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Blood Makes Noise──『ジプシー・フラメンコ』



 カルメン・アマジャ Carmen Amaya(1918〜63)という伝説的なバイラオーラ(女性フラメンコ・ダンサー)がいる。スペイン、バルセロナの海岸地区ソモロストロにヒターノ(ジプシー)として生まれ、45年の短い生涯の中で、フラメンコを一級の芸術として広く世界に知らしめた不世出のダンサーである。世界各地の有名劇場で公演し、映画出演も多数。アメリカで熱烈に迎えられた'40年代にはブロードウェイやハリウッド映画でも活躍した。たとえば、シャンソン界におけるエディット・ピアフ、オペラ界におけるマリア・カラス、日本歌謡界における美空ひばりのように、カルメン・アマジャの名はフラメンコの半ば代名詞として歴史に刻まれている。偉大な先達、誰にも超えることができない存在として最大級のリスペクトを寄せられ、今なお人々に語り継がれる、まさに“伝説”と呼ぶに相応しい人物だ。

 そのカルメン・アマジャの没後50年を記念して制作された秀逸なドキュメンタリー映画が、本国スペインでの公開から1年後の'14年夏、日本でも劇場公開された。フラメンコに関する専門知識は何も要らない。上掲のカルメン・アマジャの写真を目にして何となく血が騒ぐ人には、是非ともこの映画を観て欲しい。


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ジプシー・フラメンコ(2013/西)
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監督/脚本:エヴァ・ヴィラ
出演:カリメ・アマジャ、メルセデス・アマジャ“ラ・ウィニー”、フアニート・マンサーノ、フアニート・マンサーノ“ココ”、リサルド・マンサーノ


 原題の“Bajari(バハリ)”は、カローと呼ばれるヒターノの言葉で“バルセロナ”を意味する。映画の舞台は、カルメン・アマジャの故郷であるバルセロナのソモロストロ地区。『ジプシー・フラメンコ』は、カルメン・アマジャの生涯を追った伝記ドキュメンタリーではなく、カルメンの血を継承し、現代のバルセロナに生きる2人の若いヒターノの姿を描いたセミ・ドキュメンタリー調の作品である。

 主人公のひとりは、実際にカルメンと血縁にあるカリメ・アマジャ Karime Amaya('85年生まれ)。カルメンの姪であるメルセデス・アマジャ“ラ・ウィニー” Mercedes Amaya "La Winy" というバイラオーラの娘で、自身も幼年時から大叔母のカルメンや母を継いでプロの踊り手として活動している。彼女は地元の若手ミュージシャンたちと組み、メルセ祭というバルセロナ最大の秋祭りに向けて舞台の稽古に励む。

 もうひとりは、全く無名のフアニートという5歳の少年。映画『バルセロナ物語』(1963)で踊るカルメン・アマジャの姿を興奮して眺め、自分もいつか踊り手になることを夢見る。5歳にして既にフラメンコの素養を身に付けている彼は、ギタリストのココ叔父さんに連れられ、町の靴工房で初めてのフラメンコ・シューズを手に入れる。

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路上で歌うフアニート少年とココ叔父さん

 カリメとフアニート、それぞれの姿が交互に並行して描かれていく。劇中で両者の人生が直接的に交わることは最後までない。親子ほど年齢の離れた見ず知らずの2人は、しかし、カルメン・アマジャという人物を通して確かに繋がっている。映画冒頭、カルメンの踊る映像を観て興奮するフアニート少年の姿は、ある意味、カリメのかつての姿でもあるだろう。そして、この映画にはカリメの母親ウィニーも登場する(カリメに誘われて一緒に舞台に出演することになる)。カルメンの姪ウィニー、その娘カリメ、そして、そのまた1世代下のフアニート。ヒターノのコミュニティーでフラメンコの伝統が連綿と受け継がれていく様を、この映画は時間を大きく移動することなく、3世代の異なるダンサーを劇中に配することでさり気なく鮮やかに描き出している。

 出演者たちの実人生を捉えたこの映画は、ジャンル的には“ドキュメンタリー”ではあるが、彼らがカメラに向かって喋ったり、説明的なナレーションやテロップが挿入されるような無粋な演出は一切ない。通常の劇映画のように、出演者たちはその場にカメラが存在しないかのように自然に振る舞う。この作品はドキュメンタリーであると同時に劇映画のような物語性を持ち、それゆえに一般的な娯楽性もかなり高い。カメラは受け身ではなく、飽くまで能動的に対象を捉える。つまり、行き当たりばったりでカメラが偶然その場に居合わせるのではなく、カメラがあって(映画を撮るという前提があって)初めてフアニート少年は『バルセロナ物語』を観るし、フラメンコ・シューズを買ってもらうことにもなる(と思われる)。カリメが母親ウィニーに電話してショウへの参加を打診したり、親子でカルメンの縁の場所を訪れたりする場面などもそうだ。もちろん“やらせ”という意味ではない。カメラがあったからこそ、そこに彼らの真の姿が現れた。ドキュメンタリーとも劇映画とも呼べる、その絶妙なバランスが素晴らしい。監督のエヴァ・ヴィラ Eva Vila('75年、バルセロナ生まれ。スペイン人なので本来は“エバ・ビラ”と表記するべきだろう)はドキュメンタリー畑の女性だが、撮りたいものがはっきりしているし、語るべきことを語るために脚本もしっかり練っている。『ジプシー・フラメンコ』はそういう意味で非常に映画的な映画であるし、結果、非フラメンコ・ファンにもアピールする普遍的な魅力を獲得できている。


BLOOD MAKES NOISE──生きているから音がする

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カリメ・アマジャの猛烈なサパテアード

 私がまず興奮したのは、映画タイトルが示される冒頭のクレジット場面だった。タイプライターかマシンガンを思わせる猛烈な勢いでサパテアード(足を踏み鳴らすフラメンコの踊り)を打つカリメ・アマジャの足もとが、クロースアップのワンカットで延々と映し出される。その音の生々しさ、力強さ、美しさに圧倒され、いきなり泣きそうになった。まるで床が鮮血で染まっていくのが見えるような凄まじさである。私が好きなタップの世界にも同じくらい速くビートを刻むダンサーはいくらでもいるが、観る者に(木刀ではなく)真剣を突きつけるようなビートの緊張感は本当にフラメンコ独特のものだ。映画冒頭のこの場面は、生のサパテアードの迫力をとても正確に捉えていた。数ヶ月前に観たエバ・ジェルバブエナとロシオ・モリーナの舞台の興奮が蘇る。“これだ! あのとき感動したのはこれだ!”と私は思った。

 この映画で何より素晴らしいのは“音”である。カリメが踏むサパテアードの音、海辺でミュージシャンたちが演奏する音、あるいは、鳩の群が羽ばたく音、金槌で靴底に釘を打ち込む音(フラメンコ・シューズの底には前後2箇所に小さな釘がびっしり打ち込まれる)。環境音も含めた様々な音(ノイズ)が実に丹念に捉えられている。録音とミックスも素晴らしく、映画館の音響設備で聴くと、本当にその場にいて音を聴いているような錯覚に陥る。中でも、稽古場でカリメがサパテアードを踏んでいる場面の音は素晴らしかった。室内に反響する靴音の美しいこと! 彼女がいる環境の空気そのものが生々しく伝わってくる。サパテアードの音だけでなく、その場のアンビエントが丁寧に記録されているのだ。また、場面転換の際、鳩の群が飛び立つ音はカリメのサパテアードの音へ、靴職人が靴底に釘を打ちこむ音はタブラオ(フラメンコのショウを見せる飲食店)で男性ダンサーが踏むサパテアードの音へ自然に接続する。環境音との密接な繋がりによって、フラメンコという芸能が彼らの生活の一部であることがはっきりと示される。舞台で演じられる特別な“芸術”ではなく、生活の中に普通にあるものとして(あるいは、その延長として)フラメンコの音が捉えられている。そこが本当に素晴らしい。“踊ることは生きること”というこの映画の宣伝コピーは決してダテではない。

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大叔母カルメンと同じ格好で舞台に立つカリメ・アマジャ

 映画のクライマックスは、カリメが母親や仲間たちと出演するメルセ祭でのパフォーマンス場面。カリメはカルメンと同じようなボレロ・ジャケット+パンツという衣装で晴れ舞台に立つ(カルメン・アマジャはパンツルックで初めて踊ったバイラオーラだった)。彼女が踊る姿はまさにカルメンの生き写しといった感じである。通常のライヴ・ステージ映像のように、カメラはパフォーマンスの全体像を捉えようとはしない。アップショットと少ないカット割りによって、“パフォーマンス”ではなく、むしろパフォーマンスをする“人間”の方を捉えている。監督のヴィラがここで見つめているのは、カリメ・アマジャというバイラオーラの魂であり、情熱であり、“血”であるに違いない。

 フラメンコは血の芸能である。この映画を観て改めてそう思った。ここには2つの意味での“血”が捉えられている。ひとつは、生の根源としての“血”。カリメやフアニートにとって踊ったり歌ったりすることは、恐らく食べたり喋ったりするのと同じくらい自然な行為である。誰に披露するわけでもなく、生活の中で当たり前のように音楽を奏でる彼らの姿を見ていると、フラメンコのビートは心臓の鼓動と同じなのだと思う。“僕らはみんな生きている/生きているから歌うんだ”という歌があるが、全くその通りのことが起きている。生きているから音がする。そこでは鳩の羽ばたきや海の潮騒、路上の噴水の音でさえ音楽として響くだろう。このドキュメンタリー映画は、徹底的にリアルなミュージカル映画でもある。

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フアニートの父親の鳩小屋(この画だけでも素晴らしい)

 もうひとつは、伝統としての“血”である。ヒターノたちの間でフラメンコという伝統芸能が継承されていく様子を、この映画は学究的にではなく、感覚的・詩的に実に美しく捉えている。私が特に素晴らしいと思ったのは、フアニートの父親が飼っている鳩が出てくる場面である(バルセロナのヒターノ・コミュニティーでは多くの鳩が飼われているという)。鳩や鳩小屋は絵の具で綺麗に彩色されている。フアニートは父親に“誕生日につがいの鳩が欲しい”とせがむ。彼は父親が飼っている鳩が大好きなのだ。その鳩をフアニートが追いかけ、鳩の群がバタバタと飛び立つと、サパテアードの音になる。彼は鳩を通して既にフラメンコを感じ、学んでいる。ココ叔父さんが馬の足に打ち込む蹄鉄も、もちろんフラメンコと強い関連がある。フラメンコは最初から生活の中にあり、それはまるで家業のように次世代に継承されていくのである。フアニートが真新しいフラメンコ・シューズをはいて弟に踊りを教える最終場面──彼がはいている靴の赤色は、彼が先代たちの血を継承したことをはっきりと示している。彼が自分の靴の色に赤を選んだことは、映画的にも実に正しい選択と言える。

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フアニートのフラメンコ・シューズを作る靴職人(靴底にびっしりと釘が打ち込まれる)

 フラメンコを扱った映画としては、スペインの巨匠、カルロス・サウラ監督の作品群が有名である。一流の演者たちのスタジオ・パフォーマンスを華麗な美術と流麗なカメラで捉えた彼のフラメンコ・アンソロジー映画は、フラメンコ・ファンの間でも評価が高い。しかし、まるで美術館の展示物のように手入れの行き届いたそのパフォーマンス映像に、私はずっと物足りなさを感じていた。また、パフォーマンスを中心に据えた彼の映画は、鑑賞者をフラメンコ・ファンに限定してしまうところもある。エヴァ・ヴィラは、サウラとは全く別のアプローチでフラメンコを捉えている。高尚な芸術としてではなく、生活に密着した風習としてのフラメンコ。あるいは、生き方としてのフラメンコ。この映画には本当に血のざわめきが聞こえてくるような生々しさがある。私はこういうフラメンコ映画を待っていた。カルロス・サウラ作品も確かに良いが、フラメンコに興味がある人には(いや、興味がない人にも)、この『ジプシー・フラメンコ』を観ることを強くお勧めする。あなたの血もきっと騒ぐはずだ。

 ……と推薦しておきながら、東京での『ジプシー・フラメンコ』のロードショウは既に終わっていたりする('14年8月9日〜9月12日、ユーロスペース)。役に立たなくてすいません。ずっと楽しみにしていた映画だったが、暑い中、渋谷まで行くのが面倒くさくて、結局、私が観たのは最終日の最終回だった(最終日の最終上映は15:00からで、上映前に配給会社の女性から簡単な挨拶があった。“どうぞこの映画のことを忘れないでください”と仰っていたが、私はきっと忘れないと思う)。地域によってはこれから上映されるところもあるので、チャンスのある方は是非。いずれDVDで発売されるだろうが、音が命の作品なので、映画館のしっかりした音響設備で鑑賞することをお勧めする。上映スケジュールは公式サイトでご確認を。


カルメン・アマジャの生年について

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伝記本『Carmen Amaya』(Montse Madridejos、David Perez Merinero著/2013)

 カルメン・アマジャの生年について補足しておく。彼女の生年は長らく1913年だと思われていたが、近年の調査によって1918年生まれ説が最有力となっている。2013年にスペインで出版されたモンセ・マドリデホス&ダビス・ペレス・メリネロ著の伝記本『Carmen Amaya』にその根拠が示されている(ようだ)。日本の月刊フラメンコ専門誌『パセオフラメンコ』'14年9月号のカルメン・アマジャ特集に掲載された東敬子さんの文章を以下に引用させてもらう。

「(2013年の)没後50年に際し、いくつかのメディアでは“生誕100周年”という記述も見かけられました。これは、出生届が見つからず生年月日が正確に判っていなかったので、彼女の生年が1913年と18年の二通りで書かれる場合があったためです。
 しかし近年、13年生まれは間違いだとする証拠がついに発見されました。前述のマドリデホスとペレス両氏著書によると、30年12月当時の住民票が見つかり、そこでカルメンは12歳と記されており、よって生年は1918年で決着が付いたということです。ということで、生誕100周年は2018年までお預けとなりました」

 この情報は一般的にまだあまり知られていないようで、日本における『ジプシー・フラメンコ』の宣伝でも、通説である1913年説に従って“生誕100周年記念”と謳われている(パンフレットでも'13年生まれと紹介されている)。英ウィキペディアのカルメン・アマジャのページでは1918年とされているが、日本版の同ページでは1913年のままだ('14年9月現在)

 1918年11月2日生まれ、1963年11月17日没、享年45歳(死因は腎不全)──カルメン・アマジャの生涯に関する基本情報は、現時点でこのように定まっている。


カルメン・アマジャを知るために

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CD+DVDセット『Carmen Amaya: La Reina Del Embrujo Gitano』(2003)

 映画『ジプシー・フラメンコ』を観て、あるいは、この記事を読んでカルメン・アマジャに興味を持った人のために、最後にひとつお薦めの入門アイテムを紹介しておきたい。'03年に没後40年を記念してスペインで発売された2CD+1DVDの3枚組アンソロジー『Carmen Amaya: La Reina Del Embrujo Gitano』。ユーロスペースのロビーでも販売されていた商品だ(私が行った最終日には売り切れており、見本品だけ飾られていた)

 '41年と'55〜56年の録音を収録した2枚のCDでは、カルメンのサパテアードとカンテがたっぷり堪能できる。彼女はカンタオーラ(女性フラメンコ歌手)でもあった。いずれも素晴らしいが、特にディスク2の'55〜56年録音は音質もクリアで聴きやすく、初心者の人にも自信を持ってお薦めできる。名手サビーカスがギターを弾く「Alegrias」でのカルメンのサパテアードはどえらい聴きものだ。メロディや楽曲構造が明快な「Rumba Flamenca」には、まるでジプシー・キングスのような親しみやすさがあったりする。これは個人的にも愛聴盤になっている。

 DVD(リージョン・フリー、PAL/NTSC対応)には、スペイン時代の2本の長編映画『La Hija de Juan Simon』(1935)、『Maria de la O』(1936)や、'40年前後に撮られた短編映画からカルメンのバイレ場面のみが収録されている。画質は良くないが、豹のような鋭い目つきで踊る彼女の妖艶な姿はとにかく必見だ。'36年の初主演作『Maria de la O』は、かつて『マリア・デ・ラ・オ』という邦題で国内版VHSが発売されていたこともある(ツタヤの大型店舗で借りよう)。'08年頃、私はYouTubeで古いタップダンサーたちの動画を掘っている時に偶然これらの映像と出会い、フラメンコがヤバいということに気付いた。パンツルックで激しくサパテアードを踏むカルメンの姿は、面白いことに、パンサー・ダンスを踊るマイケル・ジャクソンを私に連想させた。カルメンのバイレは、ホアキン・コルテスやイスラエル・ガルバンなどとあわせて、MJファンの人にも是非見て欲しいと思う。

 ちなみに、この3枚組セットにはかなり豪華なブックレットが付属しており、西/英/仏の3カ国語で掲載されている解説文には、カルメン・アマジャの生年についてこう書かれている──“彼女の正確な生年月日をはっきり示す記録はないが、本稿内にも示される当時の様々な史料を鑑みて、これまで信じられてきた1913年ではなく、1918年から1919年にかけての生まれであることがまず間違いなく言える”。確かに'30年代半ばの映画で踊る彼女はとても初々しく、10代後半くらいの娘に見える。一方、'63年の最晩年の彼女は、45歳というよりは50歳近くに見えたりもするのだが……(単に化粧気がないからか、それとも貫禄のせいか?)。シャーデーのように、彼女は私たちとは違う時間感覚の中で生きていたかもしれない。女性の年齢を詮索するのはあまり良いことではないし、カルメン・アマジャの生年をめぐる話に関しては、個人的にはどちらでもいいと思っている。彼女の記念行事は、生年ではなく没年を基準に行うのが無難だろう。

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『バルセロナ物語』(1963)で踊るカルメン・アマジャ

 『ジプシー・フラメンコ』にも登場したカルメンの遺作映画『バルセロナ物語(Los Tarantos)』は、かつて日本でも劇場公開され、VHS/DVD共に国内発売されたことがある(DVDは『パセオフラメンコ』を発行しているパセオから発売)。スペイン版『ロミオとジュリエット』、あるいは『ウエスト・サイド物語』といった感じの悲恋ドラマらしいが、残念ながら私は未見。これは是非とも再発をお願いしたい(『ジプシー・フラメンコ』と併映して欲しかった!)

 また、カリメ・アマジャとメルセデス・アマジャ“ラ・ウィニー”の2人は、新宿の老舗タブラオ、エル・フラメンコで過去に何度か公演している。『ジプシー・フラメンコ』で飛躍的に知名度が上がった今、再び日本に来てくれることを期待せずにはいられない。






『ジプシー・フラメンコ』予告編映像。上は海外版、下は日本版。日本版では話を簡略化するために、主役のひとりであるフアニート少年が全くフィーチャーされていない(悲)。海外版の方が映画の内容や雰囲気を正しく伝えている。



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