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山口百恵、自らの歌を語る



 カラオケで「プレイバック Part 2」を歌ったことがある人、あるいは、他人が歌っているのを聴いたことがある人はよく分かると思うが、あの歌で一番難しいのは“馬鹿にしないでよ”である。素人だとこれが絶対にキマらない。音符をなぞるだけではダメだし、かと言って、ただ力任せに怒鳴ればいいというわけでもない。私はかつてギターを弾きながらこの“馬鹿にしないでよ”を1日中練習したことがあったが、どうしても百恵のようにカッコよく言うことはできなかった。
 素人だからキマらないのかというと、これは基本的にプロが歌っても同じである。私は実際にプロの歌手による「プレイバック Part 2」のカヴァーをいくつか聴いたことがあるが、どれも話にならない。誰一人としてきちんと“馬鹿にしないでよ”と言えていないのだ。山口百恵は、なぜあれほどいとも簡単に“馬鹿にしないでよ”と正しく言うことができるのか。

 「絶体絶命」の“やってられないわ”も同様に難しい。山口百恵はいかにも“やってられないわ”という感じであっさり吐き捨てるように歌うのだが、常人の歌唱ではこの“やってられない感”がまず出ない。「横須賀ストーリー」の“これっきりですか”も奥が深い。百恵は絶妙のタイム感であのフレーズを歌う。これも常人の歌唱では、必死に問いかける“これっきりですか感”が出ない。百恵はメロディを追うのではなく、本当に喋るように自然に“これっきりですか”と歌う。

 宇崎竜童は、かつて山口百恵の正確無比な歌唱を“コンピューターのようだ”と評した。この歌うコンピューターは、一体どのように作品を解析し、あのような的確極まりない歌唱表現を実現していたのだろう? その精密機械の内側を覗いた者は、いない。


 引退の3日前に当たる'80年10月12日(日)の午後、山口百恵は、文化放送のラジオ番組〈決定!全日本歌謡選抜〉に生出演し、自分の過去のヒット曲をひとつひとつ振り返るという趣向のインタヴューを受けている。山口百恵の場合、タレントとしてのパーソナリティにスポットを当てるインタヴューはあっても、歌い手として自ら個々の作品についてまともに語っているインタヴューというのは、極めて稀である。

 ここで百恵は、「横須賀ストーリー」から「ロックンロール・ウィドウ」までの8つのシングル作品について回想している。いわば、歌い手本人による作品解説である。コンサートのMCのような台本通りの曲紹介ではない。引退間際ということもあり、変なしがらみもなく、各作品について率直にコメントをしているのが実に面白い。山口百恵にとって一連の歌はどのような意味を持っていたのか? 彼女は一体どのような意識で作品に向かっていたのか? 一体何が彼女の歌をあのようなものにしていたのか? このラジオ出演での発言を通して、私たちは、歌うコンピューター=山口百恵の“ブラックボックス”の中身を垣間見ることができる。

 聴き手はアナウンサーの小川哲哉。選ばれた歌に関してまず百恵自身がざっとコメントをし、それに対して小川がいくつか質問をするという流れで番組は進行する。以下、作品ごとに百恵のコメントを紹介する。残念ながら現在の本人に話を訊くことはできないが、作品解説に関しては、記憶も新鮮な30年前の百恵にやってもらうに越したことはないだろう。あらゆる意味で貴重なインタヴューである。


百恵に訊け!──プレイバックあの歌この歌

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横須賀ストーリー
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:萩田光雄
1976年6月21日発売

「17歳、高校二年生のちょうど夏にかけての歌だったと思うんですけども。歌によって人間が変わるってことは、それまであまり意識しなかったんですけども、実際、この歌と出会って、自分の中の本当の人間の感情っていうものを再確認できたし、歌手としてではなく、人間として、山口百恵というあたし自身がとても大きく変わった歌でもあったし……。改めて横須賀っていう街の“あったかさ”って言うのかな……あたしにとってのあの街の存在の大きさみたいなものを再確認させられて。阿木燿子さん、宇崎竜童さんという方たちとの出会いもやはりこの歌で始まったし、大きな意味で、ある種のターニング・ポイントだったんじゃないかな、っていう気がしています」

註:この曲の発表時、百恵(17歳)は高校二年生ではなく三年生


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秋桜
作詞・作曲:さだまさし/編曲:萩田光雄
1977年10月1日発売

「さだまさしさんに初めて作って頂いた歌で。あたし自身、それまでの歌を振り返ると、“母”を歌った歌っていうのがなくて、この歌で初めて本当に、母を……というか、母に歌った歌、っていう感じでね。これはやはり、さださんが男性でね、女性の心を書いたから、きっとあんなに真っ白で濁りっ気のない心というものが書けたんだろうな、って思うんですけども。でも、とてもあったかくって……。この歌は、不思議なぐらいに毎日同じ気持ちでは歌えなくて。一日一日、昨日と今日が違うし、今日と明日も違うし、今日の中でも、きっと1時間前と現在と、歌に対する思い入れが全然違ってしまうという、とても不思議な歌だったんですけれども。広く、色んな意味でこの季節になると色んな方たちが思い出して下さるっていう、そういう歌っていうのは初めてだったし、そういう歌に出会えたっていうのは、すごく嬉しかった」
●11月19日に百恵ちゃんが嫁ぎゆく朝には、お母様には何と言って家を出るんですか?
「本当だったら、ちゃんと手をついて“ありがとうございました”って言わなきゃいけないんだろうけど(笑)、なんとなく、言えるかどうか分かんないっていう感じがあって。照れくさいような感じもあるし、なんとなく、寂しいような感じもあるし……。だから、当たり前のように、いつもみたいに“じゃ、いってきます”って感じでね、出たいな、っていう気はするんですけどね(笑)」
●できます?
「う~ん、多分、うちのお母さんもそういう人だから、きっと“いってらっしゃい”って見送ってくれるんじゃないかなと思いますけど(笑)」
●百恵ちゃんはその母から21年間の間に何を教わったんです?
「母は、こう……言葉で十を語る人じゃなくて、なんとなくみんな笑顔で包んでしまう人なんですけど。でも、それだけに、なんか……あの人は、女性として生きてきた道の重さっていうのを、否が応でも感じてしまうみたいなところがあって……。だから、そうだなあ……やっぱり、ひたむきさっていうものを母は見せてくれていたと思うし……非常に素敵な、可愛らしい女性……素晴らしい女性だと思います」


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プレイバック Part 2
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:萩田光雄
1978年5月1日発売

「この歌はねぇ……(笑)。この歌で大体、あたしは“つっぱってる”とか言われたんですけどね(笑)。あたしが歌うと、すごく“つっぱってる”とか……。“馬鹿にしないでよ”とか“勝手にしやがれ”とか、ああいう言葉を歌の中に入れたっていうのは、それまではきっとなかったでしょうし、この歌が初めてだと思うんですけど、全然、あたしは“つっぱった女性”とは取ってなくて、ものすごく包容力のある女性だな、っていうね……この歌に対して、あたし自身はそういう解釈をしてたんですよね。ものすごくくだらない喧嘩で“馬鹿にしないでよ”って言って飛び出しては来たものの、やっぱり“あの人淋しがり屋だから、あたし、いなくちゃ”って、そういう気持ちになって戻っていく、っていうね。ものすごく包容力のある素敵な女性だなあ、と思いながら歌ってたんですけど、あたしが歌うと、なぜそんな“つっぱってる”って言われちゃうのかなあ、って(笑)。ああ、やっぱり女として未熟だな、と思ったんですけど(笑)。なんとなくショックではあったんですけど……でも、すごく好きな歌です」
●好きな男には“つっぱり”みたいなのは見せたほうですか?
「あたしの場合は周りで“つっぱってる、つっぱってる”って言われ過ぎたから、逆に……逆に、って言うか……受け取る側の差でしょうけれども、変につっぱるんじゃなくて、それが、たとえば感情をぶつけることになっても、その時々で一番素直でいたいな、とは思いましたけどね」


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いい日旅立ち
作詞・作曲:谷村新司/編曲:川口真
1978年11月21日発売

「あたしの歌の中では、これはほんとにミリオン……売上げの話になりますけど……ミリオン・セラーになった曲なんですけど。“あなた”と“わたし”、っていう世界じゃなくて、なんかこう、無形物を対象に歌った歌だったんですよね。いまだにとっても好きだし……。谷村新司さんにシングル初めて書いて頂いたんですけども。“日本”っていう言葉を歌に取り入れたのは、この歌が初めてなんですよね。あんまりないんですよね、“日本”っていう言葉を歌ったのが。“日本のどこかに私を待ってる人がいる”っていう言葉に、対象があるようなないような感じも受けるし。これはずっとこれからも、色んな方たちに色んな形で歌ってもらいたい歌だし……別にあたしの歌っていうんではなくて、谷村新司さんが生み出した、ひとつのとても温かい世界ということで、色んな方たちが色んな方たちの世界で歌ってくれたらいいな、って思う歌です」


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美・サイレント
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:萩田光雄
1979年3月1日発売

「本当にサイレント……声を出さずに口だけを動かすっていう歌……まあ、ひとつ冒険だったと思うんですけど、非常に凝った演出の歌でして、あたしも楽しみながら歌ってたんですけども。“あそこで何言ってんの? 何言ってんの?”って言われるのがすごく楽しくて……」
●嫌な性格(笑)。
「わりかし、嫌な性格だったんですけども(笑)。とても艶めかしく、いい詞だったと思うし……」
●(伏せ字部分は)いつも同じこと言ってたんですか?
「大体、同じことだったんですけど。前後逆にしたり、色々」
●大体、何て言ってたんですか?
「えっとね……なんだっけな……“情熱”とか“ときめき”とか“ひととき”とか、そういう言葉で言ってたんです」
●人の名前ではなかったんですね?
「色々言われたんですけど、皆さん、こうでしょ、って言うのがみんな字余りなんですよね。あれ、4文字なんですよ」
●合いますね、4文字だと(“トモカズ”と)。
「でも、口動かしてるから、口の動きが読める人にはすぐ分かっちゃって……」
●この頃から、お二人の、いわゆる男と女の愛というものは完全に高まりを見せたのですか?
「(汗)。高まりっていうか……うん、あたしはとっても好きでした(笑)」


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しなやかに歌って ─80年代に向って─
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:川口真
1979年9月1日発売

「これ、“80年代に向って”っていうサブ・テーマが付いてたんですけども、あたしは“しなやかに歌って”ということよりも、“80年代に向って”というそのサブ・テーマがものすごく好きで。この曲、実は〈しなやかに歌って〉というのと、〈しなやかに愛して〉という、もう1曲まったく別の曲があって、どっちにするか、って本当に五分五分だったんですよね。最終的にあたしの気持ちひとつ、っていう感じになって。で、あたしは“80年代に向って”という言葉に惹かれて、この歌がいい、って言ったエピソードがあったんですけども。実際、〈しなやかに歌って〉じゃなく、〈しなやかに愛して〉を歌ってたら、きっと色んな意味で状況も変わってたんじゃないかな、っていう気がするんですよね。たとえば、去年の“恋人宣言”とか、色々言われてね……もしかしたら、この1曲が〈~愛して〉じゃなく〈~歌って〉だったから、ああいう出来事もあったんではないか、という。まあ、今だから言える、っていう感じなんですけども。
 〈しなやかに歌って〉という歌が、ひとつ、とっても大きな歌だと思うんですね。80年代に本当に向って、っていう。で、この歌を歌って、本当に自分が大事にしなきゃいけないものは何なんだろうな、って、すごく真剣に考えちゃったんですよね。〈しなやかに愛して〉っていう方は、本当に今までとおんなじ“男と女”っていうものを歌った歌だったし、それを歌ってたら、そんな“自分にとって大事なもの”なんてまだ考えてなかったんじゃないだろうか、っていう気がするんですけど」


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愛染橋
作詞:松本隆/作曲:堀内孝雄/編曲:萩田光雄
1979年12月21日発売

「堀内孝雄さん……ベーヤンに作って頂いた曲なんですけども。あたし、ベーヤンとあんまり色んなお話しをする機会がなくて。で、この間、引退記念番組みたいなものをね……ベーヤンの番組がテレビでありまして、それに出させて頂いて、ベーヤンと一緒に、ベーヤンのギターで〈愛染橋〉を歌ったんですけども。その時に、なんか、とってもあったかいものを感じましてね。言葉で言いようがないんですけども……。で、もっとベーヤンと、曲についてでも、それ以外のことでも、もっと色んな話ができたら良かったなあ、なんていう気がふとしまして。アリスの中でもチンペイさんとは色んなことをお話しする機会があったんですけど、ベーヤンとはあんまり話しする機会がなくて……。でも、それでもベーヤンが、こう、なんか、とても思い入れっていうものを持っててくれてるみたいな気がしてね、とっても嬉しかったんですけども」
●ものすごく照れ屋な男なんですね。三浦さんは照れ屋ですか?
「(笑)。あの~、はい、照れ屋さん……ですね」
●三浦さんはどういう方なんですか?
「どういう方って、一口に言えないけど……。照れ屋だし……とっても……人間的な人です。カッコよく見せよう、っていうことをね……とっても薄っぺらな意味での、カッコよく見せよう、っていうものが全くない、っていう感じの人だと思います、はい(笑)」
●威張りん坊さんではないんですか?
「全然そんなことないです。とにかく、家庭っていうものにおいては主導権は女性が握ってればいい、っていう人なんですよね。逆に、あたし主導権なんか握れない、そんなの困る、って言ったら、いや、でも、家庭ってものはちゃんと女性が主導権を握ってやっていくもんだから、って」
●やりやすそうですね。
「やりやすいかどうか分かんないですよ(笑)。やりやすい、っていうか……でも、色んなことで束縛するとか、こうじゃなきゃいけない、とか……たとえば、ごくごく当たり前で言えば、マニキュアしちゃいけない、とか、化粧はこうしろ、とか、こういうヘアスタイルはダメだ、とか、そういうのあたし一回も言われたことないんですよね。だから、とっても……色んなことをちゃんと認めて、話も聴いてくれるし……っていう人です」


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ロックンロール・ウィドウ
作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:萩田光雄
1980年5月21日発売

「結婚前から未亡人の歌を歌うな、と随分言われて……評論家の方たちから。歌う方も歌う方だけど、歌わせる方も歌わせる方だ、って……逆だったかな……なんか、そんなこと言われたんですけど。あたしはものすごく好きで。詞ももちろん好きなんですけど……もともとロックってすごい好きだったんですけど、歌ったことがなくって、今回初めてロックを歌えた、っていうね。自分のバンドを一応持ってはいたんですけども、全然バンドがそういう形で活躍する場がなかったんで、この曲で本当に、山口百恵 with なんとか、って感じでね、バンドと一緒にテレビ局も廻れたし、そういう感じではすごく嬉しかった。で、沢田研二さんがこの曲聴いてね、“あなたはロック歌うとそれなりの声になるんですね”って(笑)。沢田さんからそういうこと言って頂いたっていうのがすごく嬉しくて……なんか、それも含めてこの歌好きなんですけど(笑)」


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 というわけで、引退直前の山口百恵が語る8つの百恵作品。この調子でシングル全32枚+その他の重要曲、個人的なお気に入り作品も含めて朝まで語り倒して欲しいところだが、残念ながらこれっきりである。せめて、あと「イミテイション・ゴールド」と「謝肉祭」について語ってくれれば……。く~。

 「ロックンロール・ウィドウ」で沢田研二に言及しているのが両者のファンには嬉しい。「ロックンロール・ウィドウ」は、「プレイバック Part 2」に始まる沢田研二との攻防戦の最終ラウンドに当たる作品である。この時、沢田研二の持ち札は「恋のバッド・チューニング」('80年4月20日発売)。この歌謡界の王者に対し、百恵は「ロックンロール・ウィドウ」で“ガチンコ・ロックンロール対決”とでも言うべき最後の勝負を挑んでいた。飽くまで私の個人的な判定だが、百恵がジュリー相手に完全勝利を収めたのは、この時だけである(あとは全てドローか、百恵の惜敗に終わっている)。“あなたはロック歌うとそれなりの声になるんですね”と沢田研二に言わしめた事実は重要である。どうだ参ったか、ジュリー!と言いたい。


いい日旅立ち Part 2

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 このインタヴューの中で私が個人的に最も感銘を受けるのは、「しなやかに歌って」に関するコメントである。

 百恵の説明する通り、'79年秋のシングル候補には、「しなやかに歌って」の他にもうひとつ、同じく阿木+宇崎が書いた「しなやかに愛して」という全く別の曲が存在した。当時、録音されながらボツになったこの作品は、百恵引退後の'82年、「あなたへの子守唄」と改題されて初めて世に出ることになる。

 これら2つの「しなやかに~」の詞はいずれも、独りぼっちの主人公が“歌”に安らぎと癒しを見出す、という点で、谷村新司が書いた前年秋の「いい日旅立ち」に似ている。「しなやかに愛して」では、その“歌”が幼少期への郷愁を喚起するものとして描かれているため、特に類似が顕著だ。一方、「しなやかに歌って」では、詞の中に“郷愁”というテーマが具体的に登場しない代わり、唱歌のように単純で覚えやすいメロディが同様の感覚を喚起する。編曲に「いい日旅立ち」の川口真が再び起用されている点にも注目したい。初めて聞くのに、なぜか子供の頃に聞いたことがあるような、いわば“擬似唱歌”。「しなやかに~」が、1年前の「いい日旅立ち」の成功を踏まえて企画されたシングルであることは間違いないように思われる。プロデューサーの酒井政利は、阿木+宇崎に“「いい日旅立ち Part 2」を書いてくれ”と注文を出したのではないだろうか。

 阿木+宇崎が書いた2つの「いい日旅立ち Part 2」。「しなやかに愛して」は、“あなた”が明確に恋愛の対象である点、メロディがマイナー調の典型的な宇崎節である点などから、先行の「美・サイレント」「愛の嵐」から自然な流れを感じさせる作品である。こちらをシングルにしてもヒットしただろうし、実際、百恵作品としてある意味王道を行くこの歌の方が、より支持された可能性もある。しかし、百恵が選んだのは、曲調・テーマ共にスケールの大きい、また、それゆえに曖昧な印象も与える、メジャー調の穏やかな「しなやかに歌って」だった。
 「しなやかに歌って」の場合、詞に登場する“あなた”は恋人のようでもあり、親のようでもあり、友人のようでもあり、人物像がはっきりしない。このよく分からない“あなた”は、「いい日旅立ち」の“日本のどこかで(に)私を待ってる人”によく似ている。擬似唱歌的なシンプルなメロディと併せて眺めると、「しなやかに歌って」の方が「いい日旅立ち」度が高いと言える。同じ「いい日旅立ち Part 2」でも、「しなやかに愛して」は阿木+宇崎寄り、「しなやかに歌って」は谷村寄りなのである。つまり、百恵は阿木+宇崎的なものではなく、谷村的なものを選び取ったということになる。

 この選択は何を意味するかと考えると、要するに、百恵は疲れたのだと思う。“馬鹿にしないでよ”とか、“はっきりカタをつけてよ”とか、“あなたの○○○○が欲しいのです”とか、“心の貧しい女だわ 私”とかいう、阿木+宇崎が作るハードな歌を歌うのに疲れたのだ。百恵は、人々が求める“山口百恵”を棄てて、三浦百恵という一般人になることを真剣に考えるようになる。百恵が惹かれたという「しなやかに歌って」のサブ・テーマ“80年代に向って”の“80年代”は、ルビをふったら“引退”である。百恵の引退へのカウントダウンは、「しなやかに歌って」の時点で始まっているのである。百恵が三浦友和との恋人宣言をしたのは、「しなやかに歌って」発売から50日後の'79年10月20日、大阪でのリサイタルの最中だった。

 「しなやかに歌って」は、山口百恵のキャリアにおいて、「横須賀ストーリー」と並ぶ極めて重要な転換点に当たる作品である。仮に「しなやかに愛して」を選ぶほどに百恵がタフで、徹底的に仕事熱心な人間であれば、彼女の引退はなかったか、少なくとも、もっと遅れていたはずである。この決定的な転換点を、歌い手本人がはっきりと認識していたことが、このインタヴューのコメントでよく分かる。
 そして、「横須賀ストーリー」「しなやかに歌って」という2つの大きな転換が、いずれも百恵自身の意志によって為されていること。ソングライターに阿木+宇崎を希望して「横須賀ストーリー」を書かせたのも百恵なら、「しなやかに歌って」を歌いたいと主張したのも、やはり百恵なのである。自分が本当に歌いたい歌を歌う──歌い手としての彼女のこうした真摯な姿勢に、私は改めて感銘を覚えるのである。


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調布駅前で「いい日旅立ち」を歌う山口百恵とそれを見つめる群衆('79年2月22日)

 ところで、「しなやかに歌って」の叩き台である「いい日旅立ち」は、そもそもどういう歌だったか。'80年秋、引退コンサートの直前に行われたインタヴューで、百恵はこんなことを言っている。

「私はこういう仕事をしていて、自分が孤独だと感じることも多いんですけど、どこかでまだ救われる部分があるでしょう。ステージに立っていてもひとりじゃないし、バンドの皆さんもいる。仲間と呼べる人間が一緒にいてくれるという……。それがなかったら、きっともっと簡単にやめちゃって、どっかへ行っちゃうんじゃないかという気がする。誰も私を知らないところへ行きたいとか、バカなことを言い出すんじゃないかなと思います」(筑紫哲也による山口百恵インタヴュー/プレイボーイ/'80年11月号)

 この“誰も私を知らないところへ行きたい”という百恵の密かな願望に応えたのが、他でもない「いい日旅立ち」だった。谷村新司が書いたこの歌の正体は「遠くへ行きたい Part 2」である。


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遠くへ行きたい
作詞:永六輔/作曲・編曲:中村八大
1962年発売

 「遠くへ行きたい」はNHKテレビのバラエティ番組〈夢であいましょう〉から生まれたヒット曲。日本人なら誰でも知っているであろう大スタンダード・ナンバーである。創唱のジェリー藤尾をはじめ、多くの歌手によって歌われている(百恵ファンにはグラシェラ・スサーナちあきなおみのヴァージョンをお薦めしておきたい)。

 この歌は、日本テレビの同名紀行番組〈遠くへ行きたい〉のテーマ曲としてもよく知られる。〈遠くへ行きたい〉は国鉄の提供で、'70年10月、同時期に国鉄が始めた個人旅行客拡大キャンペーン“ディスカバー・ジャパン”の一環として放送が始まった。「遠くへ行きたい」は、つまり、国鉄のキャンペーン・ソングとしてリサイクルされたわけである。そして、“ディスカバー・ジャパン”の後を追って、'78年11月3日に国鉄が新たに始めたキャンペーンが“いい日旅立ち”。山口百恵の同名曲は、もともとそのキャンペーン・ソングとして制作されたものである。百恵の歌は当時の国鉄CMでタイアップ使用された。
 百恵の音楽ディレクターである川瀬泰雄の解説によると、「いい日旅立ち」は、まずタイトルだけが先に決まっていて、“大きな歌にしたい”という国鉄の依頼を受けて、谷村新司に曲が発注されたという(山口百恵『COMPLETE SINGLES COLLECTION』ライナーノーツ参照)。実際、“「遠くへ行きたい」のような歌を作って下さい”という注文が出されたのかは不明だが、依頼を受けた谷村新司が「遠くへ行きたい」を参照しながら曲を書いたであろうことは、完成品を聴くだけでも明らかである。「いい日旅立ち」が「遠くへ行きたい」に似ているのは、このような制作の経緯による。

 誰も私を知らないところへ行きたいなどと、バカなことを考える百恵。どこか遠くへ行きたい百恵。つまり、彼女は愛する人とめぐり逢いたいのである。だから、せめて今日から一人きり、旅に出る。遠い街、遠い海、夢はるか、一人旅。いい日旅立ち、友和をさがしに、子供の頃に歌った歌を道連れに……(国鉄の提供で旅立ちます)。

 「いい日旅立ち」から発展した「しなやかに歌って」によって、百恵は遠くへ行きたいと真剣に考えるようになる。そして、挙げ句の果てに、本当に遠くへ行ってしまったのだった。30年経っても、彼女は一向に帰ってくる気配がない。なんということだ。

 よく考えてみよう。元はと言えば、谷村新司が「遠くへ行きたい Part 2」のような歌を作って百恵を甘やかしたのがいけないのである。'80年10月15日、百恵が現役最後の日に歌った歌も、やはり「いい日旅立ち」だった。山口百恵の引退の遠因は、谷村にある。悪いのは谷村新司である。どうしてくれるんだ、谷村新司。谷村よ、オレたちに百恵を返せ!──引退3日前の百恵インタヴューに触れて私が思ったのは、つまり、そういうことである。


※ここで紹介した〈決定!全日本歌謡選抜〉のラジオ・インタヴューは、YouTubeでjyurikochanというユーザーが公開した当時のエアチェック録音を基に起こしたものである(元の発言のニュアンスを正確に伝えることを心掛けたが、文章として読みやすいよう、若干手を入れたことを断っておく)。この人のおかげで、私はこの貴重なラジオ音源を初めて聴くことができた。アップロードに深く感謝したい。同番組には、森昌子が録音メッセージ、桜田淳子が生電話で出演してもいる。こうした放送音源がどの程度ラジオ局に保存されているのか知らないが、残っているものに関しては、オンデマンド配信という形で積極的に公開してもらいたいと思う。


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