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今も海が見えるでしょうか──再訪「横須賀ストーリー」



 山口百恵の通算13枚目のシングル「横須賀ストーリー」。彼女の歌手人生を大きく変えるこの1枚のシングル盤が発売されたのは、ちょうど40年前の今日、1976年6月21日(月)のことだった。今年と同じく夏至だったその日、彼女は夜10時からフジテレビの歌番組〈夜のヒットスタジオ〉に出演し、この新曲を歌っている。当時、彼女は高校三年生(17歳)だった。

 '73年に14歳で歌手デビューした山口百恵は、それまでずっと千家和也(作詞)と都倉俊一(作曲)の手によるアイドル歌謡を歌っていた。「横須賀ストーリー」は、阿木燿子(作詞)と宇崎竜童(作曲)の夫妻が初めて手掛けた百恵のシングル曲。それは、百恵が育った横須賀の町を舞台にした、それまでとは全く趣の異なる歌だった。この作品をきっかけに、彼女はアイドル歌手から脱皮し、大人の歌手への道を歩み始める。以後、両者のコラボレーションは'80年10月の引退まで続き、「イミテイション・ゴールド」「夢先案内人」「プレイバック Part 2」「曼珠沙華」「美・サイレント」「謝肉祭」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向う側」など、山口百恵のキャリアを代表する数々の名曲が生まれることになる。

 引退を4ヶ月後に控えた'80年6月、百恵は、当時ニッポン放送で毎週日曜に放送されていたワンマン・ラジオ番組〈山口百恵 夢のあとさき〉で、歌手としての自分の礎である「横須賀ストーリー」を振り返る特集を組んだ。約30分の番組の中で、彼女は、作品が生まれた経緯、曲に対する個人的な思いなどを、自分の言葉で丁寧に語っている。また、番組内では、宇崎竜童と阿木燿子の肉声コメントが紹介され、両者のコラボレーションについて作家の立場からも振り返られる。山口百恵、宇崎竜童、阿木燿子の3人が揃って「横須賀ストーリー」を語るという、この上なく貴重な内容である。「横須賀ストーリー」の発売40周年を記念して、今回はこのラジオ番組('80年6月29日放送)の談話を転写・採録することにする。

 番組の中で、阿木燿子は自分の書いた百恵作品を振り返って、“(自分は今までずっと)百恵さんの中にある無垢な少女だけを追いかけてきたんじゃないか”と語っている。それは、百恵自身も同じだったのではないか。「横須賀ストーリー」は、確かに百恵の中にいる“少女”を描いた歌だった。しかし、そこではっきりと対象化してしまったがゆえに、逆に、彼女は“少女”ではいられなくなってしまった。自分の中にいる“少女”を歌い、客観的に見つめることによって、彼女は“青年(≒大人)”へと変わっていったのである。「横須賀ストーリー」以降、山口百恵は様々な歌を歌った。その歌声に滲む憂いや悲しみ、あるいは、苛立ちを思うと、結局のところ、彼女はずっと、自分と“横須賀”の間に横たわる距離について歌っていたのではないかという気もする。横須賀──それは彼女にとって、どんなに返りたくても返ることができない、永遠の“原点”なのではないだろうか。


〈山口百恵 夢のあとさき〉──1980年6月29日放送

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BGM:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

山口百恵──「スモーキン・ブギ」という歌が出たときは、“面白い歌だなあ”って思ってたんです。そして、「港のヨーコ」を聴いたときは……ちょっとしたショックでした。一度、この歌を歌っているダウン・タウンの皆さんとお話をしてみたいな、って思ったものでした。そのチャンスがやって来たのは他でもない……私がずっと前にニッポン放送でね、〈モモモモ30分〉という番組を……そうですね、2年くらいかな……やっていたときに、私が宇崎さんの歌が好きだっていうのを知っていたディレクターが、最終回の録音のときにね、宇崎さんを、私に内緒で、ゲストとしてスタジオへ呼んでくだすったんです(※1)。そのときにはもう、嬉しさのあまり感極まって、私、泣いてしまったんですけれども。それまではお話したこともなくって、テレビとかラジオとか、そういったもので一歩引いて見ているときには、リーゼントに、黒いサングラスに、つなぎを着てたりして、とってもなんか……おっかない感じの人だな、っていうのがあったんですね。もしかしたら、私たちが“あの〜”なんて言ったら、“バカヤロウ”とか言って怒鳴られるんじゃないかなって思うくらい、ちょっと迫力のある感じだったんですが、実際、お話をしてみると、とっても人間味溢れる温かな方だな、と思いました。

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 そのときに、宇崎さんから“あのー、新しいLPなんで聴いてください”って、LPをね……レコードを頂いたんです(※2)。で、その中に「涙のシークレット・ラヴ」っていう歌が入ってまして。まあ、言ってみれば、これが私と宇崎さんを、曲っていうものの中で結びつけた最初の歌だったんですけども。この「涙のシークレット・ラヴ」を聴いて、もう理屈抜きにして、鳥肌が立つ、っていう感じでね……ああ、いい曲だなあ、って思ったんです。で、初めて私は、自分の曲を作っていくスタッフの中に加わって、ひとつの意見としてね、宇崎さんの歌を歌ってみたいんだ、っていう話を、うちのディレクターであったり、スタッフの人たちにしたわけです。そうしましたらね、やっぱりその当時は、暴走族とか、ちょっと“ツッパリ”っていうイメージが宇崎さんたちからすごく感じられてた部分があって、まあ、当時……自分の口から言うのもなんですが……“清純派”の片隅に置かれていた山口百恵としては、やはりそういったイメージというのはどうなんだろうか、ってスタッフも疑問に思って……でも、どうしても、一回でいいから、歌えるチャンスを作ってもらえないだろうか、という私の気持ちを聞き入れてくれましてね、で、宇崎さんに曲をお願いしたわけなんです。で、その作品が出来上がってくるまでは、ちょっとした不安と、それから、ちょっとした期待と、入り混じっててね……なんか、出来上がってくるのが楽しみ、って言うか、こう、ドキドキドキドキして待っていたんです。そして、出来上がってきた曲が「横須賀ストーリー」。

 ちょうど私は、土曜日曜っていうと色々な地方のステージへ行ってるんですけどもね。その土曜日、東京を発つ朝、曲の資料として、歌詞を書いた紙と、宇崎さんがそれを歌ったテープとを頂いたんです。で、車や電車の中でずっと聴いて、とにかく、初めて“あ、自分の歌だ”……そんな気がしたんですよね。何て言うんだろうな……横須賀っていう町がテーマになっているせいもあると思うんですけども、やはり、これはほんとに“私の歌だ、私にしか歌えない歌だ”って思って、すごく嬉しかったのを覚えています。

 このとき、宇崎さんはどんな感じで歌を作ってくだすったのか、伺ってみたので、その声を聴いてみてください。

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宇崎竜童(音声コメント)──え〜、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドの宇崎竜童です。百恵さんのね……要するに、昔……「横須賀ストーリー」を書くまではね……非常にファン……ある意味で、惹かれてた人間だと思うのね。で、それまで「湖の決心」だとかなんとか色んな歌を歌っていて……別にそれが僕は彼女に合わないというふうには思わなかったし……でも、他の歌手の人たちが歌ってるようなものとはちょっと違う匂いが彼女に匂ってきて、なんかなんか、なんだろう?って分かんなくてね。で、あるとき、月刊誌みたいのに彼女が出てるのを見て、あ、この子、横須賀で育ったんだ、それで……自分が別に横須賀で育ったわけでもないのにさ……すごい、こう、ウェーヴみたいのを感じて、そこがやっぱり俺の好みにピシャッと合ったとこなんだなって感じがして。だから、「横須賀ストーリー」作るときはね、なんで横須賀で育ってるのに、横須賀にしかない風景とか、横須賀の若い子たちの“波”っていうか……それをね、どうして歌わないんだろうって思ったのね。だから、もし僕が依頼を受けたときは、絶対、“横須賀”をテーマにしてやろう、と。で、音の面で言えば、「太陽の下の18才」とか、ツイストが流行った頃のああいうニュアンスってのが、彼女の全体に溢れる何かから感じたんだよね。だから、ああいうふうになった。

 すごいな、と思ったのは……こっちが要求するでしょ、こういうふうにしてほしい、とかって。そうするとね、いわゆるテクニックとかでカバーしていくんじゃなくて、感性でカバーしてるっていうことなのね。コンピューターみたいだな、って思ったことがあるのね。たとえば、マズい部分を指摘すると、マズい部分はちゃんと改善されて、良かったところはその良さをまんま残せる、というね。そういう意味では“歌う機械”みたいな……良くない喩えだけども……“歌うコンピューター”みたいなとこがあってね……で、コンピューターの割には感性が鋭かったりして。でも、(レコーディングされた曲を)聴いたときには、僕が作った“子供”が成長したっていう感じでね……とっても嬉しかったですね。


山口百恵──ありがとうございます。なんですかね……“歌うコンピューター”なんて言われてしまって(笑)、ちょっと照れくさいんですけども。

 この歌によって、初めて……たとえばね、歌は理屈で歌うもんじゃないんだ、とか……それまで言葉とか頭の中だけでは分かってたんですけれども、ほんとに身をもって分からされた曲、と言ってもいいんじゃないかなっていう気がするんです。たとえば、目を瞑って“急な坂道 駆けのぼったら 今も海が見えるでしょうか”っていうフレーズを歌うと、ほんとに私が育った町の坂道……そこの坂道を、幼い頃の私が駆け上がっていって、ハアハア息を切らしながら、ふと正面を見ると、山と山の合間から水平線がスッと見えて、白い船がスッと横切っていく……そんな風景が見えた歌なんですね。ですからこれは、ほんとに私にとって、今ももちろん大事だし、今後生きていく中でも、常に心の片隅に必ず流れていてほしいラインだっていう気がするんですね。これ以降、今日まで、宇崎竜童さん、そして、阿木燿子さんというご夫妻とのお付き合いが続いていますけども、私にとってこの出会いは、本当に忘れられない、大事な、大切な出会いになったと思います。昭和51年……今から4年前の春の出会いでした。17歳でした。

 聴いてください。51年6月21日発売でした。「横須賀ストーリー」──。

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PLAYING:「横須賀ストーリー


山口百恵──〈山口百恵 夢のあとさき〉。先ほどは宇崎さんのお話をしたんですけれども、今度は宇崎さんの奥さん、阿木燿子さんについてお話したいと思います。

 阿木さんっていうのは、歌の面から言えば、やはり、私の中の“新しい個性”って言うのかな……そういったものを引きだしてくださった方なんですよね。そして、私にとって……なんと言うのか……ちょっと不思議な間柄と言うか、不思議な感情のやりとりのある女性なんですよね。そのへんの細かい経緯っていうのは、なかなか難しいんですけれども、意外と、こう……会わなくてもお互いのすべてが見渡せてしまえるような部分がとっても多かったりなんかして。私にとっては、やはり、そういう女性っていうのは初めてだったしね。なんとなく、こう……不可思議な感じ……どこかでこの人と私は意識の底の方で繋がっているんではないだろうか、と思ってしまうような感じの女性だなっていう気がしました。もちろん、私と阿木さんっていうのは、レコーディング以外、そんなにプライベートな時間で会ってお話したりってことは今までありませんでした。今にして思えば、却ってそれが良かったのかなあ、なんて気もしてるんですけども。それだけども、時々スタジオなんかでお目にかかる。そうすると、そのときの阿木さんの神経っていうのが、手に取るように分かるんですね。阿木さんも同じで、久しぶりに会ったのに、私の神経の動きっていうのが、ほんとによく見える。だから、よく音楽祭などで隣り合わせに座ったりすると、私がすごく緊張してると、それまで落ち着いてた阿木さんも何となくソワソワソワソワし始めて。逆に、阿木さんが緊張してると、それまでは“大丈夫ですよ”なんて言ってた私がドキドキドキドキしてきて、どうしようもなくなったりして。そんな、ちょっと不思議な連鎖反応を持った関係なんではないかな、という、そんな気がしてるんですけれども。

 阿木さんに、私についてちょっとお話をしていただいたんで、聴いてください。

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阿木燿子(音声コメント)──阿木燿子です。私はよく、百恵さんのどういう女の部分を意識して書きますか、ってインタビューなんかで訊かれるんだけど、私はきっと、今の今まで、百恵さんの中にある“女”、って言うより、百恵さんの中にある無垢な少女だけを追いかけてきたんじゃないかなっていう気が、今、してます。少女は時としてとっても残酷で、すごく小悪魔的で、気まぐれで、ひたむきで、可愛らしいっていう……なんか、大人の分別をつける前の、残酷になり得る少女っていうのを、私はやっぱり百恵さんに見てきた気がします。でも……(約4秒、聞き取り不能)……やっぱりその人の持ってる、生きていることに対するひたむきな情熱みたいなもの、世の中に対して“NO”って言えるひたむきさみたいなもの、大人になったら妥協してしまうようなことでも“私は違うと思う”って言える、そういう純粋さを、ずっとやっぱり……(約4秒、録音不具合により音声途切れ)……この百恵さんの意志と、しっかりとした気持ちの強さみたいなのには、ただただ驚く、そして、尊敬するばかりなんですけども。だから、これからは逆に、守ってきたものを解放してもいいんじゃないかなっていう気もして。肩の力をフッと抜いて、楽な生き方を、きっと百恵さん、素敵にできる人だと思うし……。でも、「横須賀ストーリー」、きっと私も一生忘れない曲だと思います。

山口百恵──なんとなく……いつも阿木さんと色んな話してて思うんですけども……発想という意味において、一瞬にして“飛ぶ”ことができる、って言うのかな……言葉がとっても……なんか、最近流行りの“翔んでる”とか“翔んでない”とかっていう言葉に聞こえてしまうとすごく嫌なんですけれども。私がいつも思うのは、歌の中でちゃんと阿木さんの言葉が躍ってるっていうことの驚異……驚きって言うか……そういうものを感じるんです。息吹があるんですよね。ただ単に言葉を組み合わせただけの詞ではなくて、ほんとにその中に、阿木燿子さんなのか、または全く違った人格なのか分からないけれども、そういった女性っていうものが、ちゃんと命を持って、そこで悩んだり、迷ったり、怒ったり、喜んだり、嫉妬したり、っていうことを繰り返している気がするんですよね。だから私もきっと、こんなにも自分の神経ってものを重ね合わせて、歌を歌でなく、自分の言葉として語ってこれたんじゃないか──そんな気がするんです。

 阿木さんも仰ってました。「横須賀ストーリー」っていうのは、きっと忘れ得ない……一生忘れられない曲であろう、ということ。阿木さんの口からそれをはっきり聞いたのは、今日、初めてだったんですけれども……すごく、感激しました。

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 残り……って言うか、私がこの仕事をするのは……あと4ヶ月ないのかな……短いですけれども、それまで本当に、最後の最後まで、阿木さんの世界……阿木さんの描き出す世界っていうものを、自分なりに、自分の身体の中に重ね合わせて、吸収して、そして、自分の言葉として、思いっきり吐き出していきたいなって、また改めてそんなふうに思いました。

 それでは、阿木燿子さんの作詞、宇崎竜童さんの作曲、『横須賀ストーリー』というLPの中から「風たちの午後」、聴いてください。

PLAYING:「風たちの午後」


(※1)宇崎竜童が最終回にゲスト出演した百恵のラジオ番組は、〈モモモモ30分〉ではなく〈山口百恵のラブリータイム〉。〈ラブリータイム〉('75年11月8日〜'76年4月3日)は、その前に同じ枠で放送されていた〈山口百恵のモモモモ30分〉('74年4月6日〜'75年10月25日)の後番組だった。'76年4月3日放送の〈ラブリータイム〉最終回に、宇崎竜童はサプライズ・ゲストとして出演し、ギターの弾き語りで百恵に捧げる即興曲を歌った(詳しくは過去記事参照)。感激のあまり、そこで百恵が泣いたのは事実である。しかし、そのゲスト出演の時点で、宇崎は既に百恵サイドから楽曲提供の依頼を受けていた。百恵が宇崎の歌を歌いたいと思ったのは、もっと前のことだろう。ちなみに、百恵と宇崎が初めて会ったのは、'75年2月17日放映〈夜のヒットスタジオ〉の現場(詳しくは過去記事参照)。その後、両者は雑誌『明星』('75年7月号)の対談企画でも顔を合わせている。

(※2)「涙のシークレット・ラヴ」が収録されたダウン・タウン・ブギウギ・バンドのLPは、'75年12月5日発売『ブギウギどん底ハウス』。百恵が宇崎からLPを渡されたのは、'76年4月3日放送〈山口百恵のラブリータイム〉最終回の収録時ではなかったはず。仮にそうだったとしても、それが宇崎への楽曲依頼のきっかけになったということはあり得ない(その時点で宇崎は既に依頼を受けていたのだから)。宇崎は〈ラブリータイム〉最終回の中で、それ以前にも百恵のラジオ番組にゲスト出演したことがあると言っている(時期は不明)。もしかすると、百恵がLPを渡されたのはその時かもしれない。



■今回の転写は、5年ほど前にYouTubeに投稿されていたエアチェック音源(既に消滅)をもとに行った。投稿者のアカウント名は覚えていないが、この場を借りて深く感謝したい。その投稿者は、他にも山口百恵の貴重なラジオ音源を多数アップしていた。是非、また公開していただきたいと思う。

■プリンス「Fury(激昂)」(2006)のイントロは、「横須賀ストーリー」に触発されたもの……では決してないと思うが、この類似は面白い。エディ・コクラン「Summertime Blues」(1958)、ミーナ「L'eclisse Twist(太陽はひとりぼっち)」(1962)、デヴィッド・ボウイ「Hang On To Yourself」(1972)、セックス・ピストルズ「God Save The Queen」(1977)……半音で反復するリフは、若者の不安定な情緒、焦燥、苛立ちを表現しているように思われる。山口百恵もまた“怒れる若者”だったのかもしれない。




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