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Helmut Newton

HN_GRM
Green Room Murder
1975

 シングル「Is It A Crime?」のカヴァー写真を撮影したヘルムート・ニュートン(1920~2004)。ドイツが生んだ説明不要の超有名ファッション写真家である。'50年代からヴォーグやプレイボーイ誌などで活動を始め、SMや性倒錯、フェティシズムの要素を含んだポルノまがいの暴力的な写真で独自の作風を確立した。

 ニュートンと言えば、女のヌード、そして、ヨーロッパ上流階級の虚飾を引き剥がしたような頽廃的エロティシズムである。裕福なユダヤ人家庭に生まれ、ナチスによって祖国を追われた彼の写真には、いかにもブルジョワジー的な品性と、内部告発的な挑発が同居している。冷めた目で捉えられた豪奢な世界の中に、私たちは20世紀の華やかな宴の陰部を垣間見ることができる。ニュートンの作品は、いわば公開を前提とした擬似窃視録のようなものだ。そこには、他人のプライベートに対して誰もが密かに抱く窃視願望すら映し出されている。

 ファッション写真以外にも、ニュートンは多くのセレブのポートレートを撮影した。彼が撮ったアーティスト、女優たちの写真をここで少し紹介してみたい。


HN1
Catherine Deneuve
for a photo-essay in Nouvel Observateur, 1983

 ヒッチコックの金髪いじめ映画にドヌーヴが出演したことはなかったが、実現していればさぞかし素晴らしかっただろう。これはそんな想像を掻き立てる1枚だ。ヒッチコック死去のため頓挫した幻の54本目の監督作『The Short Night』の主演女優にはドヌーヴが予定されていたという。彼女は'05年のインタヴューで、『マーニー』(1964)に出てみたかったと語っているが、なるほど、あまりにもハマり役である(マーニー役は、要請を断ったグレイス・ケリー妃に代わり、『鳥』のティッピ・ヘドレンが力演。文句なしの美人だが、残念ながら色気と病的陰影に欠ける。彼女をドヌーヴに脳内変換すると、『マーニー』はエロ恐さを飛躍的に増す)。ちなみに、トリュフォー監督作『暗くなるまでこの恋を』(1969)では、B級擬似ヒッチコック映画で悪女を演じるドヌーヴを見ることができる(無駄にヌード付き。『昼顔』で脱がずになぜあんなところで……)。
 よく言われることだが、ヒッチコックの映画は非常に密室的である。私たちはスクリーンを通して、その「密室」内で起こる隠密な出来事(殺人、誘拐、窃盗、情事など)の一部始終を覗き見る。周到に計算された演出によって、「窃視」の快楽の真髄(つまり「映画」の楽しさの真髄)をストイックに追求し続けたヒッチコック映画は、ニュートン作品を理解する上で重要な鍵となるように思う。どういうアングルで、どういう光景を撮れば最も興奮が喚起されるか。それを誰よりも心得ている彼らは、まさに“プロの覗き屋”とでも呼ぶに相応しい、筋金入りのスケベ人間なのである。ニュートンは'67年のイギリス版ヴォーグ誌でも、ヒッチコック(『北北西に進路を取れ』の平原場面)を引用したファッション写真を撮っている。


HN2
Charlotte Rampling
at Yves Saint Laurent's, Paris 1984

 ニュートンのモデルを務めた女優の中で、抜群の相性を見せたのがシャーロット・ランプリングである。男を金縛りにするメデューサのような視線。静かに危険な合図を送る肝の据わった顔つき。彼女は決して逃げない。巡り会った瞬間、“この女と死ぬしかない”と男に直感させてしまうような、危ういエロティシズムを湛えた最強のファム・ファタル女優である。
 もともとイギリス人だが、ランプリングほどヨーロッパ大陸の斜陽を感じさせる女優もいない。アメリカ的な健康美とは正反対の蒼白く脆弱な身体。時に骸骨のようにも見えるその顔には、不吉な死の影が付きまとう。『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)でドイツの斜陽一家のひとりとして強い印象を残した後、近親相姦テーマの壮絶なエログロ耽美主義映画『さらば美しき人』(1971)を経て、決定的代表作『愛の嵐』(1973)では、元ナチ親衛隊の男と“愛欲の囚人”と化すユダヤ女を演じ、頽廃官能マゾ女優(?)としての地位を不動のものにした。淫靡さを増したヴィスコンティ映画のスチールのような作品を撮るニュートンにとって、ランプリングはまさに完璧なモデルなのである。近年はフランソワ・オゾン監督『まぼろし』(2001)や『スイミング・プール』(2003)で、初老の女性の心の機微を好演。特に、“窃視”“ヌード”“プールサイド”といったニュートン的要素が散りばめられた後者は思わぬ見ものだった。
 この写真は、彼女のガラスのような青い瞳、射るような眼差しはもちろん、死を暗示させる黒ドレス、血に染まっているようにしか見えないヨーロッパ調のゴージャスなソファが素晴らしい。優雅にして凄惨。吸い込まれそうだ。危ない、危ない。


HN3
Serge Gainsbourg and Jane Birkin
Paris 1978

 愛の必殺飼育人ゲンスブールと、見事にしつけられたその女バーキン。ゲンスブールはニュートンと同じくユダヤ系。ナチスをネタに大暴走するエログロナンセンス絵巻『ROCK AROUND THE BUNKER(第四帝国の白日夢)』(1975)を作った彼は、ニュートンの被写体としては申し分ない来歴の持ち主。一方のバーキンは、ランプリング同様もともとイギリス人、しかも映画デビューが共にレスター監督『ナック』なのだった(ちなみに、ニュートンは『ナック』でデビューしたもう一人のイギリス人官能女優、ジャクリーン・ビセットも撮っている)。脆弱な体を支える太股のエロさは天下一品。ゲンスブールは彼女に一体何を囁いているのだろうか。“お前の小さな青白いおっぱいが好きだよ。ジィグジィグ、おまえと俺はジィグジィグ”──セルジュ・ゲンスブール(「お前の体はジィグジィグだ」1975)。


HN4
Grace Jones
Paris 1978

 ニュートンによって捕獲された女獣グレイス・ジョーンズ。モデルを超えて歌手/女優としても強烈な個性を発揮した彼女は、まさしく元祖“スーパー(超)モデル”と呼ぶに相応しい怪物女である。肩書のみならず、性別までも超える型破りなキャラで、マイケル・ジャクソンに比肩する'80年代屈指の黒人アイコンになった。彼女の活躍が後続の黒人勢にもたらした恩恵には計り知れないものがある。この写真はまだディスコ・ディーヴァに収まっていた頃のものだが、後にジャン・ポール・グードが最大限に引き出すことになる彼女の魅力の一端は、ここでニュートンによっても見事に捉えられている。'85年撮影、グレイス&ドルフ・ラングレンの角刈りカップル全裸写真も必見。超傑作映像作品『A One Man Show』(1982)をリマスター&ボーナス・クリップ付きでさっさとDVD化してもらいたい。


HN5
Marianne Faithfull
Paris 1979

 あの胸がもういちど。鉄の荒馬ハーレーを自転車のように乗りこなして可憐に疾走した青春姦通映画『あの胸にもういちど』(1968)から11年、再びブラック・レザーに裸身を包むマリアンヌ・フェイスフル。ムチムチの豊満ボディをピチピチのレザースーツで締め付け、マゾヒスティックな性の喜悦に初々しく陶酔していた彼女も30を越え、かつてのあどけない面影は消失。ドラッグ地獄から這い上がり、『BROKEN ENGLISH』(1979)で劇的な復活を果たした頃の写真で、その声と同様、顔には彼女が経てきたヘヴィな歳月を思わせる年輪が刻まれている。いきなり“晩年”状態に突入してしまったマリアンヌ嬢だが、乳はまだまだ現役。フロント・ファスナーを上げ下げして遊んでみたい。


HN6
Madonna
1990

 乳ではこちらも負けていない。マドンナの挑発的な性表現は、言うまでもなくニュートンの強い影響下にある。ニュートンがファッション写真の世界でやってきたことを、自作自演でより分かりやすく世間に浸透させたのがマドンナだった。ニュートンから直々に“調教”された彼女は、この年の末に発表されるPV「Justify My Love」(モンディーノ監督。舞台はホテル。『愛の嵐』の引用含む)を経て、2年後の'92年秋、写真集『Sex』(スティーヴ・マイゼル・スタジオ撮影)でニュートン趣味を大爆発させる。ニュートンとのセッションでは、セミ・ヌードでバー・カウンターに乗った彼女が男たちを挑発しているモノクロ写真がよりそれらしいが、どことなく初々しい緊張が感じられるこちらの写真の方が個人的には惹かれる。


 ところで、ニュートンのポートレイトで特に目を引くのは、寝室でベッドに人物が横たわっている図を捉えたものだ。私的な空間にいて、当然彼らは無防備である(ように見える)。カメラと被写体との距離が絶妙で、いかにも寝室に忍び込んで激写したような覗き見感覚にニュートンらしさがよく現れている。


HN7
The singer Sade
Beverly Hills 1985

 ホテルでベッドに横たわるアデュと、サックスを抱えて俯くマシューマン。いかにも倦怠している。一見何気ない感じもするが、アデュの手の位置、目線、シャツのはだけ具合、マシューマンの首の角度など、現場でニュートンは細かく指示を出しているはずである。「Is It A Crime?」のカヴァーに使われたこの写真は、ニュートンの写真集『Portraits』(1986)にそのモノクロ版が収録されている。
 アデュのヌードは後にアルバート・ワトソンが撮るが、単純に男心としてはニュートンにも撮ってほしかったと思う。ニュートンが撮る有名人のポートレートは必ず被写体のパブリック・イメージを踏まえているので、アデュの場合、際どいヌードはまずあり得ないのだが。


HN8
Sting
Milan 1986

 イングリッシュマン・イン・ミラノ、ホテルの部屋で横になる図。もちろん本当にうとうとしているわけはなく、服装も、脇にあるソプラノ・サックスもすべて演出に決まっている。このいかにもな感じがポイントなのだ。この写真は、実際にスティングがホテルで寝ている姿を盗撮する以上に“プライベートのスティング”的なのである。
 それにしても、この頃のスティングは実に喰えない奴でカッコ良かった。個人的に年と共にロックとは疎遠になる一方だが、ポリスとスティングの初期ソロ作に関しては時折無性に聴きたくなる時がある。


HN9
Salvador Dali
Motel Meurice, Paris 1973

 寝ていてもおとぼけなダリ爺。故郷フィゲラスで撮影された晩年の衰弱しきった一枚も有名だが、この頃は愛妻ガラ&愛人アマンダ・リアもいて、まだまだ髭もビンビン。リアがデヴィッド・ボウイと付き合い出すのもこの頃だ。当時、ボウイの事務所がマンハッタンの高級レストランで、ダリを主賓に迎えた夕食会を催した際の面白い逸話がある。
 その日、ダリは2人の謎の人物を連れてレストランに現れた。2人が何者であるかはボウイ側の誰にも分からない。かといって迂闊に訊ねることもできず、ともかく急遽2人分の追加席が設けられることに。食事が済むと、謎の2人はダリと握手を交わしてその場を去った。ようやくダリに「あの方たちは誰なんです?」と訊ねたら、ダリ曰く「さあ、わからんな。レストランの外で会って、一緒に食事をしないかと誘っただけだから」。
 ちなみに、ニュートンはダリの命日と同じ1月23日に交通事故でこの世を去った。


HN10
Andy Warhol
Paris 1974

 うたた寝するウォーホル。これは本当に寝ているところを撮ったように見えるから凄い。覗き度満点で、ニュートンのポートレイト写真では間違いなく代表作のひとつに挙げられる。凄いのはニュートンなのか、ウォーホルなのか。ウォーホルなら撮影中に本当に寝てしまいそうだ。“そのまま眠りこけたら縛り上げて、彼を楽しい船旅へ出してあげよう。海の上で目が覚めたら、きっと僕らのことを考えるよ。絵の具やら、接着剤のことなんかをね。なんて素敵にくだらない思いつきだろう”──デヴィッド・ボウイ(「Andy Warhol」1971)。


HN11
Mick Jagger
Paris 1977

 ごろ寝するミック・ジャガー。ウォーホルがアートワークを手掛けた『LOVE YOU LIVE』発表の'77年の写真。『SOME GIRLS』録音でパリに滞在していた時に撮られたものと思われる。ファインダーを覗きながらそっと近づいた瞬間、「ん?」と目を覚ましたような感じだ。寝ていようと起きていようと、いつ見ても立派な唇である。


HN12
David Bowie
Monte Carlo 1983

 彼は眠れない。JBが“ショウビズ界一の働き者”なら、DBは“ロックビズ界一の働き者”と言ってもいいかもしれない(最近は働いていないようだが)。'83年のボウイと言えば、『LET'S DANCE』と映画『戦場のメリークリスマス』で、まさに寝ている暇もなかった。「Out Of Sight」の頃のJBのようなパーマ頭でファンクにしがみつき、ニュー・ウェイヴ以降のロック混迷期を怒濤のハードワーキングぶりで強行突破。この写真では、アメリカ志向が強かった'83年にしては珍しく、かなりヨーロピアンな雰囲気を漂わせている。


HN13
Helmut Berger
Beverly Hills 1984

 ルキノ・ヴィスコンティの“未亡人”、ヘルムート・バーガー。この人ほど“空っぽ”な感じがする役者を私は他に知らない(軍服が似合うのも当然だろう)。『地獄に堕ちた勇者ども』では、ナチス台頭時代の狂気と美学を強烈に体現し、危ないオーラをまき散らしながら一人で映画を引っ張っていた。基本的には大根だと思うが、その薄っぺらさが生かされると俄然魅力を発揮する。ヴィスコンティの死後は出演作に恵まれず、酒と薬浸りで役柄通りの頽廃ライフ。夭死しなかったのが本当に不思議な究極の徒花役者である。
 これはすっかり“あの人は今”状態の頃の写真だが、往年の頽廃貴公子ぶりは健在(同セッションで撮影された室内全裸写真では更にらしさが出ている)。もともと圧倒的に変(というか、単に意味不明)な男ではあったが、老け込んでからは、天然なのか狙って外しているのかさっぱり分からない、憎みきれない困ったちゃんキャラに益々磨きがかかっているようだ。この役者の性格を知るには、ひたすら彼が挙動不審なだけの怪作『雨のエトランゼ』(1970)がお薦め。『ドリアン・グレイ 美しき肖像』(1970)をソフト化してほしい。


HN14
Charlotte Rampling
at the Hotel Nord-Pinus, Arles 1973

 最後に極めつけの1枚。この“何かいけないものを見てしまった感”こそニュートンである。物陰から、半開きのドアから、時には天井裏から、ニュートンは女のリアル・ライフを窃視する。ランプリングのこの子鹿のような裸体のエロさはどうだ。'73年と言えば、まさに『愛の嵐』公開の年。そして、場所は映画と同じくホテルである(アルルにて)。

 ホテルの部屋というものは、自宅の自室とは異なり、宿泊者にとって私的な空間でありながら、同時に、無数の人間が足を踏み入れる点で、端からプライバシーが犯されているような不思議な場所だ。宿泊客は、そこで常に未知の他人たちとのすれ違いを経験している。ニュートンはそこにエロティシズムを覚え、積極的に作品モチーフに取り入れた。

「夏休みは両親に連れられ、よくリゾートへ出かけた。そして高級ホテルに泊まり、多くの時間を美しいホテルで過ごしたんだ。そこには謎めいた魅力がある。皆が異邦人として暮らしてる。多くの他人が眠ったはずのベッドで眠り、ほかの誰かが代わるがわる何週間も何ヶ月も眺めたであろう壁を見つめて過ごす。そこに僕をかき立てるものがある。どこかエロティックなものを感じるじゃないか」──ヘルムート・ニュートン(『ヘルムート・ニュートン(Frames From The Edge)』1989)

「ホテルには、特有の“声”や“感情”がある。彼が以前撮った古いホテルはそれぞれ歴史があるし、宿泊客たちの感情や出来事が部屋に染みついている。同じ部屋での撮影が長期にわたると、写真家とモデルにそういった感情が押し寄せてきて切なくなる。行くあてのない孤独感ね。
 このアルルでの写真が彼との初仕事。そしてヌード写真を撮ることに決めたの。当時、彼も私もヌード写真は未体験だった。アルルの素敵なホテル。闘牛士が本番前に身を整える場所でもあった。モノクロのシリーズ写真。彼以外とヌードを撮る気はなかった。映画とは違うし。ヌード撮影は、そこに特別な世界を作り上げること。それを彼以外の人と共有したくなかった」──シャーロット・ランプリング(同上)

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