興味をひかれなくなっていった。私は何も恨まず、もっと素直に自分の人生を受け入れ、楽しもうと考えるようになった。

 いま、私はデヴィッド・ボウイを聴かない。一応、3年前の復活作は通しで一度聴いたのだが、私にとって、それはもはや単なる普通の“ロック・アルバム”でしかなかった(ジャケットからして実にロック的だと思う)。死後に注文したせいで入手に苦労させられた遺作『★』は素直に面白いと思えたが、それでもやはり、どこか妙に遠くで鳴っている音楽のように聞こえた。訃報に触れて、十数年ぶりに昔の曲を聴いたりもしたが、かつてのような興奮やときめきは感じない。彼の音楽を私が熱狂的に求めることは、恐らくもう二度とないのだろう。私は彼の音楽を必要としない人間になってしまった。寂しいような気もするが、これが人生というものなのだと思う。


YOU'RE NEVER ALONE WITH BOWIE

 自分の暗い青春時代を照らし、支えてくれたデヴィッド・ボウイに、私はいま、ただ感謝している。深い感謝と追悼の意をこめて、最後に、私が最も好きな彼のオリジナル曲をひとつ和訳することにしたい。シャーデーも出演したジュリアン・テンプル監督の英ミュージカル映画『ビギナーズ』(1986)の主題歌「Absolute Beginners」である(おまけとして、この曲に関するデヴィッド・ボウイと関係者のインタヴュー発言も紹介する)

 「Absolute Beginners」は、彼の'70年代の代表曲「"Heroes"」を彷彿させる雄大な8分間の長尺ナンバー。若い男女を歌った歌詞はもちろん、躍動感に溢れたベース、タンバリンの使い方など、リズム面に'60年代モータウンからの影響が窺われる点でも「"Heroes"」と似ている。サビ部分の歌詞、また、ほぼデュエット状態でハーモニーを歌う女性バック・ヴォーカルに顕著だが、ボウイは「Ain't No Mountain High Enough」を意識しながらこの曲を書いたのではないかと思う。制作は、ボウイ自身とクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンリー。かつて『Hunky Dory』でピアノを弾いたリック・ウェイクマンが流麗なプレイで花を添えているのも聴きどころのひとつだろう。私が何より好きなのは、サックス・ソロをフィーチャーした後半部の流れ。特に、6分半から始まるブレイクダウンと、そこから劇的にイントロへ舞い戻る展開が死ぬほど好きだ。

 コート姿のボウイが妖婦──“ゼブラ”という煙草の化身として現れる──に幻惑されながら夜のロンドンを彷徨うフィルム・ノワール調の音楽ヴィデオも大好きだった。映画と同じくジュリアン・テンプルが監督したこのヴィデオは、'59年にイギリスで発売された“ストランド”という煙草(ロキシー・ミュージック「Do The Strand」のモチーフにもなった)テレビCFのパロディになっている。そのCFは、コート姿で夜のロンドンを歩く一人の男が、一服のストランドによって孤独を癒されるという内容だった。キャッチコピーは“ストランドがあれば独りじゃない(You're never alone with a Strand)”。CFを監督したのは、キャロル・リードである。『第三の男』へのオマージュだったデヴィッド・ボウイの晩年のヴィデオ「Sue (Or In A Season Of Crime)(監督:トム・ヒングストン)は、言ってみれば、ストランドのCFを模した「Absolute Beginners」と姉妹作のような関係にある。

 「Absolute Beginners」のシングル盤ジャケットには、ヴィデオ撮影時に撮られたデヴィッド・ボウイのモノクロのスチールが使われた。ハットを浅く被り、両手をポケットに突っ込んで川辺で笑みを浮かべるカッコマン、ボウイ。時代と共にその外見は目まぐるしく変化したが、私の中でデヴィッド・ボウイという人は、基本的にいつもこんな感じでニヤけているイメージだった。私はこの写真を彼の遺影として、心の隅に大事に飾っておきたいと思う。

 ありがとう、デヴィッド・ボウイ。あなたがいたから独りじゃなかった。

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