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Prince追悼和訳メドレー【6】──紫の雨



 プリンス追悼特別企画。'80年代の彼の名曲群から6曲を厳選し、その歌詞を1日ひとつずつ訳していく弾丸和訳メドレー(全6回)。

 最終回の第6回は、彼の代名詞でもある大作バラード「Purple Rain」(1984)。映画『パープル・レイン』ではウェンディとリサが作ったことになっているが、実際にはプリンスが単独で書いた曲である(但し、編曲にはレヴォリューションの面々が大きく関わっている)。このアンセムは、一体どのように生まれたのだろうか?


 Purple Rain
 (Prince)
 
 I never meant 2 cause u any sorrow
 I never meant 2 cause u any pain
 I only wanted 2 one time see u laughing
 I only want 2 see u laughing in the purple rain
 Purple rain, purple rain
 I only wanted 2 see u bathing in the purple rain
 
 悲しませるつもりはなかった
 苦しませるつもりはなかった
 君が笑うのを一度見たかっただけ
 紫の雨の中で笑う君を見たいだけ
 紫の雨 紫の雨
 紫の雨を浴びている君を見たかっただけ
 
 I never wanted 2 be your weekend lover
 I only wanted 2 be some kind of friend
 Baby I could never steal u from another
 it's such a shame our friendship had 2 end
 Purple rain, purple rain
 I only want 2 see u underneath the purple rain
 
 週末だけの恋人なんかじゃなくて
 友達みたくなりたかっただけ
 君を奪うことなどできなかったね
 僕らの友情が壊れてしまったのは残念だ
 紫の雨 紫の雨
 紫の雨に濡れている君を見たいだけ
 
 honey I know times r changing
 it's time we all reach out 4 something new
 u say u want a leader
 but u can't seem 2 make up your mind
 I think u better close it
 and let me guide u to the purple rain
 purple rain, purple rain
 I only want 2 see u, only want 2 see u
 in the purple rain
 
 そうさ 時は変わっていく
 今こそ新たな何かが必要だ
 導きを求めてるけど
 君は思い切れずにいるね
 迷いは捨てて
 ついて来てくれ 紫の雨の中へ
 紫の雨 紫の雨
 君に会いたい 君に会いたい
 紫の雨の中で


CLOUDBUSTING FOR THE PURPLE RAIN──紫の雨が降るまで

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 〈1999〉ツアー('82年11月11日〜'83年4月10日)で全米を廻っている最中、プリンスたちはボブ・シーガーのコンサートを観たらしい。ドクター・フィンクはこう回想する。

「ツアー中、俺たちはボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンドによく遭遇した。あるショウの後、プリンスが“なぜシーガーはこんなに人気があるんだろ?”と訊いてきたんだ。“メインストリームのポップ・ロックをやってるからだろ”と俺は答えた。マイケル・ジャクソンとプリンスは波に乗りかかってたけど、メインストリームのラジオ局からはまだ閉め出し状態だった。“プリンス、ああいう方向性の曲を作れば、もっと色んな人に聴いてもらえるよ”と言ったんだ。自分のおかげと言うわけじゃないけど、ひょっとするとそれがきっかけだったのかもね」(July 2009, Spin)

 フィンクはそこでシーガーの代表曲「We've Got Tonight」(1978)──'83年にケニー・ロジャーズ&シーナ・イーストンのカヴァー版が大ヒット──を例に挙げ、ポップ界で天下を取るにはアンセム的な力強いバラードが必要だ、とも助言したようだ。それが「Purple Rain」誕生のきっかけと言われる。要するに、プリンスはもっと売れるために、長渕剛「乾杯」みたいな曲を書こうと思ったのである。

 一説によると、「Purple Rain」の基となるコード進行をプリンスがバンドのメンバーたちに初めて聴かせたのは、'82年12月12日、シンシナティのRiverfront Coliseum(現・U.S. Bank Arena)公演のサウンドチェックの時だった。ボビー・Zは、初めて曲の原型を聴かされた時の印象をこう振り返る。

「最初は“うわ、こりゃまるでカントリー・ソングだ”と思った。俺たちがそれまでリハーサルしてたアルバムの他の曲とは違う感じでね。いま思えば、彼には物語の要になる曲だということが分かってたんだろうな」(July 2009, Spin)

 〈1999〉ツアー時、裏方として既にバンドに同行していたウェンディ(サウンドチェックでギターを弾いていた)は、その時のことをこう語る。

「アイデアを持って彼が現れた。彼ははっきりと説明した。“作りたい曲があるんだ。こういう感じで、テンポはこのくらいで”──そう言って曲のキーを示した。私たちはジャムを始め、あの出だしのコード進行が生まれた。そうやって自然と形になっていったの」(2014, Alan Light, Let's Go Crazy)

 別のインタヴューでウェンディはこう言っている。

「プリンスが歌詞やメロディー、曲構成のアイデアなんかを持ってきた。私が出だしのコードを思いついて、それからみんな自分のパートを演奏し始めたの」(July 2009, Spin)

 「Purple Rain」の基本的なコード進行は、Bb-Gm-F-Eb。プリンスがバンドのメンバーたちに最初に弾いてみせた時点では、恐らくそうだった。ウェンディはそこに装飾音を加え、これをBbsus2-Gm7-F-Ebという進行に変えた。結果、カントリー風情の乾いた音色は、ウェットで透明感のあるものに変わった。なので、映画『パープル・レイン』で描かれているこの曲の誕生過程は、ある程度は事実と言える。

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ウェンディ・メルヴォイン(前)、リサ・コールマン(後ろ)

 ウェンディは黒人並みにファンキーなリズム・ギターを弾く少女だったが、彼女のバンドへの参加は、プリンスの音楽にそれまでとは違う響きをもたらすものだった。ウェンディの幼馴染みで、彼女と恋仲でもあったリサは、ウェンディのバンド加入についてこう語る。

「彼(プリンス)は、ウェンディの中にファンキーな黒人少女を見ただけでなく、彼女が変わったコードを弾くのを聴いて、“ジョニ・ミッチェルのチューニングみたいだ”と興奮してた。だから、ある意味では、音がちょっと白っぽくなった。より実験的なものにね。私もジャズやクラシックの影響を受けてるから、私たち二人は音大生コンビみたいになった。サウンドチェックが始まると、和音教室みたいになっちゃって。誰が一番ヘンでクールなコードを弾けるか、みたいな。ただEのコードをジャカジャカ鳴らすんじゃなくてね」(2014, Alan Light, Let's Go Crazy)

 変わった和音使いについて、ウェンディはこう言う。

「当時の超売れっ子ポップ・バンドの中で、多分、アンディ・サマーズ(ザ・ポリス)以外には、そういう高度な和音を使ってる例はあまりなかった」(同上)

 サビ部分での高音のハモリは、リサが加えたものだった。

「彼(プリンス)は、ウェンディが曲をカントリー調から変えた点をすごく気に入ってた。バンドの皆の貢献で、曲の印象は変わりつつあった。でも、私がサビに高音のハモリを加えたら、彼に“リサがまた懐かしのアメリカン・カントリー・ミュージックに戻そうとしてるぞ”とか言われたわ」(同上)

 終盤に登場する印象的なファルセットのリフレインは、ドクター・フィンクが考えたもの。

「バンドはコード進行を与えられ、俺たちは各自のパートをかなり書くことになった。最初にあの曲をジャムった時のことはよく覚えてるよ。彼が曲の終盤で歌うフレーズ──絶頂になるファルセットの部分──あれは俺が元なんだ。全くの偶然でね。俺が弾いたフレーズを彼が掴まえて、そのまま歌ったんだよ」(同上)

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スティーヴィー・ニックスのシングル「Stand Back」('83年5月19日発売)

 「Purple Rain」の歌詞は、意外にもプリンス自身ではなく、スティーヴィー・ニックスが書くかもしれなかった。

 '83年初頭、スティーヴィー・ニックスはプリンスの「Little Red Corvette」に触発され、それをもとに新曲を書き上げた。彼女は曲が出来た経緯をプリンスに電話で説明し、彼をレコーディングに誘った。フリートウッド・マックのファンだったプリンスは速攻でスタジオに駆けつけ、そこでシンセサイザーを演奏した。当時のことをスティーヴィー・ニックスはこう回想する。

「私は結婚したばかりで、夫と一緒に新婚旅行でサンタバーバラのサン・イシドロ・ランチ(高級リゾート・ホテル)に車で向かってるところだった。私たちは2人ともプリンスの大ファンで。すると、ラジオから〈Little Red Corvette〉が流れてきた。曲に合わせて、私は〈Stand Back〉のメロディーをハミングし始めた。その場で自然と曲が出来上がっちゃったの。今でも覚えてるけど、“車を停めて、テープ・レコーダーを買わなきゃ”って。テレコを持ってハネムーン・スイートに入ると、私は曲を録音し始めた。とんだ初夜よね。ロサンゼルスに戻ってから、サンセット・サウンド・スタジオへ曲のレコーディングに行った。プリンスの番号を入手して、彼の曲に違う歌をつけたことを話そうと思って電話したの。捕まらないと思ったけど、彼は電話に出た! 彼はその晩にやって来て、キーボードを弾いてくれた。終わると、彼はそのまま立ち去った。まるで狐につままれたみたいだったわ」(2007, Crystal Visions... The Very Best Of Stevie Nicks)

「彼に言ったの。“これからレコーディングなんだけど、〈Little Red Corvette〉をもとに書いた曲なのよ。印税を半分あなたにあげる。3日以内のどの晩でもいいから、演奏しに来ないかしら”。彼は1時間でやって来て、スタジオに1時間半いた。それで私たちは友達になったの」(23 August 2011, Star Tribune)

 その曲「Stand Back」は、スティーヴィー・ニックスの2ndソロ作『The Wild Heart』の先行シングルとして'83年5月に発売され、全米5位の大ヒットを記録した。いつか一緒に曲を書きましょう、とスティーヴィー・ニックスから言われたプリンスは、作りかけだった大作バラードのインスト・トラックを送り、これに歌詞を書いてみませんか、と彼女に促した。しかし、結局、彼女は何も書くことができなかった。

「もう、圧倒的でね。10分もある曲で。それを聴いて私は怖じ気づいてしまった。彼に電話して、“書けないわ。書きたいのは山々だけど。私にはとても無理”と言ったの。書かないで良かったわ。だって彼は自分で歌詞を書き、それが〈Purple Rain〉になったんだもの」(同上)

 ここでちょっと疑問が湧く。「Purple Rain」(と名付けられることになる未完成曲)が、進行中だった映画企画、あるいは、自分のキャリアにとって重要な楽曲になることは、恐らくプリンスにも分かっていたはずである。そういう大事な曲の歌詞を、彼はなぜ他人に任せようとしたのだろう?

 考えられる理由のひとつは、この曲がそれまでの自作曲とは方向性の違う、メインストリームを射程に入れたアンセム狙いの作品だったこと。そこで彼が自分とは異なるセンスのライターを欲したとしても、それほど不思議ではない。もうひとつは、スティーヴィー・ニックスという点。「Rhiannon」「Dreams」「Gypsy」といった幻想的な名曲を書き、「Little Red Corvette」に全く別の歌詞とメロディーをつけた彼女なら、何か驚くようなものを書いてくれるかもしれない……。敬愛する彼女との共作曲で全米1位を獲ることは、プリンスにとって非常に魅力的なことだったのではないか。私たちがこの逸話に大きな驚きを覚えるのは、恐らく、完成品の「Purple Rain」の素晴らしさや、後のプリンスの唯我独尊ぶりを知っているからだろう。

 スティーヴィー・ニックスに歌詞を依頼した時点で、彼が既に自分である程度の歌詞を書いていた可能性は十分に考えられる。もっと良い歌詞やメロディーをスティーヴィーが書いてくれれば、それを(部分的にでも)使おうと思ったのかもしれない。いずれにせよ、彼女から何も得られなかったプリンスは、自力で歌詞を書き上げることになった。

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プリンスによる「Purple Rain」の手書き原稿(拡大可)

 当時、プリンスは様々な創作アイデアを書き留めておくノートを持ち歩いていた。彼はそこに「Purple Rain」の歌詞を手書きで丁寧に清書している。それを見ると、面白いことに歌詞が4番まである。最終的にレコードで発表された全3番の他に、当初は2番と3番の間にもうひとつヴァースがあったのだ。以下が、その“幻の3番”の歌詞である。

  Honey, I don't want your money
  I don't even think I want your love
  If I wanted either one, I take your money and buy it
  I want the heavy stuff I want the purple rain
  I want the purple rain
  
  君のお金なんか要らない
  君の愛だって要らないさ
  どちらか選ぶなら 君のお金で愛を買おう
  僕は強烈なものを求めてる
  紫の雨を求めてる 紫の雨を求めてる

 “愛”と“金”の対比で何か面白いことを書こうと思ったのだろう。“どちらかひとつ選ぶなら、君のお金、それで君の愛を買うよ”という捻くれた愛情表現がプリンスらしいと言えばらしいが、これはさすがに捻くれすぎだ。とても大衆受けするように思えないこの歌詞は、結局、ボツにされた。

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'83年8月3日、伝説のファースト・アヴェニュー公演

 プリンスが歌詞を書き上げて形になった「Purple Rain」は、'83年8月3日、映画の舞台にもなったミネアポリスのライヴハウス、ファースト・アヴェニューで初披露された。それは、デズ・ディッカーソンに代わってバンドの正式ギタリストに就任したウェンディ(当時19歳)のデビュー・ギグでもあった。ショウはツアーの一環ではなく、プリンスも出入りしていたMinnesota Dance Theatreという地元のダンス学校の運営支援を目的とした、一夜限りの特別チャリティー公演として行われた。その晩のセットリストは以下の通り。
 
01. Let's Go Crazy
02. When You Were Mine
03. A Case Of You [Joni Mitchell cover]
04. Computer Blue
05. Delirious
06. Electric Intercourse
07. Automatic
08. I Would Die 4 U
09. Baby I'm A Star
10. Little Red Corvette
-encore 1-
11. Purple Rain
-encore 2-
12. D.M.S.R.

Live at First Avenue, Minneapolis, Minnesota, August 3, 1983
Personnel: Prince (vocals, guitar), Bobby Z. (drums), Brown Mark (bass), Wendy Melvoin (guitar), Lisa Coleman (keyboards), Dr. Fink (keyboards)

 バンドは約70分にわたり、11ヶ月後に発表されるアルバム『Purple Rain』の収録曲を中心に、全12曲を演奏した。当時の観客にとっては、半数の曲が初めて耳にする全くの新曲である。

 ウェンディが正式加入した“プリンス&ザ・レヴォリューション”の旗揚げ公演、『Purple Rain』楽曲群の初披露という点でも特別だが、このショウには他にも重要な点がある。この日の演奏はマルチトラックで録音され、その中で「I Would Die 4 U」「Baby I'm A Star」「Purple Rain」の3曲の音源が、実際に『Purple Rain』に収録された完成版のベーシック・トラックとして使われている。私たちがアルバムでさんざん聴いているお馴染みの音は、この日のライヴ録音に手を加えたものなのだ。

 「Purple Rain」に関しては、プリンスのヴォーカルやギター・ソロも含め、演奏の大部分がそのままレコードに使われている。彼はここで先述の“幻の3番”を歌っているが、それは編集段階で削除された。映画と同じように、ファースト・アヴェニューの観客の前で初めて披露した入魂の大作バラード。そこに編集、ストリングス等のオーバーダブを加えて出来上がったのが、誰もが知るあの「Purple Rain」である。観客を前にした一発勝負のライヴ録音という点が、作品にまた特別な魔法を与えたように思う。

 この'83年8月3日のファースト・アヴェニュー公演は、録音だけでなく、公式に録画もされていた。ショウの映像はブートレグとして広く出回り、プリンス亡き今はYouTubeで簡単に観ることもできる。観れば分かるが、「Purple Rain」でプリンスがレコードと寸分違わないパフォーマンスをするのが、当たり前とはいえ、実に不思議な感じである。数年後か数十年後か分からないが、このライヴ映像は“「Purple Rain」が生まれた伝説の公演”として、いつか公式に発表されることだろう。

 こうして完成を見た「Purple Rain」は、'84年6月25日、アルバム『Purple Rain』の最終曲として世に出ることになる。その後の熱狂は誰もが知るところだ。この曲はアルバムからの3rdシングルになり、全米チャートで最高2位を記録した。

 以上が、「Purple Rain」誕生の“正史”である。これらは“プリンスの教科書”を開けば、必ず書いてあるような話だ。私はそういう話がしたくてこの記事を書いているわけではない。


CHILDREN OF THE REVOLUTION──革命の申し子たち

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 『Purple Rain』というアルバムを聴いて私がまず単純に思うのは、グラム・ロックっぽいなあ、ということである。具体的にどこがどうと言う以前に、ギラギラした音の質感、あるいは、ギラギラしたプリンスの佇まい自体がグラムっぽい(キラキラではなく“ギラギラ”している)。『ベルサイユのばら』を思わせる少女漫画チックなコスチュームからしてそうだが、音楽面においても、グラム・ロックとの符合は『Purple Rain』の至るところに見受けられるものである。

 まず、冒頭曲「Let's Go Crazy」。私の耳にはT・レックス「Jeepster」のように聞こえる。オルガンをバックに聴衆に向かって説教するイントロこそゴスペルだが、ドラムビートが始まって以降の曲想は完全にブギである。

 “ブギ”というのは、ここ数年流行っている所謂“ブギー”(ディスコ・ファンクとエレクトロ・ファンクの中間みたいな、シンセベースが利いた'80年代前半のダンス音楽)ではなく、笠置シヅ子でお馴染みの“ブギウギ”、つまり、左手でピアノの低音を力強く弾く、'20年代のシカゴで生まれたジャズの奏法のことである(過去記事“Dorothy Dandridge (part 2)”で、「Swing For Your Supper」というサウンディを紹介した時に詳述した)。ブギはロックンロールにそのまま受け継がれているので、聴けば誰でも分かるだろう。

Eleanor Powell - Fascinatin' Rhythm (1941)
(映画『Lady Be Good』より。このピアノ演奏がまさしく“ブギ”である。左手で分散和音を弾き、スウィングしながら4分音符で力強くベースラインを奏でる。説明するより、実際に聴いてもらった方が早い)


 2年前の「Delirious」や「Let's Pretend We're Married」も同種の曲だったが、「Let's Go Crazy」ではブギ色がよりはっきりと打ち出されている。強烈なドライヴ感を伴うブギの乗りは、プリンスがギターの低音弦でベースラインを弾く箇所にとりわけ顕著だ(終盤の“He's comming”部分)。マーク・ボランは“Born to boogie”というくらいのブギ好きだった。「Jeepster」は完全なブギ曲である。ロック色の強さ、ヒステリックなヴォーカルも含め、「Let's Go Crazy」は「Jeepster」によく似ていると思う(あと、「Solid Gold Easy Action」。あのギラギラ感、トチ狂ったような疾走感。“Let's go crazy... Hey! Hey! Hey! / Let's get nuts... Hey! Hey! Hey!”と頭の中で簡単にマッシュアップできる)

 「Let's Go Crazy」は「When Doves Cry」に続く2曲目の全米1位をプリンスにもたらしたが、7年後の彼の全米ナンバーワン・ヒット「Cream」(1991)も、実はT・レックスくさかったりする。そう言われてピンと来ない人は、ラヴ&ロケッツのヒット曲「So Alive」(1989)と「Cream」を聴き較べるといい。この2曲の類似は誰でも分かると思う。「So Alive」は、明らかにT・レックスへのオマージュである(「Hot Love」っぽい)。「So Alive」と似ているということは、「Cream」もT・レックスなのではないか……そう思って聴くと、元ネタは「Get It On」だということが分かる(歌詞に“boogie”が登場する点にも注目)。但しプリンスは、T・レックスのこの超有名曲を、原型をとどめないくらい自己流にデフォルメしてしまっている。そこがプリンスの凄いところだ。K-1のテーマ曲としてお馴染みの「Endorphinmachine」(1995)も、インスピレーション源は、案外「20th Century Boy」だったりするかもしれない。そして、「When Doves Cry」のイントロのギター・ソロは、何気に「Futuristic Dragon」を意識したものだったりして(これは違うか……)

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T・レックス『Electric Warrior』(1971)、デヴィッド・ボウイ『Ziggy Stardust』(1972)

 『1999』までのプリンス・サウンドと『Purple Rain』の決定的な違いは、ストリングスの導入にあると思う。アルバムの全9曲中、ストリングスは「Take Me With U」「Baby I'm A Star」「Purple Rain」の3曲で使われているに過ぎないが、リフや副旋律を奏でる輪郭のはっきりしたその響きは、非常に強い印象を与える。同種のストリングス・サウンドは、T・レックスのトレードマークだったものである。

 T・レックス作品のプロデューサー、トニー・ヴィスコンティは、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの室内弦楽アンサンブルを使い、それまでポップスの常套だったイージーリスニングなストリングス編曲ではなく、ギターのリフや、曲の要となる旋律をストリングスで奏でる、独特なロック・サウンドを作り出した。背景の添え物ではなく、エレキ・ギターと並ぶ主要楽器として、ストリングスを前面に出したのである。似たような試みは、それ以前にもビートルズが「Eleanor Rigby」(1966)〜「I Am The Walrus」(1967)でやっていたが、ヴィスコンティはそれを更に押し進め、ロックンロールに特化した新たなストリングス編曲のスタイルを確立した。イギリス発祥のグラム・ロックは、基本的にはアメリカの'50年代ロックンロールのリバイバルだったが、強いパロディ感覚や擬装感覚──ニセモノっぽさ、作り物っぽさ──があるのが大きな特徴である。ギターと綯い交ぜになった幻想的なストリングスの響きは、そうしたグラム・ロックの虚構性をまさに音楽的に体現するものだった。ストリングスを伴った典型的なグラム・サウンドは、T・レックス『Electric Warrior』(1971)、『The Slider』(1972)、デヴィッド・ボウイ『Ziggy Stardust』(1972)などで聴くことができる。

 ストリングスが使われた『Purple Rain』の3曲のうち、サウンド面で最もグラム度が高いのは「Take Me With U」である。ギンギラギンなイメージが強いグラム・ロックだが、初期段階ではヒッピー時代の名残でアコースティック・ギターも多用されていた。アコギのストロークと捻れたストリングスが組み合わさった「Take Me With U」は、まさしく絵に描いたようなグラム・サウンドである。この路線は、次回作『Around The World In A Day』(1985)の「Raspberry Beret」で極まることになる。

 ちなみに、同作収録の「Paisley Park」もモロにグラム的な曲だ。節回しや牧歌的な世界観はいかにもマーク・ボランだが、シャッフルのリズム(低速ブギ)に乗って、スネアと一緒にハンドクラップが入る点にも注目したい。バックビートに合わせて手を叩く享楽的なパーティー乗りも、グラム・ロックの音楽的な特徴のひとつである('80年代、ロックンロールの世界ではジョーン・ジェットがこのサウンドを継承していた)。但し、生のハンドクラップではなく、リズムマシンのクラップ音を使っているのがプリンスらしいところ。

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映画『パープル・レイン』で主人公“キッド”を演じたプリンス

 『Purple Rain』とグラム・ロックは、コンセプト面でも強い繋がりを持つ。グラム・ロッカーもプリンスも、いずれもスターを擬装することによって輝いた革命児だった。ここでちょっと“グラム・ロック”についておさらいする必要があるかもしれない。

 '70年代初頭に興隆したグラム・ロックと、その直前のヒッピー・ムーヴメントには大きな関係がある。'60年代末、アメリカの若者たちはベトナム戦争に反対し、“愛と平和”を叫んでいた。伝統的な社会制度や道徳的規範からの解放を望む彼らは、自然への回帰を謳い、マリファナやLSDをやりながら瞑想し、あちこち放浪したり、仲間同士で村を作って共同生活を送ったりしていた。そうすれば世の中は変わっていくと思ったのである。こうしたムーヴメントは、ロック音楽と繋がって世界中に広まっていた。しかし、“愛と平和”の祭典になるはずだったカリフォルニア州オルタモント・スピードウェイでの大規模な無料野外コンサートで殺人事件が起きたり、クスリが原因でカリスマ的ミュージシャンが次々と死んだり、ベトナム戦争が泥沼化していくのを見るうちに、みんな徐々に夢から覚めてきた。厳しい現実に直面し、ロックは世界を変えられない、と気付いてしまったのである。対抗文化としてのロックは、そこではっきりと終わった。

 ロックってそもそも何だっけ? それはもっとバカバカしくてクレイジーなものじゃなかったか……。そう思ったイギリスの若者たちは、エディ・コクランチャック・ベリーのような、一昔ちょっと前くらいのシンプルなロックンロールを再び演奏し始めた。初心に返ろうと思ったのである。但し、それは単なる原点回帰ではなかった。なにせ、ロックは既に死んでいる。死んだものは還らない。そこで彼らは、ロックンロールを“幻想(ファンタジー)”として扱うことにした。夢から覚め、“ロックは幻想だった”と落胆している同世代の仲間たちに、“ならば幻想として楽しむべし”という新たな視点を示したのである。彼らは、ヒッピー時代の自然志向とは正反対の、人工的で派手な衣装に身を包み、少女の夢に出てくる王子様か、人類を救う救世主のような、誇張されたロックンロール・スター像を作為的に演じた。聴衆は、その“ありえなさ”を笑って楽しむ。乗りとしては、ハロウィン・パーティーに近いものがあるかもしれない。つまり、一種の“ごっこ”。あるいは、冗談。いわば、括弧つきのロックンロール、一日限りの夢としてのロックンロール。それがグラム・ロックである。

 当時、そのような“ロックンロールごっこ”を最も手際よくやったのが、プリンスの数ヶ月前に死んだデヴィッド・ボウイだった。代表作『Ziggy Stardust』で、彼は“ジギー・スターダスト”という異星人風のロックンロール・スター像を作り出した。そして、その架空のキャラクターを演じることによって、彼自身も現実世界でスターになった。

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デヴィッド・ボウイ(ジギー・スターダスト)とプリンス(キッド)のステージ

 『Purple Rain』で、プリンスはそれと同じことをやっている。このアルバムは、同名映画『パープル・レイン』のサントラ盤として発表された。映画は、プリンス演じる天才肌の青年ミュージシャン=“キッド”が、両親との不和、仲間との確執、失恋による挫折などを乗り越え、最終的にスターとして輝くまでを描いている。映画の観客は、キッドとプリンスのイメージを無意識に重ね合わせた。結果、プリンスは、映画の中だけでなく、現実世界でも同じようにスターになった。

 アルバム終盤に連なる2曲は、コンセプト面でのグラム・ロックとの繋がりを明快に示すものだ。“おい、俺に注目……俺はスターだ(Hey look me over... Baby I'm a star)”という「Baby I'm A Star」での大胆不敵なスター宣言は、『Ziggy Stardust』収録の「Star」──“正真正銘のスーパースターになってやる……さあ、俺を見ろ(I'd c'mon like a regular superstar... Just watch me now)”──と全く一緒だ。グラム・ロックは、自分がスターであることをわざわざ自分で説明する。いかにもそれっぽいファッションやアクションで、スターを擬装する。この辺りの感覚は、にしきのあきら(錦野旦)を想像すると分かりやすい。彼は自らスターを名乗り、その戯画的なスター像がそのまま芸風になっている。彼の存在は、まさしくグラム・ロック的である。

 「Baby I'm A Star」とメドレー形式で繋がる「I Would Die 4 U」で、プリンスはこうも歌っている。

  I'm your messiah and you're the reason why
  U - I would die 4 u
  darling if u want me 2, u
  I would die 4 u
  
  僕は君らの救世主 君らが求めるがゆえ
  君らのために死んでみせよう
  お望みとあらば
  君らのために死んでみせよう
 
 ここでプリンスは、自分はイエス・キリストだ、と暗に言ってしまっている(おいおい)。イエスのように皆のために死んでみせる、と宣言しているのである。ジギー・スターダストに扮したデヴィッド・ボウイも、実は観客に向かって同じことを歌っていた。但し、その曲は『Ziggy Stardust』には収録されていない。彼は'72〜'73年の同ツアーでジャック・ブレルの「My Death」という曲を歌い、その歌詞に「I Would Die 4 U」と同じメッセージを託していたのである(「My Death」については過去に書いたので、ここでは詳述しない)

 ヒッピーたちは、キリスト教を基盤とした西欧社会の伝統的な価値観を嫌い、東洋の思想や宗教──多神教のヒンズー教や無神教の仏教──に傾倒した。スターを求めず、皆で仲良く歌いましょう、というのが、ヒッピー時代の音楽である。翻って、ひとりのスターを崇めるグラム・ロックは、典型的な一神教の音楽である。ヒッピー・ムーヴメントからグラム・ロックへの移行は、若者たちのキリスト教への回帰として捉えることもできる。

 グラム・ロックの勃興からしばらく経った頃、ロックンロールが“若者のためのキリスト教”であることを指して、ミック・ジャガーはこう結論づけた。
 
  If I could stick a knife in my heart
  Suicide right on stage
  Would it be enough for your teenage lust
  Would it help to ease the pain? Ease your brain?
  
  I said I know it's only rock 'n roll but I like it
  I said I know it's only rock 'n roll but I like it, like it, yes I do
  
  俺がナイフで胸を突き刺し
  ステージで自殺したら
  十代の欲望に応えられるかい
  君らを苦しみから救えるかい? 楽にできるかい?
   
  そうさ たかがロックンロール でも好きさ
  そうさ たかがロックンロール でも好きさ 好きさ 大好きさ
 
──ローリング・ストーンズ「It's Only Rock 'n Roll (But I Like It)」(1974)

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映画『パープル・レイン』で表題曲を歌うプリンス

 さて、本題である「Purple Rain」の話をしよう。このアルバム最終曲には、少なくとも4つのグラム・ロック曲の面影がある。デヴィッド・ボウイ3曲、T・レックス1曲である。順に説明していく。

 「Purple Rain」は、ゆったりとしたテンポに乗って、シンプルな循環コードを軸に展開する。静かに始まった曲は、淡々と進みながら徐々に高まりを見せ、最後には、感情が洪水のように溢れるカタルシスティックな瞬間を迎える。こうした曲展開や、全体に漂う感傷的な雰囲気は、『Ziggy Stardust』の冒頭曲「Five Years」によく似ている。

 「Purple Rain」の基本的なコード進行は、先述した通り、Bb-Gm-F-Ebである。一方、「Five Years」はG-Em-A-C。両者は異なるキーで演奏されているが、単純にキーを“1”として、各コードのルート音を7音階上の度数で示すと、「Five Years」のコード進行は1-6-2-4、「Purple Rain」は1-6-5-4となる。3番目のコードが違うだけなのだ。

 Aメロで、プリンスはあまり抑揚をつけず、歌うと言うよりは、聴き手に語りかけるような感じで淡々と言葉を発している。ボブ・ディランっぽいと言うか、カントリーっぽい節回しである。プリンスにしては珍しいこの歌メロも、「Five Years」にそっくりだ。“I never meant 2 cause u any sorrow / I never meant 2 cause u any pain〜”(「Purple Rain」)と、“Pushing through the market square / So many mothers sighing〜”(「Five Years」)は、私には全く同じメロディーに聞こえる。

 「Five Years」は、“5年後に地球が破滅する、なんてこった”という、ザ・SF黙示録!みたいな歌である。「Purple Rain」は、歌詞の面では「Five Years」に似ていない。が、プリンスは、別の曲で「Five Years」風の歌詞をしっかり書いている。2年前の'82年に発表された「1999」がそれだ。東西冷戦がまだ深刻だった当時、プリンスは(夢の中の話という設定で)世界の終わりを描き、いつ起こるかもしれない核戦争への危機感を表明していた。「1999」は、最後の審判やノストラダムスの予言をモチーフにしながら、核兵器の所有によって国々が力の均衡を保ち、戦争を回避する消極的平和を批判した歌である(と読むのが妥当だと思うが、歌詞に登場する“bomb”は、“核爆弾”と同時に、人間の“寿命”を表すメタファーとして捉えることもできる)

 その「1999」には、「Purple Rain」に先駆けて“紫”という語が登場していた。

  But when I woke up this morning
  I could have sworn it was judgment day
  The sky was all purple there were people runnin everywhere
 
  今朝起きてみると
  それはまさしくこの世の終わり
  空は紫に染まり 人々は逃げまどってた

 「1999」と「Purple Rain」の2曲は、“紫”という語を介して──あるいは「Five Years」を介して──繋がっている。「1999」で“紫”が暗示するものは、ずばり“終末”である。「Purple Rain」も、同様に世界の終わりに関する歌なのではないか。

 “紫の雨”の意味について、プリンスは以下のように説明している(らしい)。

「空が血で染まると、赤と青で紫になる。紫の雨は、世界の終わりと関係してる。愛する人と一緒になって、紫の雨の中、自分の信仰/神に導かれていくということさ(When there's blood in the sky - red and blue = purple... purple rain pertains to the end of the world and being with the one you love and letting your faith/god guide you through the purple rain)

 これは、NME.comの“『Purple Rain』についてあなたが知らない20のこと20 Things You Didn't Know About Purple Rain”という'12年12月の記事で紹介されたプリンスの過去発言だが、残念ながら、NMEは発言の出典を示していない。出典のない引用には何の意味もないが、実際にプリンスがこの通り言ったかどうかはさておき、これは「1999」の歌詞とも符合する、とても理にかなった説明である。

 “紫の雨”が降る世界最後の日。そのXデーに現れるのは誰だったか。“僕”は、降りしきる紫の雨の中へ“君(たち)”を導き、救済をもたらそうとしているのである。

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デヴィッド・ボウイ(ジギー・スターダスト)とその信者たち

 『Ziggy Stardust』は、滅亡の時を迎えた地球に、イエスに代わる新たな救世主=ジギー・スターダストが降臨するという物語を、福音書並みにとっ散らかった記述でぼんやりと描き出した“新・新約聖書”みたいな作品である。その最終曲「Rock 'n' Roll Suicide」で、ロックンロールの救世主であるデヴィッド・ボウイ(≒ジギー)は、聴き手に向かって“君は独りじゃない、さあ、手を差し出してくれ(You're not alone. Gimme your hands)”と呼びかける。「Purple Rain」に似ている2つめのグラム曲がこれだ。“紫の雨の中へ君を導かせてくれ”と訴えるプリンスは、今にも“Gimme your hands!”と叫びそうな勢いである(代わりに“C'mon, raise your hand!”と言っている)

 3つめの類似曲は、同じく『Ziggy Stardust』収録の「Moonage Daydream」。“僕はアリゲーター、君らのママとパパ/僕はスペース・インベーダー、君らのためにロックンロールの売女になろう(I'm an alligator, I'm a mama-papa coming for you / I'm the space invader, I'll be a rock 'n' rollin' bitch for you)”という歌い出しは、「I Would Die 4 U」の歌い出し──“僕は女じゃない、男でもない、僕は君らには理解不能の存在(I'm not a woman / I'm not a man / I am something that you'll never understand)”──にそっくりだったりもするが、「Purple Rain」と似ているのは、終盤に登場するギター・ソロである。まるで世界の終わりのような寂寥感を湛えたミック・ロンソンの演奏は、ヒッピー・ムーヴメントの終焉を歌ったイーグルス「Hotel California」(1976)に影響を与えたとも言われる。途中でキャッチーなフックラインを繰り返し弾くあたりもよく似ている。

 もうひとつの類似曲は、T・レックス『Electric Warrior』の最終曲「Rip Off」。曲が一旦終わった後、延々とストリングスの演奏が続く最後のコーダ部分が似ている。曲と言うよりは、アルバムの終わり方が似ていると言った方が良いかもしれない。「Rip Off」のコーダは「Purple Rain」ほど長くはないが、すべてが浄化されていくような、あるいは、どこか遠くへ旅立っていくようなシュールな余韻はそっくりである。

 紫の雨が降る世界の終わり。しかし、話はそこで終わらない。その先には……“来世(彼岸)”がある。そこは“いつまでも幸福に満ち、昼夜を問わず太陽が輝く場所”である(「Let's Go Crazy」)。「Purple Rain」のコーダは、同時に、来世へと繋がるイントロダクション(序奏)でもあるのだ。

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 以上、『Purple Rain』とグラム・ロックの怪しい関係について述べた。果たして、これらの類似は偶然なのだろうか。もちろん、中には偶然の一致もあるだろう。話を面白くするために、私が無理やり“似ている”と主張している点もある。しかし、偶然にしては──あるいは、私の思い込みにしては──あまりにも類似点が多すぎないだろうか。

 スターになるにはどうしたらいいか? そう考えたプリンスは、グラム・ロックを相当に研究したのではないだろうか。“作りたい曲があるんだ。こういう感じで、テンポはこのくらいで”とバンドのメンバーたちに例の循環コード進行を聴かせたとき、プリンスの頭の中で「Five Years」が鳴っていたとしても不思議はない。ボブ・シーガーのコンサートも、確かに彼を触発しただろう。しかし、ボブ・シーガーから「Purple Rain」が生まれたと考えるより、グラム・ロックから生まれたと考える方が、私にはよほど合理的であるように思えるのである。

 グラム・ロックは、ヒッピー・ムーヴメントによって一度死んだロックをキリストのように復活させる革命だった。一種の原点回帰運動だったグラム・ロックは、約5年後に勃興するパンク・ムーヴメントの導火線にもなった。'70年代末、パンクを以て、ロックは再び終焉を迎えることになる。“ロックは死んだ”というジョニー“アンチクライスト”ロットンの発言はあまりにも有名だ。「Five Years」は、地球ではなく、ロックの終わりを予言していたのかもしれない。

 一方、プリンスの“革命”とは何だったのか。それは、ディスコの蔓延で一度死んだファンクを蘇生させることではなかったか。そして、様々なクロスオーバーによって、かつてない規模でファンクを伝導することではなかったか。ライヴ版「Baby I'm A Star」の後半で展開される怒濤の長尺ファンク・ジャムを聴くと、そのように思えてくる。そして、グラムの後にパンクが来たように、プリンスの革命の後にはヒップホップの時代が到来することになる。

 プリンスの他界後、クエストラヴはインスタグラムで“プリンスがヒップホップの先駆者だった40の理由”を挙げて彼を追悼した。40ではとても足りないだろう。その1999番目の理由として、私は以下を挙げたい。

1999) He was the black messiah(彼は黒い救世主だった)


PRINCE──ヌード、愛、人間

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 今回の短期連載“Prince追悼和訳メドレー”で取り上げた6曲(「The Future」「1999」「Housequake」「Sexy Dancer」「Kiss」「Purple Rain」)は、私ではなく、プリンス自身が選んだものである。ファンは曲の並びを見ただけですぐに気付いたと思うが、これは'90年〈Nude〉ツアーの冒頭で演奏されたメドレー6曲をそのまま取り上げたものだ。'80年代の彼の魅力が凝縮された素晴らしい選曲だと思ったので、これをもとに歌詞和訳の連載を行うことにした。

 〈Nude〉ツアーの来日公演は、私が初めて行ったプリンスのコンサートだった。私が観たのは、テレビ放映もされた'90年8月31日の東京ドーム公演2日目(30日と31日のどちらを観たか忘れていたが、30日のセットリストを確認して後者と判明)。ツアーの名称通り、徹底的に無駄を削ぎ落として、裸で一気に駆け抜けるような電光石火のパフォーマンス(ほとんどストリーキング状態)が圧巻だった。素晴らしい瞬間の連続だったが、特に冒頭6曲のメドレーと、アンコールの「Partyman」「Baby I'm A Star」が強烈に印象に残っている。「The Future」から間髪入れず、2曲目でいきなり「1999」が来たときの驚きと感動。会場の広さなど全くお構いなしに、5万人を問答無用で一気に連れていくようなもの凄いパワーだった。大好きだった「Partyman」では、音楽ヴィデオと同じようなオレンジとパープルの華やかなスーツ姿で登場して、会場を大いに盛り上げてくれた。私の席は2階スタンド右斜め辺りだったが、プリンスとゲーム・ボーイズ(バック・ダンサー隊)がステージ脇のお立ち台で観客を煽る姿──その衣装の色の鮮やかさ──は、今でもはっきりと覚えている。「Partyman」の途中でプリンスがピアノに飛び乗って逆さまの姿勢でピアノ・ソロを弾いたり、当時、他人の楽曲などやらなかった彼が、ジャネット「What Have You Done For Me Lately」のサビをすっとぼけながら演奏したのにも興奮したものだ。クレア・フィッシャーのストリングスが加えられた「The Question Of U」や「Little Red Corvette」の美しさにも感銘を受けた。新しい遊びを次から次へと思いつく子供のようなプリンスのパーティーマンぶり、圧倒的なミュージシャンシップに支えられたエンターテイナーぶりが忘れられない。あんなショウは誰にもできない。当時、VHS標準モードで録画した東京ドーム公演映像──プリンスの公式な来日公演映像はこれしかない──は、今でも私の大切な宝物だ。

 その後、私は'96年1月の武道館公演(「Days Of Wild」!)、'02年11月19日の武道館公演(「A Love Bizarre」!)を観た。『Diamonds And Pearls』は大好きなアルバムだったが、'92年の東京ドーム公演には行っていない。私がプリンスのコンサートを生で観たのは、この3回だけである。どれも本当に素晴らしかったが、最も印象深いのは、やはり初めて体験した'90年の来日公演だろうか。

 “Prince追悼和訳メドレー”という記事タイトルは、もともとは“Prince来日祈願和訳メドレー”だった。〈Nude〉ツアーの冒頭6曲を6日間で一気に和訳するという記事企画を私が思いついたのは'15年3月のことで、歌詞の和訳だけその時点で済ませてあった。プリンスに何か大きな動きがあったら、この企画をやろうと思っていたのである。もし来日が決まれば、“Prince来日記念和訳メドレー”にしようと思っていた。プリンスがいつ日本に来るか、というのは、私にとってはシャーデーの次の動向と並ぶ最大の関心事だった。来日となれば、盛大に大特集をやるつもりでいた。記事のタイトルが、最終的に“Prince追悼和訳メドレー”になってしまったのが本当に残念でならない。もう一度、彼のコンサートを観たかった。あのパーティーに参加したかった。

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「Kiss」──'90年8月31日、東京ドーム

 〈Nude〉ツアーの来日公演で、プリンスは、日本語で“ヌード”、“愛”、“人間”と書かれた衣装を着ていた。漢字入りの衣装を着た海外アーティストはそれ以前にもいたような気がするが(誰だ?)、プリンスが着ると日本語がとてもファンキーに見えた。どの言葉も彼らしいが、いま改めて見ると、右脚に書かれた“人間”の二文字がやけに心に染みる。人間、プリンス。ほんの数十年ではあったが、彼と同時代に生きられたことを私は心から幸せに思う。


■デヴィッド・ボウイの最低駄作のひとつ『Never Let Me Down』(1987)には、プリンスを意識した曲が2つも収録されている。ひとつは「Zeroes」(歌詞に“little red corvette”が登場)、もうひとつは「Shining Star (Makin' My Love)」(曲調がモロにプリンス・ブギ)。同作発表時のインタヴューで、彼はプリンスについてこう言っている。

「ロキシー(・ミュージック)、僕、ゲイリー・グリッター、マーク・ボラン──僕らはみんなリサイクルされ続けてる。この4組は'70年代初期のイギリスを代表するような存在だけど、今じゃあらゆるロックの中にその影響が見出せる。僕らのやったことが、現代の色んな音楽の中に受け継がれてるんだ。すごいよね。素晴らしいことだと思う」

──プリンスとかですか?

「プリンス。ああ、そうだね。彼はこれまで登場した中で最高のごった煮アーティストだ。僕以来のね(笑)。彼は最高の盗っ人だと思うよ」(23 April 1987, Rolling Stone)

■八神純子の「みずいろの雨」(1978)と「パープル・タウン」(1980)、2つ合わせたら「Purple Rain」だね、惜しいね、という話をしようと思っていたのだが、全然そんなことを書く余地はなくなってしまった。これら2曲を作詞した三浦徳子は、今回の連載第1回で紹介した沢田研二「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」(1981)の作詞者でもある。やはり、ただ者じゃない。嗚呼、むらさきの雨……。



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Prince追悼和訳メドレー【1】──未来
Prince追悼和訳メドレー【2】──1999年
Prince追悼和訳メドレー【3】──ハコ揺れ
Prince追悼和訳メドレー【4】──ももいろダンサー
Prince追悼和訳メドレー【5】──接吻
Prince追悼和訳メドレー【6】──紫の雨

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