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Lauren Bacall──よく分からない



 先日亡くなったローレン・バコールを追悼して、彼女が『脱出(To Have and Have Not)』(1944)の劇中で歌った「How Little We Know(作詞:ジョニー・マーサー/作曲:ホーギー・カーマイケル)の歌詞を和訳しようと思った。……が、この映画の日本語字幕を手掛けた太田直子さんの訳を確認して断念した。巧すぎる。素材の味を最小限の言葉で最大限に引き出す字幕翻訳者の匠技に、文字通り、私は言葉を失ったのである。


 How Little We Know
 (Johnny Mercer/Hoagy Carmichael)
 
 Maybe it happens this way
 Maybe we really belong together
 But after all, how little we know
 
 始まりは偶然
 多分 これは運命
 でも結局は よく分からない
 
 Maybe it's just for a day
 Love is as changeable as the weather
 And after all, how little we know
 
 わずか1日のこと
 愛は空のように変わりやすいもの
 だから分からない
 
 Who knows why an April breeze never remains
 Why stars in the trees hide when it rains
 Love comes along, casting a spell
 Will it sing you a song, will it say a farewell
 Who can tell
 
 4月の風は吹き過ぎてしまう
 雨の降る夜は星も隠れてしまう
 愛は魔法をかけながらやってきて
 あなたに歌いかけ すぐに去っていく?
 
 Maybe you're meant to be mine
 Maybe I'm only supposed to stay in your arms a while
 As others have done
 
 多分 あなたは私だけのもの
 でも もしかしたらゆきずりの恋
 よくある話ね
 
 Is this what I've waited for, am I the one
 Oh, I hope in my heart that it's so
 In spite of how little we know
 
 これが私の待ち望んでいた人?
 そうであってほしい
 よくは分からないけど
 
 (訳:太田直子)
 
 
 “始まりは偶然 多分 これは運命”という冒頭の訳を見た瞬間、もう敵わないと思った。情報の正確な取捨選択、大胆かつ繊細な要約、読み手に読解を求めない簡潔明瞭な表現、そして、美しいリズム。確実に的の中心だけを射抜くような、まったく見事な翻訳だと思う。


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 名台詞が次から次へと飛び出す『脱出』だが、この名画を太田直子さんは素晴らしい字幕で私たち日本人にたっぷり楽しませてくれる。私が太田訳で特に好きなのは、上掲の場面。撃たれて負傷した反政府活動家の銃弾摘出手術を船乗りのハンフリー・ボガートが請け負うことになり、その現場にローレン・バコールが少し遅れてやって来る。活動家の妻(ドロレス・モラン)が、見知らぬバコールに向かって“Who are you?”と訊ねるのだが、それに対するバコールの返答“Nobody. Just another volunteer”の翻訳がスゴい。バコールのクールでユーモラスなひとことを、太田さんは見事に日本語に変換している。私だったら“名医の助手よ”とか“もぐりの看護婦”とかいう超訳で逃げてしまいそうだが、太田さんは全く違う発想で原意を外さずに訳しているのだ。この場面を観る度、私はバコールのキャラの素晴らしさと同時に、翻訳の素晴らしさに感動を覚える(どう訳されているかは、是非とも実際にDVDで映画を鑑賞して確認してほしい)。こういうウルトラC級の訳を次々と決めなければいけない字幕翻訳は、つくづく大変な仕事だと思う。あらゆるジャンルの翻訳家の中でも、私は──自分が映画好きということもあるが──字幕翻訳家の人たちを最も尊敬している。


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 ローレン・バコールは、私の知る限り、映画史上、最もクールでチャーミングな女優であり、そして、最もシャーデー・アデュに近い雰囲気を持つ女優である。フィルム・ノワール調のヴィデオ「Smooth Operator」(1984)の冒頭で、刑事の尋問に上目遣いとハスキーな声で受け答えするアデュを初めて見た時、私はローレン・バコールだと思った(同曲にはボガート&バコール主演作のタイトルである“キー・ラーゴ”の地名が織り込まれてもいる)。パブリック・イメージだけでなく、両者は人間的にもかなり共通するものを持っているような気がする。'80年代の音楽界において、マドンナがマリリン・モンローだったとすれば、シャーデーは間違いなくローレン・バコールだった。

 バコールは歌手ではないが、『脱出』での彼女の歌唱は吹き替えではない。シャーデーと同じくファッション・モデル出身のバコールは、何の経験もないまま、このデビュー作でいきなり歌まで歌うことになってしまった。もちろん当初はプロの歌手が吹き替える予定だったが、監督ハワード・ホークスの判断により、本人の歌声が使われることになったのである。吹き替えを担当するはずだったのは、女性歌手ではなく、当時まだ10代で無名のアンディ・ウィリアムズだった(兄たちと“ウィリアムズ・ブラザーズ”という4人組ヴォーカル・グループで活動していた)。ホークスは以下のように証言している。
 
「バコールと同じくらい低い声の女性歌手を探し出すのはえらく大変なことでね。そこでアンディ・ウィリアムズを使うことになり、録音した彼の歌声に合わせてバコールに口パクをやらせたんだ。だが、彼女は同時に自分でも歌っていてね。アンディ・ウィリアムズよりも彼女の歌声の方が私は良いと思った。それで一から全部やり直すことにしたのさ。歌声はすべて彼女のものだよ。もう1本の『三つ数えろ』でも歌ってるけど、あれも本人の声だ」(Hawks on Hawks, Joseph McBride, University of California Press, 1982)
 
 『脱出』でバコール演じるマリーは行き当たりばったりで歌手になってしまうのだが、実際、映画でバコールが歌うことになった経緯も半ば偶然のようなものだった。決して巧くはないが、ディートリッヒ風情の彼女の歌にはなかなかの味があると思う(次作『三つ数えろ』ではちょっと巧くなっている!)。こういう玄人っぽくなさも実にシャーデーっぽい。

 シャーデー・ファンは、騙されたと思って『脱出』を観てみるといい。ピアノ弾き役のホーギー・カーマイケルがアンドリュー・ヘイルに見えてくること請け合いである。カーマイケル(「Stardust」「Georgia On My Mind」等の作者)の歌唱場面も多く含むこの映画は、音楽ファンにも大いにお薦めだ(「Hong Kong Blues」は必見)

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 ジョン&ヨーコ、シド&ナンシー、ボニー&クライド、ゲンスブール&バーキン、ビヨンセ&ジェイ・Z……あるいは、百恵&友和、宇崎竜童&阿木燿子。ハンフリー・ボガートとローレン・バコールは、そのような宿命的カップルだった。今頃、2人は天国で久々の再会をさぞかし喜んでいるに違いない。相手の煙草に先に火をつけるのは一体どちらだろう? 大女優の冥福を心から祈る。



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