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The World Is Yours──MJ THE UNTOUCHABLE



 マイケル・ジャクソン『BAD』の25周年記念ボックス『BAD25』('12年9月18日発売)は、思った通りスーパーバッドな代物だった……という話をしつこく続ける。前々回は'88年ウェンブリー公演の発掘ライヴ映像、前回は'87年横浜スタジアム公演映像について書いた。最後に、『BAD』期の未発表音源を収録したディスク2について書きたい。

 このMJ箱を開けて、私はまず一番楽しみにしていたウェンブリー公演のDVDを鑑賞した。「Human Nature」の神MJを見て失神した後、ふらふらしながら今度はディスク2を再生。そこで私は完全に吹っ飛んだ。「Black Or White」ヴィデオのおっさんのような勢いで、だ。全く予想外だった。そこには、とんでもない地雷が仕掛けられていたのである。


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BAD25: DISC 2 - BONUS MATERIALS

Don't Be Messin' Round / I'm So Blue / Song Groove (a/k/a Abortion Papers) / Free / Price Of Fame / Al Capone / Streetwalker / Fly Away / Todo Mi Amor Eres Tu (I Just Can't Stop Loving You, Spanish Version) / Je Ne Veux Pas La Fin De Nous (I Just Can't Stop Loving You, French Version) / Bad (Remix by Afrojack featuring Pitbull - DJ Buddha Edit) / Speed Demon (Remix by Nero) / Bad (Remix by Afrojack - Club Mix)


 “Bonus Materials”と題されたディスク2には、『BAD』制作時のデモ録音、アウトテイクが8曲分収録されている。初出の蔵出し音源は6つ。そこに更に「I Just Can't Stop Loving You」の外国語ヴァージョン2つ、'12年に新たに制作されたリミックス・トラックが3つ加えられている(日本盤はボーナスとして更に「Bad」の'87年横浜公演のライヴ音源を収録)

 マイケルは『BAD』のために60曲以上を作り、33曲を録音したと言われている。本人はアルバムを3枚組にしてすべての曲を発表したがったようだが、クインシー・ジョーンズに反対され、最終的に11曲──そのうち9曲がマイケルの自作曲──がアルバムに収録された。この辺りの話は、『THE BEATLES』(1968)を2枚組にしたがったビートルズの4人と、曲を厳選して1枚にするべきだと飽くまで主張したジョージ・マーティンの対立を思い出させる(アルバムは2枚組になり、結果的に彼らの最高傑作とも言える作品になったが、発表後もマーティンの考えは変わらなかった)

 『BAD』制作時のマイケルは、『THE BEATLES』制作時の4人と同じ20代後半だった。破格の成功を掴んで自信に溢れ、グループの仲間たちや口うるさいプロデューサーの束縛も受けず、自力で思い通りに作った作品で『THRILLER』を超え、アーティストとしての己の才能を世界に証明したがっていた。どうだ、これで分かったか、全部自分で書いてプロデュースまでやったんだぜ、俺ってヤバくね? 世界一じゃね?──そう言ってゲラゲラ笑いたかったのである(手柄を横取りされてはかなわないと、マイケルはしっかり“共同プロデュース”のクレジットも獲得しているが、本当は“プロデュース:マイケル・ジャクソン、共同プロデュース:クインシー・ジョーンズ”としたかったはず)

 マイケルは燃えていた。頂点を目指す暗黒街の男のように。ギラギラと輝くその目には、“The World Is Yours(世界はあなたのもの)”という看板の謳い文句が映っていたに違いない。

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 今回公開された未発表曲群は、いずれもマイケルが単独で書いたオリジナル作品。『MICHAEL』(2010)のように第三者が手を加えて現代風に仕上げた音ではなく、録音時そのままの未加工の状態で収録されている。未完成のラフなサウンドではあるが、その分、史料性は高く、マイケルの創作の裏側を垣間見ることもできる。さて、マイケルはどんな曲を作っていたのかな……。順に聴いていくことにしよう。


Don't Be Messin' Round

 マイケル自身が弾いているらしい下手っぴなボサノヴァ調ピアノ・リフを軸にしたモータウン風の軽快なナンバー。この'60年代テイストは、「Satisfaction」を引用したジャネット「What'll I Do」(1993)に通じるものがある。マイケルの頭の中で鳴っていたのはストーンズではなく、「Going To A Go-Go」や「Dancing In The Street」だと思うが(まあ、いずれによミックが歌った曲なのだが)、リズムがボサノヴァに替わっている点が面白い。が、それだけ、という気もする(少なくともこの時点では)。このミクスチャー感覚は、アフリカ音楽の要素を取り入れた「Wanna Be Startin' Somethin'」にも通じる。ブリッジ部分に入るところでマイケルが“ブリッジ!”と合図していたり、アレンジの基になるメロディをスキャットしていたりと、まだまだ素描の域を出ないデモ録音。フェイドアウト直前に登場するファンキーなリフに、曲が膨らみそうな気配が感じられる。もともと『THRILLER』期に作られた曲だったが、『BAD』制作時に引っ張り出して再度取り組んでいたようだ。スモーキー・ロビンソンに提供すれば良かったのに。結局、ボツ。


I'm So Blue

 ハーモニカの響きが印象的な穏やかで素朴なミディアム・スロー。どこからどう聴いてもスティーヴィー・ワンダー風である。これは楽曲もアレンジもかなり完成されている。「Just Good Friends」より好感は持てるが、仮にこれがデュエット曲に採用されていたら、完全に「The Girl Is Mine」の二番煎じになっていただろう。これは使えない。第一、歌詞をデュエット向けに改変したとしても、曲があまりにも凡庸だ(と書くとマイケル信者の反感を買うだろうが、単にマイケルが書いた曲だから有り難く感じるだけの話ではないのか)。この時点でマイケルに要求されているのは、「My Cherie Amour」級──あるいはそれ以上──の名曲を書くことである。こんな習作レベルの作品で『THRILLER』を超えられるわけがない。これもボツ。


Song Groove (a/k/a Abortion Papers)

 妊娠中絶を題材にした異色作。別名「Abortion Papers(中絶同意書)」。マドンナの「Papa Don't Preach」(1986)に刺激されたのだろうが、マイケルが扱うにはちょっと微妙な題材かもしれない。この問題について、一般世間の若者たちの共感を得るようなリアルな詞を書くことはマイケルには難しいだろうし、どうしても第三者的な立場にならざるを得ないと思うからだ(実際、彼が書いた歌詞は倫理的で、全く正論としか言いようがないものである)。シンセ・ベースを前面に出したダンサブルな曲調、流麗なストリングスを配したアレンジにも「Papa Don't Preach」の影がちらつくが(「Wanna Be Startin' Somethin'」と混ぜた感じ。サビの歌メロは後述の「Steetwalker」とも似ている)、これではやはりマドンナに太刀打ちできない。マドンナの後追いと思われてもつまらない。社会問題を積極的に取り上げたい気持ちは分かるが……ボツでしょう。


Free

 バート・バカラックが書きそうなボッサ風味の爽やかなポップ・ナンバー。これはなかなかの佳作ではないでしょうか。このデモ録音のお終い部分には、笑いながら“Randy, you're so silly(ランディ、バカだなあ)”と言うマイケルの声が入っている。ランディがキーボードを弾いているのか、単にその場でふざけていたのか知らないが、このアットホームな雰囲気はデモならでは。『BAD』にはこの手の気張らない牧歌的なナンバーがひとつも収録されなかった。世界一ヤバい男であることを証明しなければならないマイケルにしてみれば、“風のように自由に、スズメのように飛んでゆくのさ”などとおセンチに歌っている場合ではなかったのだろう。スズメのように飛ぶよりも、彼はモーターバイクでハイウェイをぶっ飛ばさなければいけない。これは20代前半の可愛いマイケル向けの歌だ。ボツ(ちなみに、『BAD』とあわせて聴きたいスティーヴィー・ワンダーの'87年の傑作『CHARACTERS』には、「Free」という同名異曲が収録されている。29歳のマイケルに相応しいのはこういう曲だろう)


Price Of Fame

 ニューウェイヴ感覚のエレクトリック・レゲエ(スカ)・ナンバー。今度はポリスだ。タイトルは“名声の代償”。「Billie Jean」「Dirty Diana」と同じく、有名人であることの憂鬱を綴った自伝的な歌。この曲のリズムと歌詞を変えて出来上がったのが、後年の「Who Is It」だろう。完成度は高いし、十分に発表に値する曲だと思うが、なんか「Billie Jean」の二番煎じっぽいし、「Dirty Diana」とも被ってるしなあ……というわけで、これまたボツ!


Al Capone

 やっと捕まったアル・カポネ。これまで存在のみ知られていた「Smooth Criminal」のプロトタイプ。なるほど、これはそっくりだ。あの強烈なベース・ラインや、曲全体の骨格はこの時点で既にほぼ形になっている。他のボツ曲はどれも何となく元ネタが透けて見えるのだが、これに関しては“マイケル風”としか言いようがない。このバタバタした乗りの歪なファンクは本当に独特だ。よくこんな無茶苦茶な曲を作ったな、と改めて思う(マイケルは“天才”と言うよりは“天才バカボン”だと思う。JBと一緒で、やることが無茶苦茶なのだ)。名曲誕生の過程をこうして実際に確認できるのは面白い。ちなみに、単なる偶然ではあるが、『BAD』が発表された'87年は、カポネの逮捕劇を描いたブライアン・デ・パルマ監督『アンタッチャブル(The Untouchables)』がヒットした年でもあった(同年6月公開)。デ・パルマが「Smooth Criminal」ヴィデオを監督していたら……などと想像すると、ちょっと興奮してしまう。スコセッシやコッポラと組んだマイケルである。デ・パルマとのコラボもアルカモネ?!


Streetwalker

 '01年発売のリマスター版『BAD』で陽の目を見たアウトテイク。今回蔵出しされた上記6曲はすべてラフなデモ録音だが(それでもかなり細かく作り込まれている)、これは限りなく完成版に近いクオリティである。マイケルはアルバムに収録したがったが、多数決の末、クインシーが推す「Another Part Of Me」が採用された(という裏話がリマスター版『BAD』収録のクインシーの談話で明かされている)。但し、この曲を蹴落としたのは、実際には「Another Part Of Me」ではなく、「The Way You Make Me Feel」だったはずである。ストリートで女をナンパする歌詞、ブルージーな曲想やサウンドの雰囲気は「The Way You Make Me Feel」とあまりにも被りすぎている。ならば「Another Part Of Me」を収録した方がいい、とクインシーは思ったのだろう。マイケルは「The Way You Make Me Feel」と「Streetwalker」を両方アルバムに収録することに何の抵抗もなかったのだろうか。この辺の感覚がどうにも理解できない。いくらマイケルが天才でも、客観的に冷静な判断を下せる参謀は絶対に必要である。


Fly Away

 「Streetwalker」と共に'01年リマスター版『BAD』で蔵出しされたアウトテイク。これもほとんど完成版クオリティ。先述の「Free」とよく似た雰囲気の爽やかナンバーだ。マイケルが書いた約60曲の中には、似たような曲想やメロディを持つ姉妹的な作品がたくさんあったのだろう。

 『BAD』期のボツ曲としては、以上の8曲の他に、鍵盤のグレッグ・フィリンゲインズと共作した「Cheater」のデモ録音が『THE ULTIMATE COLLECTION』(2004)で発表されている。ステイプル・シンガーズ「Respect Yourself」とマーヴィン・ゲイ「Ego Tripping Out」を混ぜ合わせたような“続「State Of Shock」”的なR&Bナンバーで、作風は上記「Streetwalker」とも通じる(「Streetwalker」はもっとロック寄り。更にロックに寄ると「The Way You Make Me Feel」になる。「The Way You Make Me Feel」はエルヴィス向けの歌だ。ロカビリー調のアレンジでエルヴィス風に低音を利かせて腰を振りながら歌ってみよう)。『BAD』のボツ曲の中では、私はこの「Cheater」が一番好きだ。どうせなら一緒にまとめて収録して欲しかった。


Todo Mi Amor Eres Tu (I Just Can't Stop Loving You, Spanish Version)
Je Ne Veux Pas La Fin De Nous (I Just Can't Stop Loving You, French Version)

 「I Just Can't Stop Loving You」のスペイン語版とフランス語版。スペイン語版は'88年の限定US盤12"シングル、日本盤3"CDシングルなどで発表され、'01年リマスター版『BAD』にも収録されていた。フランス語版は初CD化。いずれもマニア〜コレクター向け。こういう外国語ヴァージョンは多くのポピュラー歌手が吹き込む。「I Just Can't Stop Loving You」にスペイン語とフランス語が選ばれたのは、多分、言語の音の雰囲気がメロディや曲調にマッチするからだろう。ドイツ語版の「I Just Can't Stop Loving You」というのはちょっと想像できない(ドイツ語は「Smooth Criminal」にハマると思う)。日本語版「I Just Can't Stop Loving You」というのも微妙だが、日本のファンとしてはマイケルにチャレンジしてもらいたかったところである(さっぱり日本語詞が思い浮かばないが)。

 尚、ディスク1の『BAD』本編は、今回も「I Just Can't Stop Loving You」冒頭の語りが削除された'01年リマスター版(の更にリマスター版)である。これにはガッカリだ。リマスターに関しては、'01年版との差を出すために余計なことをやってしまったように思う。'01年のマスタリングは素晴らしかった。あの音をいじる必要はないだろう。Sonyがやるべきだったのは、'01年版と同じ音質でオリジナル版『BAD』を復活させることだったと思うのだが。


復活──RESURRECTION OF THE UNTOUCHABLE MJ

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 ディスク2の最後には、『THRILLER』の25周年記念盤『THRILLER 25』(2008)と同様、現代の若手アーティストたちによるマイケル作品のリミックス・トラックが収録されている。こういうトラックがマイケル信者から称揚されることはないだろうし、少なくとも発売前の時点では、多くの人がこれらを単なる企画モノの“おまけ”としか考えていなかったはずである。私もそう思っていた。しかし、違ったのである。今回は違うのだ。本記事の冒頭で“地雷”と書いたのは、このリミックス・トラックのことである。私はこれを聴いて完全に吹っ飛んだ(もう一度書くが、「Black Or White」ヴィデオのおっさんのような勢いで、だ)。


Bad (Remix by Afrojack featuring Pitbull - DJ Buddha Edit) 試聴
Bad (Remix by Afrojack - Club Mix)

 まず、オランダのエレクトロ・ハウスDJ、アフロジャックによる「Bad」リミックス。「Give Me Everything」のピットブルとの再タッグ。テンポを上げたEDM仕様のハイパーバッド・サウンドに乗ってMJが吠え、その合間にピットブルがMJを讃えるリリック(“キングに乾杯。俺たち一生バッド……”)を挿入していく。完全に2012年の音なのだが、驚くべきことに基本的な曲の印象はオリジナル版とほとんど変わらない。何と言うか、マイケルの着ている黒いゴシック・メタル風コスチュームに、バックルを更に30個くらい付け足したような音なのである。超合金マイケル。ヒップホップと結合しそうでしなかった「Bad」に、何の違和感もなくラップが乗っている点もグッとくる。「Bad」のベース・リフを借用したトリッキー「Brand New You're Retro」(1995)を聴いた時の感動を思い出す。マイケル信者に言っておきたいが、アフロジャックは決して「Bad」を歪曲しているわけではない。彼はここで、「Bad」が21世紀型ダンス・ミュージックを'87年の時点で予見していたことを証明しているのである。

 ディスク2を聴きながら私はパソコンをいじっていたのだが、アフロジャックの「Bad」リミックスが登場したところで手が止まってしまった。これはちょっとキてるんじゃないか……。スピーカーに正対し、私は真剣にCDに耳を傾け始めた。そして、遂に地雷を踏んだのである。


Speed Demon (Remix by Nero) 試聴

 くそヤバい。ロック・テイスト漂うMJ流のゴツゴツしたフューチャー・ファンク「Speed Demon」(「Come Together」と「Cold Turkey」の匂いがする。歌詞は「Highway Star」みたいだが)。UKのダブステップ・ユニット、ネロによるリミックス。コードを不穏なマイナー調の進行に変え、デモーニッシュなエレクトロ・ヴァージョンに仕上げた。テンポ自体は変わっていないにもかかわらず、コード進行とエディットの妙で爆走感は劇的に増している。オリジナル版が時速120kmくらいだとすると、これは確実に200kmは出ている。新型のキラー・マシンでハイウェイをぶっ飛ばすMJ。この曲の一番ヤバい部分を取りだして増幅したような感じだ。上記「Bad」リミックスと違い、このリミックスはオリジナル版とは大きく印象が異なる。しかし、それでいて強引に現代風に仕立て上げたような感じが全くしないのは、結局、「Bad」と同じように、もともと「Speed Demon」という作品自体に21世紀のEDM成分が大量に含まれているせいだろう。'87年にMJが放ったスピードボールを、ネロは'12年に真芯で捉えて打ち返した。打球速度は計り知れない。ここまで時代にジャストミートなMJは、もしかすると『DANGEROUS』以来ではないか。これは、かつて私を何度も打ちのめした“無敵のマイケル・ジャクソン”である。こんな神々しいマイケルにリアルタイムでもう一度会えるとは思わなかった。ネロは、MJが25年前も現在も最高にヤバい男であることを見事に証明した。

 『BAD25』を入手以来、私はずっと「Speed Demon」リミックスばかり聴いている。未発表音源はマニアや信者にくれてやればいい。『BAD25』で真に聴くべき作品は、間違いなくこのリミックスである。私たちがやるべきことは、出来損ないの未発表曲を聴いて不用意に彼を天才扱いすることではなく、フロアで「Speed Demon」リミックスを爆音で浴びながら踊り、最強のMJの“復活”を祝うことである。


再考──『BAD』はイケていたのか?

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 『BAD』は、微妙な時期に発表された微妙なアルバムだった。
 
 '80年代後半、ポピュラー音楽の世界では大きな地殻変動が起きていた。ヒップホップの興隆である。'86年、ランDMCの「Walk This Way」が大ヒットし、ビースティー・ボーイズ『LICENCED TO ILL』がラップ・アルバムとして初の全米1位を獲得した。テディ・ライリー制作によるキース・スウェット「I Want Her」、ボビー・ブラウン「My Prerogative」が大ヒットし、R&Bとヒップホップを融合した“ニュー・ジャック・スウィング”がシーンを席巻し始めるのが'88年。野心作『BAD』は、ヒップホップがポピュラー音楽の主導権を握る前夜の'87年という微妙な時期に発表された。'87〜88年は、実質的に'80年代の最末期に当たる時期である('89年にベルリンの壁が崩壊したことも留意したい)。『BAD』は、'90年代ポピュラー音楽の基盤となるヒップホップという新たなオペレーティング・システムに未対応の、いかにも'80年代的な作品だった。

 しかし、マイケルはヒップホップを全く無視していたわけではない。『BAD』のサウンドは、ヒップホップ黎明期のサウンドを形作ったエレクトロ・ファンクを根幹にしているからである。このあたりのズレが、『BAD』を実に“微妙な”アルバムにしていると思う。

 マーティン・スコセッシが監督した'87年発表のショート・フィルム「Bad」は、私立校の寮暮らしから帰ってきたマイケルと、地元のストリートでくすぶるウェズリー・スナイプスら3人の旧友の再会を描いている。その中に、ダベって旧交を温めていた両者が、べっ甲のメガネの話をして気まずくなる場面がある。あの会話場面で、もし彼らがメガネではなく、音楽の話をしていたらどうなるか。ちょっと想像してみよう。
 
ウェズリー:マイケル、おまえ最近どんなの聴いてんだ?
マイケル:う〜ん……君たちは?
ウェズリー:そうだな、最近だと、ブギー・ダウン・プロダクションズの『CRIMINAL MINDED』、パブリック・エナミーの『YO! BUM RUSH THE SHOW』、エリックB&ラキムの『PAID IN FULL』、LLクールJの『BAD: BIGGER AND DEFFER』なんかがヤバいな。で、おまえは?
マイケル:ジェイムズ・ブラウンとアフリカ・バンバータの「Unity」かな。(ちょっと強めの口調で)ジェイムズ・ブラウンは超ヤバいよ。
ウェズリー:まあな……。

 両者の間に微妙な空気が流れる。マイケル、おめえちょっとズレてんだよ……。口には出さないが、これがウェズリー・スナイプスたち3人の正直な反応である。マイケルが学校でお勉強している間に、ストリートの音楽は大きく変わっていたのだ。

 お兄ちゃん、ちょっと古いんじゃない?──時代の流れを正確に感知していたのは、8歳下の妹、ジャネットである。彼女はジャム&ルイスと組み、'86年にニュー・ジャック・スウィングの先駆けと言うべき『CONTROL』でシーンの最前線に躍り出た。単純に『BAD』と『CONTROL』を較べる限りは、さすがに兄の方が貫禄勝ちしているように思われる。少なくとも'87年の時点では。しかし、より有利な場所に駒を進めていたのはジャネットの方である。'89年、ジャネットは完全ニュー・ジャック・スウィング仕様の『RHYTHM NATION 1814』で勝負をひっくり返し、以後、兄マイケルはもっぱら後手に回ることになる。

 姉のラトーヤも負けていなかった。同じ頃、彼女は『LA TOYA』でフル・フォースと手を組み、ヒップホップに対応したストリート感溢れるサウンドで新生面を開いた(ヴィデオは「The Way You Make Me Feel」のパクリだったが……)。それだけではない。マイケルが敬愛する御大ジェイムズ・ブラウンまでもがフル・フォースと組み、ヒップホップ仕様の快作『I'M REAL』でバリバリの現役ぶりを見せつけたのだ。いずれも『BAD』発表の翌年、'88年のことである。マイケルはあっという間に追い抜かれていった。

 『BAD』のサウンドの大部分は、シンクラヴィアという当時1台ウン千万円もした超贅沢なシンセサイザーを使って制作されている(『THRILLER』でも部分的に使われていた。「Beat It」イントロのゴング音がそれだ)。'80年代を象徴するようなこの高額機材を使い、マイケルがすべてを賭けて作り上げた『BAD』のハイテク・エレクトロニック・サウンドは、ヒップホップの強烈なビート感や、はき古したジーンズのような粗いサウンドがメインストリームを席巻すると同時に、一気に過去の遺物となってしまった。マイケルにしてみれば、全財産を注ぎ込んで手に入れた株が、いきなり大暴落したようなものである。ヤバい……。マイケルは別の意味でヤバくなってしまった。マイケルはシンクラヴィアと共に'80年代に取り残されてしまったのである(シンクラヴィアを開発したニュー・イングランド・デジタル社は'92年に事業停止。シンクラヴィアも製造が終了した)

 ソニーの『BAD25』公式サイトの謳い文句では、“WHO'S BAD?”という決め台詞に“最もイケてるのは誰?”という日本語が当てられている。“イケてる/イケてない”の話で言えば、『BAD』のマイケルはイケてなかったと私は思う。『BAD』は、確かにマイケルらしいアルバムではあるだろう。彼の作家性が強く出た作品なので、ファンが高く評価したがるのも分かる。ファンク色の強さゆえ、一部の黒人音楽好きが偏愛するのも分かる。しかし、『OFF THE WALL』や『THRILLER』にあったような(そして、次作『DANGEROUS』で復活することになる)全方位的な魅力は、明らかに減退している。誰がどこからどう聴いても納得するようなアルバムを作ってこそ“キング・オブ・ポップ”ではないのか。

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 『BAD』がいまひとつ万人の支持を得られなかった理由は、上記の“ズレ”の他にもうひとつ、ソングライティングにあると思う。

 『BAD』は全11曲中、9曲をマイケルが単独で書いている。1曲1曲は悪くないにしても、マイケルが書いた楽曲群はメロディや曲想の幅がそれほど広いわけではない。アルバム用に60曲以上を書き、33曲も録音したという話に人々は驚嘆するが、曲は多く作ればいいというものではない。今回発表されたデモ音源からも窺い知れるが、候補曲の多くは、同じアイデアや似たようなメロディの発展や改変によって成り立っていたはずである。いくら天才でも、1人の人間が一定期間に書ける曲の種類は限られている。同時期に書いた曲は、どうしても作風が似てしまうものだ。蔵出しされたボツ曲を実際に聴く限り、私にはどの曲も然るべき理由があってボツになったように思われる。録音状態も考慮しつつ、作品として出来が良いものから順に蔵出しされているはずなので、今後、ビックリするような名曲が出てくる可能性は低いだろう。60曲以上書いたと言っても、実際にアルバム収録に値する曲はほんの10数曲だったに違いない。

 『OFF THE WALL』や『THRILLER』では、複数のライターによるバラエティに富んだ楽曲群がバランス良く配置され、マイケルの多彩な魅力が巧みに引き出されていた。それに較べると、『BAD』はいかにも淡泊である。マイケル・ジャクソンという作曲家は、「Don't Stop 'Tll You Get Enough」「Billie Jean」「Smooth Criminal」のようなファンク系のリズミカルな曲には天才的なセンスを発揮するが、メロディメイカーとしては、どう贔屓目に見ても1.5流くらいだったと私は思う(決して馬鹿にしているわけではない。例えば、ジェイムズ・ブラウンは希代のメロディメイカーではなかったが、20世紀最高の音楽家であることに変わりはない)。いくら頑張っても、作曲家としてのマイケルのボキャブラリーには限界がある。1stシングル「I Just Can't Stop Loving You」は凡庸なバラードだった(と書くとマイケル信者の猛反発を喰らうだろうが、私には本当にごく普通レベルの曲にしか聞こえないのだ。何百回と聴くうちに愛着は湧いたが……)。60曲以上も書いておきながら、結局、アルバムのベスト・トラックが、グレン・バラードとサイーダ・ギャレットが書いた「Man In The Mirror」だったというのは実に皮肉な話である。

 もうひとつの外部ライター作品「Just Good Friends」は、スティーヴィー・ワンダーとのデュエットという以外に何の取り柄もない、単なる売れ線狙いのバブルガム・ポップである。いかにも急いで拾ってきたような曲だ。この曲が好きでたまらないという人はさすがにそういないだろう。どうしてこんな駄曲が収録されてしまったのか? 要するに、マイケルはスティーヴィーとのデュエット用に、最後までまともな曲を書けなかったということだろう。スティーヴィーはマイケルとのデュエット用に「Get It」という佳曲を余裕で書いた(『CHARACTERS』収録)。しかし、マイケルには遂に何も書けなかったのである。『BAD』の最大の欠陥がこれだ。マイケルが全曲を書くという方針がなければ、こんなことにはならなかったはずである。

 『BAD』は『THRILLER』を超えることを目標にしていた。が、結局、多くの点で超えることができなかった。マイケルに曲を書かせ過ぎたクインシー・ジョーンズのディレクションには問題があると思う。しかし、クインシーを責めるのはフェアではないだろう。『BAD』制作時のマイケルは、5年前とは比較にならないほどの権力を手にしていた。誰にも彼の創作意欲を止めることはできなかったに違いない。『BAD』はこうなるしかなかったのだ。

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 にもかかわらず、と言うべきか、だからこそ、と言うべきなのか、『BAD』はヤバいアルバムである。

 先述した通り、『BAD』の音楽性の直接的なルーツは'80年代前半のエレクトロ・ファンクである。マイケルのエレクトロ・ファンク志向は、『THRILLER』時代に録音されたYMOのカヴァー「Behind The Mask」('10年に『MICHAEL』で発表)にも顕著だ。その方向性を独自に発展させ、'80年代の音楽テクノロジーの粋を結集して出来たのが『BAD』である。クラフトワーク「Trance Europe Express」を引用したアフリカ・バンバータ「Planet Rock」(1982)が象徴的だが、'80年代エレクトロ・ファンクは、テクノ、ハウス、トランス、ダブステップ、ヒップホップ、R&Bといった欧米の様々なダンス・ミュージックが渾然一体となった、昨今の折衷的なポピュラー音楽──“EDM”というひどく曖昧なタームで括られている(“Electronic Dance Music”の略だが、意味は“リズム&ブルース”と“R&B”くらい違う)──のルーツとも言えるものである。

 『BAD』をいま聴き返して感嘆するのは、そのサウンドの先見性と独創性である。ヒップホップ最盛期の'80年代末から'90年代にかけては単なる時代錯誤な音にしか聞こえなかったが、現在の耳で聴くと、マイケルが遙かに大きなヴィジョンを持って『BAD』の桃源郷的フューチャー・サウンドを標榜したことに気付かされる。鬼の完璧主義で緻密に構築された音響芸術は、時代と共に風化するどころか、ますます輝きを増しているように思える。時代も人種も国境も超越する『BAD』のサウンドの圧倒的な世界観と完成度に、私は今更のようにビビっている。

 表題曲は、ジェイムズ・ブラウン「Super Bad」(1970)──“I got soul and I'm super bad(俺にはソウルがある。俺は超ヤバいぜ)”──のマイケル版である。攻撃的なグルーヴやオルガン使いもJB的だ。JBでもうひとつ忘れてならないのは、アフリカ・バンバータとの共演曲「Unity」(1984)。後の「Black Or White」にも通じる“和合”というコンセプトこそ、『BAD』の世界観を支えるものに違いない。

 イケてない、とか、曲がマズい、とか、色々と文句をつけてしまったが、発表から25年後に『BAD』を聴きながら、私はマイケルのガッツと志しの高さに改めて感動を覚える。『THRILLER』の後で全く守りに入ることなく、ここまで挑戦的なアルバムを作ったMJはやはりヤバかったと言うしかない。

(もちろん、話はこれだけでは済まない。MJが更にヤバいのは、『BAD』の後で単なる“孤高の人”になってしまわなかったところだ。彼は自分がイケてなかったことにきちんと気付くのである。'91年、MJはシーンの最前線に殴り込みをかけてくる。テディ・ライリーと共に!)


乾杯──MAKING A TOAST TO THE KING

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 最後に、「Speed Demon(スピード狂)」の歌詞を拙訳で紹介しておく。ネロ・リミックスでは芸術上の理由によりヴォーカル・パートが大幅にエディットされているが、折角なので、ここではノーカットのオリジナル版を取り上げることにしたい(原詩は『BAD』'87年初出時のブックレットの記載に準じる)。この曲でマイケルがモーターバイクを駆りながら目指している“border”とは、もちろん、国境、人種の壁、芸術的制限といったあらゆる境界を意味するものだろう。制限速度を超え、何ものも恐れることなく境界突破に挑むMJの爆走感を日本語で実感してもらえれば幸いである。

 結論──やはりマイケルは超ヤバい。誰にも王冠を奪うことはできないだろう。キングに乾杯。THE WORLD IS STILL YOURS, MJ!


 Speed Demon
 (Michael Jackson)

 I'm headed for the border
 It's on my mind
 And nothin' really matters
 I've got to be on time
 Look in the view mirror
 Is he hot on my tracks
 Is he getting nearer
 I feel some heat is on my back
 
 国境突破
 それしかない
 捕まるもんか
 遅れるわけにはいかない
 バックミラーを覗く
 奴は追ってくるか
 迫ってきてるか
 背中が火照ってきたぜ
 
 (Speed demon)
 Speedin' on the freeway
 Gotta get a leadway
 (Speed demon)
 Doin' it on the highway
 Gotta have it my way
 (Speed demon)
 Mind is like a compass
 I'm stoppin' at nothin'
 (Speed demon)
 (He say) Pull over boy and get your ticket right...
 
 (スピードの神)
 高速をぶっ飛ばし
 先頭を切る
 (スピードの神)
 ハイウェイをぶっちぎる
 俺の走りを見せてやる
 (スピードの神)
 心に浮かぶ羅針盤
 標識もお構いなし
 (スピードの神)
 (奴は言う)坊主 停まって違反切符を受け取りな
 
 And nothin' gonna stop me
 Ain't no stop and go
 I'm speedin' on the midway
 I gotta really burn this road
 
 誰も止められない
 信号も関係ない
 俺はとことん飛ばす
 この道を焼き焦がしてやる
 
 (Speed demon)
 Speedin' on the freeway
 Gotta get the leadway
 (Speed demon)
 Doin' it on the highway
 Gotta have it my way
 (Speed demon)
 Mind is like a compass
 I'm stoppin' at nothin'
 (Speed demon)
 (He say) Just, pull over boy and get your ticket right...
 
 (スピードの神)
 高速をぶっ飛ばし
 先頭を切る
 (スピードの神)
 ハイウェイをぶっちぎる
 俺の走りを見せてやる
 (スピードの神)
 心に浮かぶ羅針盤
 標識もお構いなし
 (スピードの神)
 (奴は言う)さあ坊主 停まって違反切符を受け取りな
  
 Speed demon, you're the very same one
 Who said the future's in your hands
 The life you save could be your own
 You're preachin' 'bout my life like you're the law
 Gonna live each day and hour like
 For me there's no tomorrow
 
 スピードの神さんよ あんたはこう言った
 未来はおまえ次第
 命あっての物種だ、と
 お巡りみたいにあれこれ説教垂れるが
 俺はその日その時を生きるだけ
 俺に明日はないのさ
 
 Go! Go! Go! Aaow!
 
 行くぜ! 行くぜ! 行くぜ! アオゥ!
 
 (Speed demon)
 Speedin' on the freeway
 Gotta get a leadway
 (Speed demon)
 Got fire in my pocket
 I just lit a rocket
 (Speed demon)
 (He say) Just, pull over boy and get your ticket right
 (Speed demon)
 (He say) Pull over boy and get your ticket right
 (Speed demon) Just, pull over boy and eat your ticket
 (He say) Pull over boy
 (He say) Pull over boy
 And get your ticket right
 Ugh!
 Aaow!
 Uhh!
 Hoo!
 Get your ticket right
 (He say) Pull over boy - get your ticket right
 (He say) Pull over boy and get your ticket right
 (He say) Pull over boy
 (He say) Pull over boy and get your ticket
 Eat your ticket
 Get your ticket
 Eat yo', get yo', Hoo! Aaow!
 Get your ticket right

 (スピードの神)
 高速をぶっ飛ばし
 先頭を切る
 (スピードの神)
 ライターを取りだし
 ロケットに点火
 (スピードの神)
 (奴は言う)さあ坊主 停まって違反切符を受け取れ
 (スピードの神)
 (奴は言う)坊主 停まって違反切符を受け取れ
 (スピードの神)さあ坊主 停まって違反切符を喰らえ
 (奴は言う)停まれ 坊主
 (奴は言う)停まれ 坊主
 さあ違反切符を受け取るんだ
 ウッ!
 アオゥ!
 アァッ!
 フーッ!
 違反切符を受け取れ
 (奴は言う)坊主 停まれ 違反切符を受け取れ
 (奴は言う)坊主 停まって違反切符を受け取れ
 (奴は言う)坊主 停まれ
 (奴は言う)坊主 停まって違反切符を受け取れ
 切符を喰らえ
 切符を受け取れ
 喰らえ 受け取れ フーッ! アオゥ!
 違反切符を受け取れ



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