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ムーンウォークの起源

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 マイケル・ジャクソンの代名詞とも言えるムーンウォーク。このダンス・ステップは一体いつ誰が考え出したものなのか? '08年8月29日に生誕50年を迎えるキング・オブ・ポップだが、ムーンウォークの歴史はそれよりも長い。
 
 ムーンウォークについて語る際、まず最初に断らなくてはならないのは、一般的に“ムーンウォーク”と呼ばれる動きは、実はムーンウォークではない、ということである。

 本来のムーンウォークは、約50cm四方の空間内を、揃えた両足の踵を軸に方向を変えながら、月面でフワフワ浮くようにゆっくりと回る動きを言う。これは'92~'93年〈DANGEROUS〉ツアーや、'96~'97年〈HISTORY〉ツアーの「Billie Jean」終盤でマイケルもやっているので、見れば誰でもすぐに分かるだろう。
 これとは別に、無重力空間を旋回するように縦横無尽に滑り回る技もムーンウォークだとされる。円弧を描いて回ったり、無重力の宇宙船内を壁にぶつかりながら制御不能であちこち漂うような動き(速度は速い)が特徴で、これはサークル・グライド Circle Glide などとも呼ばれる。ポッパーのブガルー・シュリンプが映画『ブレイクダンス(Breakin')』(1984)のオープニング・クレジットや、劇中(シュリンプがヒロインの通うジャズダンス教室に乱入する場面)で披露しているのが最高のサンプルだ。
 ネットで色々検索する限り、真正ムーンウォークについては人によってかなり見解が分かれている(マイケルを指導したポッパーの一人、デレク・クーリー・ジャクソンは、ゆっくり回るヴァージョンを本来のムーンウォークだと説明している)。私も本当のところはよく分からないのだが、滑りながら回る、という点に関しては概ね衆目が一致するようだ。

 では、マイケルが「Billie Jean」のステージ・パフォーマンスで必ず見せる、前へ歩行しているように見せながら、後ろへ一直線に移動するあのトリッキーな動きは何なのかと言うと、これはバックスライド Backslide と呼ぶのが正しい。

 この技はストリート・ダンスのポッピングの中で普通に使われていたもので、マイケル以前にも、シャラマーのジェフリー・ダニエルらが出身番組の〈Soul Train〉や〈Top Of The Pops〉で、あるいは、エレクトリック・ブガルーズのポッピン・ピートがトーキング・ヘッズ「Crosseyed And Painless」(1980)のヴィデオで既に披露していた。これをマイケルが取り入れ、'83年5月16日放映のモータウン25周年特番〈Motown 25: Yesterday, Today, Forever〉出演の際、「Billie Jean」のパフォーマンス内で披露したところから、バックスライドは全世界に爆発的に知れ渡ることになる。このステップはメディアによって“ムーンウォーク”と呼ばれ、後にマイケル自身が自伝本や主演映画のタイトルに使用したこともあり、バックスライド=ムーンウォークという(誤った)認識が世界中に定着したわけである。
 “ムーンウォーク”というネーミングは確かに抜群にキャッチーで、“いや、あれは本当はバックスライドっていうんです”とわざわざ訂正しないところがキング・オブ・ポップの偉いところだと思う。

 さて、マイケルが知らしめて世界中を熱狂させたこの“ムーンウォーク”(=バックスライド。以下、ムーンウォークはバックスライドを指す)、実は20世紀前半から存在する恐ろしく古い技なのである。



ORIGINS OF THE MOONWALK

 まずはこれを観てもらいたい。
 このヴィデオは、どこかの国のタップ・ダンス好きが、“これは”と思われる古いタッパーたちの映像を「Billie Jean」のビートに乗せて適当に編集したものである。ムーンウォークを始め、マイケルのダンス・スタイルに直接、あるいは間接的に影響を与えたと思われる様々なダンサーの動きを見ることができる。

 登場する映像は'29年から'55年までの長編/短編映画、サウンディ('40年代の音楽ヴィデオ)などから選ばれている('65年と'67年のサミー・デイヴィス・Jrを除く)。ここでは“マイケルっぽい”ことが選択基準になっているので、アクロバットを得意としたニコラス兄弟、ベリー兄弟、フォー・ステップ兄弟といった重要な黒人タップ・アクトは含まれていない(彼らはマイケルが取り入れているポッピングではなく、ブレイキング=ブレイクダンスの元祖に当たる)。あまりマイケルっぽくない映像も繋ぎとして使われているが、あまり細かいことは気にせず、何となくマイケルのルーツを感じてもらえたらと思う。

 以下、登場するダンサー/映像についてざっと説明していきたい。


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Fred Astaire
TOP HAT (1935), ROBERTA (1935), HOLIDAY INN (1942)

 ショウ・ビジネスにおいてマイケルが20世紀後半を代表するダンサーだとすれば、前半を代表するのはフレッド・アステア(1899~1987)である。そのダンス美学、プロフェッショナリズム、エンターテインメント精神は、マイケルの中に確実に引き継がれている。
 ジェイムズ・ブラウンと並んで、マイケルに最も影響を与えたダンサーに挙げられるが、たとえばJB風にステップを踏んだりするように、マイケルはあからさまにアステアに似通った動きをするわけではない。時代や基本的なダンス・スタイルがかけ離れているせいもあるが、それでもマイケルの中にアステア的な瞬間を発見することは決して少なくない。

 『トップ・ハット(Top Hat)』の「Top Hat, White Tie And Tails」(画像左)はアステアの代表ナンバーのひとつで、トレードマークでもある曲名通りの格好をしたアステアのソロ・ダンスが見られる。中盤では舞台が暗転し、アステアのシルエットが浮かび上がる(この場面はアドリブで踊られたという)。この演出は、ライヴ版「Billie Jean」のイントロや終盤のダンス・パートの見せ方に通じるものがある。アステアもマイケルも、シルエットだけで誰もがそれと即座に判別できる稀有なダンサーだ。その個性は、両者の服装のスタイリング──トップ・ハット、燕尾服、ステッキ(アステア)、スパイ帽、黒ジャケット、丈の短い黒パンツに白靴下、片手にはめた白手袋(マイケル)──によって一層際立ったものになっている。シンプルなモノトーン、平凡と言えば平凡な服装をトレードマークにできるのも、両者の強烈なダンス・スタイルあってこそのことだ。
 ちなみに、アステアのドッペルゲンガーが多数登場するこのミュージカル場面は、『ブルー・スカイ』(1946)内、「Top Hat, White Tie And Tails」と並ぶ彼の代表ナンバー「Puttin' On The Ritz」で焼き直されている。

 『ロバータ(Roberta)』の「I Won't Dance」(画像中央)はアステアのソロ・ダンス場面の中でも屈指の見物で、何の演出もなしにひたすらタップを踏むアステアの姿をじっくり堪能することができる。その動きの淀みのなさ、軽やかさ、そして切れ味。アステアの踊りはまるで一筆書きのようだ。すらすらとサインでもするように、独自のタイム感で造作なく、流れるようにササッと動く。人がサインをする時の手もとの動き、紙の上に現れる筆跡、筆致の様子を思い浮かべて欲しい。自分のサインなら誰にでも書けるが、踊りでこれができるというのはやはり凄い。
 アステアより速くタップを踏める、あるいは速く動けるダンサーはいくらでもいるが、これほど一連の動作をシャープに、しかも美しく行えるダンサーというと、私にはやはりマイケルくらいしか思い浮かばない。説明不能なそのポージングの美しさにも注目したい。

 『スイング・ホテル(Holiday Inn)』の「Let's Say It With Firecrackers」(画像右)は、爆竹を次々と地面に投げつけて破裂させながら踊る楽しいナンバー。ダンス場面の中にこうした仕掛けを取り入れるのもアステアは実に上手かった。マイケルのステージで、手を振り下ろすとその方向で爆発が起きるといった演出は、この爆竹ダンスの発展型と言えないこともない。
 ヴィデオ内に登場するのは爆竹を鳴らす場面ではなく、その合間、爆竹を詰め込んだポケットに手を入れて踊っている部分。猫背気味に肩をすくめ、片足立ちで煙草をもみ消すようにクイックイッと身を捩る動きの奇妙さが、微妙にマイケルっぽいと言うか、ボブ・フォッシーっぽいと言うか、あるいは、ポッピングっぽいと言うか(これはちょっと無理があるか……)。
 ライザ・ミネリ「Don't Drop Bombs」(1989)のヴィデオ内には、アステアのこの爆竹ダンスに対するオマージュのような場面が(ほんの数秒ではあるが)登場する。アステア、フォッシー、マイケルをすべてミックスしたようなナイスな演出なので、是非チェックして欲しい。

 映像メディアにおけるダンス場面の見せ方を様々に模索したアステアからの影響は、マイケルのヴィデオ(ショート・フィルム)作品の演出において最も顕著である。中でも決定的なのは、「Smooth Criminal」の元ネタとなった『バンド・ワゴン(The Band Wagon)』(1953/MGM)内のプロダクション・ナンバー「The Girl Hunt Ballet」。映画『ブレイクダンス2(Breakin' 2)』(1984/MGM)を始め、ライオネル・リッチー「Dancing On The Ceiling」(1986)、シュガー・レイ「Fly」(1997)、ファットボーイ・スリム「Slash Dot Dash」(2004)などの音楽ヴィデオでもコピーされた『恋愛準決勝戦(Royal Wedding)』(1951)の有名な“天井ダンス”も、長編ヴィデオ『Ghosts』の中でしっかり取り上げられている。
 こうしたアステア映画からの引用を、マイケルは'76~'77年CBS放映のジャクソンズのバラエティ番組から見せるようになった。上記『バンド・ワゴン』の「The Girl Hunt Ballet」を引用し、「Smooth Criminal」のプロトタイプのようなパフォーマンスを繰り広げる「Get Happy」、ラトーヤとコンビを組んでアステア&ロジャースにオマージュを捧げた「They Can't Take That Away From Me」~「Broadway Rhythm」~「Puttin' On The Ritz」のメドレー(『イースター・パレード』内「Steppin' Out With My Baby」のスローモーション合成までコピーするというマニアックさが嬉しい。実際、同番組では「Steppin' Out With My Baby」も取り上げられている)は、マイケルのタップとあわせて必見である。

 尚、具体的なダンス・スタイルの類似に話を絞れば、マイケルのアステア流儀は、明らかに後続のボブ・フォッシー(アステア信奉者)を介して引き継がれている。ダンサーとしてのマイケルのキャリアに革命をもたらした「Billie Jean」のパフォーマンスも、タネを明かせば、マイケルなりのフォッシー解釈の所産と言えないこともない。スタイリッシュでありながら、奇妙に歪んだ印象を与える動きやポージング、また、黒装束に帽子、白手袋といった衣裳は、フォッシーのスタイルに特有のものだ。フォッシー自らが出演してダンスを披露した『星の王子さま(The Little Prince)』(1974)の「A Snake In The Grass」を見れば、'80年代以降のマイケルのダンスがいかにフォッシー美学に多くを負っているかが分かるだろう(「A Snake In The Grass」にはムーンウォーク風の動きまで登場する)。基本的に“JBの子供”的な枠に収まっていたマイケルのダンスは、アステアやフォッシーを参考にすることで、表現の幅を一気に広げることになった。


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Bill Bailey
CABIN IN THE SKY (1943), SHOWTIME AT THE APOLLO (1955)

 ビル・ベイリー(1912~1978)は“元祖ムーンウォーク男”である。マイケルがムーンウォークを披露する40年も前に、彼はそのステップをフィルムの中に焼き付けていた。

 ヴィンセント・ミネリ監督、MGM製作による'43年公開のオール黒人キャスト・ミュージカル映画『キャビン・イン・ザ・スカイ(Cabin In The Sky)』内、エセル・ウォーターズが歌う「Taking A Chance On Love」場面(画像左)が、私の知る限り映像史上最古のムーンウォークだ。その場面は、ムーンウォークをしながら後進していくベイリーの様子を、バストアップから全身ショットへ流れる正面のアングルで捉えている。肝心の足下がきちんと映されていないのが残念だが、それも、このステップが後に爆発的な人気を博すことなど想像もできなかった時代ゆえだろう。

 様々な黒人アクトのステージ・パフォーマンスをフィーチャーした'55年のテレビ・シリーズ『Showtime At The Apollo』(画像右)の中で、ベイリーのムーンウォークは遂に完璧なアングルで記録された。そこで彼は、自分のタップ・ルーティンの締めくくりに、ムーンウォークで後進しながら舞台袖に退場するというアクションを見せている。マイケルと同じく、ステージ向かって右から左へ移動する様子が横アングルの全身ショットで捉えられていて、誰が見てもはっきりとムーンウォークと認識できる。右手を胴に当て、左手を水平に伸ばしながらスイスイと軽妙に下がっていくのがベイリーのスタイル。
 この場面はグレゴリー・ハインズ主演の映画『タップ』(1989)のエンドロール場面でも使われていた。まさに歴史的瞬間である。

 ビル・ベイリーはビル・ロビンソン(後述)の弟子だった人で、師匠のタップをよりパワフルに高速化してアップデイトしたようなダンスを特長とした。芸風やキャラのみならず、風貌や名前まで師匠そっくりだが、ロビンソン自身はムーンウォークをやっていない。
 では、ベイリーがムーンウォークを考案したのかというと、そういうことでもない。ポッピングと多くの共通点を持つパントマイムの世界でも、似たような動きは恐らく同じくらい古くから存在していた。例えば、ジャン・ルイ・バローは『天井桟敷の人々(Les Enfants du Paradis)』(1945)で見事なエアウォーク(その場歩き)を披露しているし、マイケル自身、自分のムーンウォークのルーツとしてマルセル・マルソーの名を挙げてもいる。そうした別ジャンルからの影響も受けつつ、ムーンウォークはストリートで徐々に形作られ、それをベイリーが自身のスタイルに組み込んだ、と考えるのが正しいのではないか。
 ベイリーの映像にはもうひとつ、'36年の短編映画『Going Native』がある。私は未見だが、もしそこで彼がムーンウォークをやっているとすれば、恐らくそれが最古のムーンウォーク映像ということになるだろう。


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Buck and Bubbles
CABIN IN THE SKY (1943), ATLANTIC CITY (1944)

 バック&バブルズはピアノとタップの2人組。ずんぐりしたバック(1903~1955)がピアノ、長身のジョン・バブルズ(1902~1986)がダンスを担当する。バブルズは“リズム・タップの祖”とも言われるダンサーで、踵と爪先を使って複雑なシンコペーションを作る、誰もが知るところの今日のタップ・ダンスの基本スタイルを確立した偉人。モダン・ジャズにおけるチャーリー・パーカーのような存在、と言えば話が早いだろうか。彼のタップはアステアにも大きな影響を与えた。

 ビル・ベイリーがムーンウォークを見せる上記『キャビン・イン・ザ・スカイ』にはバック&バブルズも出演していて、酒場を舞台に繰り広げられるナンバー「Shine」で、デューク・エリントン楽団と共にパフォーマンスを披露している(画像左・中央。白スーツの男はエリントン)。ここでバブルズはタップを踏んではいないが、代わりにトリッキーで変わった動きをたくさん見せてくれる。その場で歩いているように見せるエアウォークの変形版のようなステップや、振り子のように動かした片足の勢いで小刻みにスライドする技も面白いが、最もマイケル度が高い(フォッシー度が高い、とも言える)のは、山高帽を目深に被って俯いてみせる決めのポージングだろう。ヒョコヒョコと後ろ向きにスライドし(バックスライドではなく、すり足のような動き)、脚を交差させてターンする場面、また、階段を上って同様のターンをする退場場面の計2箇所でこのポーズが取られている(脚を交差させるターンは'20~'40年代に多くの黒人芸人がやっている。現在ではあまり見られなくなったが、私はこれが大好きだ)。街一番のクールガイといったこのナンバーでのバブルズのイメージも、マイケルのヴィデオで繰り返されるものだ。時代的に黒人ステレオタイプの剽軽キャラに収まってはいるが、とにかくここでのバブルズのカッコ良さは圧倒的である。この「Shine」は、間違いなくマイケルお気に入りのミュージカル場面のひとつであるはず(勝手に確信)。もしかして、マイケルの相棒だったあのチンパンジーの名前は、ジョン・バブルズに因んでいるのではないか?

 片足を振り子のように(あるいは、ボールを蹴るように)動かし、その勢いでスライドする技は、『Atlantic City』の「Rhythm For Sale」場面(画像右)で相棒のバックによっても披露されている(タップを踏むバブルズが途中で一時的にピアノに交替)。バックが踊る映像はこれしか見たことがないが、彼はタップやこうした変なダンスも上手かったようだ。尚、バックの凄まじいピアノ演奏は、ハワード・ホークス監督『ヒット・パレード(A Song Is Born)』(1947)でたっぷり楽しむことができる。


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Cab Calloway
THE BIG BROADCAST (1932)

 “ハイディ・ハイディ・ハイディ・ホ~”の掛け声でお馴染みのキャブ・キャロウェイ(1907~1994)。'30~'40年代を代表するバンド・リーダー、大エンターテイナーである。大不況に見舞われた'30年代、コール・ポーター作「Swingin' The Jinx Away(ジンクスを吹き飛ばせ)」(1936)の中で、“不況を吹き飛ばす方策が必要なとき、唯一の頼みはキャブ・キャロウェイ大先生”と歌い込まれたほど、国民的な人気を集める大スターだった。

 ビング・クロスビー主演の映画『ラヂオは笑ふ(The Big Broadcast)』は、キャロウェイの出演作の中でも最初期に当たるもので、そこで彼は「Hot Toddy」「Kickin' The Gong Around」の2曲のパフォーマンスを披露している。インストの高速スウィング「Hot Toddy」の演奏場面も熱すぎて笑えるが、見物はやはり「Kickin' The Gong Around」(画像左右)。ムーンウォークこそやらないが、クネクネと身体を捩らせ、床をこねくり回すようにグライドする動きはほとんどポッピングの世界である。脚を振り上げてジャンプし、トレードマークの白い燕尾服の尾を振り回す得意のスピンも実に決まっている。

 初期のキャブ・キャロウェイを見ていると、マイケルよりもむしろプリンスを思い出す。陽気な雰囲気の中から漂ってくる何とも言えないいかがわしさ(これ最高)、アクの強いコミカルな表情などそっくりだ。プリンスには過去の様々な黒人音楽家の面影を見出すことができるが、最も古いサンプルがキャブ・キャロウェイではないだろうか。ちなみに、“キャブっぽい”という点では、トム・ウェイツのステージ・アクションがモロにそれである。


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The Clark Brothers
KILLER DILLER (1948)

 クラーク兄弟は、スティーヴとジミーの2人による兄弟タップ・コンビ。2人揃った息の合ったタップから、アクロバットまで幅広くこなす。
 
 黒人映画『Killer Diller』は彼らの最も古い代表的な映像で、映画のハイライトとなるレヴュー場面で2曲にわたってパフォーマンスを披露している(画像)。硬直状態のまま小刻みのステップで移動し、地面が動いているように見せるマイム的なステップがなかなか面白い。

 別にどこが悪いというわけでもないのだが、決定的な特長もなく、同時代の他の有名兄弟ダンス・アクトに較べるとスケールや格が落ちるのは否めない。いかにも当時の平均的な黒人タップ・チームという感じのクラーク兄弟である。


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Sammy Davis Jr.
HULLABALOO! (1965), SAMMY DAVIS JR. SHOW (1967)

 マイケル以前に似たような成功を収めていた黒人芸人がサミー・デイヴィス・Jr(1925~1990)だった。ダンス、歌、演技、物真似(お笑い)、司会と幅広い才能を発揮。アメリカのショウビズ界に確固とした地位を築き、続く黒人エンターテイナーたちに大きく道を切り開いた。マイケルにとって最も重要な手本となった黒人スターのひとりである。
 
 '65年4月20日放映の米音楽番組〈HULLABALOO!〉での「Hello Dolly」(画像左)は、ロックンロール調のアレンジに乗せて、デイヴィスが白人ティーンエイジャーたちと共に歌い踊る。最後の決めのポーズ(脚を開き、左手を胴に当て、右手を開いて高々と垂直に伸ばす)が完璧にマイケル状態。『ウエスト・サイド物語』の典型的なポージングで、別にデイヴィスから拝借したわけでもないと思うが、この類似にはハッとさせられる。

 '67年、アムステルダムでのコンサート映像『Sammy Davis Jr. Show』も凄い。タップが披露される「Me And My Shadow」(画像中央・右)で、デイヴィスはカンカン帽を被って踊るのだが、この帽子の使い方、被り具合がまさに「Billie Jean」。エアウォーク風のステップなども面白いが、とにかく全体的な身体の動き、ちょっとしたポージングのセンス、あるいはステージ上での存在感そのものが実にマイケルくさい。ジャクソン5時代からデイヴィスと間近に接しているマイケルなので、やはり自然と彼の立ち振る舞いがインプットされているのだろう。

 「Me And My Shadow」で被るカンカン帽を、デイヴィスは“モーリス・シュヴァリエから貰った”と言って自慢しているが(カンカン帽はシュヴァリエのトレードマーク)、彼はマイケルからもステージ衣裳をプレゼントされている。〈Motown 25〉で使われた「Billie Jean」の黒ジャケットである。

「僕は、モータウン25で着た光り輝く黒のジャケットをサミー・デイビス・ジュニアにプレゼントしました。彼がステージで僕の物まねをするというので、僕は『ほら、それをやる時にこれ、着たいでしょ?』と言ったのです。彼は大喜びでした。僕はサミーが大好きです。彼は実に素敵な男で、本物のショーマンです。最高のショーマンのひとりなのです」(マイケル・ジャクソン自伝『ムーンウォーク』)

 後年、デイヴィスはマイケルの「Bad」をステージ・レパートリーに入れていた。また、マイケルは'89年11月に収録されたデイヴィスの芸能生活60周年を記念するテレビ特番に出演し、彼の功績を讃える「You Were There」(“あなたがいたからこそ、いまの僕がある”)というオリジナル曲を捧げている。


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Daniel L. Haynes
HALLELUJAH (1929)

 ダニエル・L・ヘインズ(1889~1954)はダンサーではなく役者なのだが、彼をムーンウォークの歴史に加えないわけにはいかない。

 今回紹介している映像群の中で最も古いのが、ヘインズとニーナ・メイ・マッキニーが主演した'29年のオール黒人キャスト映画『ハレルヤ(Hallelujah)』(以前このブログで紹介)。注目は、牧師役のヘインズが屋外集会で説教をする場面(画像左右)。走行する汽車の様子をパントマイムで表現する彼の足の動きが、何と呼んでいいステップなのか分からないが、とにかく猛烈にヤバい(上半身の動きもポッピング的)。この映画を初めて観た時、私はこの場面ですっかりぶっ飛んでしまった。これは是非DVDを購入してじっくり確認して欲しいと思う。彼が私の知る最古のムーンウォーカーである。


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Rubberneck Holmes
DUKE IS TOPS (1938)

 ラバーネック・ホームズ。こいつはカッコいい。“ラバーネック(ゴム首)”という呼び名は、彼が得意とした、頭部、首、肩で素早くウェービングしながら振り返るような独特のアクションに由来している。名前からしてキワモノっぽくもあるが、基本的にはタップ・ダンサーで、非常にダイナミックでスピーディーなタップを踏む。

 リナ・ホーンのデビュー映画でもある『Duke Is Tops』(画像左右)は、短い出演時間ながらも彼独特のダンス・スタイルが炸裂していて強烈だ。身体全体の使い方からして、普通のタップ・ダンサーとはまるで異なる。舞台の上で暴れ回っているような印象も与えるのだが、それでいてきちんとビートは外さない。前転飛びをし、両手足を大きく振りながら乱暴にバックスライドするようなアクション(画像右)を見せたり、逆立ちをしながら両手で床を叩いてリズムを取ったりと、やることがいちいち規格外。タップをブレイクダンスのダイナミズムで踏み、そこにポッピングを加味したような感じ、と言えば伝わるだろうか。こんなタップ・ダンサーは他に見たことがない。
 
 私のお気に入りのダンサーだが、本名も生没年も経歴もよく分からない。もう1本、オスカー・ミショー監督『The Notorious Elinor Lee』(1940)で踊っているらしいのだが、入手困難で残念ながら未見。


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Patterson and Jackson
KILLER DILLER (1948)

 “踊る2トン(The Two Tons of Rhythm)”がキャッチ・フレーズだったらしい、おデブな2人によるタップ・コンビ、パターソン&ジャクソン。運動量の多いタップをやっていながら、なぜ太っていられたのか不思議である。

 先述のクラーク兄弟が出ていた映画『Killer Diller』に彼らも出演している。身体に似合わず器用なコンビで、タップの他にコミカルな歌や物真似も披露する(この映画ではインク・スポッツの物真似をやっている)。どの芸も実に見事で、体格で人を判断してはいけない、という気にさせられる。
 最も驚かされるのがタップのコーナー(画像左右)。向かって右のジャクソンが歌う「Ain't Misbehavin'」に乗せて、左のパターソンが軽快にステップを踏む。素早い足さばきと巨大な上半身のギャップがいい感じ。ここでムーンウォーク史的に注目されるのは、パターソンがタップを踏みながらステップバックする場面(画像右)。ビートを刻んでいるので、単純に動きだけ見ると単なる後ずさりのようにも見えるが、興味深いアクションである。

 パターソンはファースト・ネームをウォレンという。ジャクソンに関しては不明。生没年や経歴詳細についても情報がない。素晴らしいコンビだが、彼らに限らず、この頃の黒人芸人は本当にろくな記録が残されていない。むしろ映像が残っただけ彼らはラッキーな方だと言える。


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Eleanor Powell
BROADWAY MELODY OF 1938 (1937)

 ヴィデオの中に登場する全14組のダンサーの中で、紅一点がこのエレノア・パウエル(1912~1982)。同時代の男女含めたダンサーの中でも、とにかく彼女は圧倒的に踊りが上手かった。タップ、バレエ、ボールルーム、アクロバットと何でもごされで、時にはフラダンスとタップを融合させたり、投げ縄をしながらタップをしたり、また、時には動物(犬や馬)とまで見事に踊ってみせた。一流の男性ダンサーが束になっても敵わないだろうと思わせる、ただ一人の女性。それがエレノア・パウエルである。

 男顔負けのダンス能力を誇る彼女が最も輝くのは、パンツルックの男装(主に燕尾服)で踊るソロ・ナンバーの数々。『踊る不夜城(Broadway Melody Of 1938)』のフィナーレを飾る「Your Broadway And My Broadway」のメドレー(画像左右)は、中でも最高にカッコいい彼女の姿を存分に堪能できる傑作場面のひとつだ。
 ここで披露される一連のダンスの中で注目したいのは、彼女がズボンのポケットに手を突っ込みながら、左右交互に足をはらうようにステップする場面(画像左)。これと似たような動きを、マイケルは後ろに下がりながらやることがある。一番分かりやすいのが、ヴィデオ「Black Or White」後半で展開される裏通りでのソロ・ダンス場面。あの場面は、マイケルのダンス・スタイルにタップからの影響があることを示す最高のサンプルだと思うが、実際にエレノアの類似した動きと見比べると、そのことがよりはっきりと感じられるのではないだろうか。


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Bill Robinson
KING FOR A DAY (1934), IN OLD KENTUCKY (1935)
CAFE METROPOLE (1937), LET'S SCUFFLE (1942)

 “ボージャングルズ(Bojangles)”のあだ名でも知られるビル・ロビンソン(1878~1949)。歯切れの良い独特のリズミカルなタップと、愛嬌溢れるキャラで多くの人々から愛された。'30年代後半、白人子役のシャーリー・テンプルと共演した一連の映画が大当たり。テンプルは子供、ロビンソンは彼女に仕える召使い役ではあったが、白人と踊って人種の垣根を越えた黒人ダンサーは彼が初めてだった。また、チームを組むことが当たり前だった当時の黒人芸能界の中で、彼はめずらしくピン芸人として大成した人でもある(黒人は白人よりも劣るため、数人で組んでやっと白人の一人前になる、と思われていた)。多分にステレオタイプな黒人像を引き受けざるを得なかったロビンソンではあるが、そのダンスだけはいつでも本物。マイケルの大先輩に当たる、黒人初の大スター・ダンサーだ。

 博打好きな彼の性格が反映された'34年の短編『King For A Day』(画像上段左・中央)は、数ある彼のダンス映像の中でも間違いなくベストのひとつ。腰に片手を当てながらステップする下半身のバネの効き具合などにマイケルっぽさを見出せるだろうか。前に向かって歩いていながら、微妙に後進するステップも面白い。マイケルが「Billie Jean」で見せるトウ・スタンド(爪先立ち)はタップでもよく使われる技だが(その状態でビートも刻む。ただ、マイケルのように長く静止することはあまりない。グレゴリー・ハインズはやっていたが)、ここではその逆のヒール・スタンド(踵立ち)を見ることもできる。

 『In Old Kentucky』(画像上段右)では足下に注目。黒ズボン、黒靴の間から覗く真っ白なソックス。白い靴下をはくことにロビンソンが何かポリシーを持っていたのかは知らないが、それとなく観客の注意を足下に引きつける、ダンサーらしいスタイリングと言えるかもしれない。
 マイケルの場合、白靴下には昔からはっきりとした拘りを持っていた(自伝『ムーンウォーク』参照)。その詳しい理由は不明だが、黒のローファーに白靴下というマイケル定番の組み合わせはジーン・ケリー、足下でやたらと主張するでっぷりとした白靴下に関しては、アステアフォッシーが付けていたスパッツを意識しているような気がする(実際、「Smooth Criminal」や『Ghosts』ではスパッツを付けている)。

 『Cafe Metropole』(画像下段左)は、陽気で気のいい召使いのイメージばかり求められたロビンソンが、唯一燕尾服を着て踊った映画。彼はその機会をとても喜んだが、残念ながら出演場面は公開時にすべてカットされてしまった。幻と消えたロビンソンのダンス場面は、20世紀フォックス作品の未発表映像を蔵出しした'97年のテレビ番組〈Hidden Hollywood: Treasures From The 20th Century Fox Film Vaults〉(DVD化済み)の中でようやく陽の目を見た。

 『Let's Scuffle』(画像下段中央・右)は、彼のパフォーマンスがたっぷり楽しめる秀作サウンディ。その場で歩くように足を左右交互に入れ替えるステップに注目。直立体勢で肩だけ動かしながら小刻みに前進する動きもポッピング風というか、「Thriller」風というか。

 ビル・ロビンソンのタップというのは本当に個性的である。上半身をそれほど使わないので、タップに馴染みのない人の目には地味に映るかもしれないが、是非、目を閉じて彼のサウンドに耳を傾けて欲しいと思う。その最高にクリアで小気味のいいシンコペーション・サウンドは、いったん魅力を知ってしまうと、一日中でも聴いていたくなるような凄まじい中毒性がある(ファンキーとすら言えるかもしれない)。彼のタップは、その音を聞いただけでも一発で判別することができるのだ。
 ロビンソンは同時代の多くのダンサーに影響を与えた。アステアは『有頂天時代(Swing Time)』(1936)で彼にオマージュを捧げるナンバーを踊り、エレノア・パウエルは『ホノルル(Honolulu)』(1939)でロビンソンに扮して階段タップを披露している(ロビンソンは階段で踊るのを得意とした)。エレノアが彼から受けた影響は恐らく相当なもので、特に『踊るブロードウェイ(Broadway Melody Of 1936)』(1935)のハイライト・ナンバー「Broadway Rhythm」では、硬質でクリアなタップ音、ドライヴ感溢れる歯切れの良いシンコペーションに、その影響をはっきりと感じることができる。


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The Three Chefs
BREAKFAST IN RHYTHM (1943)

 スリー・シェフスは黒人のタップ・トリオ。その名の通り、コックの格好をして踊る。
 
 '43年のサウンディ『Breakfast In Rhythm』(画像左右)は、彼らの現存するほとんど唯一の映像。バリー・ペイジ Barry Paige 楽団の演奏に乗せて、歌(というかラップ)とタップを披露する姿が見られる(ヴィデオ内には足下のカットしか登場しないが、上半身は白衣でコック帽を被っている)。タップ自体は割と平均レベルだが、ラップのパフォーマンスとも相まって、非常にいなせな雰囲気を醸し出しているのがいい。足下のクロースアップがダイナミックで、素朴な構図と編集ながら映像的な見応えもある。デューク・エリントン「East St. Louis Toodle-Oo」風のマイナー調スウィングもクール。私のお気に入りの作品だ。


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Tip Tap and Toe
PARDON MY SARONG (1942)

 ティップ・タップ&トウは、サミュエル・グリーン(ティップ)、テッド・フレイザー(タップ)、レイ・ウィンフィールド(トウ)から成る3人組。'30~'40年代を代表する黒人タップ・アクトのひとつである。彼らの見せるルーティンは大抵いつも同じで、テーブル状の高い台の上で3人が次々に入れ替わり立ち替わり踊る。その中で圧倒的に目を引くのが、リーダー格のレイ・ウィンフィールド。足の裏にローラーでもついているのかと本気で思わずにいられない、凄まじいスライド技を披露するのである。スライド・ステップと言えばジミー・スライドが有名だが、ウィンフィールドがこの技の開拓者だと言われている。

 アボット&コステロの映画『凸凹宝島騒動(Pardon My Sarong)』(画像)は彼らの代表的な映像のひとつ。とにかくウィンフィールドがテーブルに上がる度にいちいち度肝を抜かれる。彼らのパフォーマンスはタップ・ファンでなくとも必見である。


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Earl "Snake Hips" Tucker
SYMPHONY IN BLACK (1935)

 アール・スネークヒップス・タッカーこそは“元祖ポッパー”と呼ぶに相応しい男である。“スネークヒップス”というのは、腰をヘビのようにクネクネとローリングさせる'20年代頃に流行ったダンスの名称。タッカーはこれを発展させ、全身骨抜きヘビ人間状態の恐ろしく風変わりなダンス・スタイルを確立した。

 ビリー・ホリデイも出演しているデューク・エリントンの短編『Symphony In Black』(画像)では、ナイトクラブのダンサーとして踊るタッカーの姿が見られる。リズムに合わせて身体全体をクネクネと不気味に捩らせるその動きは、ポッピングのウェービングに極めて近い。当時は単なるキワモノ・ダンサーだったと思うが、いまの目で見ると非常にモダンでカッコいい。

 タッカーはMGMの短編カラー作品『Crazy House』(1930)にも出演し、そこで最高にエグいダンスを披露している(案の定、単なるビックリ人間状態で、完璧にキワモノ扱いされている)。Sの字状の体勢で上半身を固定したまま下半身を動かすアクションなど、完全にポッピングの世界。彼の出演作品にはもう1本、同じくMGM製作の『ゴルフ狂時代(Love In The Rough) 』(1930)があり、そこではタップを踏む姿も見られる。こういうキワモノ/見せ物的な人材を積極的に導入するあたり、さすがMGMと言うべきか。
 ちなみに、似たような動きをする同時代の飛び道具系ダンサーには、アル・ノーマン Al Norman という男がいる(白人)。タッカーがヘビだとすると、ノーマンはタコに近い。ポッピングやムーンウォークの起源を考える上では、彼の変態的な動きも見逃せない。


 マイケルのダンス・スタイルのルーツは、大きく3つに分けられると思う。ひとつはJB経由のソウル・ダンス。もうひとつはヒップホップ以降のストリート・ダンス(主にポッピング。その原型であるロボット・ダンスは'70年代半ばからやっていた)。そしてもうひとつが、今回スポットを当てている、タップをメインに据えた20世紀前半のショウダンスである。
 一連のヴィデオ(ショート・フィルム)作品群を見る限り、振付られた白人的なブロードウェイ・スタイルからの影響を強く感じさせるが、同時にマイケルの動きの中には、ストリートで技を競い合っていた黒人リズム・タッパーたちの熱い血も確実に引き継がれていると思う。

 人種やスタイルに関係なく、過去の様々なダンサーの最良の部分を貪欲に吸収・消化しながら独自の型を創造していった天才ダンサー、マイケル・ジャクソン。20世紀前半まで歴史を溯ることによって、“マイケル・スタイル”の謎も少しは解けてくるのではないだろうか。


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 マイケルによってムーンウォークが初めて披露されたのは、冒頭でも述べた通り、'83年5月16日に放映されたモータウン25周年テレビ特番における「Billie Jean」のパフォーマンス。この番組は録画放送で、実際の収録は3月25日に行われている(マイケルの記憶によれば、放映約1ヶ月前の4月上旬)。
 最後に、このモータウン25周年ライヴの「Billie Jean」に関するマイケル自身の回想の一部を、自伝『ムーンウォーク』(1988/田中康夫・訳)から引用しておく。伝説的なパフォーマンスは、実は披露される前日に徹夜で完成されたものだった。


 収録の前の晩になっても、ソロ・ナンバーをどう演るかについては、依然としてアイディアがない状態でした。そこで、僕は自宅のキッチンに降りていき、「ビリー・ジーン」をかけたのです。大きな音で。僕はひとりで、ショーの前の晩、長いことそこに立ち尽くしながら、どうすればいいのか、曲が僕に語りかけてくれるのを聞いていたのです。僕はある程度まで、ダンスが自然にでき上がってくるようにさせていたのです。僕は本当に、曲に語りかけさせたのです。ビートが体に入ってくるのを感じると、例のスパイ帽を被り、「ビリー・ジーン」のリズムが動きを作ってくれるがままに、ポーズを取り、ステップを踏み始めました。曲にまかせて作っていってもらうしかないとまで思っていました。そうするしかなかったのです。そして“ステップ・バック”できるようになり、ダンスが完成してしまうと、それはとても楽しい出来事となりました。

 パフォーマンスの大部分は、実際、即興で湧いてきたものなのですが、いくつかのステップと動きを、僕は以前から練習していました。ムーンウォークの練習にはそれなりの時間をかけました。キッチンにいると、目の前で夜が明け、モータウン25で観衆を前にムーンウォークを披露する日が、とうとうやってきました。

 ところで、この頃までに、このムーンウォークはもう路上では流行りつつあったのですが、僕がやったことで、少しばかりその評価が高まったと思っています。ムーンウォークはブレークダンスのステップとして、黒人の子供たちがゲットーの街角で作り出した“ポッピング”というタイプのステップから生まれたものです。ダンサーとして、黒人は本当に革新的です。多くの新しい、美しく、シンプルなダンスを創造するんです。そこで“いいチャンスだ”とばかりに、それを実行したのです。ムーンウォークを僕に教えてくれたのは3人の子供たち(*)でした。彼らから、その基本を授かると、ひとりで何度も何度も繰り返しました。それから僕は、他のステップと一緒にそれを練習しました。「ビリー・ジーン」へのつなぎの部分で、月の上を歩いているかのように、後ろの方に、そして同時に前へと歩いてみよう。僕に判っていたのは、それだけでした。



(*)マイケルにムーンウォークを授けた“3人の子供(若者)たち”というのは、ジェフリー・ダニエル Jeffrey Daniel とその仲間のジェロン・キャスパー・キャニデイト Geron "Casper" Canidate、デレク・クーリー・ジャクソン Derek "Cooley" Jaxson のこと。彼らは後にマイケルのヴィデオ「Bad」「Smooth Criminal」に振付(ダニエル)/ダンサーとしても参加している。他にマイケルを指導したポッパーとしては、ディズニー・アトラクション映画『Captain EO』や「Smooth Criminal」に出演していたポッピン・タコ Pop N Taco(ブルーノ・ファルコン Bruno Falcon。元・エレクトリック・ブガルーズ) が有名。ダニエルとタコの2人は、'97年の長編ヴィデオ『Ghosts』に“振付顧問”としてもクレジットされている。

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ザ・ジャクソンズとして行われた'84年〈VICTORY〉ツアーでの「Billie Jean」
終盤のダンス・パートは後年よりずっと短いが、やはりこの時が最強にカッコいい



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