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Sinead O'Connor──ありがとうの歌

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 前回記事“シャーデーの白いドレスの行方”でシニード・オコナーについて書いた。その中でも軽く触れたが、彼女の傑作のひとつに「Thank You For Hearing Me」という曲がある。ローマ教皇写真引き裂き事件から2年後に発表されたアルバム『UNIVERSAL MOTHER』(1994)からの1stシングルだった彼女のオリジナル作である。シニード・オコナーという人は、知名度の割りに、肝心の音楽作品となると一般的にはプリンス楽曲のカヴァー「Nothing Compares 2 U」(1990)くらいしか知られていないようなところがある。私は決してシニードの大ファンというわけではないし、彼女の作品もそれほど聴いているわけではないのだが、この「Thank You For Hearing Me」は本当に多くの人に聴かれるべき名作だと思うので、前回記事のおまけとして拙訳で紹介しておきたい。

 「Thank You For Hearing Me」は歌詞もメロディも至ってシンプル。ダブの影響を受けた重心の低い緩やかなビート、聴く者を優しく包み込むようなアンビエント、延々と続く循環コードの上に、“あなた”に対する感謝の言葉がひとつひとつ丁寧に並べられていく。“ありがとうの歌”という邦題をつけたくなる、まるで童謡のように素朴な歌だ(井上陽水奥田民生「ありがとう」は、この曲に触発されているかもしれない)。宗教色・政治色の強いシニードの作品は日本人にとっては取っつきにくいところがあるが、ここで歌われている“ありがとう”の気持ちは、私たち日本人の心にも深く染み込むものだろう。

 原詩は『UNIVERSAL MOTHER』ブックレットの記載に準じる。拙訳ではできるだけ表現を簡潔にすることを心掛けた。“ありがとう”という言葉の素晴らしさ、大切さを、祈りにも似たシニードの力強い歌声と共に噛みしめたい。


 Thank You For Hearing Me
 (O'Connor/Reynolds)
 
 Thank you for hearing me
 Thank you for loving me
 Thank you for seeing me
 And for not leaving me
 Thank you for staying with me
 Thank you for not hurting me
 You are gentle with me
 Thanks for silence with me
 Thank you for holding me
 And saying I could be
 Thank you for saying baby
 Thank you for holding me
 Thank you for helping me
 Thank you for breaking my heart
 Thank you for tearing me apart
 Now I've a strong strong heart
 Thank you for breaking my heart
 
 聞いてくれて ありがとう
 愛してくれて ありがとう
 会ってくれて ありがとう
 捨てないでくれて ありがとう
 一緒にいてくれて ありがとう
 傷つけないでくれて ありがとう
 あなたは私にやさしい
 無言でいてくれて ありがとう
 抱きしめてくれて ありがとう
 励ましてくれて ありがとう
 呼びかけてくれて ありがとう
 抱きしめてくれて ありがとう
 支えてくれて ありがとう
 悲しませてくれて ありがとう
 苦しませてくれて ありがとう
 おかげで私はとても強い心を持てた
 悲しませてくれて ありがとう
 
 
 シニードがこの歌を誰に向けて歌っているのかは分からない。もちろん、誰であっても構わないのだが、彼女の生い立ちを考えると、自分の両親──特に母親('85年に交通事故で亡くなった)──に向けて書かれた歌ではないかという気がする。

 シニードの両親は彼女が8歳の時に離別した。母親に引き取られたシニードは、父親と暮らすようになる13歳まで、母親から酷い虐待を受けて育った。それでも彼女は母親を憎むことなく、理解し、愛しているという。この曲のために作られた2つの音楽ヴィデオ──ひとつはシニードを胎児のように、もうひとつはシニードを孤児のように描いている──を見ると、“あなた”が母親であるような印象は更に強まる。

 ベルギーのHumoという週刊誌の'91年9月号で、幼年期に受けた虐待や母親との関係についてシニードが詳しく話している。参考までにそのインタヴュー記事の一部を以下に訳出しておく(オランダ語の原文から翻訳されたネット上の英文記事に基づく)。但し、この歌をシニード個人の人生と結びつけて聴く必要は全くない。“あなた”は、親でも友人でも恋人でも誰でも構わないのだ。「Thank You For Hearing Me」は、誰にとっても意味を持ち得る本当に普遍的な名曲である。



Sinead O'Connor on Child Abuse
シニード・オコナー、児童虐待について語る

Interview by Bob Guccione Jr.
Excerpt from the Belgian magazine Humo, September 1991

●あなたが受けた虐待はどのようなものだったのですか?

「ありとあらゆる虐待を経験したわ。私の母はとても不幸な人で、たくさん暴力を振るった。彼女はどうやって生きればいいか分からなかった。もちろん、彼女自身の生い立ちのせいでそうなったのよ。私はそこら中にある色んなもので叩かれた。ご飯も食べさせてもらえなかった。食事も着る服もないまま、何日も自分の部屋に閉じ込められたわ。夜は庭で寝るしかなかった。夏の間はずっと家の庭で寝ていたわ」

●何歳くらいの頃の話?

「12歳の頃ね。でも、それ以前から私たち兄妹は庭で寝させられて、食事も与えられなかった。精神的にも虐待を受けたわ。おまえはダメだ、おまえはクズだ、お父さんと別れることになったのはおまえのせいだ、といつも言われてた。おまえは不潔だ、おまえは汚い、おまえは頭がおかしい、とかね。私は大抵クズ扱いだった。私が女の子で、いつもヘマばかりしていたからよ」

●あなたが一番年上だったんですか?

「いえ、一番上は兄。私は毎日ぶたれたし、他の兄妹も同じようにぶたれた。すごく酷く。年がら年中ずっと怯えてたわ。母が階段を上がってくる足音がしただけで私たちは震え上がった。私たちはなおざりにされ、ぶたれ、精神面・情緒面で虐待を受けた」

●いつまで続いたんですか?

「私が母の家を出た13歳の時。言っておきたいんだけど、私はこの問題を家族と話し合い、皆で克服したのよ。私は自分の父と母をとても愛してる。私が今してるのは、“あんちくしょう”とか“可哀想な私”とか、そういう話じゃない。家族のためにもそこははっきりさせておきたいわ。同じ問題を抱える他の人たちのためにもね。私はいつも盗みをすることを促されてた。というのも、お金とか何か物を持って家に帰るとぶたれずに済んだからよ。それで私と妹は盗みを犯した。夜中の2時前に寝ることはなかったし、宿題も全然やらなかった。だから私は卒業証書なんか1枚も持ってない。私たちはいつも病んでたし、本当に無茶苦茶だった。おかげで家を出る頃には自分のことも自分の行いも分からないような有り様だった。盗みのせいでしょっちゅう警察の世話になってたし。だから父親と暮らし始めた時はいきなり解放されて、どうすればいいか分からなかった。で、私は学校をサボり、また盗みを始めた。でもって、素行不良で女子感化院に送られたわ。そこで再教育されるわけね。だけど、私は再教育なんかされなかったし、他の子たちもそうだった。先生はいい人たちだったけど、誰も私には構ってくれなかったし、社会に出られるよう面倒も見てくれなかった。私は自分の性格のせいで叱られたり、拒絶されてばかりいた。私がそうなったのは両親のせいだし、私の両親がそうなったのは社会のせいなのよ。子供を親から引き離せば済むという問題じゃない。親にもまた助けが必要なの。親から子供を引き離すとか、隔離するとかで済むことじゃない。子供たちが本当に救われるためには、法が変わらないといけないのよ。近所に叫び声が聞こえていたせいで、私の家には度々お巡りさんがやって来たんだけど、“大丈夫ですか?”と訊かれても私たちはビクビクするだけだった。大丈夫じゃありません、とは言えなかったし、言ったところでどうにもならないからよ。警官が何度来ようと、大丈夫じゃないと言えばぶたれまくるから、私たちは“はい、大丈夫です”と答えた。で、彼らは帰っていく。警察には何もできないのよ。子供を持つ女性にはもっと国の援助があるべきだわ。子供を持つと女性は自分を見失ってしまう。女は毎日24時間家にいるべきだ、なんて言われるのは良くないことよ。女にだって自分らしく自分自身の人生を送る権利がある。政府にはその手助けをして欲しい。私は子供の時、自分が醜い人間で、自分の身体を恥ずべきだといつも言われた。もしそう思わないなら、おまえは淫売だ、クズだ、とね。互いに愛し合い、理解し合う人間同士にとってセックスが自然な行為だということも、私は一切教わることがなかった。誰かとセックスをしたっていい、それが当たり前なんだということを、私はメディアを通して知った。ロックンロールもそのことを教えてくれたわね」

(中略)

●児童虐待はどこまで意識的なものだと思いますか?

「全く意識的ではないわよ。彼らは皆、自分の子供を持ったアダルト・チルドレンなのよ。ちっとも意識的なんかじゃない」

●この件についてお母さんと話したことは?

「ないわ。話し合えるようになる前に母は亡くなってしまったから。でも、私がどう思ってるか母は分かってくれてるはず。父とはこの件についてたくさん話したわ。ちっとも意識的ではなかったのよ」

●お父さんは虐待についてご存じだったんですか?

「ええ、知ってたわ。父は本当に最善を尽くしてくれたし、自分に出来る限りのことをしてくれた。ちっとも意識的ではなかったのよ」

●お父さんが家へやって来て私を連れていってくれたら、と切望したことはありませんでしたか?

「父は現にそうしてくれた。でも、私たちは母親なしでも生きられなかったのよ」

●いっそ戻りたいと思いました?

「ええ。つまりね、子供を母親から父親、父親から母親のもとに移すのではなく、親自体を救わないとダメなのよ。助けが必要なのは親の方なの。虐待は意図的に行われるものじゃない。そこが悲しいところね。彼らは犠牲者なのよ。悲しいことに」

●今、お母さんと話せたらと思います? ここにいてくれたらと思います?

「いいえ。母にとっても私にとってもこの方がいいのよ。母がこの世にいない今、私は生前よりも母と良い関係を持ててる。亡くなる前、母と話したことを覚えてるわ。“なんで私たちをぶったの?”と訊くと、母は“おまえたちには何もしちゃいないよ”と言った。母は自分が何もしていないと思い込んでた。彼女にはあまりに怖ろしすぎて問題と向き合うことができなかったのよ。私たちをぶった時、母はとても悲しんでいたということが私には今はっきり分かる。暴力を振るった後で、母がいつもひどく取り乱していたという話を父からも聞いてるし。父も言ってたけど、母は不幸になる定めだったのだと思う。幸せになれる可能性はあったし、人生の中で色んなチャンスもあったでしょう。私の場合と同じようにね。でも、母は幸せになれなかった。自分の感情を表現できず、愛情を注ぐことができなかった。子供の頃、母は何かと虐待を受けた。母には愛情を表現する術がなかった。どうすればいいか分からなかったのよ。私は母を愛してる。私はずっと母を愛してきた。母が本心からそんなことをしているわけではないと私はいつも分かってた。ぶたれた時でもね。私は母を憎んだことはない。恨んだこともない。自分自身のせいで苦しみ、母には自分のしていることが分からなかったということを私はいつも理解してたわ」





Thank You For Hearing Me (The Jon Stewart 1994)
Thank You For Hearing Me (MTV 1994)
Thank You For Hearing Me (Pinkpop 1995)
Thank You For Hearing Me (Music Video)
Thank You For Hearing Me (Music Video - Unreleased Rare Version)
Thank You For Hearing Me (Full Album Version - Audio Only)



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