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追悼 PRINCE──ビートに抱かれて



 唐突ではあるが、明石家さんまの話をしたい。
 
 私は彼のことが大好きだ。と言っても、出演番組を欠かさず観るような熱心なファンではないし、そもそもテレビ自体、私はほとんど観ないのだが、テレビをつけてさんまが出ていれば、間違いなくその番組を観る。彼は絶対に笑わせてくれるからだ。

 音楽と同じように、お笑いにも“グルーヴ”というものがあると思う。芸人はそれを常に掌握していなければいけない。ちょっとした言葉の間合い、ツッコミを入れるタイミング、リアクションの速度──これらがちょっとでもツボを外れると、笑いは生まれない。わずか0.数秒の誤差も許されない瞬間勝負である。笑いの精度を決定づけるその重要な“ツボ”のことを、音楽の世界では、たとえば“on the one”という。“the one”は小節頭の“1拍目”を意味する。これはジェイムズ・ブラウンが語っていた有名なファンクの極意である。曰く、“1拍目を外すな(Play it on the one)”。どんな演奏をしてもいいが、1拍目だけは絶対に外してはいけない。それがグルーヴの要だからである。

 JB風に言うなら、明石家さんまは絶対に“笑いの1拍目”を外さない男である。その天性のグルーヴ感覚で、彼は'80年代から現在まで、お笑い界の絶対的スターであり続けてきた。さんまがテレビから姿を消した時期があっただろうか? テレビをつければ彼はいつもそこにいて、私たちを笑いの渦に巻き込んでくれる。どんな芸人からもリスペクトされるお笑い界の正真正銘のレジェンドでありながら、彼には少しも傲ったところがない。映画を撮ったり、本を書いたり、政界に進出するなどして、安っぽい文化人に成り下がるようなこともない。彼はお笑い一筋に生き、ひたすら“笑いの1拍目”をヒットすることに明け暮れている。JBに「Doing It To Death(死ぬまでとことん)」という曲があるが、さんまはまさにそれだ。とことんお笑い。死ぬまでファンキー・グッド・タイム。私に言わせれば、明石家さんまはファンカーである。

 業界内で、萩本欽一が“大将”、ビートたけしが“殿”と呼ばれたのに対し、さんまが“若”と呼ばれたことは非常に示唆的だと思う。決して偉ぶらず、達観もせず、還暦を過ぎても尚、若い女性への恋心を嬉々として語る彼に、王座は似合わない。明石家さんまは常に第一線の現役芸人であり、いつまでも若く、飽くまで軽い男であり続ける。そして、私たちを笑わせ続ける。彼は私たち日本人の真の宝だと思う。彼がいない世の中を、あなたは想像することができるだろうか?

 プリンスが亡くなった。世界中の音楽ファンやミュージシャンにとってプリンスの急死は、日本人にとって明石家さんまが急死したも同然の事態である。絶対に死ぬわけがない人が死んでしまった。いて当たり前の人がいなくなってしまった。しかも、ある日、突然。もし明石家さんまが死んだら、日本中から笑いが消えるだろう。彼に死なれたら、私は次の日から観るテレビ番組がなくなってしまう。プリンスの他界は、まるで音楽そのものがこの世から消えたような、とてつもない喪失感と深い悲しみを私にもたらした。しばらくの間、自分の感情を表現するどんな言葉も思いつかず、ただ頭を抱えて泣いた。この先、自分はいったい何を楽しみに生きればいいのか。プリンスよ、俺を置いていかないでくれ……そんな思いだった。他界から一週間経った今も、私はそのショックと絶望から立ち直ることができずにいる。

 明石家さんまが関西のお笑いを日本全国に浸透・定着させたように(もちろん、彼以前にも関西出身の人気芸人はたくさんいたが、さんまほど幅広い層から愛される国民的スターはいなかったと思う)、プリンスは黒人音楽を世界中に、かつてない規模で広めた。そして、現在のポップ・ミュージックの大きな基準を作った。黒人音楽の文脈では、Pファンク帝国衰亡からヒップホップ興隆までの空白期を埋めた'80年代の孤軍奮闘が何より特筆されるだろう。彼はまさに、ファンクを伝導する“黒い救世主”だった。アフリカ系アメリカ人たちにとってプリンスは、恐らく、関西人にとってのさんまのような存在に違いない。あらゆる黒人が彼を愛し、尊敬し、誇りに思っている。そして、東京人の私がさんまを愛するように、彼は人種や国境や世代を越え、世界中のあらゆる音楽ファンから最大級の敬意と共に深く愛されている。私たちは本当に偉大な人物を失った。

 音楽に国境はない、という。全く、その通りだと思う。世界が音楽を通してひとつの国家となるなら、プリンスはその国葬に値する人物だ。国民のひとりとして、私も彼に花を手向けることにしたい。深い追悼の意をこめて、私が最も愛する彼の曲「When Doves Cry」(1984)の歌詞を和訳する。

 '84年当時、洋楽好きの小学生だった私に、この曲は大変なインパクトを与えた。イントロの狂おしいエレキ・ギターの響きを聴くと、今でも胸がざわめく。歌詞には、恋人を失った傷心の思いが綴られている。エデンの園を思わせる情景描写や、両親を引き合いに出すサビのくだりには、自分の出自や人間の業に対する眼差しがあり、明らかに性的な歌詞でありながら、同時に高い精神性を感じさせる。官能的で崇高。宗教的なイメージを伴った、とても美しい詩だ。失恋の歌でありながら、リン・ドラムの強烈なビートが絶えず響き、ファンク特有の陶酔感や祝祭感を生んでいる点が素晴らしい。ベースを排除したアレンジは今聴いても斬新だ。“ビートに抱かれて”という邦題は実に秀逸だと思う。

 プリンスがやっていた“ファンク”という音楽は、私なりに説明すると、この世のすべてを肯定し、愛し、あらゆるものに感謝するための乗り物のようなものである。彼が音楽を通して一貫して伝えていたのは、明石家さんまの座右の銘を借りて言えば、“生きてるだけで丸儲け”という真理だった。プリンスは私に、生きて在ることの楽しさ、素晴らしさ、その奇跡のような有り難みを、音楽を通して徹底的に教えてくれた。彼の音楽を聴いて、私はいったい何度救われたか知らない。いくら感謝してもしきれない。

 プリンスは毎晩、神に祈り、何をお願いするでもなく、ただ“ありがとう”と言っていたという(前回記事“親愛なる諸君”参照)。私自身は無宗教者だが、万物に宿る神性(奇跡性)のようなものは漠然と信じている。そして、この世のすべてを日頃から有り難く思い、誰に対してもなるべく“ありがとう”と言うように心掛けている。“ありがとう”は私が最も好きな言葉でもある。これは何度言っても言いすぎることのない言葉だ。

 いま、私は同じ言葉を彼に捧げる。何度でも、いつまでも言い続ける。
 
 ありがとう、プリンス。本当にありがとう。
 
 
 If I don't meet you no more in this world,
 Then I'll meet you in the next one.

 Rave in paradise

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| Man's Man's Man's World | 03:00 | TOP↑

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親愛なる諸君



 畜生。「Let's Go Crazy」を爆音で聴きながらバイクをぶっ飛ばし、そのまま立木にでも突っ込みたい気分だ。

 しかし、私はいま自分に、そして、彼を愛した世界中の音楽ファンに、こう言いたい。このままエレベーターが下降してもいいのか?!

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| Man's Man's Man's World | 08:35 | TOP↑

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All good things never last



 人生なんて所詮はパーティー
 楽しい時はいつか終わる

 Life is just a party
 And parties weren't meant 2 last

 
 ──「1999」
 
 
 四月に雪が降ることもある
 ひどく落ち込むこともある
 人生が永遠だったらと思うこともある
 楽しい時はいつか終わると人は言う

 Sometimes it snows in April
 Sometimes I feel so bad, so bad
 Sometimes I wish that life was never ending
 And all good things, they say, never last

 
 ──「Sometimes It Snows In April」

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| Prince Index | 07:20 | TOP↑

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Chic──考える足

My_Feet_Keep_Dancing.jpg

「20代の初めごろ、俺は著名振付家のシヴィラ・フォートのもとでダンスを学んでいたことがある。彼女が教えていたダナム・テクニックは、バレエの訓練法を取り入れたモダンなものだった(原註:キャサリン・ダナムは“黒人ダンスの母/女性開祖”と言われる人物。彼女とフォート女史はアメリカの黒人ダンス史に名を残す伝説的な存在)。後年、俺はシックの曲に、たっての希望でニコラス兄弟に参加してもらったこともある。俺は“ダンス”という言葉と精神的にも肉体的にも繋がりを持っていた」

 自伝『Le Freak: An Upside Down Story of Family, Disco and Destiny』(2011)でナイル・ロジャーズがそう書いているシックの曲とは、'79年に発表された「My Feet Keep Dancing」のことである。

 この曲には、史上最高のタップ・コンビ、ニコラス兄弟の兄であるフェイヤード・ニコラスが参加し、間奏でタップを踏んでいる。当時、フェイヤードは65歳。残念ながら弟のハロルドは不参加だが、他の2人のダンサー──ユージーン・ジャクソン(黒人子役として'20年代から芸能界で活躍していた人物)、サミー・ウォーレン──と組んで、歯切れの良いタップ音を響かせている。ロックンロールの興隆によって職を追われた彼ら黒人タップ・ダンサーたちは、マイケル・ジャクソンやグレゴリー・ハインズといった新世代の黒人スターたちの活躍により、'80年代になって再び脚光を浴びることになる。'77年の時点でマイケルはジャクソンズのテレビ番組〈The Jacksons〉にニコラス兄弟をゲストに迎え、一緒にタップを踏んでいた。'79年にフェイヤードをレコーディングに招いたナイル・ロジャーズもさすがだと思う。

 今年はフェイヤード・ニコラスの没後10年('06年1月24日没/享年91歳)。そして、昨日はバーナード・エドワーズの没後20年の命日だった('96年4月18日没/享年43歳)。2人の偉大なリズム・マスターを追悼して、今日は2人が共演したシックの大名曲「My Feet Keep Dancing」の歌詞を和訳することにしたい。ダンサーの成功物語を描いた歌だが、タップが黒人奴隷の表現手段として生まれた歴史を踏まえると、“My feet keep dancing”という表題フレーズは、生きることへの根源的な渇望を表しているようにも思える。間奏でタップがフィーチャーされた意味はあまりにも大きい。心臓の鼓動のように激しく脈打つバーナードのベースに乗ってタップ音が響く瞬間、私はいつも涙が出そうになる。

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| Dance to Jazz and All That Jazz | 06:30 | TOP↑

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足は口ほどに物を言う



 突然ですが、クイズです。これは誰の足でしょう?

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| Michael Jackson | 22:45 | TOP↑

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熱闘! ジャンケン・ジャケ




 “レコード・ストア・デイ”特別企画。
 レコード・ジャケットだけでぶっ倒れるまでジャンケンをする試み。R-暇人指定。

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| Etc Etc Etc | 04:45 | TOP↑

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Chloe x Halle──響



 アトランタ出身/ロサンゼルス在住の姉妹R&Bデュオ、クロイ×ハリー。YouTubeに投稿していた“歌ってみた動画”がビヨンセの目に止まり、彼女の事務所/レーベル、Parkwood Entertainmentからこの春デビューした話題のシンデレラ・ガールズだ。姉のクロイ・ベイリーは18歳、妹のハリー・ベイリーは16歳……って、君たち高校生じゃないか!

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| Diva Legends | 20:30 | TOP↑

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D'Angelo and the Vanguard @ Pacifico Yokohama 2016



 ディアンジェロ&ザ・ヴァンガードのコンサートを観た(再び)。
 
 すでに伝説化しつつある'15年8月の初来日公演から僅か7ヶ月後の再来日。前回、私は唯一の単独公演だったゼップ東京公演を最前ブロックで鑑賞し、20,000円のプレミア・チケット代金と共に燃え尽きた。あの時、Dは観客に向かって最後に“最高だった。また会おうな(That was so beautiful. So we'll meet again)”と言っていた。15年先くらいの再会を思い描き、私はDのその言葉を胸の奥に大切にしまったのだが……奴がこんなにも早く戻ってくるとは、あのとき一体誰が予想しただろうか。遅すぎたり早すぎたりで、この人のタイミングは本当にわけが分からない。

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| Man's Man's Man's World | 01:01 | TOP↑

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