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夜のヒットスタジオ──特集サヨナラ山口百恵 (part 2)



 '10年6月30日に発売される6枚組DVDボックス『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』。その大きな目玉のひとつでもある、伝説の最終出演回「特集サヨナラ山口百恵」('80年10月6日放送)をプレイバックする記事、Part 2である。

 Part 1では、番組の前半までを鑑賞した。'73年のデビュー時から出演し続けた〈夜のヒットスタジオ〉で、百恵が過ごす最後のひととき──しんみりしたムードが漂うスタジオは、番組後半でいよいよ大きな惜別感に包まれていく。


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 CM明け。百恵は紫のさよならドレスに着替えて再登場。この衣裳は百恵のお別れテーマ曲「さよならの向う側」用のもので、引退時期のテレビ出演でよく着られていたものである。

 後半は、共演の歌手仲間たちから百恵へ歌のプレゼント。これが〈夜ヒット〉名物のオープニング・メドレー形式で行われる。オープニング・メドレーは、通常、番組冒頭で、出演歌手たちが他の共演歌手の持ち歌をリレー式に歌い継ぎながら互いを紹介していくコーナー。ここでは、歌手仲間たちがそれぞれ百恵の持ち歌を歌い、紹介コメントの代わりに、最後に百恵に贈る言葉を添える。まさに〈夜ヒット〉ならではの企画で、この引退特番の中でも出色のシークエンスになっている。


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和田アキ子 - 青い果実(1973)
作詞:千家和也/作曲:都倉俊一

 トップバッターは、ホリプロの先輩、和田アキ子。少し照れくさそうに登場し、百恵の2ndシングルで初のヒット曲でもあった「青い果実」を歌う。“あなたが望むなら私何をされてもいいわ いけない娘だと噂されてもいい”──少女の性への目覚め(端的に言うと、処女喪失)を売りにした曲だったが、和田が歌うと、詞から臭みが取れて非常にピュアに響く。悲哀を滲ませながら真っ直ぐな女心を歌うこういう和田アキ子は、とても好感が持てる。彼女の歌唱で私はこの歌がちょっと好きになった。少なくとも、成人の百恵が歌うより遙かに良い。

“なんて言うていいか分からへんけど、まあ、三浦百恵になったら、山口百恵より女らしい……幸せに”(和田)


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太田裕美+アン・ルイス - プレイバック Part 2(1978)
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

 太田裕美とアン・ルイスは「プレイバック」担当。“緑の中を走り抜けてく……”をアン、“交差点では……”を太田が歌う。ブレイクで次の曲に変わってしまい、肝心の“馬鹿にしないでよ”が決まらずにズッコケるというギャグがある。曲に合った人選だとは思うが、まるで友達と仲良くカラオケボックスで歌っているような、実にほのぼのとした「プレイバック」である。

 太田裕美は、かつて阿木+宇崎の提供曲「シングル・ガール」(1979)で、「プレイバック」の百恵のお下がりのような衣裳(黒ドレス)を着て、似たような大人化路線を試みたこともあった。
 アン・ルイスは、百恵の芸能界の女友達の中では、恐らくこの時点で最も親しかった人物の一人。百恵とはプライベートで一緒にアメリカ旅行('78年9月)に出掛けるほど仲が良かった。引退後も付き合いが続くことが分かっているせいか、この番組で彼女は一人だけちっとも悲しそうでない(性格もあるのだろうが)。番組冒頭でも触れられるが、この時、彼女は妊娠中だった。'81年5月8日出産なので、妊娠約3ヶ月。一人だけカジュアルな格好をしているのは身重のせいかとも思ったが、多分、あまり関係ない。

“幸せになって。それしかない”(太田)
“いつまでもお友達でいようね”(アン)


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岩崎宏美+高田みづえ - 乙女座宮(1978)
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

 岩崎+高田の乙女コンビで「乙女座宮」。2人で一緒に2番のAメロを歌う──“私 すぐにゆくわ いいえ 悔やまないわ 信じることが愛だと教えてくれた やさしいあなたと”。歌詞が琴線に触れるのか、百恵の目を見ながら歌ううちに、最後は岩崎の方から先に涙声になってしまう。女学生同士のお別れのような、爽やかなひとコマだ。

 岩崎はずっと阿久作品を歌っていたが、「さよならの挽歌」(1978)で阿木燿子から作品提供を受け、阿久歌いから脱皮していった。デビューは2年遅いが、百恵とは同学年で、出身も同じく〈スター誕生!〉。複数アーティストによる百恵トリビュート・アルバム『Thank You For...』(2004)で、彼女はここで歌った「乙女座宮」をカヴァーしている。
 高田は宇崎作品の歌い手。フジテレビのオーディション番組〈君こそスターだ!〉から登場し、宇崎作曲のカタカナ・エンカ「硝子坂」(作詞:島武実。森昌子が「横須賀ストーリー」を歌っているような作品)で'77年デビュー。学年は百恵のふたつ下。'83年に百恵の未発表曲「通りすぎた風」(作詞:百恵/作曲:谷村新司)のカヴァー・シングルを出している点が注目される。

“彼を大切にね”(岩崎)
“百恵ちゃん、お幸せにね”(高田)


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ピンク・レディー - 絶体絶命(1978)
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

 百恵の天敵だったピンク・レディー。男を巡って女同士が火花を散らす「絶体絶命」(「カルメン'77」に曲調が似ている)は、まさに彼女たちにピッタリの選曲だ。2人が百恵を挟み撃ちにして凄む光景は、なかなか見もの。学年は2人とも百恵のひとつ上。あまり親しく付き合える機会もなかったと思うが、最後にこのような形で共演できたことは、両者にとって幸福なことに違いない。
 ここから約半年後の'81年3月31日、ピンク・レディーも解散。同年発表のミーのソロ・デビュー作品を全面的に手掛けたのは、なんと、百恵仕事から解放された阿木+宇崎+萩田光雄(編曲)の黄金トリオだった。

“淋しいけど、ほんとに幸せになってね”(ミー)
“いい奥さんになってください”(ケイ)


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小柳ルミ子 - しなやかに歌って(1979)
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

 先代の三人娘の生き残り、小柳ルミ子。「しなやかに歌って」は、百恵がアイドル歌手から大人歌手に脱皮しようとしていた時期の穏やかな作品。小柳の歌唱は、イメージ的にも年齢的にも、百恵以上に歌のムードにマッチしている(フル・コーラスで聴きたいくらい良い)。“しなやかに歌って 淋しい時も しなやかに歌って この歌を 素顔のままで 私はひとり あなたの帰り待っているのです”──百恵に語りかけるように、同時に、自分に言い聞かせるように、まさしくしなやかに歌う。よく伸びる澄んだ歌声は、涙を堪えているため時折震えるが、それでも最後まで見事な歌唱を聴かせる。
 タキシード・ジャケットにリボン・タイをつけたこの時の彼女は、とても魅力的である。マニッシュな服装を選んだのは、泣かずにきちんと百恵を送り出したかったからかもしれない。この送別メドレーの中で、個人的に最も感銘を受けるのが彼女の歌唱である。

“幸せになってください。これからもお友達としてよろしく”(小柳)


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森昌子 - 秋桜(1977)
作詞/作曲:さだまさし

 “花の中三トリオ”から“花の高三トリオ”まで('73~77年)、百恵、桜田と共に三人娘を組んだ森昌子。彼女くらいの付き合いになると、特に改まって言うこともないかもしれない。微笑しながらそっと百恵に寄り添い、切々と「秋桜」を歌う。保守的な彼女のイメージにごく自然に馴染む曲である。彼女は後にこの曲を自分のレパートリーに入れ、コンサートやテレビで歌い継いでいくことになる。仲間の女性歌手たちが百恵作品をひとつずつ歌うこのコーナーは、百恵へのプレゼントであると同時に、百恵から彼女たちへ歌が形見のように託されていく儀式のようにも見える。

“いつまでも可愛い奥さんでいてください”(森)


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桜田淳子 - いい日旅立ち(1978)
作詞/作曲:谷村新司

 最後に登場するのは桜田淳子。トリを務めるのに最も相応しい人物である。参ったなー、という顔で登場し、「いい日旅立ち」を歌う。

 百恵と桜田は仕事のために転入した品川女子学院中等部で同じクラスだったこともあり、三人娘の中でも特に親しい間柄だった。容姿も趣味も似ていた2人は、姉妹のような無二の大親友だったが、両者をライバルとみなす周囲の視線に晒され続けるうち、本人たちの意に反して、徐々に疎遠になってしまったという。百恵は、この番組の直前、'80年9月に出版された自叙伝の中で、桜田淳子との友情を振り返って、次のように書いている。

「彼女と私。彼女がいなかったら、現在の私は存在し得なかっただろう。彼女が私の人生に関わった部分は、本当に大きい。
 姉妹のようだった日々も、周りを気にしすぎてふたりが離れてしまったように思えた日々も、時の流れの中で浄化して、また新たな心のつながりを持つことができればと願っている」(山口百恵・著『蒼い時』)

 最初は笑みを浮かべていた桜田だが、百恵の目を見るうちに感極まり、途中から嗚咽で歌えなくなってしまう。オープニング・メドレー同様、この百恵送別メドレーも、トリは他の歌手より歌う時間が長い。これを桜田淳子に担当させるのは結構残酷なのだが、この手の泣かせ演出は〈夜ヒット〉が昔から得意としていたもので、彼女が嗚咽で歌えなくなる展開も、恐らく番組スタッフの思惑通りだったに違いない。スタジオの後ろには大勢のコーラス隊が現れ、更にムードを高める。桜田が百恵の肩を抱きながら懸命に歌う「いい日旅立ち」は、この引退特番の中で最も感動的な場面のひとつになっている。

 桜田が百恵に贈った言葉は他の誰よりも短かった。最後に彼女は、万感の想いを込めて、たったひとことだけ百恵に言う。

“幸せにね”(桜田)


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西城秀樹+野口五郎+郷ひろみ - マイ・ウェイ(1969)
訳詞:中島潤/作曲:Claude Francois, Jacques Revaux

 女性陣の後、今度は男性陣が百恵に歌を贈る。曲は、布施明の歌唱で知られる中島潤・訳の「マイ・ウェイ」。南沙織のサヨナラ企画('78年9月25日放送)の時には布施明らが歌ったが、ここでは新御三家が担当。西城、野口、郷の順に1人ずつソロで歌いながら登場し、百恵に薔薇を一輪ずつ手渡す。途中から3人でユニゾンの合唱になり、高らかに1コーラスを歌い上げる。感慨無量の面持ちでじっと聴き入る百恵。女性陣ほどの面白味はないが、それでも、引退特番らしいさすがの盛り上がりを見せる(この合唱では郷の金属質なヴォーカルが異様に耳に残る。どうでもいいが、彼だけシャツがウィング・カラーでないのはなぜだろう。『OFF THE WALL』のマイケルを意識しているということは……ないか)。ちなみに、テロップでは作曲者名がポール・アンカになっているが、もちろん誤りで、彼は英語版の作詞者である。

 新御三家は、同様のタキシード姿で、森、桜田と共に一週間後の百恵引退特番「山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング」(日本テレビ/百恵の現役最後の歌番組生出演)にも出演する。そこでは番組最後に、桜田淳子・作詞、野口五郎・作曲による百恵への手向けの歌「ザ・ラスト・ソング」が歌われた。


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百恵に花を渡す仕事仲間たち──(左上から)沢田研二、五木ひろし、ジュディ・オング、研ナオコ、青空球児・好児、西河克己、酒井政利、大林宣彦、川瀬泰雄

 新御三家の歌が終わると、合唱隊のハミングによる「マイ・ウェイ」をバックに、花束の贈呈が始まる。ここで遂にジュリー登場。きちんとタキシードで正装し、一番最初に百恵に花束を渡す。“どうもわざわざすみません”といった風情で百恵が花束を受け取った後、軽く微笑んで静かにその場を去る。死ぬほどいい男である。登場時間、約10秒。百恵のためにわざわざ有り難うございます、と保護者でもないのに、画面に向かって思わずお礼を言いたくなる。
 沢田研二は、「プレイバック Part 2」以降の百恵にとって、一種のロールモデルのような存在だった。百恵が女王になれたのは、打倒すべき王様ジュリーがいたからこそである。花束を渡すためだけに彼がわざわざ正装までしてやって来てくれたことに、私は百恵本人以上に感動してしまう(この特番における私の一番の号泣ポイントは、この沢田研二登場の瞬間に他ならない)。沢田研二は〈夜ヒット〉に百恵が前回出演した際('80年9月22日)にも居合わせ、百恵が自身のキャリアを締め括る大作「一恵」を歌う様子を雛壇から見ていた。私は、ジュリーが百恵の最後の瞬間をしっかり見届けてくれていたことを、ファンとして本当に嬉しく思う。

 ジュリーに続き、五木ひろし、ジュディ・オング、研ナオコ、青空球児・好児が花束を渡す。この中では特にジュディ・オングが百恵の琴線に触れる人物だったようで、彼女の顔を見た瞬間に百恵はいきなり泣きそうになる(“幸せになってね……”などと言葉をかけられている)。ジュディ・オングは、言うまでもなく、阿木燿子が書いた「魅せられて」で'79年のレコード大賞を獲り、'76~80年の阿久悠の連続レコ大受賞を阻止した歌手。ルックス的にも、まるで阿木燿子の分身のようである。
 研ナオコは、百恵と同じく阿木+宇崎作品の歌い手。青空球児・好児は、毎年8月に新宿コマ劇場でやっていた百恵の舞台「百恵ちゃんまつり」の共演者。五木ひろしに関しては……五木ひろし、としか説明のしようがない(気さくな良い先輩だったのではないだろうか。何気に宇崎が書いたシングル「蝉時雨」を'79年に出したりしているのだが)。

 芸能人が花束を渡した後、裏方の仕事仲間たちが百恵に一輪ずつ薔薇の花を渡していく。西河克己(映画監督)に始まり、酒井政利(音楽プロデューサー)、中川好久(助監督/映画プロデューサー)、大林宣彦(映画監督)、川瀬泰雄(音楽ディレクター)、西条満(振付師)、田中三一(録音エンジニア)……という具合にどんどん続いていく。
 酒井政利は、百恵の他に、南沙織、郷ひろみ、ジュディ・オングらを手掛けたソニーの大ヒット・メイカー。小室哲也の先達のような人物だが、顔も微妙に小室に似ている。酒井が戦略を練る一方、実際に録音スタジオで実務を担っていたのが川瀬泰雄(他に井上陽水、浜田省吾らを手掛ける)。酒井の役割と区別して“ディレクター”とされることが多いが、百恵作品の実質的なプロデューサーは彼である。レコーディング・アーティストとしての山口百恵を最もよく知る超重要人物なので、彼の名前と顔は覚えておいた方がいいかもしれない。

 花が手渡されている最中、テロップで“仲間の皆さん”の名前が紹介される。以下、テロップの順番通りに書き出しておく。

中川好久、大林宣彦、西河克己、中山邦夫、飯田典子、山形光徳、服部克久、西条満、山田順子、坂本あけみ、前島裕一、田代しょう子、酒井政利、田中三一、稲垣博司、橋爪健康、川瀬泰雄、宮義詔、石井玲子、亀井エイ子、司さとし(順不同)

 顔と名前が一致しない人物、あるいは、全く正体不明の人物も多い。服部克久(良一の息子)は、百恵のコンサートの編曲/音楽監督を担当していた重要な仕事仲間だが、映像からは特定するのが難しい。当時、ソニーの所属(部長?)だった稲垣博司(現・エイベックス・マーケティング会長)は、芳村が“百恵ちゃんに最後のお別れです”と言ったところで出てくる黒い革ジャンの男性だと思う。テロップにある人名の中でちょっと驚くのが、亀井エイ子。この人は笠置シヅ子の娘なのだが、どの女性だかさっぱり分からない上、百恵との関係も謎である(服部を通じて知り合ったのだろうか? 詳しい方はご教示下さい)。

 この顔ぶれを見てひとつ気付くのは、ソングライター(作詞/作曲家)が全く含まれていないということである。確かに、都倉俊一や谷村新司などが呼ばれて、阿木+宇崎作品を歌う百恵の姿を見せられるのは、あまり気分のいいことではないだろう。ソングライターは意図的に全員外されているような気がする。


芳村「さあ、え~、お別れが続いてるんですけども、いよいよ百恵ちゃん、〈ヒットスタジオ〉最後の歌になりました。百恵ちゃん、〈ヒットスタジオ〉最後の歌、頑張って歌ってちょうだいね。はい、お願いしましょう」

 曲のイントロが流れ出し、大勢の仕事仲間たちが後ろで見守る中、百恵のお別れの歌が始まる。


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さよならの向う側(1980)
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

 '80年8月21日に発売された引退用のシングル曲。変化球だらけだった阿木+宇崎作品の中でも、これは「曼珠沙華」と並ぶ、ギミックなしの直球勝負の代表作。Aメロの爽やかさと透明感、英語で軽みを持たせ、湿っぽさや仰々しさを回避している点が特に素晴らしい(かっこつけで英語を使っている谷村の「This is my trial」とはわけが違う)。感情の起伏をそのまま写し取ったような楽曲構造は、非常にシャンソン的でもある。実際、これは完璧な和製シャンソンではないだろうか。誰もが納得する、こういう奇跡的な名曲を最後の最後に書いてしまうところが、百恵と組んだ阿木+宇崎の凄さだ。ビートルズの「The End」(最後の数十秒)に似た匂いもあるが、同時に、プリンスの「Purple Rain」あたりも連想させる。これは絶対に、書こうと思って書ける類の曲ではない。文句のつけようがない、全く見事なラスト・ナンバーである。

 大勢の仲間が見守る中、大きくひとつ息をついて、百恵が静かに歌い出す。この最終曲で百恵に期待されていることは、ただひとつ──嗚咽しながら歌い、いかにも“サヨナラ”に相応しい感動的な場面を実現することである。この特番のこれまでの時間はすべて、百恵がここで泣くためだけに費やされてきたと言っても過言ではない。

 百恵の目には涙が浮かんでいる。時折、声を震わせたり、詰まらせたりしながら、一節一節、言葉を確認するように歌っていく。カメラは正面から1ショットで百恵を捉え続け、少しずつ寄りながらその表情をつぶさに見せる。バストショットからアップまで寄り切ったところで、ようやくカメラが切り替わり、後ろにいる立会人たちの表情が映し出される。目を伏せる者、歯を食いしばる者、涙で頬を濡らす者、ひたすら正視する者──異様な光景を目の前にして、立会人たちはいずれも、やはり異様と言うしかない面持ちで、その場にじっと立ちつくしている。

 1コーラスを歌い切り、間奏に入った後も、カメラはひたすら百恵の顔を真正面からアップで撮り続ける。常識的には、引きの映像で変化をつけたり、バックのオーケストラやソロ奏者を映すところだが、カメラは切り替わらない。当然である。私たちが見たいのはそんなものではないからだ。長い間奏の最中も、カメラは執拗に百恵の顔をアップで捉え続ける。

 感動的だろうか。確かにそうかもしれない。同時に私は、正直、残酷だな、と思う。

 百恵は単に、スタジオで仕事仲間やスタッフたち(恐らく百数十人)に見つめられているだけではない。カメラを通して、日本中の何千万人という人間から凝視されているのである。私はこの映像に、ほとんどレイプに近いものを感じてしまう。それも、生やさしいレイプではない。たった一人の女を、何千万人もの人間が一斉に視線で犯す、壮絶な集団レイプである。

 スターは、もちろん、視姦されることが仕事である。人から見られることを喜びとし、大勢の人々の視線を集めて金を稼ぐのがスターというものである。この職業には、何らかの特殊能力に加え、肉体的、精神的に、不特定多数の視線に耐え得るだけの強度が要求される。山口百恵には、それがあった。彼女が“一億人の娼婦”と呼ばれた由縁である。

 これ以前の百恵の〈夜ヒット〉映像を観ながら、私はそれを“レイプ”とはもちろん感じない。彼女は飽くまで、私たちの視線を掌握する最高の娼婦である。ここで「さよならの向う側」を歌う百恵が強姦されているように感じるのは、先にも書いたように、前日の武道館公演で、百恵が実質的に引退してしまっているせいである。この10月6日の百恵には、既に素人・三浦百恵の影が忍び寄っているように思う。改めて歌う理由も、泣く理由もないのに、彼女は、またここで前日と同じように歌い、泣くことを強要されている。これは、はっきり言ってタフである。

 間奏後半で後ろを振り返り、共演者たちに深々と一礼をした百恵。再び正面を向き、2コーラス目を歌い始める。カメラは引き続き百恵の顔をアップで捉える。声は更に震え、潤んだ目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。非常に残酷な映像ではあるが、しかし、それゆえに、やはりこの番組のカメラは素晴らしいと言うしかない。カメラは私たちの目に成り代わり、飽くまで私たちが見たいものを見せ続ける。これと並行して、随所に挿入される芸能人たちの深刻な表情が、百恵引退の惜別感を否応なしに高めていく。この芸能人の人垣は、“惜しまれながら去っていく山口百恵”を演出する上で、どんな豪華なセットにも勝る最高の背景に違いない(2番のAメロ途中から入ってくるストリングス編曲──服部克久による──の素晴らしさも特筆したい。武道館公演ではミックスで埋もれているが、ここでははっきり聞こえる。最高の編曲だ)。

 曲は最後の高みへと昇っていく。懸命に声を振り絞る百恵。彼女は、目にいっぱい涙を溜めながら、結局、一滴も零すことなく、最後までどうにか山口百恵らしく歌いきる。

 曲がクライマックスに達した時、雪のようにも見える白いものが、娼婦の頭上に大量に降り注いでくる。それはどんどん勢いを増し、曲が終わっても尚、容赦なく彼女に降り続ける。異常な量である。白いシャワーを全身に浴び、俯いて微動だにしない百恵を映しながら、「特集サヨナラ山口百恵」は終わる。この最終ショットは、まるで映画の感動的なラストシーンのようでもあるし、非人道的な行為を撮影したドキュメンタリーのひとコマのようでもある。〈夜ヒット〉は、最後の最後に、8年間の中で最も美しく、壮絶な画を撮った。


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 番組は以上で終了してCMに入るが、〈夜ヒット〉はその後に、強烈なとどめの一発を用意していた。CM後、「プレイバック」を皮切りに、過去の様々な百恵のパフォーマンス場面を一気にフラッシュバックする30秒のエピローグ映像が始まる。ピアノの緊迫したシングルトーンの旋律と共に、山口百恵のあまりにも美しい思い出の姿が、まさしく走馬灯のように駆け巡る。そこに、テロップで以下の文章が流れる。

  一つの神話が ここに消え 今一つの伝説が 生まれた
  ・・・さよなら 山口百恵 二十一歳の秋


 初めてこのシークエンスを目にした時、私は息が止まりそうになった。「謝肉祭」「絶体絶命」の決定的名場面を映し出した後、30秒の映像は、すべてが終わった後の現在の百恵の表情で締め括られる。

 さよなら、一億人の娼婦。


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 以上で百恵のサヨナラ・ショウは見事に幕を閉じたのだが、実はもうひとつおまけがある。再びCM後、番組提供クレジットが出る際、放送終了後のスタジオ内の光景が映し出されるのである。音声は“この番組は……の提供でお送りしました”という男性アナウンサーの声のみで、スタジオ内の音声は完全にオフである。満場の拍手の中、百恵はジュディ・オングに何やら言葉をかけられ、少し笑顔を見せている。最後は、共演者たちに向かって百恵が改めて深々とお辞儀をする。8年間にわたる百恵の〈夜ヒット〉への出演は、こうして完全に終了した。


 「特集サヨナラ山口百恵」は、確かに名作である。とにかく、抜群に面白いこと請け合いだ。しかし、これは同時に、作られる必要のなかった名作であるとも思う。これを必要としたのは、百恵ではなく、飽くまで私たちである。私たちは、山口百恵を伝説にし、永久に自分たちのものにするために、このセレモニーを必要としたのである(百恵自身はと言えば、自分が人々から記憶されようがされまいが、どうでも良かったに違いない)。

 百恵にとって武道館公演後の10日間の仕事は、恐らく“消化試合”のようなもので、依然として歌手でありながら、はっきりカタをつけた後で、歌うことへのモチベーションを探しあぐねるような、実に奇妙なものであったと思う。いわば、現役なのに引退している、あるいは、山口百恵でありながら微妙に三浦百恵さんになっているような、ひどく中途半端な蛇足期間なのである(私はこの現役最後の10日間の百恵を“山浦百恵”と呼びたい)。この〈夜ヒット〉最終出演の百恵には、引退公演直後で気持ちを入れ替える時間がなかったせいか、番組全体を通して、そうした戸惑いや虚脱感が特に強く感じられる。“やってられないわ”とは言わないまでも、内心、“私だって疲れるわ”くらいのことは言いたかったかもしれない。一応、これが彼女の最後の〈夜ヒット〉出演になるが、この番組における歌手・山口百恵の真の最後は、前回、9月22日の放送で「一恵」を歌う姿だったと思う。

 しかし、「一恵」が最後では、やはり人々は納得しないのである。「特集サヨナラ山口百恵」で、百恵は私たちの最後の欲望に応えた。

 この引退特番は確かに感動的だと思うし、山口百恵という歌手の性質を考える上でも興味深い映像である(ここから、引退しなかった場合の歌手・山口百恵をある程度想像することもできるかもしれない)。引退公演後の百恵を使ってここまで完成度の高い番組を作った〈夜ヒット〉の演出力は、とにかく驚異的と言うしかない。私はこの映像を観るたびに、私たちの抱える欲望の際限のなさや、スターを欲してしまう私たち自身の不幸について考えさせられる。「特集サヨナラ山口百恵」は、私たちの大いなる欲望の結晶である。

 山口百恵、当時21歳。たった一人のうら若い女に注がれる無数の視線。
 そこまで背負わせるか、とも思うし、そこまで背負うか、とも思う。この特番に対する私の感想は、“感動した”でも“なんも言えねえ”でもなく、とにかく、“お疲れさまでした”のひとことに尽きる。



追記('10年7月6日)
 『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』収録の「特集サヨナラ山口百恵」(DISC 5)では、以下の部分が削除されている。

●トークタイムの“珍場面集”における「渚のシンドバッド」映像内のピンク・レディーのショット(井上順が“注意して下さいよ”という箇所)→同VTR内の百恵&淳子のショットに差し替え(画面左下の小窓を残しながら上手く処理している。DISC 2収録の「渚のシンドバッド」映像でも、同様にピンク・レディーのショットが削除されている)。
●ラッキー・テレフォン・プレゼント→「This is my trial」終了部分に番組ロゴを入れ、CMに行くように見せかけて丸ごと削除。
●送別メドレーでのピンク・レディー「絶体絶命」→そのまま強引に削除。岩崎&高田「乙女座宮」から小柳「しなやかに歌って」に突然変わる。これにより、「絶体絶命」の演奏イントロに被る岩崎&高田の贈る言葉も聞くことができない(ちなみに、ピンクが歌ったのは、“別れて欲しいの彼と……それは私も同じ事”の歌い出し部分)。
●「マイ・ウェイ」でミーが映るショット2箇所→「さよならの向う側」で映る他の芸能人のショットに差し替え(この時点では登場していない五木ひろしの顔が入ってしまっているため、いつ来たんだ五木ひろし状態になっている)。
●「さよならの向う側」でのミーとケイのアップ・ショット。ミー2箇所(研ナオコと一緒のショット含む)とケイ1箇所→同曲での他の芸能人のショットに差し替え。間奏後半(百恵が後ろを振り向く直前)、小柳の前に入っていたミーのショットに関しては、差し替えではなく、恐らくその前の百恵のショットの再生スピードを微妙に落とすことで削除分の時間を稼いでいる。
●最後の番組提供クレジットでスポンサー名が表示されている部分(つまり、ほとんど削除なのだが、番組名が出る最後の部分だけでも収録したのは偉い)。

 ピンク・レディーは、集団の一部として映り込んでいる場合は未削除だが、単独(もしくはそれに近い形)で映っている箇所はすべて削除。ラッキー・テレフォン・プレゼントは、百恵に直接関係ない部分であるため削除したのだろうが、収録できるならするべきだった。何にせよ、ソフト化されただけで快挙である。

追記2('10年8月17日)
 絶版のため未見だった夜ヒット本『芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE』(1988/扶桑社)にようやく目を通すことができた。芳村真理が番組20年間の様々な思い出を語る“忘れられないあの歌&スター”という章の中に、“百恵ちゃんの引退”という小見出しで、以下の文章が掲載されている。『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』ブックレット冒頭に掲載されている芳村の短いコメント(“DVD発売によせて 2010年4月26日”とされている)は、これを編集したものである。

「あの時のスタジオは輝いてました。
 とってもきれいな絵で、しかもスタジオ内が静かで、感動的でした。
 番組終了後もみんな去り難くって、そのままお別れ会が続きました。VTRもずっと回しっぱなしで……。
 山口百恵さんは、ジュリーと共にヒットスタジオを支えてくれた人でした。
 たった数年間でさなぎから蝶へ、見事に変身していった過程を、ヒットスタジオで見せてもらったような気がします。
 百恵さんがスタジオに入ってきて、リハーサルで歌い始めるとスタジオ中の空気がピタッと静止するような感じがありました。
 彼女の輝きで、スタジオのなかが一瞬のうちに光に包まれたみたいになるんです。
 そして、その百恵さんが恋をした。
 特に、引退前の半年間の出演は、日本の歌謡史に残る、また彼女の歴史の一コマにもなる“百恵史”になったことでしょう。
 1000回で私が司会を降りる時も、最後に「いい日旅立ち」が流れてうれしかった。百恵さんの姿がだぶって思い出されました。
 素敵な女の子だったなあ。
 今の百恵さんは、ちょうど20年前にヒットスタジオを始めたばかりの私の年代とよく似てるんです。
 小さな子供をかかえて、夫婦とか親子のことを考えさせられる女性の大事な時期ですから。自分の昔をダブらせてみると、同じ女性として、感慨深いものがあります」

 『芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE』については、“山口百恵 夜のヒットスタジオ全出演記録 1973-80”の追記を参照。




夜のヒットスタジオ──特集サヨナラ山口百恵(part 1)

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