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Julie London──涙川ブルース




 「Cry Me A River」と言えば? ジャスティン・ティンバーレイクと答える人は、30歳以下の若い音楽ファンか。ジュリー・ロンドンと答える人は、私と同じ古い奴である。

 「Cry Me A River」と言えば、ジュリー・ロンドン。そして、ジュリー・ロンドンと言えば「Cry Me A River」、でもある。彼女の1stアルバム『JULIE IS HER NAME(彼女の名はジュリー)』(1955)の冒頭を飾る問答無用の代表曲。今日まで多くの歌手に歌い継がれている大スタンダード・ナンバーだ。

 ジュリー・ロンドン(1926〜2000)は、名前こそ“ロンドン”だが、カリフォルニア出身のバリバリのアメリカ人である(本名、Gayle Peck)。もともと'40年代半ばに映画女優としてデビューしたが、あまりパッとせず、'50年代半ばにジャズ〜ポピュラー歌手に転向して大成した。気怠く色っぽいスモーキーな歌声と持ち前の美貌、夫にもなったボビー・トゥループ──「Route 66」(1946)の作者──の制作による小粋なジャズ・サウンドで、多くの音楽ファンを魅了した。彼女の繊細で親密な歌唱は、トーチ・ソングを歌う時にひときわ輝きを増す。昔から日本で人気が高いヘレン・メリルとよく似たタイプの歌手だが、ヘレンの歌に独特の(いかにも日本人が好きそうな)ウェットさがあるのに対し、ジュリーの歌はドライでクールである。彼女が漂わせる都会的で洗練されたアダルトなブルース感覚は、シャーデーのそれに非常に近いものがある。初期のジャジーなシャーデーを愛する人は、間違いなくジュリー・ロンドンも好きなはずだ。

 前回、“1月の歌”としてジュリー・ロンドンが歌う「June In January」を取り上げた。ついでに、かつてシャーデーも歌った名曲「Cry Me A River」の和訳に挑むことにしたい。


 Cry Me A River
  (Arthur Hamilton)
 
 Now you say you're lonely
 You cry the whole night through
 Well, you can cry me a river, cry me a river
 I cried a river over you
 
 今さら寂しいと言うのね
 一晩中 泣き通しだと
 なら 川とお泣き 川とお泣きよ
 私があんたを想って泣いたように
 
 Now you say you're sorry
 For bein' so untrue
 Well, you can cry me a river, cry me a river
 I cried a river over you
 
 今さら謝ると言うのね
 不実で悪かったと
 なら 川とお泣き 川とお泣きよ
 私があんたを想って泣いたように
 
 You drove me, nearly drove me out of my head
 While you never shed a tear
 Remember, I remember all that you said
 Told me love was too plebeian
 Told me you were through with me and
 
 おかげでおかしくなりそうだった
 あんたは涙も流さずに
 そうよ あんたはこう言った
 恋なんてくだらない
 おまえとは終わったと
 
 Now you say you love me
 Well, just to prove you do
 Come on and cry me a river, cry me a river
 I cried a river over you
 
 今さら愛してると言うのね
 今度は本気だと言うのね
 だったら 川と泣いて 川と泣いてよ
 私があんたを想って泣いたように
 
 
 “やっぱ好きやねん”と帰ってきた浮気男に対して、“はあ? あんたのせいであたしがどれだけ泣いたか分かってんの?”と返す怨歌じみたコワい歌である。男への未練を滲ませたジュリー・ロンドンのやるせない歌唱がなんとも泣かせる。成仏できない魂のように、彼女の声が深いエコーと共に消えていくエンディングの余韻は殺人的な素晴らしさだ(エルヴィス・プレスリー「Blue Moon」と聴き較べたい)。この歌は、表題にもなっている“cry me a river”、および、“I cried a river”という言い回しの妙が肝で、和訳ではこれをいかに処理するかが大きな課題となる。

 英文解釈の時点でつまずく人もいると思うので一応説明しておくと、まず、“I cried a river”は、“私は川を泣いた”ではもちろんなく、“私は川のごとく泣いた”という意味の比喩表現である。“a river”は、文法的に言うと“cried”のいわゆる同族目的語に当たる。感覚的には“cried”を修飾する副詞(!)として捉えることもできる。同族目的語と捉える場合、“I cried a river”は“I cried a lot of tears”と換言できる。“I cried a river”の後に“of tears”が省略されていると考えても良い。副詞と捉える場合は、“I cried like a river”、あるいは“I cried a hell of a lot”などと換言できる。文法的には同族目的語と捉える方が遙かに自然だが、いずれにせよ、“泣く(涙を流す)”と“川”を液体繋がりで結びつけた比喩表現であることに違いはない。

 “cry me a river”という言い回しは更にトリッキーだ。“cry a river(川のごとく泣け)”の間に“me”が割り込んでいる。この“me”は文法用語で“利害の与格”と呼ばれるもので、聖書やシェイクスピア作品のような大昔の英文に出てくる古い用法である。“Kill me your son(汝の息子を殺してみせよ)”、“Knock me on this door(この扉を叩くがいい)”、“Hit me a home run(ホームランを打ってみせろ)”といったフレーズがその例だ。現代の常識的な英語感覚では誤読の可能性もある、かなり奇妙な言い回しである。これらの“me”は動詞の直接目的語ではなく、間接目的語のような役割を果たしていて、いずれも“for me”に置き換えることができる。“cry me a river”は、現代英語の標準的な文法に則して換言すると“cry a river for me”となる。要するに、単に“私のために〜してくれ”という意味の文章なのである。“me”が邪魔で分かりにくいが、“a river”が“cry”の同族目的語であることに変わりはない。英語で分かりやすく換言すると、“cry a river of tears for me”、あるいは、“cry enough tears to make a river for me”ということになる。“私のために川のごとく(たくさん)泣いてみせよ”というのが基本的な訳文だ。

※“a river”は、大量の水を思わせるものだったら何にでも置き換えることができる。例:Cry me a mug、Cry me a bucket、Cry me a barrel、Cry me a tank、Cry me a pool、Cry me a pond、Cry me a lake、Cry me an ocean……。中でも“川”は、それが“流れるもの”であるという点で、涙の比喩として特に優れている。“Cry me a waterfall(滝のごとく泣け)”でも良いが、激しすぎて歌のイメージとは合わないだろう。

 というわけで、一応、それらしい説明をしてみたが、私は英文法の研究家ではないし、歌詞を文法的に解説するために記事を書いているわけでもない。私がやりたいのは、この素晴らしい英語の歌詞を、その素晴らしさを保ったまま日本語に変換することである。原文を読んだ時と同じ感動を、母国語でも味わえるようにしたい。同じ感動は無理でも、限りなくそれに近い感動を与える日本語の歌詞(のようなもの)を作成したいのである。理解や解釈は飽くまでスタートラインで、翻訳の真の面白さはここからだ。

 “cry a river”=“川のごとく泣け”と説明したが、原文に“like(〜のごとく/ように)”はない。つまり、比喩は比喩でも、直喩ではなく、暗喩である。これによって表現に独特の切れと深みが生まれている。“〜のごとく/ように”を使わず暗喩的に訳すにはどうすればいいか。私はまず“川の涙を流せ”という訳を思いついた(“涙の川で溺れろ”や“涙の川を渡れ”も思いついたが、これはさすがにデフォルメが過ぎる)。“you can cry me a river”の“you can”は、“せいぜい〜するがいい”といったニュアンスである。“川の涙を流すがいい(お流しよ)”でも悪くないと思ったが、この言い回しだと、結びの“I cried a river over you”を原文と同じくらい短く簡潔に処理することが難しくなる(ちなみに、“I cried a river over you”の頭にはもうひとつ“like”──もしくは“because”──が隠れている。拙訳ではこれを訳出した)。また、ブリッジ部分には“cry”の類似表現“shed a tear”が登場する。できれば両者は差別化したい。“cry me a river”というサビの畳句を、“涙”ではなく“泣く”という言葉を使って、なんとか原文に近いリズム感──子守唄のようなそれ──で訳すことはできないか。同一フレーズの反復は、和訳においても可能な限り同様に反復されるべきだと私は考える。繰り返すこと自体に意味があるからだ。さて……。

 最終的に私は、かなり躊躇しながらも、“cry me a river”を“川とお泣き”と訳すことにした。“川と泣く”は、“川と一緒に泣く/川と共に泣く”ではなく、“川のように泣く”という意味である。あまり用いられないが、日本語の“と”という助詞には比喩を作る用法がある(例:ゴミが山と積もる/泡と消えた夢/雨と降る弾丸)。日本語だとかなり文字数を喰う“(for)me”は無理に訳出せず、言外に匂わせる形で処理するのがベストと考えた。そうして出来上がったのが上掲の拙訳である。

 ただ、やはり納得はいかない。生粋の日本人として、正直、私は“川とお泣き”というフレーズに強い違和感を覚える。“川と泣く”などという言い回しは一度も耳にしたことがないからだ。拙訳を一読してこの違和感を覚えない人はいないと思う。文法的に間違いではないが、これは日本人の一般的な言語感覚から外れたおかしなフレーズだろう。そのような歪な訳文は書かないよう私は常々心掛けている。それでも今回、“川とお泣き”で手を打ったのは──実に言い訳がましいが──そもそも原文の言い回し自体に似たような歪さがあるからである。比喩の“と”だと思って読めば、確かに意味は通る。そして、その時に感じられる言葉の興趣、響き、リズム感こそ、原文の喚起するそれに最も近いと私は感じるのである。

 ちなみに、これまでの努力をすべて無効にするようなアイデアだが、思い切って“川”の比喩を放棄し、“うんとお泣き、うんとお泣きよ”とする手もある。面白味には欠けるが、日本語の歌詞としてはその方がよほどスマートだろう。拙訳はメロディに乗せることを意図したものではないが、それに近い感覚で原文を訳出している。日本語には“涙川”という素晴らしい言葉があり、実際、そのように題された歌も少なからず存在するのだが(“なみだ川”で検索してみよう)……作者のアーサー・ハミルトンが日本人だったら、果たしてこの歌をどのように作詞していただろうか?


SADE IS HER NAME──彼女の名はシャーデー

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 シャーデーがまだ駆け出しのバンドだった頃、彼らはステージで「Cry Me A River」をレパートリーにしていた。レコード・デビュー前の'82年末〜'83年前半にかけて、彼らがまだプライドのバンド内バンド(アンドリュー・ヘイル加入前の4人組)だった頃の話だ。以下は、'83年2月27日、ロンドンの老舗ジャズ・クラブ、Ronnie Scott's Jazz Clubでシャーデーが行ったギグのセットリストである(かなり音質の良いオーディエンス録音が残っている)

1. Why Can't We Live Together [Timmy Thomas cover]
2. When Am I Going To Make A Living
3. Mr. Wrong
4. Cherry Pie
5. Be Thankful For What You Got [William DeVaughn cover]
6. Smooth Operator - Snake Bite
7. Cry Me A River [Julie London cover]
-encore-
8. Love Affair With Life
9. When Am I Going To Make A Living

Live at Ronnie Scott's Jazz Club, 27 February 1983
Personnel: Sade Ade (vocals), Stuart Matthewman (guitar, sax), Paul S. Denman (bass), Paul Cooke (drums)

 「Cry Me A River」はアンコール前の締め括り曲として披露されていた。マシューマンのサックスとデンマンのベースを軸にしたスローなクール・ジャズ調アレンジ。イントロとアウトロに加えられたテーマ・メロディと、終盤で長めにフィーチャーされるマシューマンのサックス・ソロがノワールな雰囲気を醸し出していて実にカッコいい。選曲は恐らくマシューマンによるものだろう。アデュの歌唱は概ねジュリー・ロンドン版に忠実。決して巧くはないが、声質が似ていることもあり、なかなか様になっている。シャーデーの後の名曲「Is It A Crime」は、こうした古典的なトーチ・ソングを参照しながら生まれたものである。近年、スチュアート・マシューマンはサイド・プロジェクトのツイン・デンジャー('15年3月に1stアルバムが遂にメジャー・リリース!)で、初期シャーデーでやっていたクール・ジャズ的な音楽に改めて取り組んでもいる。


MARA IS HER NAME──彼女の名はマラ

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ARCHAIC RAPTURE
Digital: no label, 18 March 2014

My Coloring Book / Ev'ry Time We Say Goodbye / In The Wee Small Hours / Gone With The Wind / Cry Me A River / Set Me Free

 ジェシー・ボイキンス三世、メロー・X、クリス・ターナーらと活動を共にしているオークランド出身の若手美人歌手、マラ・ルビー Mara Hruby。「Cry Me A River」は、'14年3月に配信された彼女の2nd EP『ARCHAIC RAPTURE』でも取り上げられていた。

 マラ・ルビーのデビューEP『FROM HER EYES』(2010)は、彼女自身にとっての“スタンダード”であるネオソウル〜ヒップホップ系作品(ザ・ルーツ、ヴァン・ハント、アンドレ3000、ディアンジェロ、ボブ・マーリー、ジャミロクワイ、モス・デフ)を独自のエレガントなマナーでカヴァーした非常に瑞々しい作品だった。自分で曲を書くよりも他人の楽曲を解釈することに力を注ぐ彼女の創作姿勢は、往年のジャズ〜ポピュラー歌手のそれに近く、シンガー・ソングライター(自作自演アーティスト)ばかりの現代の音楽界にあっては、むしろ逆に個性的と言えるかもしれない。実際、彼女はジョセフィン・ベイカー、リナ・ホーンドロシー・ダンドリッジ、アーサ・キットといった往年の黒人女性スターたちを仰ぎ見、'40〜50年代の古風なファッションをこよなく愛する──日本で言うと“大正ロマン好き”、“昭和モダン好き”みたいな──かなりオタッキーな女子でもある。『ARCHAIC RAPTURE』は、そんな彼女の趣味が全開になった作品だ。

 全6曲のうち、オリジナル曲「Set Me Free」を除く5曲がジャズ〜ポピュラー系のスタンダード・ナンバー。失恋や傷心の思いが綴られた感傷的な歌ばかりである。いずれもマラが自分自身の失恋を克服するために選んだもので、収録曲が6曲なのは、彼女の恋人だった男が6人(!)の女性と浮気していたことに因むという。“往年の名歌を偲んで”といったニュアンスも漂う“Archaic Rapture”という表題には、彼女の個人的な失恋体験への思いが込められているようだ(“過ぎ去りしバラ色の日々”みたいな感じか)

 EPが生まれた経緯をマラはこう説明する。

「3年付き合った彼氏と別れてから2週間後にアイデアが思い浮かんだの。彼は6人の女と浮気してた。その事実が発覚してからすぐ、2010年の3月に、私は叔母と叔父と一緒にフロリダのマナソタ・キーに2週間ほど旅行に出かけた。そこでジュリー・ロンドンばかり聴いてたら、ふと閃いたの。古典的なトーチ・ソングが持つ力ってすごいなと思い、次の自分の作品集は、個人的な失恋への思いも込めて、ジュリー・ロンドンや彼女が歌った傷心の歌へ捧げよう、とね」(11 February 2014, Singersroom.com)

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JULIE LONDON versions:
My Coloring Book (1963) / Ev'ry Time We Say Goodbye (1965) / In The Wee Small Hours Of The Morning (1960) / Gone With The Wind (1955) / Cry Me A River (1955)

 『ARCHAIC RAPTURE』で取り上げられた5曲のスタンダード・ナンバーは、いずれも過去にジュリー・ロンドンが歌ったものである。このEPは、要するに『MARA HRUBY SINGS JULIE LONDON』なのだ。ギター主体のレイドバックしたアレンジには、ジュリー・ロンドン版とはまた違う趣があって面白い。アシッド・フォークにも似た幽玄で幻想的なサウンドが、古典的なトーチ・ソングに新たな息吹を与える。簡素ながらも隅々まで配慮の行き届いた温もり溢れるサウンドは、まるでジュリー・ロンドンの楽曲を一度漂白し、6色セットの色鉛筆で丁寧に彩色を施した塗り絵のようでもある。『A COLORING BOOK OF JULIE LONDON』──そんな表題も思い浮かぶ作品集だ。

 ハスキーで可憐なマラの歌声は、脆さを感じさせながらも、真っ直ぐで凛としている。自分の失恋に正面から向き合い、それを乗り越えようとする強い意志が、そのような真摯でしなやかな歌唱を実現しているのかもしれない(もちろん、彼女がソウルを聴いて育ったことも関係しているだろうが)。特にコール・ポーターの名曲「Ev'ry Time We Say Goodbye」での無垢でひたむきな歌唱は感動的だ。真夜中の感傷や倦怠を歌うのがジュリー・ロンドンだとしたら、マラの歌には、長い孤独の夜を乗り越えた明け方の晴れやかさや清々しさがある。同時に、彼女特有の夢見るような甘美なムードが終始漂い、ジュリー・ロンドン作品とはまた違った親密さを生んでもいる。小粒ながらも、ビタースウィートな味わい深い佳作。6曲しか聴けないのが実に残念である(彼氏の浮気相手がもっと多ければ良かったのに!)

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 白眉はやはり、1stシングルにも選ばれた「Cry Me A River」か。これだけ他の曲よりも使われている“色鉛筆”の数が若干多く、マラの筆致にも格別の気合いが感じられる。ジュリー・ロンドン版には男に対する未練がうっすらと滲むが、マラは明らかに決別の歌としてこの曲を歌っている。見事な解釈だと思う。「Cry Me A River」は、多くの音楽リスナーにとってそうであるように、彼女がジュリー・ロンドンにハマるきっかけにもなった曲だった。

「私の個人的な失恋体験を物語る歌。映画『Vフォー・ヴェンデッタ』がそもそものきっかけだった。劇中でこの歌が2度流れて、映画館で初めてその場面を見た時、私はすっかりのぼせてしまった。私のジュリー・ロンドン熱が始まったのは'05年のその時からね」

 川の流れのように歌い継がれていく「Cry Me A River」。この世に男と女がいる限り、涙川はどこまでも流れ続けるだろう。



追記('15年6月9日):
 “Cry me a river”というフレーズの文法解釈について補足しておきたい。“Cry Me A River の意味と文法の《正しい》考察”というブログの'15年6月8日の記事に、参考として拙記事へリンクが張られているのを見て、私の記述は説明不足だと感じたからである。

 “a river”は“cry”の同族目的語だとぶっきらぼうに説明したが、厳密には違う。同族目的語みたいなものだ、ときちんと断るべきだった。

 He slept a deep sleep.(彼はぐっすり眠った)
 He danced a strange dance.(彼は奇妙な踊りを踊った)

 同族目的語というのは、このように、ある自動詞がその名詞形(何らかの形容詞で修飾される)を目的語にして他動詞として使われる場合の目的語のことを言う。

 He slept deeply.
 He danced strangely.

 2つの例文はこのように換言することもできる。意味や感覚としては、同族目的語は動詞を修飾する副詞のような働きをする。

 涙の暗喩である“a river”が“cry”の名詞形のように機能しているため、同族目的語という説明が分かりやすいかと思ったのだが、上記のブログの筆者も書いている通り、“同族「的」目的語”とでも説明するのが適当だと思う。厳密には、“a river”は“cry”の同族目的語ではなく、比喩を伴って同族目的語っぽさを呈した、単なる普通の目的語である。

 以下のように考えると分かりやすい。

 shed/cry a lot of tears(たくさん涙を流す)
 ↓
 shed/cry a river of tears(川の涙を流す)
 ↓
 cry a river(川と泣く)

 cf. cry salt tears(血の涙を流す)

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