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By Your Side [video]

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BY YOUR SIDE (2000)
Directed: Sophie Muller

 『LOVERS ROCK』からの第一弾ヴィデオは、お馴染みのソフィ・ミュラーが監督。ミュラーらしい鮮やかな色彩と詩情豊かな映像、艶やかなアデュの容姿が見ものである。ぴったり息の合った両者ならではの繊細な作品で、久々に復帰するアデュを優しく見つめるようなミュラーの視線が印象的だ。
 
 8年のブランクの間、シャーデーは一体どこで何をしていたのか?
 その究極の答えがこのヴィデオである。


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 長いブランクの間、要するに、彼女は山にこもっていた。その彼女が久々に山から下り、私たちの世界に戻ってくる。素敵な手土産を持って。

 このヴィデオは、8年の間にシャーデー・アデュが歩んできた人生の道のりを、四季の幻想的な自然の映像で綴り、彼女が下界(=公)にカムバックするまでを描いている。
 彼女は巾着袋を持って山を散策し、そこで美しい木の実や花を見つけ、それらを摘んで大切に持ち歩く。自然の中で、彼女は時に嵐に遭う。雪の中では、静かに寄り添って踊る黒人老夫婦や、孤児のような子供たちに会う。そうした旅の中で彼女が見つけ、街に持ち帰ってくる木の実や花は、いわば彼女の人生の大切な「収穫」。そして、その8年間の旅の「収穫」こそが、つまりこの「By Your Side」という歌であり、『LOVERS ROCK』というアルバムなのである。
 
 このヴィデオに関しては、幸いソフィ・ミュラー自身が音楽情報サイト〈Music Video Wire〉(残念ながら現在消滅)のインタヴューに答えて、詳しく解説をしてくれている。

「彼女は8年間何もしていなかったし、写真すら撮られていなかった。撮影の日は彼女に気を遣ったわ。やたらと難しいことは強要したくなくて、やりやすいようにしてあげたかった。旅のような感じにしたらどうかと提案したの。人生を表すメタファーのようなものね。ずっと不在だったけど、彼女は素晴らしい人生を過ごし、このアルバムを届けに帰ってきたわけだから。それをうまく表したかった。道端で花を差し出して、“私のアルバムです”みたいなね。彼女は不思議な旅をしてきた感じで、その旅が彼女の人生というわけだけど、それが美しい神秘的な夢の世界として描かれているわけ。この歌はすごくそういう感じがしたのよ」
──色彩が非常に鮮やかですね。佇んでいる彼女の顔を淡い緑色の光が照らすアップ場面など印象的です。
「インド的な過剰な色使いなのよ。緑色の顔は完全にインド映画に倣ったものね。中国映画や日本の名作、素晴らしいインド映画を皆でいくつも観たわ」

 このヴィデオになぜ極端に人工的でヴィヴィッドな色が使われているのかいまいち分からなかった私は、インド映画を参考にした、というミュラーの発言に触れて、一気に目から鱗が落ちた。そう言われてみると、アデュの衣装も確かにインド風だったりする。彼女はインド人っぽい顔立ちでもあるので、旅の摩訶不思議な感じを演出するのに、インド映画の色彩感覚を借用するというアイデアはなかなか洒落ている。

 しかし、映画、と言われて、私の脳裡にモヤモヤと蘇ってきたのは、むしろ、遠い昔に繰り返し観た1本のアメリカ映画の記憶だった。このヴィデオにどことなく感じていた既視感の謎を、私はこのミュラーの発言をきっかけに完全に解消することができた。

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 森を抜けたアデュが花畑の中を歩き、街を目指して一本道を行く終盤の場面は、映画『オズの魔法使』(1939)で、ドロシー一行がケシの花畑を経て、エメラルド・シティ目指して黄色いレンガの道を行く場面(写真)によく似ている。現実感のないオモチャのようなビル群も然り。このヴィデオの幻想的な旅のイメージは、『オズの魔法使』にかなりインスピレーションを受けているのではないだろうか。スタジオ撮影された一連の旅場面の人工的質感、目の覚めるような鮮やかな色彩感覚は、美しいテクニカラーで彩られた往年のMGMミュージカル、その夢工場へのオマージュのようでもある。

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 『オズの魔法使』を思い出してもうひとつハッとさせられるのは、主人公の少女ドロシーに3人の仲間がいたという点である。かかし男、ブリキ男、臆病ライオン──彼らはドロシーの旅において、欠くことのできない大切なパートナーたちだ。
 シャーデーというグループも、同じく女1人+男3人で構成された4人組だったことをふと思い出す。

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 このヴィデオには、シャーデーの他のメンバー3人、マシューマン、ヘイル、デンマンもきちんと出演している。彼らは冬の雪景色の場面に登場し、木の枝の上でそれぞれ楽器を持って演奏している。皆、実にいい男っぷりである。彼女を温かく見守りながら静かに伴奏する姿に、このバンドの変わらぬ絆の深さが感じられる。
 言うまでもなく、彼ら3人は、ドロシーにとって、かかし男、ブリキ男、ライオンがそうであったように、アデュの人生の旅における大切なパートナーたちだ。ひとりの少女の成長物語でもある『オズの魔法使』との類似を踏まえると、「人生」を「旅」に見立てたこのヴィデオはより味わいを増すように思う。

「人が場所から場所へ旅していく世界をどうしたら本当らしく見せられるか、撮影監督とも話し合いを重ねたけど、結局は作り物なのよね。私はどの場面も違っていて、現実のような、それでいてもっと美しいものにしたかった。森は森でも、本物の森よりもっと柔らかなものになるようにとね。色もちょっと極端で、現実的でありながら、何もかも現実より豊かに見えるよう意識したわ」


 ところで、このヴィデオで最も印象深いのは、下山してきたアデュが道の真ん中で花を差し出す最後の場面である。車は彼女を無視して次々と通り過ぎていく。この場面のみ普通の町中でのロケで、スタジオのセットで撮影されたそれまでの幻想的な「旅」の映像とは著しく印象が異なる。まるで、のどかな漫画調から、突然、劇画調に切り替わるようなタッチの変化、そのコントラストは強烈だ。

「シャーデーは面白いアーティストよね。典型的なR&Bアーティストや英国アーティストではない。彼女は普通に街を歩いているような人とは違った、何か神秘的な人間だと世間から思われていて、私はそういう世間の中に彼女を連れてこれないかと考えたの」

 ド派手な歌姫衣装のアニー・レノックスが、ベニスのサンマルコ広場で観光客と接するヴィデオ「The Gift」(1992)が好例だが、ソフィ・ミュラーは、我々の住む平凡な日常風景の中に場違いな姿のアーティストを置いて、キャラクターの異質さや歌のペーソスを強調する演出が得意だ。
 道行く車に向かって花を差し出す最終場面で、アデュは「旅」の場面と同じ格好のまま道路に立ち、私たちの日常世界の風景の中で、あたかも都会に出てきたニカウさん、あるいは、藤子不二雄の短編『劇画・オバQ』(1973)で、15年ぶりに下界に帰ってきたQ太郎のように浮いている。このオチは一体何を意味するのか?

「アルバムの制作中、シャーデーと車でスタジオに行った時、道路の真ん中で花を売っている人たちを見かけたの。その姿を見て、通り過ぎる車に無視されてばかりいて、すごく可哀想だと思った。誰も見向きもせず、見て見ぬふりなのよ。私たちはその花売りのことについて話し始めた。一日中きれいな花を見ていられるなら、まんざら悪い仕事でもないんじゃないか、なんてね。そしたら、遠くから帰ってきた人、というアイデアと、突っ立って花を差し出している人物の姿が繋がってきた。みんな、タダなら花を受け取るのだろうか?とか。ヴィデオの場合、彼女が集める小枝や花は枯れている。で、最後に“誰かいりませんか?”と訊くわけ。もちろん誰も受け取ろうとする人はいない。そういう情感がこの歌にはあるのよ。私は情感を出したかった。人が泣いているとか、そういうもので表現するのではなくてね」

 「By Your Side」という曲に対する、ミュラーのこの読み取りの深さ、感度の鋭さはさすがと言うしかない。この曲のイノセントで素朴な詩情を、ミュラーは路上の孤独な花売りの姿に重ねた。いや、正確には、ここでアデュは売り子ではなく、差し出される花は恐らく無償のはずである。そして、それは枯れている。

 少し考えてみよう。彼女は一体何のためにそんなものを人に差し出すのだろう?

 それが新鮮な花なら確かに受け取る人もいるかもしれない。たとえ無料であっても、枯れた花をわざわざ欲しがる人間などいないということが、彼女には分かっていないのではないか。それは、例えば道端で拾ったドングリやがらくたを大切に所有し、我々大人には無価値であるそれらの宝物を、時に惜しげもなくこちらに与えようとする幼い子供の姿に似ている。彼らはそれで人から感謝されたいわけでもないし、見返りを期待しているわけでもない。何も要求せず、相手にとって最良と思われる自分の所有物を、ただ黙って人に与える。気前がいいわけではない。善意と言うほど大それているわけでもない。何のためでもなく、当たり前のように差し出される「枯れた花」。
 恐らく、そこに大した理由はないのだ。もともと人間というものはそういう風に作られている、とでも考えるしかないような行為である。こうした素朴で高貴とも言うべき行為を、時に幼児や老人がするのを見て、私はハッとさせられることがある。

 もしあなたが望むなら、私はこれをいつでもあなたにあげる(あなたのそばにいる)。ミュラーは、日々の社会生活の中で無視され、忘れられがちな、人間が本来持っているこうした心の温もりをこの歌に感じ取った。花を受け取るべきだ、同情するべきだ、などと主張しているわけではもちろんない。この作品を通して、ミュラーはただ、我々に大切なことを思い出すきっかけを与えている。


 このヴィデオは、確かにちょっとナイーヴ過ぎるかもしれない。何だかクサいのだ。それは多分、アデュが結局のところ、ドロシーやオバQと違い、我々と同じように社会生活を営む、イノセンスと訣別したはずの「大人」であるからに違いない(幻想的な旅の場面に登場するのが、シャーデーのメンバーを除くと、子供と老人だけである点は興味深い。彼らは一般社会の通念や常識を我々と共有しない非「大人」なのである)。

 当初、私はこのヴィデオがあまり好きではなかったのだが、差し出される花の意味について考え込むうちに、最初は気付かなかった魅力を徐々に感じるようになった。シャーデーを聴いていると、こうしたバカ正直さに驚かされることがよくある。アデュの浮世離れした特異なイメージがなければ、このヴィデオは相当に嫌味なものになっていたに違いない。まさに彼女のキャラを熟知したミュラーだからこそ撮れた作品。曲同様、控え目ながらも深い情緒に溢れる、シャーデーらしい逸品だと今は思っている。

「シャーデーはとてもエレガントで官能的よね。私は彼女のそうした魅力に焦点を当てようとした。もう一方のヴィデオ(「King Of Sorrow」)のように、強い現実的な女性として捉えるのではなくてね。彼女にもしっくりきたし、私もあれこれ指示する必要はなかったわ。彼女の魅力が生きるようなお膳立てをしておいたからよ。彼女はとても控え目な人で、アーティストとしてはすごく珍しい。あまり語らず、ほんのちょっとしたことで多くを表現するのよ」


 '09年5月現在まで、シャーデーは『LOVERS ROCK』(2000)に続くアルバムを発表していない。どうやら、アデュはまた虹の彼方へ出掛けてしまったようだ。
 アデュにとってシャーデーというバンドは、いわば特別な「家」のようなものだろう。彼女はきっとまたそこに戻ってくるはずである。なぜなら、“家より素晴らしい場所はない(There's no place like home)”からだ。長い旅を終え、彼女はやがて我々の待つ「家」に帰ってくる。もちろん、素晴らしい手土産を持って。私はその日が来るのを楽しみに待っている。



※以下は、本文に拙訳で引用した「By Your Side」ヴィデオに関するソフィ・ミュラーのインタヴュー原文である。音楽情報サイト〈Music Video Wire〉によるものだが、サイト自体の消滅で閲覧不可になっているため、ここにその全文を転載しておく(取材時期は明記されていなかったが、恐らく'01年頃)。このサイトには、同じくミュラーが監督したヴィデオ「King Of Sorrow」、ライヴ映像作品『Lovers Live』に関するインタヴュー、また、監督ミュラーに関するアデュの談話も掲載されていた。


Interview with director Sophie Muller on 'By Your Side'
by Music Video Wire

MVW: Sade is a very beautiful woman and natural in front of the camera, was there much direction involved with the performance of the video?
SM: It is a tricky one, in that she had not done anything in eight years, there had not even been a photograph taken of her. I think I was being protective the day we did it; I did not want to push her to do something incredibly difficult, but wanted to ease her back in. I proposed the direction as sort of being a journey. To me, it is like a metaphor of life. Because she has been away, yet has this amazing life and has come back to delivered this album. That was meant to be a metaphor, like the flower like she dropped by the roadside saying, Here is my album. Then she made like she has gone through this strange journey, which is her life, but it is totally made into a beautiful, mysterious dream. The song was very uplifting in that way.
MVW: The color of the video is very vivid. Also I can't forget the one shot, the close up portrait shot of her standing with the pale green light on her face.
SM: That is kind of Indian, that over-saturated imagery. The green face definitely was an Indian film reference. We looked at several Chinese films, Japanese masters and beautiful Indian films.
MVW: What was involved in creating that vivid look?
SM: Sade is an interesting artist. She is not a typical R&B or British artist, and I was trying to get her in this world where people think of her as if she is kind of mystical, not as a person you see in the street. I had a lot of discussion with our DP about how to create a world where you can believe that someone is going from point A to point B within it, but it is all fake. I wanted each bit to be different, and wanted to make it like reality, but more beautiful. It was meant to be like a forest, but a bit more peaceful than a real forest would be. The colors are a bit more extreme, and everything was done with the sense that we wanted it to look like reality, but better.
MVW: There is a scene where Sade is walking through the forest. There are rays of sunlight, and she walks through the rays, going from the color to shadow and from shadow to color. That was very stunning, visually.
SM: Sade is very elegant and sensual. I was playing into those strengths rather than dealing with her as I did in the other video, which was more gritty and real. To me this came very naturally to her, and I did not have to direct her as much, because I had set her in an arena where she would be perfect. She is very understated, which is quite unusual in an artist. She does not do very much, but the little things she does say a lot.
MVW: What visual effects were involved to help create the mystical look of the forest?
SM: The forest was pretty much as is. We added a few fire flies, but that was about it. Everything else was actually built to look like that. The only visual effect is the huge field where she is walking; we build a little field and painted it all around her. Its just old-fashioned painting. There was a little green screen, when she walks towards the city. Otherwise, there are not many special effects in the video.
MVW: The last question is about the end of the video. You mentioned before it was more of a metaphor with her standing in the middle of the forest.
SM: When she was making her album, Sade and I drove down to the studio and saw people standing in the median of the road selling flowers. As I looked at them, I thought it was so sad to be constantly rejected by these cars. No one gave them eye contact, because people did not want to be seen looking at them. We started talking about this idea, about flower sellers, and thought, Well, its not such a bad job to be looking at beautiful flowers all day. Then had the idea of someone who has been away, and was just standing offering a flower to someone--would they take it if it was free? In the video, she gathers these things that are lifeless--twigs & flowers--and in the end she asks, Does anyone want them? Of course, no one wanted to take them. The song has that emotion; I wanted to have emotion, but not someone crying or anything like that.

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