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The Nicholas Brothers (part 3)

Risposta
The Nicholas Brothers in the movie "Botta E Risposta" (1950)

 『遥かなるアルゼンチン』(1940)から『ストーミー・ウェザー』(1943)まで、計6本の20世紀フォックス作品に出演して怒濤の快進撃を見せたニコラス兄弟。しかし、そこからパタリと出演作が途絶えてしまう。なぜか?

 実は、第二次世界大戦のためフェイヤードが徴兵され('43年3月)、ニコラス兄弟としての芸能活動が継続不能になったのである。ハロルドは身体検査の結果、100ポンド(約45キロ)未満だったため兵役を免除された。検査医師はハロルドのがっしりした肩を見て、3回も測定したという(5フィート2インチ=157.5cmという身長が、最低基準に1インチ足りなかったため免除されたという説もある。いずれにせよ、あまりにも小柄だった)。115ポンド(約52キロ)だったフェイヤードは、当初ミシシッピで洗濯要員として働かされたが、最終的にアリゾナ州のフォート・ワチューカに送られ、兵士のために芸を披露する特別任務に就いた。
 フェイヤードの不在中、ハロルドは『Reckless Age』(1944/ユニヴァーサル)と『Carolina Blues』(1944/コロムビア)にソロで出演している。

 '44年4月にフェイヤードが放免されて帰ってきた後も、しかしながら、ニコラス兄弟の黄金時代が戻ることはなかった。ダンサーとして脂の乗った時期だったにもかかわらず、20世紀フォックスは彼らと契約を更新しなかった。

 黒人のニコラス兄弟がハリウッドの白人映画にこれだけ多く出演できた理由には、彼らの芸の素晴らしさはもちろんとして、他にもうひとつ、彼らの若さが重要な要素として挙げられる。いくらスペシャルティ枠の芸人とはいえ、社会的な力を持ちうる成熟した大人の黒人が白人とタメを張るのは、当時のハリウッドの風潮からすればよろしくないことだった。しかし、終戦時にはフェイヤード31歳、7歳下のハロルドでさえ24歳と、立派な大人の男になっていた。もはや彼らは可愛い子供でも青年でもない。ましてや、彼らの常軌を逸したダンスである。フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドといった白人スターで平和に潤うハリウッド・ミュージカル界にとって、彼らは脅威以外の何ものでもなかったのだ。

 ニコラス兄弟の姉妹であるドロシー・ニコラスが語る。
「黒人が行きすぎたことをするのを良しとしない風潮が当時のアメリカにはあった。あまりにも優れていると雇ってもらえないのよ」(TVドキュメンタリー『We Sing & We Dance』)

 戦後にニコラス兄弟が出演できたアメリカ映画は、ジーン・ケリーと共演した『踊る海賊』(1948)の1本のみ。優れた才能を買われてハリウッドに招かれた彼らは、皮肉にもその突出した芸によってハリウッドから排除されることになったのだ。人種差別の分厚い壁が立ちはだかるアメリカに見切りをつけ、彼らは活動の拠点をヨーロッパに移していく。


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RECKLESS AGE (1944)
Directed: Felix E. Feist
Performance: Mama Yo Quiero / unidentified instrumental

 グロリア・ジーン主演のユニヴァーサル映画『Reckless Age』にハロルドが単独でスペシャルティ出演。大手量販デパート社長の孫娘ジーンが、束縛された人生に耐えかねて家出する軽い青春映画。彼女が素性を隠して就職した祖父のチェーン店での出来事を中心に物語が進む。ハロルドの出番は映画中盤、閉店後の店内の場面でやって来る。音楽で通行人の注意を引きつけたいと、ピアノ等を店の入り口付近に移動する雑用をジーンから頼まれる黒人3人の中の一人が彼。
 ここでは珍しくハロルドに台詞がある。ジーンに仕事を頼まれた後、“景気づけに音楽を流しても?”と訊ね、レコード・プレーヤーに歩み寄る。“やあ、「Mama Yo Quiero」だ。ポルトガル語の歌です”とジーンに言いながらレコードをかけ、ハロルドの歌が始まる。「Mama Yo Quiero」は『遙かなるアルゼンチン』でカルメン・ミランダが歌っていた曲。ここではスウィング調のアレンジで、仲間とピアノを運びながらハロルドがゴキゲンに歌う。ピアノの上に乗って歌い終えた後、フロアに飛び下りてダンスへ突入。後半のダンス場面で流れる曲は、「Mama Yo Quiero」とは全く別の高速インスト・ジャズ。ブレイク部分が多く、タップが引き立つ好ナンバーだ(後述する'50年代のテレビ出演でも使われている)。埃よけのシーツで覆われた閉店後の店内を、華麗にタップを踏みながら所狭しと動き回るハロルド。終盤では、商品カウンターを勢いよく頭から飛び越え、そのまま前転してスプリット。クライマックスでは、7段もある高い脚立の天辺からバック宙で豪快に飛び下りる。着地こそスプリットではないが、期待に応えるさすがのアクロバットだ。その後、得意のスピン&スプリットを完璧に決めてフィニッシュ。素晴らしい。ハロルド一人でも見事に魅せる。
 ダンスが終わると、拍手するジーンたちのもとへ戻り、“どうも。仕事のための軽いウォームアップです”と再び台詞。“では、言った通りにお願いね”“わかりました”“私はもう行くわ。ご苦労様。おやすみなさい”“おやすみなさい”という、ジーンと黒人3人の会話でこの場面は終わる。再び黙々とピアノの運搬に取りかかるハロルドの姿が何だか切ない。歌い踊っている時はスターでも、音楽が終われば彼は白人に使われる単なる雑用係に過ぎないのだ。白人映画で黒人が芸人以外にやれる役は、こうした非力な労働者くらいしかなかった(召使い、給仕、靴磨き、など)。台詞もあり、時間もたっぷり割かれて待遇は良いのだが、芸人役が多かった20世紀フォックス時代の華やかさから、いきなり厳しい現実に引き戻されるような作品ではある。
 ちなみに、この映画にはデルタ・リズム・ボーイズもスペシャルティで出演。映画序盤、家出したジーンが汽車に乗る駅構内の場面で軍人に扮して歌っている。


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CAROLINA BLUES (1944)
Directed: Leigh Jason
Performance: Mr. Beebe

 ケイ・カイザー楽団、アン・ミラー、ヴィクター・ムーア主演のコロムビア映画『Carolina Blues』にハロルドが単独でスペシャルティ出演。公演活動で戦時債券を売り込むことを頼まれたケイ・カイザーが、休暇を欲しがる楽団員たちを引っ張りまわす愛国ミュージカル・コメディ。ハロルドの活躍場面は映画中盤、カイザー楽団のショウの一幕という設定で演じられるオール黒人キャストによるナンバー「Mr. Beebe」。約8分間にわたるこのミュージカル場面には、ハロルド以外にもフォー・ステップ兄弟、ジューン・リッチモンドなど大勢の黒人アクトが出演。これがまるで映画一本分のテンションを凝縮したような、ちょっと他に類を見ない凄まじいミュージカル場面になっている。
 リナ・ホーンのような風貌のアン・ミラーが舞台に現れて曲の導入部を歌った後、バンドスタンドが中央から真っ二つに割れ、後方からハロルドが颯爽と登場(舞台の奥にもうひとつ舞台が現れる)。テールコート、トップハットにアスコットタイの小洒落た格好で、ズートスーツ後のファッション・リーダー "Mr. Beebe" に扮して粋に歌う。舞台にはハーレムのレノックス通り(現・マルコムX通り。'30年代半ばまでのコットンクラブ所在地でもあった)のセットが広がる。靴磨きの少年2人組が歌を引き継ぎ、彼らにチップを渡した後、ハロルドは一旦退場。4人組のヴォーカル・グループがハーモニーを聞かせ、書き割りの教会から帽子を被ってめかし込んだゴージャスな女性ダンサーたちがぞろぞろ出てくると、ハーレムはイースター・パレードの熱気に包まれる。そこからフォー・ステップ兄弟が登場し、畳みかけるようにアクロバティックなダンスを披露。前転/前宙スプリット、フライング・スプリットなどを次々と繰り出す彼らの典型的なルーティンが見られる(彼らはニコラス兄弟、ベリー兄弟と並ぶ、いわば“フラッシュ・アクト御三家”のひとつだ)。次にドラえもんのような風体のジューン・リッチモンドが登場し、出演者たちと絡みながらワン・コーラスを歌い上げる。そこで主役のハロルドが再登場。リッチモンドの出番が終わって伴奏がアップテンポになると、彼がいよいよダンスで本領を発揮する。2人の女性ダンサーと順番に絡み、女性ダンサー集団とフォー・ステップ兄弟の群舞をバックにタップ。得意のスプリットとスピンを軽く見せた後、うずくまって固まる女性ダンサーたちの頭上を教会入り口の階段の上から豪快に飛び越えてスプリット。続けざまに必殺のスピン&スプリットを決めると、今度は縦一列に並んで開脚したフォー・ステップ兄弟4人の股の下をスプリットで一気にくぐり抜ける。最後はバック転&スプリットを決め、フィニッシュ。息もつかせぬ圧倒的な展開。ハロルド、ぶっちぎりである。これら黒人アクトたちによるパフォーマンスの後、再びケイザー楽団のバンドスタンドが舞台に現れ、アン・ミラーがアウトロを歌って「Mr. Beebe」は終わる。
 複数の黒人アクトが怒濤の勢いでパフォーマンスを披露するこのナンバーのぶっ飛び具合は、とにかく尋常でない。この場面は映画全体の中でも完全に他を喰っている。こうした黒人ミュージカルが長編としてハリウッドで普通に量産されていたら、白人ミュージカル映画には客が入らなくなっただろう。当時のハリウッドの資本と技術が彼ら黒人エンターテイナーたちにまともに費やされていたら、一体どんな凄まじい傑作ミュージカルの数々が生まれていただろうか。
 ここに出演しているパフォーマーたちの全員を私は残念ながら特定することができない。4人組のヴォーカル・グループは、IMDbのクレジットを参照する限り、該当するのがThe Four Dreamers(“ヴォーカル・スペシャルティ”とされている)くらいしかないので、ひとまずそれで間違いないとは思う。ただ、彼らはエレノア・パウエル主演『I Dood It』(1943)内、リナ・ホーンとヘイゼル・スコットによるナンバー「Jericho」でもバック・ヴォーカルで登場していて(クレジットなし)、そこでは6人組だったりする。また、靴磨きの少年2人組(リッチモンドが歌う場面で衣裳を変えて再登場する)、フォー・ステップ兄弟の直後に数秒フィーチャーされる男性ダンサーに関してはさっぱり誰だか分からない。ハロルドが絡む女性ダンサー2名のうち、2人目はメアリー・ブライアント Marie Bryant に違いないが(ダンサー/歌手。同年のレスター・ヤングの大傑作短編『Jammin' The Blues』でも活躍。ダイナマイト!)、もう一人は不明だ。
 ちなみに、ハロルドが女性ダンサーと絡んで踊る場面はかなり珍しい(他には'41年『銀嶺セレナーデ』出演時のドロシー・ダンドリッジしか例がない)。黒人が映画内で性的魅力を発揮することは当時のハリウッドでは一種のタブーであり、ハロルドに限らず、黒人男女がペアで、しかもセクシーに、あるいはロマンチックに踊るなどというミュージカル場面はまずありえなかった。黒人芸人は男女別々に登場し、ステレオタイプに従って、飽くまで陽気で愉快に歌い踊らなくてはならないのだ。しかし、ここでのハロルドと女性ダンサーの絡みは、陽気で楽しげな雰囲気の中にも幾分セクシャルな匂いを漂わせていて、当時のハリウッド作品としてはなかなか珍しい光景だと思う。
 このパワフルな出演陣の中にあって、ハロルドは堂々と主役を務め、見事それに相応しいパフォーマンスを見せる。何と言っても天下のニコラス兄弟の片割れ。当時の黒人エンターテインメントの世界で、いかに彼が大スターであったかがよく分かる作品だ。20世紀フォックス時代の6本と併せてとにかく必見。
 余談だが、この映画にはドロシー・ダンドリッジの母親ルビー・ダンドリッジも端役出演している(ケイ・カイザーのメイド役)。また、アン・ミラーには本作でダンス場面がひとつだけある。映画開始早々、ロングスカートを脱ぎ捨てて踊り出すという定番の演出でマシンガン・タップを披露しているが、いまいち印象は薄い。


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THE PIRATE (1948)
Directed: Vincente Minnelli
Performance: Be A Crown

 ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー主演、ヴィンセント・ミネリ監督、コール・ポーター音楽によるMGM映画『踊る海賊(The Pirate)』にスペシャルティで出演。公開当時大コケした上、ガーランドもこの頃からいよいよ崩れ始めるなど、あまり評判の芳しくない作品だが、鮮やかな美術と主役2人の魅力で及第点は十分にクリアするさすがのMGMミュージカル。ニコラス兄弟の活躍場面は映画終盤、ガーランドの気を引こうとお尋ね者の海賊を装ったため絞首刑にされることになった旅芸人ケリーが、刑の執行前に披露するナンバー「Be A Crown」。兄弟はケリー一座の仲間という設定で、ケリーと共に道化師に扮して愉快に踊る(歌/台詞はなし。ちなみに、このミュージカル場面以外にも、座員たちと一緒に兄弟が映ったり、フェイヤードがドラムロール担当でちらっと登場する場面がある)。
 両者の共演はケリーの要望で実現したらしく、力強い快活な踊りを得意とした彼のキャリアの中でも、このダンス場面はかなりアクロバット度が高い部類に入ると思う。組み体操のような合体や、3人揃ってのフライング・スプリット、輪になって手を繋ぎ、回転しながら一人ずつ遠心力で飛ぶ曲芸など、それなりに見所は用意されている。ケリー的には“グッジョブ、兄弟!”という感じでOKだろうが、しかし、ニコラス兄弟のファンとしては“なんだこりゃ”的なパフォーマンス。ドリーミーで陽気なケリー的世界の中で、いつもの半分くらいの力で踊らされる兄弟。分かりやすいのはステージ上から3人が飛び降りる箇所で、兄弟だけならスプリットのはずが、ここでは普通に着地している。要するに、ここでの2人は完全にケリーの引き立て役なのだ。兄弟らしさが出ているのは、冒頭、ケリーの股の下をフェイヤード、ハロルドの順にスプリットでくぐり抜けて2人が登場する場面くらいだろうか。滑稽なピエロ衣裳の兄弟を見るだけでも何だか情けなくなってしまう。
 私は別に反ケリー派ではないし、彼には彼の土俵というものがあるので、それについては何も文句はない。ニコラス兄弟は普通にいい仕事をしている。しかし、僅か数分のスペシャルティ枠でしか踊ることを許されなかった彼らが、その枠内ですら白人に従属させられるのは辛い。黒人の彼らと同じ画面内で共演し、人種の垣根を取り払っている点は悪くないのだが(これでは南部での公開時、彼らの登場部分だけカットするというわけにもいかない)、兄弟だけのダンス場面がフィーチャーされていれば、ケリーが喰われるのは目に見えているだけに、何とも歯痒い作品ではある。
 この共演については、ハロルドによって語られた逸話がある。稽古中、ケリーとフェイヤードが本番さながらに全力で踊る一方、リハに飽きた彼は軽くステップを合わせるだけで流していた(彼はリハ嫌いなのだ)。ケリーが“どうしたんだ、ハロルド”と訊くと、“何が?”。“ちゃんとルーティンをやってないじゃないか”“それなら分かってるよ”“分かってるって何が?”。“そんなに早くルーティンを覚えられるわけがない”と苛つくケリーに対し、大丈夫だと飽くまで主張するハロルド。“よし、それなら一人でやってみせてもらおうじゃないか”と言う半ギレ状態のケリーの目の前で、ハロルドは始めから終わりまでひとつの間違いもなく完璧にルーティンを踊ってみせ、最後にケリーに向かってニヤリと笑った。“どうだった?”。ハロルド曰く、“ジーン・ケリーは真っ赤になってたよ。どうしていいか分からなかったのさ(笑)”(『We Sing & We Dance』)。ハロルドもハロルドで大人げない気もするが、彼のダンサーとしてのプライドの高さ、負けん気の強い性格が伝わってくるようで面白い。実際、この映画のハロルドを見ていると、いかにも余裕綽々で、その誇張された営業スマイルからは“バカらしくてやってらんねえよ”という皮肉すら感じられてくる。この逸話は、DVD『踊る海賊』(日本未発売)に特典収録されているドキュメンタリー映像内でフェイヤードによっても語られているが、それによると、真っ赤になって怒りのやり場がないケリーはその後、“全部やめだ。昼飯にするぞ!”と言ってリハを切り上げたそうだ。
 ちなみに、フェイヤードは弟より柔和な性格で、ケリーのダンス能力は素直に評価していたようだ。'98年のインタヴューで、フェイヤードはエレノア・パウエルをベスト・ダンサーとして挙げ(人柄も褒めている)、最良の思い出のひとつとして、パーティでアステアに話しかけられ、“僕は君のように踊りたいといつも思っている”と言われたことを述懐している。


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BOTTA E RISPOSTA / JE SUIS DE LA REVUE (1950)
Directed: Mario Soldati
Performance: unidentified song / 4 songs medley including: Quanto Sei Bella Rome - Maria Mari / medley: Down Argentina Way - The Jumpin' Jive

 イタリア/フランス映画『Botta E Risposta(仏題:Je Suis De La Revue)』にスペシャルティで出演(英語圏での公開は不明だが、一応『I'm In The Revue』という英題あり)。ローマを舞台にした軽いコメディを軸に、様々なスペシャルティが登場して芸を披露するレヴュー風の音楽満載映画。ニコラス兄弟は映画後半のナイトクラブ場面で、約9分にわたりパフォーマンスを披露する。なんと、驚きの三部構成。ハリウッドでは考えられない別格扱いである。"BROADWAY" の文字が踊る摩天楼の書き割りセットも、低予算風ながらなかなかクールだ(ビルの一部が本物の階段になっている。画像参照)。
 第一部。舞台には大勢の踊り子。黒いレオタード衣裳の女性歌手が軽く歌って場を温め(歌手、楽曲共に不明)、ニコラス兄弟が登場。フェイヤードが女性歌手と手を取り合って踊ると、ハロルドが“僕とも踊ってくれよ”と彼女に催促し、一緒に踊ろうとするのだが、背が小さすぎて手が届かない。このツカミに続いて、得意のアクロバットが始まる。踊り子が舞台中央にしゃがみ、これを2人が次々にフライング・スプリットやロンダードで豪快に飛び越える。しゃがむ踊り子の数が1人から、2人、3人と増え、難易度が高まっていく。次に、踊り子が6人並んで開脚して立ち、その股の下をハロルドが一気にスプリットでくぐり抜ける(この場面は一瞬バズビー・バークレー的で壮観。そう言えば、背景の摩天楼セットはどことなく『四十二番街』風)。最後は6人が固まってうずくまり、それをフェイヤードがフライング・スプリットで越える。ほとんどサーカス状態である。
 第二部。ダンスはなく、歌手ハロルドにスポットが当てられる。この場面は貴重だ。イタリア語を交えた2人のMCに続き、ハロルドの歌が始まる。ここではカンツォーネ「Quanto Sei Bella Rome」「Maria Mari」など4曲がメドレーでソフトに歌われる(普通にイタリア語で歌っている。『遙かなるアルゼンチン』ではスペイン語、『Reckless Age』ではポルトガル語だった。彼には何語だろうと平気で歌いこなす不思議な才能があったようだ。世界中の公演先で女性を口説くために自然と身についた特技らしい)。ところで、ハロルドが一人で歌っている間、フェイヤードは一体何をしているのか。バックステージには下がらない。なんと彼は両手を催眠術師のように動かし、横でハロルドを操る仕草をするのである。まるでハロルドがフェイヤードの魔法で歌わされているように見える。さすがニコラス兄弟。これは唸らされる。
 第三部。2人のダンスがたっぷりフィーチャーされる。ここでは代表作『遙かなるアルゼンチン』『ストーミー・ウェザー』のルーティンをメドレーで一気に見せる。『遙かなるアルゼンチン』のルーティンでは、ハロルドがフェイヤードに脚を操られる箇所や、フェイヤードの回転連続スプリットなどの見せ場が掻い摘んで披露される(オリジナルのルーティンにはなかった動きも少し見られる)。続いて摩天楼セットの階段を上り、『ストーミー・ウェザー』のクライマックスのルーティンへなだれ込む。互いの頭上をフライング・スプリットで飛び越えながら階段を下降。再び階段を上り、滑り台になっている階段の縁部分をスプリットで滑降してフィニッシュ。お見事。これは何度見てもカッコいい。
 この時期から彼らは活動拠点をヨーロッパに移している。ここで見られるパフォーマンスは、実際に彼らのヨーロッパ巡業の内容を反映したものなのかもしれない。こうした映像が映画の一部として残されたのは幸いだ。ただ、20世紀フォックス時代のルーティンを再現する第三部に顕著な通り、目新しい要素は特になく、残念ながら全盛期が過ぎてしまっている印象も拭えない。戦後のニコラス兄弟は、名人芸のダンスとハロルドのマルチな才能を活かし、エンターテイナーとして安定した地位をヨーロッパで築いていくことになる。
 この映画は、ニーノ・タラント(伊)、フェルナンデル(仏)、イザ・バルツィッツァ(伊)、シュジー・ドレール(仏)の4人を中心に物語が進行する。タラントが歌手ドレール(本人役)の新しいステージ衣裳をローマに届けに行く途中、バルツィッツァ演じる窃盗癖のある美女に衣裳を盗まれる。旅行中のフェルナンデルも同じく財布を盗まれる。この盗難騒動の合間に様々なスペシャルティが登場するという趣向。スペシャルティ陣は、ニコラス兄弟の他、ルイ・アームストロング、『ストーミー・ウェザー』にも出ていたキャサリン・ダナム、詳細がよく分からないイタリアのミュージシャンなどなど多数。中でも、終盤で登場する5人組のハーモニカ・グループ、Borrah Minevitch & The Harmonica Rascalsの芸は一見の価値がある。
 私はこの映画を'06年にDVD発売されたフランス公開版で観賞した(残念なことに、DVDではニコラス兄弟の出演場面中、第二部の歌のコーナーが編集で1分ほど刈り込まれている)。会話がチンプンカンプンゆえ、筋を追うのに少々苦労するが、国際色豊かなスペシャルティの芸だけでも十分に楽しめる作品。日本には全く出演作が入って来ていないイタリア女優、イザ・バルツィッツァ Isa Barzizza の美貌にも驚かされる。


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BONJOUR KATHRIN (1956)
Directed: Karl Anton
Performance: unidentified cha-cha song

 西ドイツ映画『Bonjour Kathrin』にスペシャルティで出演。カテリーナ・ヴァレンテ、ピーター・アレクサンダー、シルヴィオ・フランチェスコ(カテリーナの実兄)演じる貧乏学生3人組がパリで繰り広げる騒動を描いたミュージカル・コメディ映画。ニコラス兄弟は映画序盤、カテリーナと恋仲になる若手作曲家が手掛けるレヴューのリハーサル場面に登場する。
 曲は当時流行っていたチャチャ・スタイルの陽気なダンス・ナンバー(名称不明。詞はドイツ語)。レヴューの歌姫役のヘレン・ヴィタ Helen Vita という女優と大勢の男女ダンサーによる群舞にニコラス兄弟が加わり、カンカン帽を被った南国風の衣裳で得意のアクロバットを披露する。しゃがんだ踊り子たちの上をフェイヤードがフライング・スプリットで飛び越えたり、開脚して立つ踊り子たちの股の下をハロルドがスプリットで通り抜けたり、といったお馴染みの芸が中心で、目新しい要素は何もない。衣裳や音楽が異なるだけで、ルーティン自体は前述『Botta E Risposta』の第一部と基本的に同じである。決して悪くはないのだが、ここまで来るとさすがにマンネリの感が否めない。タップは全く聞くことができず、おまけにカメラも凡庸なロングショットばかりで、正直、見応えには欠ける。演出や振付に何かひと工夫欲しいところだが……。この映画のニコラス兄弟は、いかにも下り坂のフラッシュ・アクトといった感じであまり頂けない。せめてきちんとタップがフィーチャーされていればと思うが、やはり時代の流れだろうか。これが彼らにとって最後の映画出演作となった。
 このドイツ語のミュージカル映画を私は字幕なしで観たが(台詞は“ダンケ”しか理解できなかった)、色彩と美術の美しさだけでも十分に楽しむことができた。主題歌「Bonjour Kathrin」を始めとする楽曲群も魅力的。MGMの模倣には違いないのだが、とても良質なミュージカル映画である。こういう作品が日本に紹介される日はやって来るのだろうか。
 ちなみに、同じくカテリーナ・ヴァレンテ&ピーター・アレクサンダーが主演した前年公開作『Liebe, Tanz und 1000 Schlager』には、スペシャルティでジョン・バブルズ(バック&バブルズ)、黒人タップ・トリオのビジネスメン・オブ・リズムが出演している(バブルズは2箇所で登場し、タップと歌を披露)。アメリカでタップがエンターテインメントの主流から外れていった'50年代、一部のタップ・ダンサーはこうして難民のようにヨーロッパへ渡ったのだった。


Paris 1947
'47年、パリにて

 IMDb情報によると、ニコラス兄弟は'50年代に『El Mensaje De La Muerte』(1953/メキシコ)、『El Misterio Del Carro Express』(1953/メキシコ)、『Musik Im Blut(英題:Music In The Blood)』(1955/西ドイツ)という3本の映画にも出演している。どれも見事に未ソフト化。これらの作品で彼らは一体どのようなパフォーマンスを披露しているのだろうか?

 尚、これ以降もフェイヤード、ハロルドは役者としてそれぞれ数本の映画にソロで出演しているが、兄弟2人揃っての映画出演は一切ない。ニコラス兄弟としての活動の場は、新たな媒体=テレビへと移っていくのである。


The Nicholas Brothers (part 1)──'30年代(子供スター時代)
The Nicholas Brothers (part 2)──'40~43年(20世紀フォックス時代)
The Nicholas Brothers (part 3)──'44~56年(アメリカ~ヨーロッパ時代)
The Nicholas Brothers (part 4)──'50~70年代(テレビスター時代)
The Nicholas Brothers (part 5)──'80年代以降(再評価時代)
The Nicholas Brothers (part 6)──'90年代TVドキュメンタリー
The Nicholas Sisters

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