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なぜ共に生きられないんだ


WHY CAN'T WE LIVE TOGETHER
7": Glades 1703, 1972 (US)

Side 1: Why Can't We Live Together
Side 2: Funky Me

 『Diamond Life』(1984)を締め括るティミー・トーマスの'72年のデビュー曲「Why Can't We Live Together」。マーヴィン・ゲイの前年発表曲「What's Going On」を極限までシンプルにしたようなこのメッセージ・ソングは、当時、全米ソウル・チャートで1位、ポップ・チャートで3位となるクロスオーバー・ヒットを達成した。シャーデーによるカヴァーが有名だが、'82年にマイク・アンソニーというベルギーの黒人歌手が傑作ディスコ版(これはヤバい)を発表している他、'90年代以降はMCハマーサンタナジョーン・オズボーンスティーヴ・ウィンウッドらによっても取り上げられている。スライもビビる激チープなリズムボックス・サウンドは、ドレイク「Hotline Bling」(2015)のネタとして現代のリスナーの耳にも刷り込まれている。斬新なのか、いい加減なのかよく分からない音作りのセンスは、'80年代初期のプリンスにも通じるだろう。この音を“これでいいのだ”と判断できる感覚がファンキーである(B面曲「ファンキーな俺」もヤバい)

 シャーデーはレコード・デビュー前からこの曲をレパートリーにしていた。ナイジェリア人の父とイギリス人の母を持つアデュの真摯な歌唱が、異人種共存の困難を歌った歌詞に強い説得力を与えている。彼らの'84年ツアー、および、'85〜86年ツアーのオープニングはずっとこれだった。ライヴ・エイド('85年7月13日)や、ピーター・ガブリエル、スタイル・カウンシル、ギル・スコット・ヘロンらと共に参加した反アパルトヘイト・コンサート〈フリーダム・ビート('86年6月28日)での熱演も印象深い。その後はレパートリーから外れているが、もし現在、シャーデーがツアーを行うとしたら、再び重要曲として取り上げられるのではないか。この歌は、残念ながら、近年になってますます深刻な意味を持ちつつある。




 Why Can't We Live Together
 (Timmy Thomas)
 
 Tell me why, tell me why, tell me why
 Why can't we live together
 Tell me why, tell me why
 Why can't we live together
 
 なぜだ なぜだ なぜなんだ
 なぜ共に生きられないんだ
 なぜだ なぜだ
 なぜ共に生きられないんだ
 
 Everybody wants to live together
 Why can't we live together
 
 みんな共に生きたいのに
 なぜ共に生きられないんだ
 
 No more wars, no more wars, no more war
 Just a little peace in this world
 No more wars, no more war
 All we want is some peace in this world
 
 戦争はもういやだ たくさんだ
 この世に少しでも平和を
 戦争はもういやだ たくさんだ
 僕らが欲しいのはこの世の平和
 
 Everybody wants to live together
 Why can't we live together
 
 みんな共に生きたいのに
 なぜ共に生きられないんだ
 
 Gotta live, gotta live
 Gotta live together
 Gotta live together
 
 生きなけりゃ
 共に生きなけりゃ
 共に生きなけりゃ
 
 No matter, no matter what color
 You are still my brother
 I said no matter, no matter what color
 You are still my brother
 
 たとえ何色だろうとも
 君は僕の兄弟だとも
 そうさ たとえ何色だろうとも
 君は僕の兄弟だとも
 
 Everybody wants to live together
 Why can't we live together
 
 みんな共に生きたいのに
 なぜ共に生きられないんだ


 この曲のオケをサンプリングしたドレイク「Hotline Bling」('15年7月31日発売)は、別れた女への未練をたらたらと語る情けない男の歌である。夜中に寂しくなってしょっちゅう携帯に電話してきた“おまえ”は、今では露出の多い服を着て遊び歩くイケイケ女になっている。俺が教えたあんなことやこんなことを他の男のためにやってんのかよ、とか、いい子だったのに今のおまえは別人になっちまった、などと、話者の男は元カノにあれこれと文句をつける。男が女と縒りを戻したがっているのは明らかだが、それが曲中ではっきり語られることはない。カッコ悪くて言えないその本心が、サンプリングされた曲のタイトルによって暗に示されている。要するに、“俺”は“おまえ”に向かって“Why can't we live together(なぜ一緒に暮らせないんだ)”と言いたいのである。

 「Hotline Bling」がチャートを急上昇していた'15年10月初頭、ティミー・トーマス(70歳)はアメリカのスピン誌からインタヴュー取材を受け、ドレイクにサンプリングされたことや、「Why Can't We Live Together」を作った経緯について話している。面白い内容なので、以下にその一部を訳出しておく。取材時に4位だった「Hotline Bling」は、最終的に全米チャートで最高2位を記録し(R&B/ヒップホップ・チャートでは1位)、'15年〜16年を代表する大ヒット曲になった。

※“bling”は、いわゆる“光りもの(貴金属類など)”を指す近年の俗語。携帯の着信を知らせる“光”と“呼び出し音(ring)”を掛けている。“hotline bling”は“ピカるホットライン(直通電話)”みたいな意味である。30年くらい前だったら“恋のホットライン”とかいう邦題が付いたかもしれない。



●ドレイクがあなたの曲をサンプリングした──または、サンプリングしようとしている──ことを最初に聞いたのはいつですか。彼から連絡を受けたとか、ドレイク側と何か話したりとかは?

「最初に俺がその話を聞いたのは、おかしな話だけど、市内にいる身内からの電話だった。“ティミー、ドレイクの新曲聞いたか?”。俺は“いや”。“〈Why Can't We Live Together〉にそっくりなんだよ。オリジナルの音みたいなんだ”と言う。そしたら他からも電話が掛かってきた。どれどれ……と聴いてみると、“ワオ! オリジナル版の〈Why Can't We Live Together〉じゃないか! なんてこった!”と。
 彼があの曲を使ってるのを聴いて、とても光栄に思ったよ。元のメッセージが変えられていたにしてもね。“なぜ共に生きられないんだ(なぜ一緒に暮らせないんだ)”っていう。でも、おかげで俺が再び注目され、若い人たちにまた発言できるようになる。それがすごく嬉しいね。人気が出ることを祈ってるよ」

●大人気ですよ。現在、たしか全米チャートで4位です。

「すげえな。4位? '73年にあの曲は3位になった。R&Bチャートじゃ1位だ。で、彼のは4位だって? たまげたね! 同じ曲でここまで成功するなんて、どえらいことじゃないか。一生に二度もさ。これで1位になったりしたら……こりゃ孫どもに自慢できるぞ」

●ドレイクについてそれまで何か印象は? お子さんたちに彼のことを教えてもらったとか、あるいは、ご自身でお聴きになっていたとか?

「そうだな、俺に言わせると、彼は一味違う。ラッパーにはハードコアな連中と、もうちょい柔らかに主張する連中がいるよね。それと、聴けば分かるけど、彼のラップには色んな要素が交じってる。完全にR&Bってわけでもない。まあ、“hotline bling”と聞いて、何のこっちゃとは思ったけどね。子供たちから“父さん、こういう意味だよ”と言われて感心したよ。彼の言ってることを理解するにはラップの辞書が要るってなもんだ。
 俺は彼のラップが好きだよ。第一に、声が好きだ。第二に、物語があるから。彼は汚い言葉を使わなくても語ることができる。ドレイクには好きなところがいっぱいあるよ。自分の曲を使ってくれたからってのもあるけどね。この世にはいくらでもアーティストがいて、いくらでもネタに使える曲がある。そこで彼は俺の曲を選んだ。そこが俺としてはやっぱり大きいな。“ドレイク、光栄だ。〈Why Can't We Live Together〉を選んでくれてありがとう”って言えるんだから。しかも、オリジナル版のリズム・トラックをね!」

●先ほどもちょっと仰ってましたが、あなたの曲が社会的・政治的な意味合いが非常に強かったのに対し、彼の曲はもっとロマンチックで個人的なものになっています。自分の曲に合うよう彼が歌の意味合いを変えたことは気にならない?

「要するに、何が良かったかと言うと、彼は“なぜ共に生きられないんだ”って俺が歌ってる部分を全く使わなかった。で、それを恋愛の話に置き換えたんだ。そうやって曲が使われたことは構わないよ。もし彼が“なぜだ、なぜなんだ、なぜ共に生きられないんだ”と歌って、“俺のケータイに電話して……”とやったら考えものだけどさ。それじゃ面白くない。
 ともかく、使ってもらえてありがたいよ。しかも、きちんと使ってくれた。彼は音楽出版社や関係者に連絡を取ったから、誰も騒いじゃいない。そこがすごく嬉しいよな。例えば過去には、誰かが他人の曲を使って、アーティストには一銭も入らないなんてことがあった。ドレイク側がきちんと慮ってくれたことを感謝してるよ」

●「Why Can't We Live Together」がサンプリング/カヴァーされたのはこれが最初ではありません。あなたがヒットさせた後、この曲は充実した第二の人生を歩みましたね。この曲を再利用した作品で特にお好きなものはありました?

「うん。シャーデーがカヴァーしたし、スティーヴ・ウィンウッドやサンタナもカヴァーした。ジョーン・オズボーンも。MCハマーでさえ『Too Legit To Quit』でやってた。どれも曲を丸ごとカヴァーしたやつで、それはそれですごく良かった。でも、ドレイクの場合、歌をそのままカヴァーするんじゃなく、音楽を使ってる。元の音源をね! 別のドラマーを使って音を再現するんじゃなく、音源をそのまま使ってるのが驚きだ。歌の内容とも合ってるしさ」

●オリジナル版「Why Can't We Live Together」が生まれたきっかけについて少しお聞かせ願えますか。新聞を読んでいたとか、実生活で何かあったとか?

「当時のことは今でもありありと思い出せるよ。ちょうどマイアミに越したばかりの頃でね。忘れもしないが、俺は大学勤めのために書斎で仕事中だった。書斎にいたら、ウォルター・クロンカイト(米ジャーナリスト/ニュースキャスター。アメリカの筑紫哲也みたいな人物)がこう言うのを聞いた。忘れもしないよ。彼はこう言ったんだ──“今日、3万5千人のベトコンが死にました。米軍の死者は1万5千人です”。俺は“何だって?! そんな大勢の人の子たちが今日死んだ? 何の交渉も進められない戦争のせいで、多くの人たちが肉親を失ってる?”と。“なぜ共に生きられないんだ?”と思った。
 これだ! 閃いた俺は自分の思いを書き始めた。“戦争はもういやだ。欲しいのはこの世の平和。たとえ何色だろうとも、君は僕の兄弟だとも”。その後、それをテープに吹き込んで、地元のラジオ局のWEBFに持っていった。当時、そこでは地元のアーティストが紹介されてたんだ。曲が流されると、電話が殺到した。“何者だ?”と。あの演奏は俺ひとりでやってるんだけどね。足でベースを弾き、左手でギター……ってな具合に。ひとりバンドだなんて信じてもらえなかったよ。そんなのまだ珍しかったからさ。でも、当時の世の中には少し変化の兆しがあったように思う。あの歌は変化をもたらしたんだ。



 俺は南アフリカにも行った。アパルトヘイトの真っ只中、人種が隔離されていた頃の話だ。俺はひとりでソウェトというところに行った。ヨハネスブルグ市内の地区なんだけどね。そこで演奏する黒人は俺が最初じゃなかったけど、アメリカ人としては初だった。赤色人種、黄色人種、黒人、白人に関係なくね。驚いたことに、黒人の町長が俺にこう言うんだ──“ティミー、立ち去らなきゃ”。“どうして?”と訊くと、“9時だ。ヨハネスブルグでは9時以降、我々は外を出歩いてはいけないんだよ。家に帰らなきゃいけないんだ”。俺はキング牧師がいる公民権運動の時代を経験してきた。でも、南アフリカにはそんな法なんてなかったのさ。
 '93〜94年、俺は選挙に合わせて南アフリカを再訪した。マンデラ氏が大統領になるときにね。俺はテレビに出て歌った。俺の歌は南アフリカ全体のテーマだった。信じられなかったよ。あの1曲で俺は世界38ヶ国、アメリカ全50州、全国津々浦々を演奏して廻ったんだ」(5 October 2015, Spin.com)


松尾潔のメロウな夜(NHK-FM/2015年10月19日放送)
ティミー・トーマス「Why Can't We Live Together」について、シャーデー、ジュリア・フォーダム、MCハマー、ドレイクの話も交えた素晴らしい解説。



TO BE CONTINUED...



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