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The Nicholas Brothers (part 4)

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 人種の壁に阻まれてハリウッドでキャリアを思うように伸ばすことができなかったニコラス兄弟は、'50年代になるとアメリカ国外、主にヨーロッパでの活動に力を入れるようになっていた。同時に、ハリウッドを離れて映画スターとして第一線を退いた彼らは、当時急速に普及していた新たな媒体=テレビに活動の場を見出していくことにもなる。

 ハリウッド時代後のニコラス兄弟については入手できる映像も少なく、あまり詳しく紹介することができないのだが、ひとつ特筆されるのは、一時期、ニコラス兄弟としてのコンビが解消されていた期間があったということである。ヨーロッパに活動拠点を移し、巡業や映画出演で第二のキャリアを固めていた彼らだったが、ホームシックになったフェイヤードがハロルドを残して'58年に単身アメリカへ帰国。それから'64年までの約7年間、2人はそれぞれピン芸人として活動していたのだ。

 その間、ハロルドは主にフランスで舞台、テレビ、映画を中心に活躍し、歌手として多数のレコードも出すなど、マルチなエンターテイナーとしてかなりの人気者だったようである。ハロルドのヨーロッパ時代の活動についてはネット上にもほとんど情報がなく、全貌を把握することは難しい。映画では、ピエール・グランブラ監督『L'Empire De La Nuit』(1962)への出演が確認できる。また、正確な時期は不明だが、カテリーナ・ヴァレンテのTVショウで「Alright, Okay, You Win」('57年録音のニコラス兄弟の唯一のアルバム『WE DO SING TOO』収録曲)を歌うハロルドの姿をDailyMotionで確認することもできる。

 ソロ時代についてハロルドの回想。
「最初の頃はステージでやりづらかった。踊りながら兄の方を気にしなくていいというのがね。小さい頃は踊りながらよく兄にぶつかってたからさ。でも、何とかやってるうちに慣れるものでね。一人で公演するようになって、観客の方も一人の私を受け入れてくれた。“兄はどこだ?”なんて訊かれなかったよ」('91年、Bruce Goldsteinによるインタヴュー)

 ヨーロッパでは黒人に対する酷い差別もなく、居心地はとても良かったらしい。'51年にドロシー・ダンドリッジと正式に離婚していたハロルドは、このヨーロッパ時代にElyanne Patronneというフランス人女性と再婚し、パリに腰を落ち着けた。

 一方、アメリカに戻った兄フェイヤードは、Vicky Barronというメキシコ人ダンサーと再婚し、ソロ、あるいは彼女と組んで、ハリウッドやラス・ヴェガスのナイトクラブ、またはメキシコ~南米などで公演し、細々と芸能活動を続けていたようだ(Vicky Barronなる女性との結婚については言及している文献がほとんどなく、信憑性は定かでない。ちなみに、最初の夫人ジェラルディンとは'56年に離婚)。

 2人のコンビが復活するのは'64年、アメリカの人気演芸番組〈The Hollywood Palace〉。その頃にはアメリカの黒人差別も以前とは変化を見せていた。

 今回は、様々な紆余曲折を経験した'50~'70年代、テレビ時代のニコラス兄弟を追ってみたい。


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THE BOB HOPE SHOW (1951)
Broadcast: 23 December 1951
Performance: 2 unidentified instrumentals

 '51年の年末に〈The Bob Hope Show〉に出演。この回は、朝鮮戦争から引き揚げてきた米軍水兵を慰問するクリスマス・スペシャルで、サンディエゴ港に停泊する航空母艦の上で収録が行われた。
 ボブ・ホープの紹介を受けて、ニコラス兄弟は水兵ルックで登場。レス・ブラウン楽団の生演奏をバックに2曲のパフォーマンスを披露する。まず、アップテンポのインスト(ハロルドが出演した'44年の映画『Reckless Age』のダンス場面で使われていた楽曲で、アレンジも同じ)に乗せてタップ。後半ではソロが回され、フェイヤードは『遙かなるアルゼンチン』で見せた回転連続スプリット、ハロルドはスピン&スプリットを披露。その後、順番にスプリットし、最後は2人揃ってスプリットしてフィニッシュ。余裕の名人芸だ。ステージに再登場しての2曲目は、ボブ・ホープとのトリオでのパフォーマンス。3人で肩を組んだタップ、各人のソロ・タップなどで楽しませる。ホープとフェイヤードの股の下をハロルドがスプリットでくぐり抜けるクライマックスでは水兵たちも大喝采。そこで一度ステージを去りかけるが、アンコールに応えて再びダンス。ホープとハロルドがスライド・ステップを見せるのが面白い。達人2人と組んだホープの奮闘ぶりも見ものだ。
 第二次大戦から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、レバノン戦争、湾岸戦争時に至るまで、ボブ・ホープはアメリカ兵士たちのために半世紀にわたってこのような慰問公演を行い続けた。'65年のクリスマス、ニコラス兄弟はホープのベトナムでの慰問公演にも参加している(後述)。


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THE COLGATE COMEDY HOUR (1952)
Broadcast: 14 December 1952
Performance: unidentified instrumental / Down Argentina Way

 '52年12月14日放映の〈The Colgate Comedy Hour〉に出演。ニコラス兄弟は番組終盤に登場し、生バンド演奏をバックに2曲にわたってダンスを披露する。
 まずは軽快なアップテンポのインストに乗せて息の合ったタップを見せる。上記〈The Bob Hope Show〉の1曲目(および、『Reckless Age』)と同じ楽曲で、ルーティン自体も基本的にはホープのショウと同じだが、ここではスプリット部分を省いた短縮版でのパフォーマンス。これはほんの小手調べで、見ものは2曲目。なんと『遙かなるアルゼンチン』の黄金ルーティンを完全再現する(歌はなく、ダンス部分のみ)。全く衰えはないのだが、こなれてしまっているがゆえに、オリジナルほどのテンションやスリルは残念ながらない。ルーティン自体も割と大雑把なのだが、それでも決めるところはきちんと決めてくる。前宙スプリットするハロルドや、回転連続スプリットするフェイヤード、フェイヤードの股の下をハロルドがスプリットでくぐり抜けるフィニッシュ(ステージに奥行きがないため、オリジナルとは違い、空間を横に使っている)など、素晴らしい名人芸の数々にはやはり目が釘付けにされる。スピン&スプリットで見せるハロルドの動きなどは、20世紀フォックス時代よりも切れがあるかもしれない。また、ハロルドがフェイヤードに脚を操られるお馴染みのコンビネーションでは、最後にオリジナルにはなかったハロルドのスピンがある。この箇所でのスピンは2年前の映画『Botta E Risposta』でも見られたが、ここではフェイヤードがハロルドのスピンに合わせて、独楽を回すように腕をひと振りする。これが実にカッコいい。彼らの芸の円熟ぶりが確認できる好映像だ。


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THE HOLLYWOOD PALACE (1964)
Broadcast: 26 September 1964
Performance: Jumpin' Jive

 '64年9月26日放映の〈The Hollywood Palace〉に出演。私はニコラス兄弟のドキュメンタリー『We Sing & We Dance』(1992)でこのテレビ出演映像のほんの一部を見たに過ぎないが、重要なので紹介する。
 先述した通り、'58年からニコラス兄弟はコンビを解消し、ハロルドはヨーロッパ、フェイヤードはアメリカでそれぞれソロとして活動していた。その後、ようやくハロルドが帰国し、7年ぶりにニコラス兄弟のコンビが復活したのが、この'64年9月の〈The Hollywood Palace〉だったのである。
 記念すべきこのテレビ出演、オープニングの演出が粋だ。“おかえり! パリはどうだった?”“とても良かったよ”という会話に続いて、2人が久しぶりに一緒に踊ることになる。フェイヤードが“ステップ覚えてるか?”と訊ね、“なにせ7年ぶりだからお手やわらかに”と言うハロルドに、短いステップを踏んで手本を見せる。“う~ん、できると思うよ”というやりとりの後、2人揃ってステップを踏むと、最後にハロルドが一人で軽やかなスピンをしてトボケてみせる。それを見たフェイヤードが“ちょい待ち。今のは何だ?”。ハロルド“ちょっとばかり、おフランス風味を加えてみたざんす!”。ハロルドがフェイヤードの頬にキスをし、7年のブランクをものともしない2人の華麗なタップが始まる……。
 『We Sing & We Dance』で紹介されるのはこの冒頭部分だけで、その後、どのようなパフォーマンスが繰り広げられたのかは分からない。背後のセットに注目すると、なんと両サイドが滑り台状になっている巨大階段があるではないか。ニコラス兄弟の評伝『Brotherhood In Rhythm』(コンスタンス・ヴァリス・ヒル著/2000)を参照すると、案の定、ここで彼らは『ストーミー・ウェザー』の階段ルーティンをやっているという。これは是非とも全貌を見てみたいものだ。
 ハロルドによると、コンビ復活、および、彼の帰国は飽くまで一時的なものになる予定だったようだ。“カリフォルニアの兄から電話があって、ショウ2回分だけやりに帰って来ないか、と誘われたんだ。国に帰ることは考えてなかったし、(フランスに)また戻ってもよかった”。白人フランス人の妻を連れてアメリカにやって来たハロルドは、しかし、母国の雰囲気の変化に気付いた。“妻とハリウッド・ブールヴァードを歩いていても、誰も振り返らないし、窓から覗かれたり、騒ぎ立てられるようなこともなかった。こりゃマシになったもんだ、と思ったね。で、そのままアメリカに残って、パリと同じようにやっていこうと思ったのさ”(『Brotherhood In Rhythm』)。ハロルドの不在中、アメリカは公民権運動を経験し、黒人に対する差別認識を徐々に改めつつあった。ハロルドは再び母国に腰を落ち着け、以後、最後までニコラス兄弟のコンビが解かれることはなかった。


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THE HOLLYWOOD PALACE (1964)
Broadcast: 14 November 1964
Performance: My Kind Of Town

 前回から僅か7週間後、〈The Hollywood Palace〉に再び登場。この日、彼らは番組のトップバッターとして登場し、シナトラの「My Kind Of Town」を歌い踊る(演奏、歌、タップ音は生ではなく、事前録音が使われている)。これがまさに“完全復活!”と言いたくなるような最高のパフォーマンスになっている。
 暗転したステージに兄弟が現れ、2人の合図でマンハッタンのビル街を模したセットが次々と点灯していくオープニングがまず素晴らしい。ハロルドがリードで“My kind of town...”と歌い、そこにフェイヤードが“Manhattan is...”と合いの手で絡む(地名をシカゴからマンハッタンに変えている)。セットは、グランド・セントラル駅側からパンナム・ビル(前年の'63年オープン。当時、世界一高い商業オフィス・ビルだった。現・メットライフ・ビル)を望んだ絵。ビル街のセットを華麗に駆け巡りながら歌い、途中から舞台中央のグランド・セントラルを模した高い壇上でタップが始まる。高低差のある左右の壇をリズムに合わせて勢い良く下りると、フェイヤードが連続スプリット、ハロルドが前宙スプリットを畳みかけるように披露。後半では背景が一時的に星空になり、『オーケストラの妻たち』の暗転場面を思わせるゆったりしたスプリットも登場する。流れるようなタップが続き、2人揃ってスプリットを決めたところからクライマックスへ。フェイヤードが『遙かなるアルゼンチン』の回転連続スプリットを見せ、スプリットの姿勢のまま静止したところを、後ろから走ってきたハロルドが更にスプリットで飛び越える。フィニッシュは、再び中央のグランド・セントラルに上り、そこからなんと『Tin Pan Alley』のラストで見せた大ジャンプ&スプリット。観客からドッと驚きの声が上がる。まさか1.5m以上ある壇の上からスプリットで飛び降りるとは。さすがニコラス兄弟。

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実際にグランド・セントラルの屋上で踊るとこんな感じ。良い子は真似しないように

 20世紀フォックス時代の見せ場を所々に取り入れつつ、単なる再現ではなく、新鮮な楽曲と舞台セットで、全く新たに練られた彼らのルーティンが見られるのが嬉しい。定番のアクロバットも見ものだが、このパフォーマンスは2人の振付や全体の構成が見事で、『Botta E Risposta』などともまた違った見応えがある。まるで、ベストヒットしか歌わなくなっていた歌手が、往時のエッセンスを散りばめた素晴らしい新曲でカムバックした時のような感動があるのだ。この完成度は一体?……と思っていたら、番組最後のクレジットに“Nicholas Brother's dance staged by Nick Castle”と出て納得。20世紀フォックス時代の黄金チームが復活していたのである。
 「My Kind Of Town」は、シナトラがラットパック映画『七人の愚連隊』(1964)で歌った曲。サミー・デイヴィス・Jrがカジノで歌い踊る「Bang! Bang!」場面が見所のひとつだが(バーカウンターの上で踊りながら破壊行動に及ぶという演出は、アステア『青空に踊る』「One For My Baby」場面のパクリか)、そこでデイヴィスがトランポリンの弾みでバーカウンターの上に飛び乗るアクションが、このニコラス兄弟のパフォーマンスにも取り入れられている(フェイヤードがビルのセットの上にピョコンと飛び乗る箇所がある)。もともとデイヴィスより遙かに格上だったニコラス兄弟だが、この頃にはシナトラと手を組んだデイヴィスの一人勝ちのような状況になってしまい、兄弟の活躍の場は逆に制限されていったとも言える。ショウビズ界で常に白人の二番手を強いられ、鋳型にはめられて思うように個性を発揮できなかった黒人芸人たちがその形勢をひっくり返すには、マイケル・ジャクソンという破格のスターの登場を待たねばならない。
 尚、この回にはアリス・フェイやナンシー・ウィルソン、スタンダップ・コメディアンとして若きパット森田も出演している。


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THE HOLLYWOOD PALACE (1965)
Broadcast: 27 February 1965
Performance: That Old Black Magic

 前年秋の2回の出演が好評だったのか、'65年2月にもう一度〈The Hollywood Palace〉に登場。今回取り上げられた楽曲は、シナトラ、サミー・デイヴィス・Jrの歌唱でも知られるスタンダード「That Old Black Magic」。前回の「My Kind Of Town」に続き、またしてもラットパックの後追いめいてしまっているところに因縁と時代を感じる。
 アップテンポのラテン・ジャズ調アレンジに乗せ、スキャットを混ぜながらハロルドが愛嬌たっぷりに軽快に歌い飛ばす。その間、横にいるフェイヤードは“down and down I go / round and round I go / in a spin...”という歌詞に合わせてターンをしたり、得意の手ぶりを交えながら舞い踊って弟の歌を盛り立てる。ワン・コーラスを歌いきると、後半はお待ちかねのタップ。ハロルドの歌唱は生だが、やたらクリアなタップ音は事前録音だろうか(もしかすると生音かもしれない)。ダンス部分では編曲にブレイクが多用され、タップが引き立てられる。2人揃って踊り、4小節ずつソロを回した後、クライマックスのアクロバットへ。フェイヤードが内ポケットから白いハンカチを取りだし、『遙かなるアルゼンチン』と同じく、両手でハンカチを持ったまま、それを縄跳び式に飛び越えてスプリットする技を見せると、後ろから走ってきたハロルドがフェイヤードの股の間を素早くスプリットでくぐり抜ける。今度はフェイヤードが後方に回り、ゆらゆら踊っているハロルドを後ろから跳び箱式に飛び越えてスプリット。そして、2人揃って決めのポーズを取ってフィニッシュ。
 舞台後方にある階段セットは登場時に2人が普通に降りてくるだけで、パフォーマンスそのものには使われない。また、ルーティン自体、'30年代から2人がやっていたお馴染みの持ちネタの寄せ集めで、全体の構成も割と淡泊なため、特に前回の「My Kind Of Town」と較べるとかなり地味な印象も受ける。案の定、今回はニック・キャッスルの名前はクレジットされていない。キャッスルの貢献度が逆によく分かってしまうようなパフォーマンスなのだが、キャッスル不在の分、'30年代に見られた彼ら元来の持ち味はよく出ているように思う。ライヴ感の高さも嬉しい。

some_bros.jpg ところで、この'65年2月27日放映の〈The Hollywood Palace〉、日本人にとっては見逃せないアッと驚くアクトが出演している。この日、ニコラス兄弟は2番目の出演者なのだが、彼らの前に登場する番組トップバッターは、なんと日本が世界に誇るジャグリング・チーム、あの海老一染之助・染太郎なのである。事前に彼らの出演を知らずに映像を入手した私が、これを見てぶっ飛んだことは言うまでもない(彼らの公式プロフィールを参照すると、確かに“昭和40年2月、アメリカABCテレビ出演”とある)。
 司会のデイル・エヴァンスから“Terrific jugglers from Japan”と紹介され、和風に飾られたステージにいつもと同じ格好、同じ乗りで“ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ~”と登場。「花籠鞠」「一つ鞠」「土瓶」の3つの芸を、これまたいつもと同じように披露する。いつもと異なるのは、盛り立て役の染太郎が英語で口上を入れている点(“One more try!”“Dobin, Japanese teapot!”“Turn round, spin, spin, spin!”などと)。BGMにビッグ・バンドのジャズ演奏が使われているのも面白い。そして何より驚くのが、2人とも若い!ということだ(当たり前だ)。この時、兄・染太郎/33歳、弟・染之助/30歳。芸風は後年と全く一緒だが、逆に、この時点で芸が完成されていることにも驚かされる。世界のエンターテインメントの中心地アメリカ、その大勢の観客と視聴者を前にした大舞台で、難易度の高いパフォーマンスをひとつのミスもなく軽やかに披露してみせるお染ブラザーズ。まるで日本の正月番組にでも出ているかのような恐るべき安定感で、青い目の観客を確実に沸かせるのである。プロなのだから当然と言えば当然だが、約四半世紀前のアメリカでの彼らの雄姿に、同じ日本人として私は感動を覚えずにはいられなかった。
 パフォーマンス後、面白いことに2人は“The Murais(ザ・村井ズ)”と紹介される(“村井”は彼らの本名)。“Somenosuke Sometaro”では覚えにくいとの判断から、海外向けにこのような芸名を名乗ったのかもしれない。これはかなりレアな記録ではないだろうか。そして、彼らに続いて登場するのが、アメリカの“踊る染之助・染太郎”とも言うべきニコラス兄弟なのだ。舞台裏で日米両兄弟は挨拶の言葉くらい交わしたはず。染之助氏はこの時のことを今でも覚えているのだろうか?


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THE BOB HOPE VIETNAM CHRISTMAS SHOW (1966)
Broadcast: 19 January 1966
Performance: unidentified instrumental / Yankee Doodle

 '65年のクリスマスにベトナムで行われたボブ・ホープの米軍慰問公演に出演。大勢の兵士を前にした昼間の屋外ステージでのパフォーマンス(ステージ背後が駐車場らしく、無数の車が見える)。
 まず、ボブ・ホープとニコラス兄弟のやりとり。ホープ──“キャブ・キャロウェイが2人にあだ名を付けたんだってね。なんていうあだ名だい?”。ハロルド──“僕はリトル・モー(Little Mo)”。フェイヤード──“僕はビッグ・モー(Big Mo)”。ホープ──“他に兄弟は?”。ハロルド──“モー、いません(No Mo')”。
 この軽いネタに続いて、ビッグ・バンドの生演奏をバックにホープとニコラス兄弟のダンス合戦が始まる。“オレについてこれると思ってんのか?”と言ったホープの目の前で、ニコラス兄弟がいきなり高速ダンスを披露。バンド演奏が止まり、“はい、あんたの番”とホープに振る兄弟。すると、スロー・テンポの伴奏で、ホープがおっとりしたタップを披露して笑いを誘う。再びニコラス兄弟が超高速で超人的ダンスを披露すると、ホープがまたしても低速ダンスですっとぼける、という具合。『百万ドル小僧』(1934)でのエディ・カンターとの共演場面をちょっと彷彿とさせる演出だ。
 続いて3人揃ってタップ。曲はアメリカの愛国歌「Yankee Doodle」(日本では「アルプス一万尺」として知られる)。スローで始まり、徐々に演奏とダンスのスピードが速まっていく。最後は、観客に向かってホープが広げた両手で兄弟2人の顔が隠れてしまうというオチが付く。単純だが、やっぱり楽しいアメリカン・エンターテインメント。ニコラス兄弟とボブ・ホープのトリオはとても良い。


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UPTOWN SATURDAY NIGHT (1974)
Directed: Sidney Poitier

 シドニー・ポワチエ監督/主演の映画『Uptown Saturday Night』にハロルドが単独で役者として出演。ポワチエの相棒役のビル・コスビーの他、ハリー・ベラフォンテ、フリップ・ウィルソン、リチャード・プライヤー、ポーラ・ケリー、カルヴィン・ロックハート、ロスコー・リー・ブラウンなどが次々と登場する黒人コメディ。家庭持ちの冴えない親友コンビ、ポワチエとコスビーの2人が遊びに出掛けたナイトクラブが強盗に遭い、ポワチエが財布を奪われる。その財布に入っていた宝クジが5万ドルの大当たりであることが後に判明し、強盗から財布を取り戻すために2人が大奮闘……というお話。強盗団の行方を追って2人が訪れる先々で豪華出演陣が登場し、クセのある演技で大いに笑わせてくれる。
 ハロルドは映画中盤、ポワチエ&コスビーが手がかりを求めて訪ねる町のヤクザ者 Little Seymour なる役で登場。巨漢の用心棒を従え、チビで弱そうに見えながら実はただ者でない、ちょっとアブナい男の役を、キャラが読めない絶妙すぎる表情で演じていて最高。場所は飲み屋で、用心棒が不在だと勘違いして調子に乗って彼を挑発していたポワチエ&コスビーを、“俺をコケにする奴は許さん。キエ~ッ!”と奇声を上げながらマーシャルアーツで懲らしめる。ダンスはないが、アクロバティックなアクションにきちんと個性が生かされていて、跳び蹴りでバーカウンターを派手に突き破ったり、用心棒の掌の上に乗ってダイヴする超人的な動きが、ここでは見事に笑いに転化している。用心棒が現れた途端に態度を豹変させ、額に汗をかきながら口八丁の言い訳をするコスビーも無茶苦茶に可笑しい。映画の中でも出色の爆笑場面だ。
 ブラックスプロイテーションに対するポワチエの返答のような洒脱なコメディで、観ながら実にほのぼのとハッピーな気分になれる作品。芸達者なクセ者揃いの出演陣の中でも、特にギャングの親分に扮したハリー・ベラフォンテのおいしすぎる暴走ぶり(『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドのパロディ)は必見。ちなみに、ポワチエ&コスビーのコンビでは、これ以降も『一発大逆転(Let's Do It Again)』(1975)『ピース・オブ・アクション(A Peice Of The Action) 』(1977)の2本が製作されている(なぜか『Uptown Saturday Night』だけ日本未ソフト化)。


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DISCO 9000 (1976)
Directed: D'Urville Martin

 ディスコもののブラックスプロイテーション映画にハロルドが役者として出演。3番目に名前がクレジットされる助演級の大役で、全編にわたって活躍している。“ディスコ9000”というロサンゼルス一のレーベルとディスコを運営するクールな主人公が、商売敵から度重なる妨害・脅迫を受けながらも屈せず、最後には卑劣な悪漢どもを撃退してめでたしめでたし、という実に薄っぺらい物語。ハロルドはジョン・プール John Poole 演じる主人公、ディスコ9000のオーナーの頼りになる片腕という役どころ。Midget(チビ公)というそのまんまの役名で、個性的なルックスを生かした、なかなか印象的な演技を見せている。ただ、せっかくディスコを舞台にしていながら、ハロルドのダンスが全くフィーチャーされないというのはどういうことか。フロアでスピン&スプリットを見せるシーンくらい入れるべきだろう(客に混じってほんの戯れ程度に踊る場面はあるが)。ハロルドがダンサーだということを知らないのか?と製作者を問い詰めたい。
 ディスコものであるにもかかわらず、この映画はダンス場面に全くと言っていいほど力が入れられておらず、いい加減に踊るエキストラの様子をいい加減に撮ったようなボンクラな映像しか出てこない。ダンスという点では、主人公の誕生日パーティの場面で、〈Soul Train〉の名物ダンサーだったパット・デイヴィス Pat Davis が巨大ケーキの中から登場して踊るのが唯一の見所(が、これも実にショボく処理されている)。高層ビルの最上階にある最先端ディスコ、という設定の割りには内装がどうにも安臭く、技術面でも全編通していかにもブラックスプロイテーションらしいペラペラ感が漂う。端役レベルになると演技のクサさも相当なものだ。コメディではないが、別の意味で笑いどころの多い作品ではある。
 尚、音楽担当はジョニー・テイラーで、自らもレーベルのプロデューサー役で出演。パット・デイヴィスのダンス場面では、当時の大ヒット「Disco Lady」(歌詞にずばり "Soul Train" の番組名が出てくる)がしっかり使われている。


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映画『L・B・ジョーンズの解放』に出演したフェイヤード

 '70年代、上記2本の映画にハロルドが役者として出演する一方、兄のフェイヤードも同様に映画俳優として新たなキャリアを切り開こうとしていた。フェイヤードはハロルドよりも一足先に、ウィリアム・ワイラー監督『L・B・ジョーンズの解放(The Liberation of L.B. Jones)』(1970)に端役出演(アメリカ南部に残る黒人差別を扱ったシリアス・ドラマ。未見)。しかし、フェイヤードの役者としてのキャリアは、結局そこから広がることはなかった。ハロルドに関する限り、性格俳優としてかなりポテンシャルを感じさせはするものの、残念ながら、上記の2本以降はやはり映画業界から声が掛からなくなってしまう。

フェイヤード「あの映画(『L・B・ジョーンズの解放』)での私の演技は好評だった。やった!また次の役が来るぞ、と思ったが、ちっともお呼びは掛からなかった」(TVドキュメンタリー『Flying High』)

ハロルド「何とも言いようがない。(当時を振り返ってみて)時々、というか、よく思うんだ。いったい何がいけなかったんだろう、とね」(同上)

 '50年代半ばのロックンロール興隆以降、ミュージカル映画の衰退と共にタップはすっかり時代遅れの古典芸能の座に転落してしまい、多くのタップ・ダンサーが職を失うことになった。ニコラス兄弟の場合はまだショウビズに仕事があった方だと思うが、それでも、こうした別分野への転職や、成功とは言い難いその結果を見ると、本人たちにとってはかなりのどん底時代だったような気がする。彼らに再び仕事が来るようになるのは、次世代によってタップ・ダンスが見直される'80年代以降のことである。


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THE JACKSONS (1977)
Broadcast: 23 February 1977
Performance: unidentified instrumental

 '76年6~7月、'77年1~3月にCBSで週一回放映されたジャクソンズのテレビ・ショウ(30分/全12回)、その'77年2月23日放映の第10回にゲスト出演。ニコラス兄弟とマイケル・ジャクソン、20世紀を代表する新旧黒人スター・ダンサーによる夢の共演である。この年、フェイヤード63歳、ハロルド56歳。もちろん往年の爆発的なダイナミズムこそないが、まだまだガンガンに踊れる。
 ニコラス兄弟が単独でタップを披露した後、マイケルが登場し、3人でタップ。マイケルのステップにはタップ的な要素もあるが、まともにタップを踏んでいる姿は珍しい。やはりただ者でなく、持ち前の天才的センスで難なくこなしているのがすごい(切れ味も半端でない)。何より、ニコラス兄弟に対するマイケルのリスペクトが画面から伝わってくるのが嬉しいところだ。次にジャクソン・ファミリーたちも加わり、輪になって皆でダンス合戦。ジーン何とかという狡い白人ダンサーとは違い、フェアな演出なので見ていて非常に盛り上がる。まずはマイケルが踊ってから、フェイヤードにバトンタッチ。さすがにこぢんまりとしたが、黄金の両腕はもちろん、脚さばきや身体全体の動きはやはり美しい。次のハロルドが驚きで、得意技のスピン&スプリットを“どうだ!”という感じで完璧に決める。さすがニコラス兄弟。ファミリーが一通りフィーチャーされた後、最後は全員揃って冒頭と同じルーティンを踊ってフィニッシュ。10歳のちびっ子ジャネットもマイケルと一緒にタップ(彼女は13年後にジュリアン・テンプル監督「Alright」のPVでニコラス兄弟と再共演を果たす)。
 こういうものを見せられると、年を喰ってあれだけ踊れなくなってしまったJBは一体何だったのだ、という気もしてくる。ちなみに、JBがこのハロルドと同じく56歳だったのは'89年である。その頃のJBはどうだったかと思い出すと……(以下、自粛。ショウビズ界一の働き者は、別のおつとめ中だった)。
 〈The Jacksons〉は、ジャクソン・ファミリーの歌とダンスにコントなどを交えたバラエティで、今の日本の〈スマスマ〉のジャクソンズ版のようなもの。オリジナル曲の他に様々なミュージカル・ナンバーが取り上げられているのも見所で、'80年代以降の一連のショート・フィルム作品へ通じるマイケルの嗜好を確認することもできる(マイケルのタップもかなり見られる。彼がスプリットを見せる珍場面もあるが、これが妙に下手くそだったりして面白い)。もっとも、マイケル自身は、コントや司会など本業以外のことをやらされたり、限られた時間でダンス・ナンバーをいくつも収録しなければならなかったこのテレビ・シリーズを、後に自伝『ムーンウォーク』で“失敗だった”と振り返っているが。


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 '70年代までのニコラス兄弟のテレビ出演記録としては、他に'53年12月13日の〈Toast Of The Town〉、'66年1月16日の〈The Bell Telephone Hour〉(ドナルド・オコナー共演)、'74年8月30日と'81年12月31日の〈The Tonight Show starring Johnny Carson〉が確認できる(IMDb、TV.com 参照。データ化されていないだけで、まだまだ他にもテレビ出演はあるはず。ヨーロッパ時代に関しては全く未知の世界)。'74年〈The Tonight Show〉の出演者リストには、兄弟と並んでなんとジーン・ケリー、ライザ・ミネリ、ヴィンセント・ミネリの名前が。これらの映像が再び陽の目を見ることは果たしてあるのだろうか。


The Nicholas Brothers (part 1)──'30年代(子供スター時代)
The Nicholas Brothers (part 2)──'40~43年(20世紀フォックス時代)
The Nicholas Brothers (part 3)──'44~56年(アメリカ~ヨーロッパ時代)
The Nicholas Brothers (part 4)──'50~70年代(テレビスター時代)
The Nicholas Brothers (part 5)──'80年代以降(再評価時代)
The Nicholas Brothers (part 6)──'90年代TVドキュメンタリー
The Nicholas Sisters

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