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山口百恵、引退前日ラスト・インタヴュー



 引退前日の'80年10月14日、山口百恵はNHKのインタヴュー取材を受けている。百恵の“ラスト・インタヴュー”と言うと、引退公演(10月5日)の直前、筑紫哲也によって行われたプレイボーイ誌のインタヴュー(*1)が有名だが、紙媒体以外も含めると、これが恐らく事実上、彼女が“山口百恵”として現役時代に受けた最後のインタヴューということになる。

 収録されたインタヴュー映像は、それから約1ヶ月後、'80年11月17日放映のテレビ番組〈NHK特集 百恵〉の中で公開された。今回は、インタヴュー部分を中心に、このNHKの百恵引退特番について紹介する。


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NHK特集 百恵
放送:NHK総合、1980年11月17日(20:00~20:50)
出演:山口百恵、和田勉、他
構成:鈴木誠一郎
制作:飛世正次

 山口百恵が引退する'80年10月15日に合わせて、各民放テレビ局は10月前半にこぞって百恵引退特番を組んだ。その約1ヶ月後、百恵の結婚式の2日前に当たる11月17日、それまで百恵引退を静観していたNHKが放った隠し玉が、この〈NHK特集 百恵〉だった。

 国営放送が山口百恵を特集したのは、これが2度目。1度目は'79年3月30日放映の〈NHK特集 山口百恵 激写/篠山紀信〉。これは篠山紀信のスチールだけで構成された非常に野心的かつ画期的な特番で、百恵関連の映像の中でも異彩を放つ名作である(DVD発売あり)。この百恵特番の構成・演出を担当していたNHKディレクターの鈴木誠一郎が、百恵の引退に際して再び手掛けたのが〈NHK特集 百恵〉だった。

 番組は、複数の人物の発言を通して“山口百恵とは何だったのか?”というテーマに迫る。お別れの感傷を煽るでもなく、時代のヒロインとして過剰に持ち上げるでもなく、飽くまで冷静に、客観的に山口百恵という人物を捉えようという姿勢がNHKらしい。〈山口百恵 激写/篠山紀信〉では、基本的に篠山紀信という一人の写真家の視点から百恵が捉えられたが、〈百恵〉では、百恵本人の発言の他、百恵関係者、著名人、街角の一般人たちの百恵観を集積することで、より総体的な山口百恵像が浮かび上がるのが特徴。番組冒頭と終わりには'80年秋現在の〈レッツゴーヤング〉収録現場の様子が挿入され、松田聖子や石野真子ら百恵以降の現役アイドルとの対比によって、時代の目まぐるしい移り変わりが強調される。山口百恵を通して'70年代という時代を改めて記憶しようというのが、この番組の試みであるように思う。百恵の歌唱パフォーマンス場面などは一切ない。他局の百恵引退特番とは一線を画する、さすがNHKと言うべき硬派な内容である。

 この番組のために撮り下ろされた百恵の映像は2種類。ひとつは、フォト・セッションの様子を切り取ったような撮影スタジオ内の映像で、赤、青、黄、緑などの鮮やかな原色カラーペーパーを背景に、被写体の百恵がいかにも山口百恵らしいアンニュイな表情を見せている(本エントリーのトップ画像参照)。このセッション映像は番組の随所に挿入され、非常に鮮烈な印象を与える。

 そしてもうひとつ、これと併せて〈百恵〉という約50分の特番の核になっているのが、先述した現役最後のインタヴュー映像である。

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 インタヴューは引退前日の'80年10月14日の昼間、新宿のホテルで行われた。聞き手は、当時、NHKドラマ部のディレクターだった和田勉、50歳。百恵は幅広い層から人気があったが、野坂昭如や平岡正明をはじめとする中年の文化人層からの支持も高かった。百恵はオッサン受けが良かったのである。和田勉もそのうちの一人だったようで、本人を前に自分の百恵観を熱く語りながら、ドラマ屋としての意地か、引退前日の女優をダメもとで口説こうとしたりしている(和田は一度も百恵のテレビドラマを手掛けていない)。時に挑発的な質問をする和田に対し、百恵21歳は慎重に言葉を選び、自分のイメージや引退前の心境について努めて正直に語っているように見える。

 番組内でインタヴュー映像は4つの断片に分かれて登場する。以下にそのトランスクリプションを載録する(各セグメントの見出しは私が勝手につけたもので、番組内で示されるものではない)。


Conversation 1──結婚

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「“結婚”っていうんじゃなくてね、やっぱり、歌手であるとか女優であるとかっていうことをひとつ終えて、そうじゃない何かが始まっていくわけですよね。ただ単に“結婚”っていう……それはひとつの窓口だと思うんですけれども……そこを通して、もちろん夫と妻という関係ができてくるわけだから、そこから色んなふうに広がっていくと思うんですけどね。それはやっぱり、今、ひとつのスタートだと思うから……。逆に、スタートを前にして、たとえば、すごい大きな期待感っていうのももちろん、スタートを前にした人間の心情っていう中にはあると思うんですけどね。期待感もあれば、不安感もあれば、そうだな……ちょっとした危機感みたいなものもあるだろうし。そういう色んなものがひとつになっている気持ち……」
●それは貴方がかつて、歌い始めようという時とか、ドラマの収録が始まるという時と同じものですか?
「そうですねえ……あの……同じ、っていうか、とても似てますね。色んなことを……たとえば、歌を歌い始める前とか、女優として仕事を始める前っていうのは、こんなことがあったらどうしよう、あんなことがあったらどうしよう、こんなハプニングがあったらどうしよう、自分が、たとえば声が出なくなったら、お芝居できなくなったら、ってことをまず考えましたけど……最終的には、実際、スタート切らなきゃいけないってことになったら、“なるようにしかなんないや”っていう感覚でしかないわけですよね(笑)。そういう意味で……最終的にはそこに行き着くだろうな、という部分では……同じですけども」


Conversation 2──泣かない女

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●小さい頃からそうだったんでしょ?
「いやあ、ごく当たり前の子供だったんじゃないかなあ」
●うろたえたり、びっくりしたことはないでしょ?
「いえ、もう、すぐビービー泣くし」
●ほんとですか。
「それはだから、今だから言えるんですよ。結局、今……っていうか、8年なり7年半なり……ま、約8年ですけど……歌を歌ったりとか、お芝居をしたりとか、まあ、芸能界って言われるところで生活してきてね、で、その中で色んな方たちが、結局、あたしっていうものに対して“泣かない女”だとか……色んな言葉を言いましたよね。で、そういうものがあるからきっと……半分ぐらいそういう部分が先入観として皆さんの中に入り込んでて、多分、小さい頃はああだったろう、こうだったろう、って。小さい頃から別に動じたりしない子だったんじゃないかっていう部分も、そういうものが先入観としてあるから、きっとそういう想像をしちゃうんでしょうけども……小さい頃って、別にそんなにね……普通の子供たちと変わりない女の子だったんじゃないかな、っていう気がしますけどもね。
 人間って絶対ひとつの顔じゃないと思うんですよね。うん。ひとつの顔じゃないと思う。たとえば、色んな状況とか、自分の置かれた立場とか、対する相手の立場とか、状況とかによっても、色んなふうに変わっていくし。だから、ひとりの人間がひとつの顔しか持っていないっていうのは大きな間違いで……。まあ、あたしはこういう仕事をしてるから、ひとつの顔じゃなくて色んな顔を持ってるって色んな方から言われますけども、そう言ってるその人も、やっぱり色んな顔を持ってるんだと思うんですよね」
●貴方ほど様々じゃないよ!


Conversation 3──山口百恵は男である?

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●本ね……貴方の書いた(自叙伝『蒼い時』)。あれを読んだんですよ。で、実にうまいしね……。
「(恐縮して照れくさそうにする)」
●いや、実にうまかった。だけどね、僕、感じたのはね……貴方の生の原稿(*2)があれに載ってるんだけどねえ……いや、ほんとにうまいと思ったんだけどね……だけど、そのうまさというのはね、女だから書けた、とか、女としてうまい、ということじゃなくてね……僕はね、ほぼ貴方に関してはね、男のような感じがするわけ。実に変な言い方だけど。
「(苦笑)」
●っていうのはね、あの文章はね、男の文章ですよ。だから、うまいと僕は思ったわけですよ。うまい、って、嫉妬に駆られて言ってるのかな……あそこまで書ければ、と。
「(笑)」
●それはつまりね、変な言い方だけど、女らしさに関して男は嫉妬しないんですよ。男に関してだけ嫉妬する、と。まあ、これは貴方のセンスと違うかもしれないけど、僕の側から言うとね。そうするとね、あの文章にちょっと嫉妬してるのはね、あれは男の文章だからですよ。
「そうですか?」
●それからね、貴方の文字ね、後ろに印刷されてる……あれはね、完全に男の文字。ということはね、この人はね、男のように生きたんじゃないか……というのがね、ひとつちょっと僕が感じることなんですよ。ということはどういうことかと言うとね、仕事をした人、ということなんですよ。女の人でも仕事をしている人はもちろんいるわけです。いるんだけどね、貴方に関して言うとね……あの、さっき“生き方”だと言ったでしょ、貴方の場合は。上手い下手ではなくてね。要するに、生きるってことは、ほら、上手い下手の問題じゃないから。いかに生きたか、ということが問題であるわけですから。それはつまり、仕事にも繋がってくる」
「はい」
●で、これはね、完全にね、男の生き方なんですよ。だから、貴方は僕にとってはね……山口モモオ(笑)。
「(笑)変な名前になりますね」
●百恵というのも変な名前なんだけどねえ。
「男名でちょっといいのを考えないと(笑)」
●(笑)いや、僕はね、女というものをね、ほとんど感じないです。
「そうですか(やや困惑した表情を浮かべる)」
●いや、だから、“女優”だと言ってるんですよ。っていうのはね……(持論を中断して)まあ、ちょっと貴方話して下さい。あんまり話すと、僕がまたひけらかすことになっちゃうから。
「いや、とんでもない。あの~、うん、文字に関してはね、男字だっていうのは言われたことがあったんですけどね、何度か。そうだなあ……。お習字ならってたことがあるんですけども」
●立派な字ですよ。
「そこの先生からも男の人の字みたいだって言われて。全部かっちりしてるんですよね、字が。だから、男みたいだって言われて……。でも……」
●男みたい、じゃなくて、男なんですよ!
「(笑)」
●男みたいな女の人っているけどさ(笑)、百恵さんってのはねえ……男を感じる。
「男を感じる……(笑)」
●だけどさ(笑)、そのことは非常に重要なことだと思うんです。っていうのはね、“女優”というと女のようでしょ。
「はい」
●だけどね、人前で何か演じることによって感動さすっていうのはね、男と女があるから感動するんじゃない、ということなんですよ、きっと。その人(註:実際には“人”ではなく“嫉妬”と聞き取れる)が何かを表現したから感動するわけですよ。だから、僕は貴方を女優だと最初に思ったのはね……たとえば“赤”シリーズとかね、少しは僕も観てるんです。で、その時にね……。あの~、こういうことってあるんですよ……ある女優を見てるとね……あの人と一回メシを食いたい、とか、あの人とお茶飲みたいなあ、というふうに思う女優もいるんです。
「はい」
●だけどね、僕に言わしてみれば、それは“女優”じゃないんですよ、実を言うと。これは、もう、“女優”の条件では全然ないんです。やっぱり、“女優”っていうのはね、ブラウン管でもいいし、映画のスクリーンでも舞台でも何でもいいんだけど、それを通して見たときにね、“女優”だと思うのが本当の女優なんです。だから、僕は百恵さんを“女優”だと思ったのはね、あの人とはメシを食っても面白くもおかしくもないんじゃないかと、普通の人間としては。お茶を飲んでも全然面白くないだろう、という気持ちを持ったんですよ。つまり、日常的にはね、あの人とは全然付き合いたくない、と思ったところがね、貴方の素晴らしいところですよ。
「(なんとも言えない表情で頷き続ける)」
●そうすると友和さんは偉いね。その人と一緒に暮らすんだから(笑)。
「(笑)まあ、それぞれねえ、感性も違うだろうし……」
●だけどね、そういうのはどう思う? 自分で。
「う~ん、あの、よくね、色んな言い方であたしに対して色んなこと言って下さる方いらっしゃるんですけども、もう本当にその人それぞれ違って……」
●貴方とメシを食って楽しいという人はいましたか?
「うん、まあ、それは友達もいますしねえ。だから、そうだなあ……その人それぞれあたしに対して見方が違うっていうのはね、たとえば、その人の生き方もあるでしょうし、ものの考え方もあるでしょうし、ものを見るときの観点もあるでしょうし。同じ赤いリンゴを置いておいてね、たとえば、赤い部分に目がいくか、まだ青い部分に目がいくか、もしかしたら、側じゃなくて中の種の部分を見るかとか、人それぞれ見方が違うわけですよね。だから、そういうので言えば、あたしっていうものに対して……そう仰る方も(笑)いるでしょうし……」
●そうか。
「うん……色んな見方があると思うけど……でも、どういう見方をされても、どういう言い方をされても、結局、あたしはあたしでしかないから……」
●それを言われると……もう、恐れ入りました(笑)。
「いえ、とんでもない(笑)」
●だけどさ、ちょっと訊くけどね、百恵さんが今までね、たとえばメシ食ったりさ……お茶ももちろん飲んだでしょう、それは。その時に相手は楽しそうでした?
「いや、それは分かんないですねえ。相手の方に訊いてみないとね、“どうでした?”ってね」
●いや、だから、つまり表面で見た場合。
「たとえば、少人数でね、2人、3人っていうことはほとんどなかったから……」
●集団で会ってた、と。
「そうですねえ。集団でワーッとお茶飲んだり、食事したりっていうことのほうが……まあ、あの……多かったんでね……」
●幸せですか?
「あたしですか?」
●うん。
「それも人が見て決めることだという気がします」
●自分はどうですか?
「あたしは……だから、まあ……そうですねえ……決して、まあ……不幸ではないでしょうね。自分の中ではね。だけど、“あの人、幸せでいいわね”とか“あの人、幸せそうね”っていうのは、周りが見て判断することだから、それに対しては、別に否定もしなければ、はい、とも言わないし」


Conversation 4──さよならの向う側

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●結局、作ることもできなかったけど……貴方でドラマというのを作るとすれば、さっき言った、敗戦というね……。横須賀じゃないけど、突然、ペンキ塗りとか英語とかが、進駐軍と……つまり、日本人じゃない人が日本に入ってきて、滅茶苦茶になっちゃったという、敗戦という日があったわけですよ。そこで尚かつね、ガード下でもさ、やっぱり百恵であったという形で登場してきてね……それで、35年後。35年後って今の貴方だけど。なんかそういう、35年前とそっくりな状態が目に浮かぶんですよ。ああ、あの時代もあんなふうに生きた人がいた、と。じゃ今は、というと、結局、貴方になっちゃうんですよ。だからね、僕は貴方でドラマを作るとすれば……そうね、SFなんて言ったけどさ、僕のSFってのは過去から現在に飛び出してくるSFで。その……敗戦直後のね、ガード下……そういうドラマをね、もし作れるものなら作りたい、という気持ちは、貴方にとって結婚が仕事だというのと同じでしょうけど、やっぱり僕にはある、ということなんですよね。仕事をする気は全くないですか? あ、まあ、今度が仕事だから……。
「いや、あの、結婚は仕事じゃないですけどね」
●だけど、向かい方は一緒でしょ、今までと。
「うん、似てるとは言いましたけど……一緒だとは言ってないですけどもね」
●あ、そうですか。
「はい。あの~、そうだなあ……仕事って……結婚して、生活っていうものに入ってからじゃないとね……たとえば、どのぐらい時間があるものなのか、とかっていうのは、今はまだ分からないわけだから、想像もつかないわけですよね。これこそ本当にやってみてからでないと、その……生活ってものを作る側に入っていってからじゃないと分からないんじゃないかな、という気がして……」
●だから、あなたにとっての“ドラマ”なんだよね、きっと。
「まあ、人生ってのはドラマですからねえ」
●まあ、そう言われればそうだけど……現実にドラマをもう一回やるという気持ちは全然ないですか。あ、今言ってもしょうがないかな、それは。貴方は今しかなかったんだから。
「そうですねえ、あの……ドラマって……これからのことがドラマじゃないか、って言ったら、それはとっても大きな間違いでね……終わる、終わるって言っても、結局、終わりっていうのが、ある種、たとえば、卒業式みたいなね、そういう終わりだと思うんですよ。まあ、これは本当に無責任な、あたしの側からの言い方ですけれども。感じてるものっていうのは、やっぱり卒業式みたいなものなんですよね。やっぱり、これからっていうものは、もしかしたら、今までとはもちろん違うけれども、ものすごいドラマが待っているかもしれないし、で、多分そうだろうと思うしね。で、今までっていうのは確かに、今までの芸能生活をしてきた7年なり8年なりっていうものの中では、やっぱり、すごく流れの速いところだし、回転も速かったしね。そういう意味においては、自分自身、フル回転していかなければいけなかった部分っていうのがとっても多かったんですけど。これからっていうのは、スピード感にそれこそ差はあるでしょうけれども、でも、ドラマって言えば、これからのほうが、やっぱり、とても大事なドラマになっていくんじゃないかな、と」


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 一方的に自分の百恵論を喋る和田勉、それを否定も肯定もしない百恵、というのがこのインタヴューから受ける大きな印象である。あまり会話が噛み合っているようには思えないし、和田は百恵から大した発言を引き出せているわけでもない。ただ、和田を擁護するわけではないが、このインタヴューがそれほど面白くないのは、決して聞き手の性格のせいだけではないと思う。

 基本的に山口百恵という人はあまり話上手な人ではなく、こういう場で気の利いた冗談を飛ばしたり、いかにも見出し向けのキャッチーな暴言を吐いたり、面白いネタ話を積極的に披露してくれるような、根っからの芸人、変人、人気者タイプの人間ではない。歌ったり演じたりしていなければ、本当に単なる普通の地味な人なのである。このインタヴュー映像からはっきり分かるのは、彼女がいかに普通の人間であるかということ、そして、普通と言うにはいささか真面目すぎること、あともうひとつは、笑うととても可愛らしいことだろうか。

 彼女にとって恐らく大した意味もないだろう和田の長話にも百恵は真面目に耳を傾け、きちんと相手の話を理解した上で、自分の言うべきこと、言っておきたいことを慎重に吟味して主張している。そして、その主張もいちいち真面目である。むしろ発言の内容としては和田勉の方が面白いのだが、但し、和田は百恵のことを“仕事人間の男”にすることに一所懸命で、あまり相手の話を聞こうとはしていない。私が百恵の立場だったら、“知るかそんなの”、“余計なお世話だ、じじい”とでも言ってしまいそうな場面がいくつもあるが、それでも百恵は辛抱強く和田の話に付き合う。相手の話を真剣に聞いているのは専ら百恵の方で、どちらが聞き手なのか分からないようなインタヴューである。百恵は同性の友人の埒の明かない恋愛相談などに何時間も付き合ってしまうタイプの人間かもしれない。


大人の条件

 この対話の中で私が最も強い印象を受けるのは、“幸せですか?”という和田の問いに対して、“それも人が見て決めることだという気がします”と百恵が答えるくだりである。“幸せですか?”という質問は文脈的にやや唐突な感じもするが、要するに和田は、お茶や食事の席で人が自分と一緒にいて楽しいと思っているかどうか自分には分からない、と答える百恵に対し、では、視線を他者から自分に転じた場合、どうか、と訊ねている。“貴方自身は楽しいですか?”ではなく“幸せですか?”という訊き方なので、話のスケールがお茶や食事の場から一気に人生レベルにまで拡がっている。生きていて幸せですか? 貴方の人生は幸せですか?──“それも人が見て決めることだという気がします”。

 もちろん、百恵のこの回答はそれまでの話の文脈に大きく影響されているのだが(もしかすると百恵は和田の一方的な話運びを内心苦々しく思っていて、ちょっとつっぱっているのかもしれない)、それでも、この徹底的に突き放したものの見方には、なかなかすごいものがあると思う。

 仮にも百恵は結婚を間近に控えた女性である。これから最愛の人と一緒になろうという若い女が幸せでないわけがないのだ。現在、結婚を間近に控えた芸能人が“幸せですか?”とインタヴューで訊かれ、“それは人が見て決めることだ”などと答えることは、いかなる話の文脈においてもないように思う。ちょっと照れてみたり、あるいは、あっけらかんと“超ハッピーです”などと答えるのが普通ではないだろうか。自分が幸せだと思えば幸せであって、それは他人の決めることではない、自分がどう思うかが大切だ、というのが現代風の考え方だと思う。“人が見て決めることだ”などという百恵の物言いは、多くの(特に若い)現代人の感覚からすると、全くトンチンカンなものかもしれない。

 しかし、百恵のこの発想はとても重要なものだと思う。他人ではなく自分がどう思うかが大切だ、という考え方には、無知を容認し、他者への理解力や想像力を人から奪ってしまう危険性が常に潜んでいるからである。他者への理解力や想像力が失われると人はどうなるか。たとえば、電車の中で化粧をしたり、物を食べたり、携帯電話で話したりするようになる。たとえば、人が傷つくようなことを平気で言ったり書いたりできるようになる。他者の視点というものが想定できないと、自分の考えや行動がおもむろに否定された時、人はどのように対処していいか分からなくなる。どうなるかと言うと、パニック状態に陥り、幼児であれば突発的に泣き叫ぶ。もう少し身体的に成長した人間であれば、自分を混乱させた他者に対して、突発的に極端な攻撃性を見せる。具体的には、暴力的な言葉(“死ね”など)を吐いたり、あるいは、実際に暴力を振るったりする。要するに、キレるわけである。

 普通、人は年齢を重ねていく過程で、自分とは全く異なるものの見方や感じ方をする未知の他人というものが存在することを、体験的に自然と学習する。たとえば、親に叱られたり、友達と喧嘩をしたり、好きな異性に振られたりすることで、他者への理解力や想像力を養っていく。他者への理解力や想像力──つまり、人の気持ちを考える能力を身に付けることは、大人になるための最も重要な条件のひとつである。この能力がないと、誰もが自分の好き勝手なことをしてしまい、社会というものは上手くいかなくなるからだ。

 このNHKのインタヴューを聞くと、百恵がそうした能力をきちんと身に付けていることが分かる。他者の視点を想像する力は、常にあらゆる人々の視線に晒される──あるいは、カメラがどのように自分を捉えているか常に直感できなくてはいけない──彼女の職業の性質によって養われたものかもしれないし、あるいは、もともとそういう能力が高かったために、百恵は芸能界で大成できたのかもしれない。もちろん、実際に歌ったり演じたりすることには更にまた別の能力が要求されるのだが、いずれにせよ、他者の視点を想像することの重要性、そして、その想像の限界に対して、21歳の百恵が非常に意識的だったことは確かである。

 山口百恵という人に対する一般の声をネットで見ていると、“大人だ”、“落ち着いている”、“21歳とは思えない”といった驚きの言葉を頻繁に目にする。このNHKのインタヴューに対しても、恐らく同じような感想を持つ人が少なからずいると思う。確かに百恵の言動は落ち着いているし、発言の内容もいかにも大人らしい。

 しかし、山口百恵は果たしてそんな驚くほど“大人”だったのだろうか。百恵の言うような尤もらしい大人っぽいことは若者だからこそ言うような気もするし、第一、よく考えてみると、百恵の言っていることはどれも本当に当たり前の正論ばかりである。むしろ、驚くべきは、彼女のことを“大人”だと言って感心してしまう私たち自身のあまりの幼さではないだろうか。山口百恵は'70年代の人々の目にも大人びて映っていたが、2010年の現在、彼女は相対的にますます“大人”になっているように思う。もし私たち現代の大人たちが30年前の21歳から多くを学ばなくてはいけないとしたら、それはとても恥ずべきことに違いない。

「普通でない世界では普通であることが普通でなくなる。
 そういう世界でだれよりも異常になりうる機会にさらされながら、なお強靭に普通の自分を保つ。その神経が普通でない。己れの深い淵をのぞき込むように見つめることなくして、そういうことはできるものではない。
 結婚─引退という当たり前のことが、その人がやると当たり前に見えなくなるという女。“並み”でない“並み”の子。やはり掴みがたい人かもしれない」

 これは今から30年前、プレイボーイ誌に掲載された百恵インタヴュー記事のリード文で筑紫哲也が書いたことである。“普通/普通でない”の話で言えば、引退から30年の時を経て、残念ながら、山口百恵はますます普通でなくなってしまっているような気がする。


百恵とは?

 先にも書いた通り、この番組では多くの人間が山口百恵について語っている。渋谷の街角でインタヴューされる一般の老若男女の他、著名人として登場するのは、酒井政利(レコード・プロデューサー)、残間里江子(出版プロデューサー/『蒼い時』担当)、山口昌男(東京外国語大学教授・言語文化)、今井通子(登山家)、井上ひさし(作家)、秋吉久美子(女優)、天沢退二郎(詩人)、中山千夏(参議院議員/作家/タレント)の8人。加えて、番組内では〈山口百恵 激写/篠山紀信〉で公開された「夜へ」の秀逸なクリップがノーカットで再び紹介され、そこに篠山紀信のコメントがテロップで挿入されてもいる。

 最後に、この中から酒井政利、篠山紀信、秋吉久美子、中山千夏、井上ひさしのコメントを紹介しておくことにしたい。

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酒井政利
「一口に言って、やっぱり、ひたむきな性格というんでしょうか。何事にも一所懸命やっていくというか。内面はすごく熱い人なんだと思うんですけど、どこか、こう、自分を客観的に見るというか……一般的にそれは“冷めた部分”と言われてましたけど、そういったものを持ってたと思うんですね。(仕事を離れた時の百恵は)本当に普通の女の子という感じで。大変、思いやりもありましたし、常識的でしたし。普段、歌ってるとか演じてる部分からは考えられないぐらいの、大変、普通の人でしたですね」

篠山紀信
「何年かたって自分たちが1970年代という時代を語るとき、そこには必ず百恵があらわれ、百恵を語るとき自分たちはそういえばあのときというふうに、1970年代を思い浮かべるにちがいない。百恵はいつの間にか一人の少女から時代を代弁する女へと成長してしまった。百恵の生き方を羨む人もいれば、鬱陶しく思う人もいるだろう。だが、ぼく自身の考えからすれば、生き方としてそれはやはり貧しいことだったのだと思う。それでなければ、恋人の名をいうだけであんなに無防備に百恵が笑うはずがない。百恵は時代になった。70年代という時代が必要としていたのだ」

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秋吉久美子
「あたしね、今度彼女がやめるので改めて気がついたのかもしれないけど、もしかしたらファンじゃなかったのかなって今頃になって思ってるんですよね。別に個人的に話したことも何もないんだけど……第一に、あたし、偉い女の人って好きなんですよね。偉い人。百恵ちゃんってすごく偉い人って感じがするのね。それに、しょっちゅうびっくりさせられたし。とにかく、自分にできないことをあの人はやり続けた人だなと思う。どういうことかって言うとね、『エデンの海』とかいう映画のときに、あの方は真っ白な水着で馬に乗ったんですよね。あたし、そのときに“あ~、こんなことしていいのかなあ”なんて勝手に困って、ドキドキしてびっくりして、グラビア見てひとりで恥ずかしくなったんですよね。あたしなんか裸になっても裸じゃないと思うんですよね……なんか、性格的に。でも、あの方っていうのは、水着に限らず、服着てても裸っぽい人で、それがなんか、恐いような、偉いような……。百恵ちゃんのことはファンの立場として好きだなあとか思うんだけど……唇が大きくて羨ましいなあとか思うんだけど……友和くんと一緒になっちゃうとね……」

中山千夏
「男の人では、沢田研二さんとか、今までと違ったタイプの活躍の仕方をする人がいたんだけど、女の人ではやっぱり珍しい感じですよね。女の人が頑張るのはどこでも嬉しいから、“やれ!やれ!”って感じでね(笑)。結婚っていうのは、仕事してる女の人の場合、区切りをつけるときの言い訳みたいになるのよね。私はそういうことじゃないかと思ってるんだけど。外側の人間がそう大騒ぎすることないと思うのは……外側から見ると、百恵ちゃんっていうのは文化のひとつに過ぎないわけよね。彼女の人間とか彼女の人生っていうのは誰も気にしてないわけだから。外側からひとつの文化っていう目で見ると、その文化が一段落ついたっていうだけで、まだ次々出てくるんですよ。百恵ちゃんがなくなったら日本の歌謡界は潰れるとか、そういうんだったら“やめるな”とか騒いでもいいけど、全然そんなことないわけで、続くわけでしょ。だから、彼女に対して、せっかくここまでやったのに仕事を捨てるとは何事だ、とか迫るのはお門違いでね。彼女は彼女のやりたい人生を選んで、文化は文化でまた次にできてくるわけだし……」

井上ひさし
「好きな男ができた、と。で、その好きな男と家庭を作って、やがて生まれてくる子供を大事に育てて……まあ、要するに、家庭に入る、ということを彼女は選んだわけですけども。そうなってくると、大変な大スターの座も、主婦の座、妻の座、お母さんの座に敵わない、と。要するに、大スターの座よりも、母の座、妻の座、そっちの方がもっと幸せなんだ、という判断を百恵さんが下したと思うんですね。それは、百恵さんの歌を聴く若い女の人たちにとって、ものすごく身が震えるほど嬉しいことなんじゃないかと思うんです。というのは、今まで大スターだと思って憧れていた人が、実はそうじゃないんだ、と。あなた方がやがて結婚するわけだけど、その結婚の方が大スターなんかになるよりもっと素晴らしいことなんだ、ということを、山口百恵という人は普通の大衆、ファンに身を以て示す──そこにこの異常な熱狂ぶりがあるような気がするんですね。ですから、もしカムバックするということになったら、ささやかな幸せよりも、やっぱりスターの座が良かったということになりますから、カムバックしたら全く人気の出ない……カムバックできない……そういうタイプの歌手だと思うんです」


(*1)筑紫哲也による山口百恵のインタヴューは、プレイボーイ誌'80年11月号に掲載されている。その後、筑紫の著書『暴走の光景1 テレビの中から見る』('83年3月20日発行/すずさわ書店)に再録され、更にプレイボーイ誌'08年12月号(終刊前号)に抜粋版で復刻掲載された。未読の方には、百恵現象に関する筑紫の論考も併録された『暴走の光景1』を入手することをお勧めする。百恵はこのインタヴューで、『蒼い時』、父親、性、結婚などについて驚くほど赤裸々に語っている。筑紫は山口百恵に関して“人なみ以下”にしか知らなかったそうで、そのため非常に純粋な問いを発していて、結果、百恵から多くの貴重な発言を引き出すことに成功している。取材に対して百恵自身のモチベーションが高いこと(喋る気満々)、また、引退公演直前で殺気立っていることも、このインタヴューを特別なものにしている。とにかく、このインタヴューの百恵は超コワい。『蒼い時』の副読本として読みたい空前絶後の決定的インタヴューである(百恵は引退から約3年後、このインタヴューを振り返って、“失言がいっぱいある”、“筑紫さんのような大人を相手に言ってはいけない表現や言葉の選びかたをしていた”などと反省している)。
 ちなみに、筑紫哲也の百恵との出会いは、友人だった残間里江子の事務所に夜遅く用があって立ち寄った時のこと。そこにたまたま『蒼い時』執筆中の百恵がいたのだった。彼は執筆段階で百恵の原稿を読んでいた数少ない人物のうちの一人でもあった。

(*2)『蒼い時』('80年9月25日発行/集英社)は、最終章“今、蒼い時…”のみ、百恵の手書き生原稿をそのまま印刷する形で収録している(30頁、400字詰め原稿用紙15枚分)。文庫版では通常の活字に置き換えられているので、これから読もうという方にはオリジナルのハードカバー版を入手することをお勧めする。百恵の書く字を見て個人的には決して男字だとは思わないが、百恵を男にしたがる和田勉の気持ちというのはよく分かる。それにしても、印刷された百恵の字を見てもつくづく思うことだが、往々にして女というものは何故あんなに綺麗に文字が書けるのだろうか?



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