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君が誰かを愛しはじめたとき──山口百恵に捧げる歌 by 宇崎竜童



「“横須賀ストーリー”というタイトルの曲が、私の手元に届けられたのは、十七歳の春だった。
 白いつなぎにリーゼントで“スモーキン・ブギ”を歌っていた、宇崎さん率いるダウンタウンブギウギバンドとは、それまでにも歌番組等で何度か顔を合わせていた。
 言葉を交す機会には、なかなか恵まれなかったのだが、ある時、私のラジオ番組の録音スタジオに宇崎さんが立ち寄った。
 『ドラマ、見てますよいつも。
  いいですねェ』
 つぶやくように、ほんとうにテレくさそうに言って下さった。
 それからしばらくして、私のデビューから約三年続いたラジオ番組が終了する、その最終回の録音の日、地方のコンサートを終えた宇崎さんがスタジオに駆けつけて下さった。
 ギターを一本かかえて、即興で作った歌を歌ってくれた。
 短い歌だった。
 おとなになりかけている少女に、もし恋をしたら、何も出来ないけど俺に話してくれるかい? と問いかけた静かな曲だった。
 ほのぼのと、暖かいものに包まれた思いがした。
 宇崎さんの曲を歌ってみたい──。
 誰かの曲を歌いたいと自分で思ったのも初めてなら、マネージャーやディレクターに、積極的に希望を伝えたりしたのも、この時が初めてだった」

 引退から5年後、'85年に出版された阿木燿子の山口百恵作品集『プレイバック PART III』(新潮社)に寄稿された解説文(あとがき)の中で、主婦の三浦百恵さんは宇崎竜童との出会いをこう振り返っている。“十七歳の春”というのは、'76年春のことである。その年の6月21日、阿木燿子+宇崎竜童の作による初のシングル曲「横須賀ストーリー」が発売され、山口百恵は少女アイドルから脱皮して、大人の歌手への道を歩き始めた。

 この手記の中でも語られている通り、宇崎竜童への作曲依頼は山口百恵本人の希望によるものだった。そのきっかけのひとつとして、百恵は自分のラジオ番組の最終回で宇崎が歌ってくれた即興曲について回想している。10年近く経っても曲の特徴を具体的に記憶しているくらいなので、よほど印象深かったのだろう。“宇崎さんの曲を歌ってみたい”と百恵に思わせた即興曲とは、一体どのようなものだったのか?

 宇崎のこの即興曲についてはこれまでずっと詳細が不明のままだったが、なんとつい先頃、当時のラジオ音源が奇跡的に発掘された。「横須賀ストーリー」前夜の'76年春、宇崎竜童が山口百恵に捧げた幻の名曲が、37年の時を超えて今、蘇る!


山口百恵のラブリータイム──最終回('76年4月3日放送)

 山口百恵が当時やっていたラジオ番組は、毎週土曜夕方に放送されていたニッポン放送の〈山口百恵のラブリータイム〉である。'75年11月8日から約半年続いたレギュラー番組だが、それ以前の'74年4月6日〜'75年10月25日にも同じ放送枠で〈山口百恵のモモモモ30分〉という番組をやっていたので、合わせると丸2年続いたことになる(“私のデビューから約三年続いたラジオ番組”という百恵の記述は誤り。デビュー約1年後から丸2年続いた、が正しい)。パーソナリティは百恵1人だけで、レコードや葉書の紹介、リスナーが作った詩を朗読するコーナーなどで構成された30分番組だったようだ。宇崎竜童がゲスト出演した〈山口百恵のラブリータイム〉最終回は、'76年4月3日に放送された。

 恐らくニッポン放送にも録音が残されていないだろうこの幻の番組最終回。'76年4月の放送時、これをカセットテープに録音したファンがいた。テープは37年間も保存され、'13年1月、遂に陽の目を見ることになった。番組をほぼ完全収録したその貴重な音源(25分)を、現在、私たちはYouTubeで聴くことができる。受信・録音状態は決して良くないが、これは奇蹟の音源と言っていい。

 最新シングル「愛に走って」('76年3月21日発売)で番組は始まり、リスナーの葉書紹介に続いて、百恵が軽く近況報告──映画『エデンの海』('76年4月24日公開)の撮影で伊豆へ2日間行ってきた云々──を行い、番組が今日で終わることを告げている最中、前橋から駆けつけたという宇崎竜童が突然スタジオに現れる。百恵と宇崎はそれ以前にも〈夜のヒットスタジオ〉('75年2月17日放送回。これが両者の初対面)や、雑誌『明星』('75年7月号)の対談などで面識があった。“嬉しいな、どうしよう、やだ〜”と感激する百恵に対して、宇崎は“今日、終わりだっていうからさ……また今日、綺麗ですね!”といつも通り軽口を叩く。当然、百恵は宇崎がゲスト出演することを事前に知っていただろうが、実際にスタジオに現れた彼を見てかなり感激したらしく、喋りながらちょっと鼻をすすっている。

 番組を2年間続けてきた感慨を百恵が喋った後、宇崎がギターを持ち出して件の即興曲を披露する。“あのさ、俺、僭越ながらね、山口百恵さんに捧げる歌っていうの作ってきたの。大した歌じゃないんですよ。今、チョロチョロって作ったからね。これは、捧げるっていうよりか、俺の気持ちなんだよね”と前置きしてから、宇崎はアコギを弾き始める。メジャー調のコード、緩やかなテンポの伴奏に乗って、彼はソフトにこう歌う。

 そうさ 君は知らないはずさ
 あの頃はただ可愛くて
 そうさ 俺の知らないうちに
 とても近づけないほど
 君は大人になってしまった
 わかってほしいなんて思えないけど
 君が誰かを愛しはじめたときは
 俺に伝えてくれるかい?

 題名もない60秒の小品。“わかってほしいなんて思えないけど”以下がサビで、これでちょうどワンコーラス分である。雰囲気的にはダウン・タウン・ブギウギ・バンド「知らず知らずのうちに」('73年12月発売)、「涙のシークレット・ラヴ」('76年7月発売)などにも通じる、穏やかで古めかしいロッカ・バラード調の曲だ。熱さを増すサビの展開も含め、楽曲的に最も近いのは、同時期に発表された「裏切者の旅」('76年3月5日発売)だろうか。“おとなになりかけている少女に、もし恋をしたら、何も出来ないけど俺に話してくれるかい? と問いかけた静かな曲”という主婦の三浦百恵さんの証言と完璧に一致する曲である。

 歌い終えた後、宇崎が百恵に対する自分の気持ちを語る。当時、宇崎竜童30歳、山口百恵17歳。宇崎は13歳も年が離れていることに照れつつ、自分が百恵に憧れを持っていること、自分が彼女のファンであることをストレートに伝える。彼はこの番組に以前にもゲスト出演したことがあったらしく、最後だったら出して欲しいと番組担当者に自ら申し出たのだという。“陰ながら応援してます。番組は終わってしまいますけど、頑張ってください”と激励された百恵は、感無量といった感じで鼻をすすって言葉を詰まらせている。彼女が宇崎竜童の歌と言葉に感動しているのは明らかだ。その後、百恵の曲紹介と共にダウン・タウン・ブギウギ・バンドの最新曲「裏切者の旅」が流され、番組は前半を終える(ちなみに、番組後半では百恵が自分で書いたという詩を披露している。少女チックなかなり恥ずかしい詩だ。他人の私が聴いても赤面するくらいだから、本人が今聴き返したら悶絶するかもしれない)

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 宇崎が即席で作ったという歌を聴きながら、私は不覚にも17歳の百恵と一緒に感動してしまった。いかにも“一筆書き”といった感じの小品だが、そこが良い。言葉の情感とメロディの展開が完璧に同期した楽曲は、さすが宇崎竜童と思わせる。シンプルなようだが、純粋にメロディだけを取りだして聴くと、ちょっと奇妙な捻れを感じる。特に“俺に伝えてくれるかい?”と問いかける結びのメロディが変だ。普通、作曲家がインスト曲としてこういうメロディを書くことは絶対にないと思う。宇崎は別に奇を衒って屈折したメロディを考えたわけではないだろう。恐らく単に、言葉のニュアンスをそのまま素直にメロディに落とした結果が、これなのだ。唐突に強調される“なってしまった”の一節に、百恵の成長に対する宇崎の驚きと困惑が、“伝えてくれるかい?”でジワッと上昇するメロディに、百恵に対する宇崎の秘かな、しかし、熱い思いが確かに感じられる。ここぞというところで使われるセブンスの哀切な響きも実に良い。

 作詞作曲が同一人物の場合、歌詞と曲は同時進行で作れるが、どちらかと言うと、この歌は歌詞が先行して生まれたと思う。言葉遣いや文脈が非常に自然だからだ。そのまま手紙に書いて渡してもメッセージとして成立するような、立派な日本語の文章である。まず最初に、言いたいこと、伝えたいことがある。そして、すべての音符は、その言魂(言葉のソウル)から導き出される。

 ダンスの振付に関して、マイケル・ジャクソンはこんなことを言っている。

「音楽に動きを押しつけようとしちゃダメだ。音楽にどうして欲しいか語らせるんだ。きちんと耳を傾ければ、音楽がすべて教えてくれる」(マイケル・ジャクソンの振付師、ヴィンセント・パターソンの回想/28 April 2008, Thrillercast)

 分野は異なるが、宇崎竜童も全く同じ姿勢で作曲を行っていると思う。阿木+宇崎が書いた百恵作品は、基本的に詞先で作られている。まず阿木燿子が歌詞を書き、それに宇崎が曲をつける。例えば、代表曲「横須賀ストーリー」についてインタヴューで訊かれると、宇崎は阿木から渡された歌詞原稿を見た時、“これっきり これっきり もう これっきりですか”という字面に音符が乗っているのが見えた、あのフレーズにはあのメロディしかない、という話を必ずする。彼は言葉の意味や語感をそのまま音符に置き換えるのである。歴とした歌でありながら、メロディの抑揚には、歌い手が普通に喋って語りかけるかのような自然さがある。だから、宇崎の書く歌は聴き手の心に深く刺さる。

 阿木+宇崎コンビはたくさん変な歌を作っている。そもそも、阿木燿子という作詞家が規格外の歌詞を書く人である。1番と2番で字数を合わせなかったり、およそ歌詞らしくないようなフレーズを平気で書く。宇崎は阿木の無茶振りに対しても、飽くまで“言葉を音符に置き換える”という方法で応じる。「絶体絶命」「愛の嵐」といった同コンビによる百恵作品は、言葉なしには生まれ得なかった異形の宇崎楽曲の最たる例だろう。常識的な音楽センスでは絶対に作れない、とにかく圧倒的に変な曲である。

 “どうしてこんな変な曲を?”と問われれば、宇崎はマイケル・ジャクソンと同じように答えるだろう。以下は、踊りながら股間を掴む理由について訊ねられたマイケルの返答である。

「どうして股間を掴むのかって(笑)? 無意識にやってしまうんですよ。踊ってる時、ダンサーは音楽を奏でているサウンドを表現するわけです。ノリのいいベースであれば、自分もベースになる。チェロとか弦楽器なら、それになる。そのサウンドが表す情感になりきるわけです。つまり、僕が踊りながら(股間を)“バーン!”って掴んだら、それは音楽がそうさせているということなんです。掴もうとして掴むわけじゃない。あまりいい場所じゃないですしね。考える間もなく、そうなっているんです。後から映像を見て、“こんなことやったの?”って驚くことがありますよ。僕はリズムの奴隷なんです」(10 Feburary 1993, Michael Jackson Talks... To Oprah)

 言葉をそのままメロディにしているだけだから別に大したことじゃない、というように宇崎は謙遜するのだが、もちろん、それは凡人に容易にできる業ではない。音楽を聴いて、誰もがマイケル・ジャクソンのように踊れるわけではないのと一緒だ。音楽を肉体の動きに、言葉を音符の配列に正確に変換するには、多くの芸術的体験と鍛錬、高い集中力、そして、やはり天賦の才が必要である。マイケル・ジャクソンや宇崎竜童のような人間のことを、私たちは“天才”と呼ぶ。


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 “宇崎さんの曲を歌ってみたい”と百恵に思わせた即興曲。百恵がそう思ったのは事実だろうが、実際のところ、百恵サイドから宇崎に曲が発注されたのは、'76年4月3日放送〈山口百恵のラブリータイム〉最終回よりも前のことだった。

 放送から僅か18日後の'76年4月21日に発売された山口百恵のアルバム『17才のテーマ』には、百恵のキャリアで初となる阿木+宇崎作品が3曲収録されている。「木洩れ日」「碧色の瞳」「幸福の実感」がそれだ。阿木+宇崎は『17才のテーマ』用に全部で4曲を書き下ろしたが、1曲だけアルバムに採用されなかった。不採用の1曲は、言うまでもなく「横須賀ストーリー」である。あまりにも出来が良かったため、「横須賀ストーリー」はしばらく温存された後、'76年夏期の勝負曲として6月21日にシングルとして発売されることになった。〈山口百恵のラブリータイム〉最終回の放送は、その温存期間中に当たる。事実、宇崎は放送の中でこう喋っている。

「これは発表していいのかどうか分かんないけど──これは採用されようがされまいが俺は構わないんだけど──曲、書かしてもらったしね……。で、とっても俺は嬉しいんだ」

 なので、百恵はこのラジオ番組収録の時点で既に「横須賀ストーリー」のデモを聴いているし、恐らく既にレコーディングも済ませている。但し、「横須賀ストーリー」が採用されるかどうか、この時点では──少なくとも宇崎には──まだ分からないのだ。両者の運命が大きく変わろうとしている時期の、本当に貴重なラジオ音源である。

 ちなみに、'03年に発表された宇崎竜童のアルバム『THE WAYHOME 途上にて』には、宇崎が同じように百恵に捧げた「GIFT〜山口百恵さんに感謝をこめて」という歌が収録されている(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童)。そこで宇崎は“あなたに出逢わなければ 今の俺は居ないのさ/いくら感謝しても し切れるものじゃない”と歌い、“才能も運も今振り向けば あなたからのプレゼント/ありがとうという素敵な言葉 教えてくれて ありがとう”と百恵へ感謝の気持ちを捧げている。山口百恵を巡る宇崎竜童の偉大なキャリアは、百恵との別れの後に書かれた「GIFT」と、出会いの時に書かれた「君が誰かを愛しはじめたとき」(と仮に呼んでおく)という2つのブックエンドによって、歴史の中に美しく収まるだろう。


そうさ 宇崎竜童は知らないはずさ

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僕、覚えてないんですけど──自分で作った曲を忘れている宇崎('09年10月、赤坂)

 ところで、作者の宇崎竜童自身は、百恵に贈った即興曲のことをてんで覚えていない。百恵のラジオ番組にゲスト出演したことすら記憶にないようだ。'09年、引退以来29年ぶりに百恵とプライベートで再会した際、宇崎は百恵からこの即興曲の話を聞かされている。

「百恵さんの番組に僕が出してもらったんですって……僕、覚えてないんですけど。ゲストで行った時に、短い曲をプレゼントしたらしいんですよ。それが〈港のヨーコ〉とはまた全然違うバラードみたいな曲だったんで、それで“この人に頼んだら色んな曲を書いてもらえるのかな”と思った、というようなこともおっしゃってました」(DVD『ザ・ベストテン 山口百恵』特典映像インタヴュー/'09年10月収録)

 '09年の再会時に百恵が宇崎に話したことは、『プレイバック PART III』の記述と大体同じ内容だったのではないかと思う。百恵は30年以上経っても宇崎の即興曲を忘れていなかったのだ。

 現在、宇崎竜童は、'76年に山口百恵のために作り、すっかり忘れていた自作曲をYouTubeで聴くことができる。もし聴いたなら、ギターを手に取り、もう一度歌ってみよう。そして、百恵に対する当時の自分の気持ちを思い出しながら、新たに2番の歌詞を書いてみよう。37年越しで完成した“山口百恵さんに捧げる歌”は、川瀬泰雄のプロデュースで正式に録音し、シングルとして発売する(「GIFT」、あるいは、「木洩れ日」の自演版を録音してカップリングにするといい)。これはもしかすると、宇崎と同じく今年でデビュー40周年を迎えたあの人への最高のプレゼントになるかもしれない。


山口百恵ラブリータイム最終回
('13年1月8日投稿。25分6秒。宇崎の即興曲は9分過ぎから始まる)

百恵ラブリータイム
(発掘音源に関する投稿主sakaeさんの'13年1月8日付けブログ記事)

※'76年4月3日という放送日は、『完全記録「山口百恵」』第1巻掲載の年表から特定した。この年表の情報は当時の新聞のラテ欄を参照したものなので、信用してまず間違いない(第3巻のラジオ番組資料には、放送期間の情報に部分的に誤りがある。年表の情報が反映されていないのが残念)。


無題──山口百恵さんに捧げる歌、
っていうよりか、俺の気持ち
(1976)
作詞作曲:宇崎竜童

E C#m A B
E        C#m
そうさ 君は知らないはずさ
G#m C#m F#m B
あの頃はただ可愛くて
E        C#m
そうさ 俺の知らないうちに
A     G#m
とても近づけないほど
F#m G#m C#m G#m C#m
君は大人に  なってしまった
A       C#m G#m C#m
わかってほしいなんて 思えないけど
E   F#m G#m     C#m
君が誰かを 愛しはじめたときは
F#m7 G#m7 C#m G#m 
俺に伝えて   くれるかい?
C#m A Bm7 C#m

さあ、君も百恵ちゃんへ思いを込めて歌ってみよう!

※余談だが、E-C#m-A-B(1-6-4-5)というイントロのコード進行は、ドゥワップ〜オールディーズでよくある超定番の進行である。代表的なところでは、ベン・E・キング「Stand By Me」(1961)、サム・クック「Wonderful World」(1960)、マーヴェレッツ「Please Mr. Postman」(1961)、ロネッツ「Be My Baby」(1963)などにこの進行が使われている(「Be My Baby」はキーも一緒)。やや古いところでは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもお馴染みのペンギンズ「Earth Angel」(1954)、エルヴィス・プレスリー版の「Blue Moon」(1956)、新しいところではポリス「Every Breath You Take」(1983)、マドンナ「True Blue」(1986)などがある。ビートルズだと「This Boy」(1963)や「Happiness Is A Warm Gun」(1968)がこれだ。
 宇崎竜童は、実は「涙のシークレット・ラヴ」でもこのコード進行を使っている。キーもEなので、「涙のシークレット・ラヴ」から百恵へ捧げる即興曲が生まれたとも考えられる。同曲がシングル発売されたのは「横須賀ストーリー」発売のちょうど1ヶ月後、'76年7月20日だが、初出は'75年12月5日発売の3rdアルバム『ブギウギどん底ハウス』である(百恵が宇崎の曲を歌いたいと思ったきっかけは「涙のシークレット・ラヴ」だったという俗説もある。自宅で『ブギウギどん底ハウス』を聴く百恵16歳の姿を想像すると、なんか笑ってしまう)。あと、井上陽水「夢の中へ」(1973)も同じ進行を使った曲だ。




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