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The Nicholas Brothers (part 6)



 '80年代以降のタップ・ダンス再評価の流れの中で、再び脚光を浴びるようになった過去の偉大な黒人タップ・マスターたち。その代表格であるニコラス兄弟に対する再評価も海外では着実に進んだ。

 ニコラス兄弟は『ザッツ・ダンシング!』(1984)、『イッツ・ブラック・エンターテインメント』(2002)といったドキュメンタリー作品でも大きく取り上げられているが、彼らのキャリアだけにスポットを当てた映像作品もきちんと存在する。ニコラス兄弟の長い芸歴を知るには、実際の出演映画等とあわせて、そうしたバイオグラフィ映像が重宝する。ここでは、'90年代に英米で製作されたニコラス兄弟の素晴らしいドキュメンタリー作品を2本紹介することにしたい。


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WE SING & WE DANCE (1992)
Channel 4 / 53 minutes

 イギリスのChannel 4で放映されたニコラス兄弟のTVドキュメンタリー(53分/EMI製作)。番組タイトルは、彼らの出演映画『The Black Network』(1936)劇中の台詞“僕ら歌って踊れます(We sing, we dance)”から取られている。芸能一家で育った幼少時代から、'92年現在までの兄弟のキャリアが、当人たちを始め、多くの関係者や著名人の発言を織り交ぜながら丁寧に振り返られる。全盛期の出演映画はもちろん、あっと驚くレア映像や写真も多数登場。おまけに、元気に踊る現在の2人の姿まで見られる。ニコラス兄弟のバイオ映像作品として、これ以上のものは望めないだろう。ファン必見の決定的ドキュメンタリーだ。

 兄弟以外のインタヴュー出演者は、登場順にドロシー・ニコラス・モロウ(彼らの姉妹)、レオナルド・リード、キャブ・キャロウェイ、マックス・ローチ、ボビー・ショート、グレゴリー・ハインズ、モーリス・ハインズ、ミハイル・バリシニコフ、(MC)ハマー、クラーク・ピーターズ。『ストーミー・ウェザー』のダンス場面を“シェイクスピア級”と評し、そのルーティンについてやたら詳細に熱く語るグレゴリー・ハインズがとりわけ印象的だ。彼はニコラス兄弟と同じく、兄モーリスと組んで“ハインズ・キッズ”(後に“ハインズ・ブラザーズ”)として幼少時から芸能活動を始めた。“第二のニコラス兄弟”と周囲から騒がれ、何のことか分からないまま気を良くしていた幼い彼は、実際に彼らの踊る様子を初めて見た時、“第二のニコラス兄弟などあり得ない”と悟ったという。

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コメントするニコラス兄弟、C・キャロウェイ、G・ハインズ、M・バリシニコフ

 興味深いのは、何と言っても張本人であるフェイヤードとハロルドの発言。無我夢中でステップを教わろうとする幼少時の弟を回想するフェイヤード。“私はただ兄に倣えばよかった”と7歳下のハロルド。様々な芸人の踊りを見ながら独学で踊り始めた頃、フェイヤードが父親(ボードビルの楽団ドラマーだった)から受けた助言を思い出す──“お前の踊りはとてもいい。だが、他のダンサーの真似じゃダメだ。自分だけの踊りをしろ。踊る時は足下を見るな。観客を見ろ。楽しむのは観客であって、自分ではないのだから。お前の手の使い方はすごくいい。それをどんどんやれ”。

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'30年代前半、ハーレムにあった頃のコットン・クラブ('30年代後半はブロードウェイに移転)

 コットン・クラブ時代、来店したタルーラ・バンクヘッドに可愛がられ、誕生日プレゼントとして翌日に自転車と彼女のバカでかいポートレート写真が送られてきた話、黒人客禁制の店で子供ながらに感じた人種差別の空気など、貴重な逸話が次々と飛び出す──“コットン・クラブに(客として)黒人は入れなかった。いくら金を持っていようと、ダイヤで着飾ってリムジンで乗り付けようとお構いなし。ドアマンが通せんぼさ。で、そのドアマンにしたって黒人なんだよ! 店に入ろうとすると立ちふさがるんだ。そう命じられているから、と言ってね。全くひどい話さ。でも、私にはどうすることもできなかった。ただ、私たち兄弟は幼いながらにその決まりをまんまと破ってやったんだ。客席へ行って来店しているスターたちと会ってもいいかと頼むと、許可が出た。多分、私たちが幼い子供だったから許されたんだろうけどね。でも、客席に入れたことは嬉しかった。黒人にも品があるんだ、ということを示せたんだからね”(フェイヤード)。

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貴重な記録映像の数々。これ、スチールではなく、全部ムービー!

 過去のレア映像群にも開いた口が塞がらない。子供らしくふざけ合う'30年代のオフの兄弟、キャブ・キャロウェイと共演している伝説のコットン・クラブ時代の映像(リハ+本番らしき場面!)、舞台作品『Blackbirds Of 1936』(1936)や『Babes In Arms』(1938)の様子を舞台袖や斜め前から撮っている映像、カルメン・ミランダとの'39年南米ツアーの映像、全く詳細不明の舞台映像などなど、こんなものが残っているのか、というような記録映像が次々と出てくる。代表的な出演映画に混じって、随所に挿入される細かい映像群のレア度はとにかく尋常でない。

 また、このドキュメンタリーを観て、フェイヤードが人工股関節置換(hip replacement)の手術を受けていたことも初めて知った(ニコラス兄弟の評伝『Brotherhood In Rhythm』によると、'85年に手術を受けている)。後年の彼は関節炎を患い、一時は踊ることはもちろん、歩くことさえ激痛を伴うようになってしまった。サミー・デイヴィス・Jrとのツアー中、痛みを堪えてスプリットするフェイヤードを見て、ハロルドが言った──“やっちゃダメだ。スプリットは俺がやるから、兄貴は手を使うだけでいい。俺がスプリットする時、落としたり持ち上げる仕草をしてくれるだけでいい”。フェイヤードは弟のパートナーシップに感謝した。“(踊れなくなった)兄を見ていて胸が痛んだよ。踊りこそ兄の人生だからね”(ハロルド)。
 手術を受けたフェイヤードは、再び自由に歩き、ダンスもできるようになった。現在の彼がそのことを証明するために、稽古場で「Chattanooga Choo-Choo」に合わせて一人で踊る場面が出てくる。もちろん全盛期のような力強さや切れはない。しかし、昔と変わらぬ華麗な手ぶりで軽やかにステップを踏み、滑らかにターンまでして見せる姿は感動的である。踊ることが本当に好きでたまらない様子が全身から伝わってくると同時に、踊るという行為の素晴らしさ、美しさを改めて確認させてくれるような、実に味わい深い名場面になっている。

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稽古場で踊るフェイヤード(左)、往年の名ルーティンを再現する兄弟(右)

 とにかく見所満載の素晴らしいドキュメンタリーなのだが、この作品には最後に全てを凌ぐ最高の名場面が用意されている。なんと現在の年老いた2人が、子供時代の出演作『The Black Network』のダンス場面の映像に合わせて、全く同じルーティンを踊ってみせるのである。ハロルドをクルクル回すフェイヤード。背景に映される幼い2人と、年老いた2人の動きが合致する瞬間。兄弟の息は50年以上前と同じようにピタリと合っている。このラストにはもはや言葉も出ない。

 このドキュメンタリー番組は、『華麗なるタップ人生 ニコラス・ブラザーズ』というタイトルで、'95年にNHK教育で放映されている(44分)。インタヴュー発言が所々カットされている上、日本語吹替版なのが残念だが、こういうものをきちんと取り上げるところはさすがNHK。BSで是非ノーカット字幕版を放映してもらいたいところだ。


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FLYING HIGH (1999)
A&E / 44 minutes

 アメリカのA&E放映の人気シリーズ〈Biography〉で、'99年にニコラス兄弟が取り上げられた('99年2月23日放映/44分)。『We Sing & Dance』同様、当人たちを始め、様々な関係者や著名人の発言を絡めながら兄弟のキャリアが振り返られる。『We Sing & Dance』と似た内容になっているが、そちらでは省かれていた出演作や私生活絡みの話題が優先的に取り上げられ、きちんと差異化が計られているのが嬉しい。現在の兄弟によるパフォーマンスこそないが、その分、紹介される記録映像・写真のレア度と量は増し、よりディープに彼らの生涯を知ることができる。『We Sing & Dance』と併せて必見の内容だ。

 兄弟以外のインタヴュー出演者は、登場順にドナルド・オコナー、ジェラルディン(ジェリ)・ブラントン(フェイヤードの最初の妻。旧姓ペイト)、ベティ・ギャレット、ミッチー・ゲイナー、グレゴリー・ハインズ、デビー・アレン、リグモア・ニューマン(ハロルドの後年の妻/マネージャー)。『We Sing & Dance』に較べるとやや地味な顔ぶれで、各人の発言自体も割と月並みな上、短めに編集されているため、聴き応えに欠けるところはある。但し、生存者の中で全盛期の兄弟を最もよく知り、ドロシー・ダンドリッジの親友でもあったジェリの出演は貴重だ。グレゴリー・ハインズはここでも『ストーミー・ウェザー』のルーティンを実況中継状態で解説していて可笑しい。

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コメントするニコラス兄弟、G・ハインズ、D・オコナー、ジェリ・ブラントン

 ジェリが出演している点からも予想される通り、このドキュメンタリーでは、『We Sing & Dance』では全く触れられることがなかったドロシー・ダンドリッジの話がかなり出てくる。

 '38年秋、ダンドリッジ・シスターズの一員としてコットン・クラブにやってきたドロシー(当時16歳)を、ニコラス兄弟が初めて目にした時のこと。“弟が「ほら、あれ見ろよ」と言う。私が目をつけたのはドロシー・ダンドリッジで、彼女と仲良くなりたいと思った。弟も同じだった。そのうち、彼女が弟の方に気があるのが分かってね。それで私は身を引いた。我々兄弟は女性を巡って争うようなことは絶対にしないのさ”(フェイヤード)。“ドロシーは、何というか……とてもシャイで、物静かな女性だった。私はズケズケとものを言うタイプだったね”(ハロルド)。'41年12月、フェイヤードは公演先のシカゴでジェリと出会い、ひと月も経たない翌年1月に結婚。その8ヶ月後にハロルドもダンドリッジと結婚した。

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ハロルド&ドロシー(左)、フェイヤード&ジェリ(右)

 しかし、働き盛り、遊び盛りの兄弟は家庭などそっちのけで、彼女たちは孤独な思いをさせられっぱなしだった。“私は大物になりたかった。まったく子供だったね。最低だった。もちろん彼女を愛していたけど、本当に酷いことをしてしまったよ”(ハロルド)。ハロルドは産気づいたダンドリッジに真面目に取り合わず、彼女をジェリの家に預けて平気で仕事に出掛けてしまうような有り様だった。ダンドリッジは夫の帰りを待って陣痛に耐えていたが、結局、'43年9月2日午前2時42分、運び込まれた病院で難産の末に赤ん坊を出産。15時間以上も連絡のつかなかったハロルドが病院に現れたのは、その約1時間後だった。生まれた娘リン(ハロリン)は、数年後に脳障害を持っていることが判明する。“ドッティ(ドロシー)は産気を抑えながら、ハロルドは帰ってくる、帰ってくる、と言い続けていたわ。出産を我慢し続けたせいで、リンには酸素が足りなくなった。それが影響したのよ”(ジェリ)。“ハロリンはとっても可愛い子だった。本当に気の毒だったよ。弟の気持ちは分からない。あの件について弟はあまり喋らないんだ。胸中を察することはできるけどね”(フェイヤード)。“誰にも話したくなかった。いまだに辛くて口にできないんだ”(ハロルド)。

 兄弟は世界中の公演先でとにかく女性にモテまくったらしく、長年の浮気癖が祟り、'51年にハロルド夫妻、'56年にはフェイヤード夫妻も離婚している(但し、ジェリとフェイヤードは離婚後も親交が続く)。“謝る機会がないまま彼女は死んでしまった”と語るハロルドが痛々しい。芸人の妻が不幸なのは半ば仕方のないことかもしれないが、ダンドリッジを巡る一連の話はさすがにヘヴィで切ない。

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ビックリ仰天の記録映像の数々(下段は兄弟とダンドリッジ)

 このドキュメンタリーには、ダンドリッジが映っている記録映像も多く登場する。兄弟と楽しそうに食事するダンドリッジ、生後間もないリンを抱く幸福そうなダンドリッジとハロルドのツーショット(なんとカラー!)等々、とんでもない激レア映像の連続。他にも、兄弟とアステアがRKOスタジオで踊る'35年の映像、貴重な'30年代の舞台公演、ボブ・ホープと行った'65年のベトナム慰問公演、世界各地でのオフの様子など、『We Sing & Dance』でも紹介されなかったお宝映像がてんこ盛りだ(兄弟が世界中で様々な女性といちゃついている映像の豊富さが笑える)。

 兄弟の発言は『We Sing & Dance』と内容が重複する部分も少なくないが、彼らが受けた人種差別に関する逸話で、ひとつ興味深いものがある。
 '53年頃、ラス・ヴェガスのサンズ・ホテルで行われたフランク・シナトラの公演にニコラス兄弟が出演した時のこと。“公演の合間、ロビーに行って座っていたんだ。するといきなりホテルの従業員がやって来て、「あなたはここに座ってはいけません。楽屋へお戻り下さい」と言うんだ。「どこに座ろうと勝手だろ。楽屋には自分が行きたい時に行くさ!」と言ってやったよ”(フェイヤード)。凄いのは、これに続いて登場するジェリの発言だ。“ハロルドはある超大物エンターテイナーとかなり関係があって、その人はハロルドにあやかろうとしていた。奴隷扱いされたせいで、こんなことがあった。ハロルドが「あんたは白人だ。だが俺には才能がある。頼むから、俺を人間以下のように扱うのはやめてくれないか」と言うと、その人は「なら、サミー・デイヴィスをスターにする。お前には仕事は回さん」。ハロルドは「いいとも。世界があるさ。俺は世界に出て仕事をするさ」と言ったのよ”。ここでジェリの言う“超大物エンターテイナー”とは、もちろんシナトラのことだろう。兄弟はアメリカを飛び出し、ハロルドは宣言通り、その後ソロ芸人として立派にフランスで成功を掴む。

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永遠の名コンビ、ニコラス兄弟

 番組を締めくくる2人のやりとりが微笑ましい。“弟ほど多芸な男はいないさ。演技、歌、踊り……何でもござれだ。私は弟を本当に誇りに思ってる。なんたって、彼に一から十まで教えたのはこの私なんだからね!”。何言ってやがる、という顔で聴いていたハロルドが苦笑し、“俺も兄貴が誇りだよ”と言いながらフェイヤードの頬にキスする。“どうだい!(How about that!)”というフェイヤードの締めが痛快だ。踊らなくても、さすがの名コンビぶりで楽しませてくれる。

 フェイヤードは多弁で口調もハキハキしているが、この時点でハロルドは老いが顕著で、喋り方もかなり弱々しい。『We Sing & Dance』のインタヴューでは、“自分自身のショウや映画をやってみたいと今でも思ってる。主演ハロルド・ニコラス、ってね(笑)”(“おいおい、兄貴はどうした!”とすかさずフェイヤードのツッコミ)などと将来の夢も語っていたが、もうそんな元気もない様子だ。数年の間に一気に老け込んでしまったようで、見ていて少し寂しくもある。

 ハロルドはこの番組放映の約1年半後、'00年7月3日に腎臓疾患でこの世を去った(享年79歳)。フェイヤードは'06年1月24日、肺炎と合併症のため他界(享年91歳)。2人とも天国でキャブ・キャロウェイやダンドリッジたちとハッピーに歌い踊っていると思いたい。


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 というわけで、6回に分けてニコラス兄弟のキャリアを映像と共に振り返ってきた。
 
 彼らの圧倒的なパフォーマンスを観ていると、あたかもアステアやケリーといった白人ダンサーしか存在していなかったかのように語り継がれるアメリカのミュージカル映画/エンターテインメントの歴史というのは一体何なのだ、という気がしてくる。白人ミュージカル・スター同様、ニコラス兄弟には“ダンサー”という枠を超えて活躍できるポテンシャルもあったが、その個性や才能を完全に発揮することはできなかったように思う。“ボードビルにも、ナイトクラブにも、映画にも、テレビにも出た。我々はショウビズ界の何もかもやった。オペラを除いてね。自分の夢はすべて叶ったよ”とフェイヤードが話す一方、もっと歌も歌いたかった、とこぼすハロルドの残念そうな表情も印象に残る。

 2人の冥福を心から祈ると同時に、彼らの出演映画や、ここで紹介したようなドキュメンタリー作品が日本でもソフト化、あるいはテレビ放映され、その素晴らしい業績がもっと多くの人々に知られることを願ってやまない。



THE NICHOLAS BROTHERS: FILMOGRAPHY

PIE, PIE, BLACKBIRD (1932)
STOOPNOCRACY (1933)*
THE EMPEROR JONES (1933)*
KID MILLIONS (1934)
JEALOUSY (1934) scenes deleted
AN ALL-COLORED VAUDEVILLE SHOW (1935)
THE BIG BROADCAST OF 1936 (1935)
DON'T GAMBLE WITH LOVE (1936)
THE BLACK NETWORK (1936)
CALLING ALL STARS (1937)
MY SON IS GUILTY (1939)
DOWN ARGENTINE WAY (1940)
TIN PAN ALLEY (1940)
THE GREAT AMERICAN BROADCAST (1941)
SUN VALLEY SERENADE (1941)
ORCHESTRA WIVES (1942)
STORMY WEATHER (1943)
RECKLESS AGE (1944)*
CAROLINA BLUES (1944)*
THE PIRATE (1948)
BOTTA E RISPOSTA (1950)
EL MENSAJE DE LA MUERTE (1953)
EL MISTERIO DEL CARRO EXPRESS (1953)
MUSIK IM BLUT (1955)
BONJOUR KATHRIN (1956)
L'EMPIRE DE LA NUIT (1962)*
THE LIBERATION OF L.B. JONES (1970)**
UPTOWN SATURDAY NIGHT (1974)*
DISCO 9000 (1976)*
TAP (1989)*
ALRIGHT (1990)
THE FIVE HEARTBEATS (1991)*
FUNNY BONES (1995)*
NIGHT AT THE GOLDEN EAGLE (2002)**

*Harold solo; **Fayard solo


※今後、新たな映像が手に入ることがあれば、随時、該当記事に加筆をしていく。連載はここで一旦終わるが、ニコラス兄弟に関してはまだネタがあるので、Part 7以降の記事もあり得る。



The Nicholas Brothers (part 1)──'30年代(子供スター時代)
The Nicholas Brothers (part 2)──'40~43年(20世紀フォックス時代)
The Nicholas Brothers (part 3)──'44~56年(アメリカ~ヨーロッパ時代)
The Nicholas Brothers (part 4)──'50~70年代(テレビスター時代)
The Nicholas Brothers (part 5)──'80年代以降(再評価時代)
The Nicholas Brothers (part 6)──'90年代TVドキュメンタリー
The Nicholas Sisters

Dorothy Dandridge (part 1)
Dorothy Dandridge (part 2)
Dorothy Dandridge (part 3)

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