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今のなんだ? キャットだ!



 What was that? (Aftershock!)
 Ain't that a bitch. I think it's Cat!
 
 今のなんだ? (余震だ!)
 こんちくしょう キャットじゃねえか!

 
 ──「Housequake」(映画『サイン・オブ・ザ・タイムズ』)


 8月8日はフジテレビの日かと思っていたら、“世界猫の日(International Cat Day / World Cat Day)”でもあるそうだ。'02年に国際動物福祉基金という団体がそう定めた。

 というわけで、キャットである。

 ご存じ、『Sign "O" The Times』(1987)〜『Lovesexy』(1988)期にかけてプリンスのバックを務めた女性ダンサー。野性味溢れる元気いっぱいのダンスで、シーラ・Eと共にハコを揺らしまくった。プリンスが妄想する“セクシー・ダンサー”像を体現し、ダイアモンド&パールやマイテら、後続の女性ダンサーたちの原型にもなった彼女は、当時のプリンスの表現に欠かすことのできない極めて重要なヴィジュアル要員だった。

 ダンサー/振付師として知られるキャットだが、実は歌手としてソロ活動もしていたことをご存じだろうか?


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CATWOMAN
7": Red Dot Records/WEA Records 246 518-7, 1989 (Germany)
Side 1: Catwoman
Side 2: Catwoman [video edit]

12": Red Dot Records/WEA Records 246 517-0, 1989 (Germany)
Side 1: Catwoman [Bomb In The Bass Endorphin Mix]
Side 2: Catwoman [Tales From The Darkside Mix]

CD3": Red Dot Records/WEA Records 246 516-2, 1989 (Germany)
Catwoman / Catwoman [Bomb In The Bass Endorphin Mix] / Now It Rains / Catwoman [Tales From The Darkside Mix]

Catwoman
Lyrics: Cat, Sparkle Antoni / Music: Cat, Tim Simenon, Kenji
Now It Rains
Lyrics: Cat / Music: Cat, Mark Brydon

Produced and Mixed: Tim Simenon
Assistant engineer: Q
Programming: Kerry Hopwood, Mark Brydon (on "Now It Rains")
Musicians: Cat (vocals, keyboards on "Catwoman"), Kenji (guitar), Tim Simenon (catscratch, bass, drums), Jeff Scantlebury (percussion)



 シングル「Catwoman」は、キャットがソロで出した唯一のレコード作品である。彼女がプリンスのもとを離れた'89年、WEA傘下のRed Dot Recordsなる新興レーベルからイギリス〜ヨーロッパでのみ発売された。ジャケットは7"、12"、CDですべて異なり(上掲の画像は7"。私はCDを持っている)、収録内容にも違いがあるが、このシングルで聴けるのは表題曲と「Now It Rains」という2つのオリジナル曲。プリンスは一切関与していないし、全くヒットもしなかったが、ウェンディ&リサをはじめとする元プリンス・ファミリー(“元プリンス”のファミリー、ではなく、かつてプリンス・ファミリーだった人たち。ややこしいな!)のアルバムがそうであるように、何となく彼の移り香がするのが面白い。何より、同年のプリンス作品『Batman』に便乗する気満々な曲名がナイスだ。

 制作は、ボム・ザ・ベースのティム・シムノン。と書くだけで大方想像がつくかもしれないが、実際、いかにもそれっぽいガチャガチャした音である。表題曲「Catwoman」は、アシッド・ハウス、テクノ、ヒップホップ、ロックなどが消化不良気味に雑然と入り混じったトラックに乗って、キャットがラップ半々の歌で弾けまくるハイエナジーなダンス・ナンバー。途中で“ミャ〜オ!”と鳴いたり、“Catscratch!”の掛け声でスクラッチ音(笑)が入ったりするのが猫娘っぽくて楽しい。シーラ・E風のパーカッションが入るのもプリンス時代の彼女のイメージ通りだ。“Let's rock! And roll! Let's dance! All night long!”というサビは、プリンス「Funknroll」(2014)を先取りしている?! この曲には音楽ヴィデオも作られた。

 CDにのみ収録の「Now It Rains」は、ややハウス色が強めなサウンド。キャットはここでも歌とラップで元気印のヴォーカルを聴かせる。“ベイビー、雨にはうんざり/あなたの瞳を覗き込めば雨が降り出す/知ってほしいの、愛していると/でも、あなたの瞳を覗き込めば雨に濡れる(Oh baby, I just can't stand the rain / Whenever I look into your eyes, it will start to rain / I have to let you know that, oh baby, I love you so / But when I look into your eyes, I feel the rain)”という歌詞は、プリンスのことを思いながら書いたそうだ。“雨”はもちろん紫色だろう。個人的には、UKソウルっぽい軽やかさもあるこちらの方が好きだ。併録の「Catwoman」の2つのリミックスは……あまり違いが分からない。

 「Catwoman」でメタリックなロック・ギターを弾いているのは、ボム・ザ・ベース等への参加を経て、'98年からずっとシンプリー・レッドに在籍している在英日本人ギタリストの鈴木賢司(a.k.a. Kenji Jammer)。盟友でもある屋敷豪太がシニード・オコナー「Nothing Compares 2 U」(1990)を手掛けるのとほぼ時を同じくして、彼はキャットのレコーディングに参加していたのだ(MVにも出演している)。UKクラブシーンを介したプリンスと日本人ミュージシャンのこの間接的繋がり!

 思い切りアシッド・ハウス〜ヒップホップ方面に舵を取ったサウンドには、シングル「The Future」(1990)──マーク・ムーア(S'Express)とウィリアム・オービットによるアシッド・ハウス・リミックスをフィーチャー──あたりから顕著になるその後のプリンスの足取りを半歩先駆けたような鋭さがあるし、プリンスが「Loose!」(1994)で聴かせることになるデジタル・ロックも、キャットはここで早々とやっている。安易に『Lovesexy』風の音を狙ったりせず、プリンスと歩調を合わせつつ、きちんとキャット道を歩んでいるところが良い。同じくティム・シムノンが手掛けていた同時期のネナ・チェリーとキャラが被っている気はするし、かなり徒花感が漂うことも否めないのだが……プリンスの“元オンナ”としては立派なものではないか。発売予定だったソロ・アルバム『I Am Energy』がお蔵入りしてしまったのが残念だ。


CAT GLOVER──プリンスとD・ボウイが取り合ったダンサー

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 キャット・グローヴァー──本名 Catherine Vernice Glover──はシカゴに生まれ育ち、独学で自然とダンスを身につけた。本人曰く“母親のお腹の中にいるときから踊っていた”そうだ。彼女はプリンスと出会う以前から、彼と踊ることを夢見ていた。

「プリンスのことを初めて知ったのは『Dirty Mind』だったわ。私はシカゴのノース・サイドで一人暮らしをしていた。私にとって落ち込んだときの唯一の救いは、プリンスの『Dirty Mind』を聴くことだった。彼に会ってやる──私は心にそう決めていた。
 『Dirty Mind』を聴いて、いつか自分が彼に出会い、気に入られると分かってたわ。プリンスがいたから私はこの道を進もうと思った。彼は私より6つか7つ年上でね。私に夢を持たせてくれる唯一の存在だったわ」(◆)

 バンドに迎えられる4年ほど前、キャットはプリンスと偶然に顔を合わせている。それは、〈1999〉ツアーでプリンスがシカゴにやって来たときのことだった('82年12月9日〜11日、もしくは'83年4月10日)

「ヴァニティ6、ザ・タイム、プリンスがツアーでシカゴに来たときのことなんだけどね。私はディングバッツというクラブでダンサーをやってた。プリンスたちが道路の向かいのホリデイ・インに泊まってて、私はその宿泊先に行ったのよ。私は青と黒の短いカーリーヘアで、切り刻んでジッパーを縫いつけたトラ柄の青いシャツを着て──理由は訊かないでよね──レッグウォーマーをはいてた。上がっていってプリンスに会おうと思い、エレベーターのボタンを押したの。ドアが開いたら、そこにプリンスがいた。スーザン(・ムーンジー/ヴァニティ6のメンバー)や他の数人と一緒だったわ。彼は私のことをただジロッと見た。頭から足の先までね。“ワオ”って思ったわ。でも、彼と知り合うには至らなかった」

 キャットが初めて大衆から注目を浴びたのは、'86年初頭、アメリカのタレント発掘番組〈Star Search〉('83年〜95年放映)へ出演したときだった。ティファニー('85年)、ラサーン・パターソン('86年)、アラニス・モリセット('88年)、アリーヤ('89年)、アッシャー('91年)、ブリトニー・スピアーズ('92年)、デスティニーズ・チャイルド('93年)、バックストリート・ボーイズ('93年)、ジャスティン・ティンバーレイク('93年)、ピットブル('94年)等々、錚々たるスターたちがアマチュア時代に出場しているこの勝ち抜きタレント大会のダンス部門に、彼女は友人のパトリック・アレン(MV「Catwoman」にも出演)と“パット&キャット”というコンビを組んで出場。決勝までの全7週中、2人は番組史上初となる“オール4点”(4人の審査員がそれぞれ4点満点で採点)というスコアを三度も叩き出した。惜しくも決勝で敗れたものの、審査員のひとりだったマイケル・ピーターズからは大絶賛されたそうだ。ちなみに、パット&キャットが決勝で踊った曲はデバージ「You Wear It Well」、2人を負かしたクリストファー&スノウィーというチームの曲は、プリンス「Baby I'm A Star」だったという。

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〈Star Search〉で2週目を勝ち抜いたパット&キャット。曲はグーン・スクワッド「Eight Arms To Hold You」(アーサー・ベイカー制作)。キャットはこの時点でトレードマークの“Cat Scat”(上半身を激しく揺さぶるダンス・ムーヴ)を既にやっている

 この〈Star Search〉への出演がプリンスと出会うきっかけになった。

「私はプリンスに会った。きちんと紹介されたのはビバリーヒルズの彼の家だったわ。プレイボーイ誌のプレイメイトで、〈Star Search〉にもモデルとして出演していたデヴィン・デヴァスケスに誘われたの。当時、彼女はプリンスと付き合ってた。デヴァスケスはプリンスのお父さん(ジョン・L・ネルソン)とも仲が良かったのよ。
 彼女は私をプリンスの家のディナーに招待してくれた。会ったとき、彼はDATだかカセットテープを持って入ってきたわ。それは〈Housequake〉だった。ファグノリ(スティーヴン・ファグノリ/プリンスのマネージャー)に上の階へ来て、曲を聴いてほしがってた。彼はテーブルのところにいる私を見た。私は全身紫で、ハイウェストのパンツにサスペンダーをして、誕生日に彼に贈った運転手帽を被ってた。『サイン・オブ・ザ・タイムズ』の〈Forever In My Life〉で彼が被ってるやつよ。“テーブルのところに座ってるのは誰だい?”と彼は訊いた。デヴァスケスに内輪のディナーに誘われ、いきなり彼が現れたわけ。ものすごくキュートだったわ。
 夕食のあと、みんなでクラブに行った。別々の車に分乗して、ヴォイラというビバリーヒルズのモール内の地下にある会員制クラブに辿り着いた。私は、ファグノリ、デヴァスケス、プリンス、その他の数人と店でくつろいでた。プリンスが“キャット、いい曲がかかったら一緒に踊ってくれるかい?”と訊いてきたの。“いいわよ!”って答えたわ。
 最初の曲がかかっても彼は踊りに誘わなかった。2曲目、やっぱり誘ってこない。3曲目、ロバート・パーマーの「Simply Irresistible」がかかると、彼は踊ろうと言ってきた。私はリーバイスのジーンズにカウボーイ・ブーツをはいてた。彼は踊りながら手を握ってきたけど、私は革手袋をしてたから何も感じられなかったわ。
 彼がいくつかダンス・ステップをやり始めて、私もそれをやった。どんな動きだろうとやったわ。彼もそれに気づいたみたいで、どんどん踊り出した。私もどんどん踊り出した。2曲ばかり一緒にフロアにいたのかな。その後、DJがアップテンポのハウスっぽい曲をかけた。シカゴ育ちの私には最高だったわ。DJの方へ行くと、壁があって。私は壁に両手をついてジャッキング(シカゴ生まれのハウスダンス)を始めた。その晩からすべてが始まったわけ」

 プリンスからダンスに誘われた曲を、キャットは“「Simply Irresistible」”と回想しているが、これは「Addicted To Love」の間違いだろう(「Simply Irresistible」は'88年発表曲。「Addicted To Love」は、チャカ・カーンとのデュエット用に作られたロバート・パーマーの'86年前半の大ヒット曲。契約上の問題でデュエットは実現しなかったが、チャカは同曲にヴォーカル・アレンジで関与している)。これはプリンスによる“オーディション”だったのだと思う。キャットはこれに見事に合格した。

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デヴィッド・ボウイと'87年〈Glass Spider〉ツアーのダンサーたち

 同じ頃、キャットに目をつけていた音楽界の大プレイボーイがもうひとりいた。デヴィッド・ボウイである。プリンスの〈Sign "O" The Times〉ツアー('87年5月8日〜6月29日)と同時期に行われた彼の〈Glass Spider〉ツアー('87年5月30日〜11月28日)は、大規模なステージ・セットや演劇的な演出を取り入れた、非常にアーティスティックな内容だった(プリンスの〈Lovesexy〉ツアーに多少影響を与えたかもしれない)。13年前に彼がやった〈Diamond Dogs〉ツアーと同じく、トニー・ベイジルが振付を務めたこのショウには、エレクトリック・ブガルーズのスキーター・ラビット(写真手前右)をはじめとする5人の個性豊かなダンサーがフィーチャーされていたが、そのうちのひとりであるコンスタンス・マリー(写真中央の紫ジャンパーの女性。「Son Of The Silent Age」でスキー板をはいてユラユラする子)の役は、プリンスの手がちょっと遅ければ、キャットがやっていたかもしれなかった。

「おかしな話なんだけど、バンドに入らないかとプリンスから金曜日に誘われて、デヴィッド・ボウイから土曜日に誘われたの。同じ週のね。なんでこうなるの!と思ったわ。私はボウイも大好きなの。パンク〜ニュー・ウェイヴ世代で、そういう音楽で踊ってきたから。究極の選択だったわ。
 トロイ・ベイヤー(女優/脚本家/映画監督。米TVドラマ『ダイナスティ』やプリンスのMV「Sexy M.F.」にも出演)がその頃プリンスと付き合ってて、私と同じ建物に住んでたから、相談したの。“トロイ、プリンスから電話が来て、ボウイからも来た。どうすりゃいいの”。私はパニック状態だった。“キャット、自分の心に従うのよ”と言われて、私は“プリンスだ!”と。
 私はボウイを断り、プリンスとの仕事を選んだ。でも、自分がやれない代わり、ボウイのツアーに親友のコンスタンス・マリーに出てもらったわ。〈George Lopez〉ショウ('00年代に放映された米TVドラマ)でジョージ・ロペスの奥さん役をやった女性よ。自分の代わりに、彼女に〈Glass Spider〉ツアーに出てもらったわけ。リード・ダンサーとして彼女がやった役が、そのまま私がやる役だったと思うんだけど。実際に観たけど、すごかったわ。
 私たちは同時期にツアーをやってた。イタリアでボウイが私たちの向かいのホテルに泊まっててね。良かったのは、ツアー中にボウイと遊べたこと。彼はリムジンでやって来て、私たちがアフターショウをやってるクラブに入ろうとしてた。ボディガードの一人が私のところにやって来て、“ボウイが君に会いたがってる。外にいるよ”と。私は裏口からこっそり出て、彼のリムジンに飛び乗った。“どしたの?”と訊くと、“キャット、ここには人がうじゃうじゃいる。分かるだろ。うまいこと中に入りたいんだよ”。私は裏口から彼を安全に入れてあげたわ」

 プリンスとデヴィッド・ボウイは一度だけ顔を合わせたことがある。'16年1月21日、翌月にオーストラリアから始まる〈Piano & A Microphone〉ツアーに先立ち、ペイズリーパークで初のピアノ弾き語り公演を行った際、プリンスは他界したばかりのボウイを偲んでステージでこう語っていた──“デヴィッド・ボウイに冥福を。一度しか会ったことがないけど、僕にとても気さくに接してくれた。誰に対してもそうだったみたいだね。ひとこと言っておきたくてね(Peace to David Bowie. I only met him once, but he was really nice to me. Seems like he was that way with everybody. Just wanted to say that.)”。両者のたった一度の対面は'80年代後半、場所はなんとペイズリーパークだった。そして、キャットはその場にいた。

「(イタリアでの邂逅から)1年くらいして、プリンスがペイズリーパークでパーティーをやったとき、みんなで顔を合わせた。私はボウイとコンスタンス・マリーとプリンスと一緒にいて、壁際に立ってた。プリンスが私のことを“彼女は僕のものだ”と言うと、ボウイが“いや、僕のものだ”。プリンスが“僕の方が先だったぞ”と言うと、ボウイは“違う、僕と先に組むはずだった!”って。可笑しくてね。それが2人のやりとりだった。すごかったわ。私とコンスタンス・マリーは顔を見合わせて、“ちょっと、これって現実?”みたいな。私たちはクラブ出身の単なるヒップホップ・ダンサーだった。ゴキゲンだったわ。信じられない気分だった」

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『Sign "O" The Times』時代のプリンスとキャット

 実際、キャットは“プリンスのもの”だったのだろうか? 2人が恋人同士だったのかどうかは誰もが気になるところだろうが、キャットはきっぱりとこう答える。

「プリンスと付き合ってたのかと人からよく訊かれるわ。答えは“ノー”よ。プリンスと近づきになった女性の多くが、彼の友情や愛情を勘違いして、自分はプリンスの“彼女”だと言う。っていうかね、もし本当に恋人だったら、自分で分かるわよ。私は彼の恋人なんかじゃなかった。完全にプロフェッショナルな関係よ。互いに惹かれ合ってはいたけどね」

 もし2人が恋人同士だったら、恐らくステージでのあの露骨に性的な絡みはできなかっただろう。キャットはプリンスのヴィジョンを体現する芸術的パートナーであり、真にプロフェッショナルなダンサーだった。2人は似たもの同士だったのではないだろうか(プリンスと同じく、彼女の左頬にはホクロがあったりもする)

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シングル「Sign "O" The Times」('87年2月18日発売)

 キャットのプリンスとの初仕事は、シングル「Sign "O" The Times」のジャケット撮影だった。巨大なハートで顔を隠したキャットの姿は、発売当時、“スネ毛を剃ったプリンスか?!”などと憶測を呼んで話題になった。

「シングル〈Sign "O" The Times〉のジャケット……それが実際に彼からバンド加入を誘われたときだった。どうなるか見当もつかなかったわ。
 ビバリーヒルズの彼の家に寄って、ドレスを受け取るように言われたのよ。翌日、ミネアポリスへ飛んだんだけど、まさかそれを自分が着るとは思ってなかった。そのドレスは、ウェンディの双子の妹、スザンナ・メルヴォインのために作られたものでね。私にもちょうどサイズがピッタリだった。そのドレスをレコード・ジャケットで自分が着ると後から分かったんだけど、私は彼からドレスの用途を聞かされてなかったのよ。
 ジル・ジョーンズの叔父さんのアール・ジョーンズが私のヘア・メイクをやった。私はドレスを着て、プリンスの眼鏡をかけさせられた。プリンスからギターを弾くように言われて、撮影が始まった。それがあのジャケットというわけ。
 ちなみに、ジャケットに写ってるあのハートは分厚い鏡なのよ。すごく重くて、そのせいで筋肉が盛り上がってる。プルプル震えながらあのハートを持ってたわ。言ったもん、“プリンス、ハートを真っ黒にするなら、黒いボール紙でもよかったじゃない。その方が楽だし”って。でも、そこが彼の頭のいいところでね。彼は自分みたく見えるようにしたかったのよ。なるほどよね。重い物を持つと、赤ちゃんでも、女の子でも大人の女性でも、筋肉が出るでしょ。あれを見て、私の父親ですらプリンスだと思ったもの。プリンスのお父さんもプリンスだと思った。すごくない?」

 キャットはただ踊るだけでなく、プリンスのツアーやヴィデオの振付も手掛けていた。バンド・メンバーたちのあり得ない動きは、すべてキャットの仕業である。

「プリンスのツアーで振付をするにあたって、私はみんなに楽器演奏とダンスを同時にやることを求めた。シーサーとミコ・ウィーヴァーは、〈Lovesexy〉ツアーで私が考えたいくつかの振付に怒り狂ってたわ。私はシーサーに、ファンキーになるよう、ベースに片脚をかけて一本足で飛び跳ねるように言った。〈Sign "O" The Times〉ツアーでは、“あんたたちは犬になってワンワン!って吠える。ステージを這って、片脚を上げて消火栓にオシッコするのよ”って。私は大張り切りだったわ」

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“Boni Boyer! ...I said Boni Boyer!!”(映画『サイン・オブ・ザ・タイムズ』)

 キャットはインタヴューで当時の様々な思い出を語っているが、私が特に感動したのは、彼女と共に〈Sign "O" The Times〉〜〈Lovesexy〉ツアーに参加していた故ボニ・ボイヤーに関する以下のエピソードである。

「ボニ・ボイヤーとはツアー中、一番の仲良しだった。私たちは楽屋が一緒だったの。彼女は冗談好きでね。すごく面白いのよ。サウンドチェックのときも、いつもみんなを笑わせてた。多彩な人でね。ボイヤーはオークランドのストリート出身。彼女にはプリンスだって笑い転げたわ。サウンドチェックで彼女がステージに入って来ると、みんな揃って吹き出した。彼女が面白いことを言うと分かってるからよ。
 ヨーロッパ公演のサウンドチェックのとき、ボイヤーがちょっと遅刻したことがあってね。プリンスはアルファベット入りの上下グリーンの恰好をしてた。遅れてきた彼女に向かって、プリンスが“ボニ、遅刻だぞ”。彼女はシルクのパジャマ姿だった。“俺のステージのサウンドチェックにそんなシルクのパジャマで来るな”。そう言われたボイヤーは、私とシーラ・E──私とリーヴァイ・シーサーだったかな──の方をちらっと見て、こう言った。“まあね。でも、あんただってアルファベット入りのグリーンのズボンはいてるじゃない”。
 私たちは大爆笑したわ。彼女はみんなを笑わせた。物怖じしない人でね。素晴らしい歌手、素晴らしいミュージシャンだった。自分をしっかり持ってる、本当に面白い、ざっくばらんな人で。会えなくて寂しいわ。彼女は私の大親友だった」

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〈Lovesexy〉ツアーのプリンスとキャット。名コンビ!

 芸術的にも興行的にも惨敗した映画『グラフィティ・ブリッジ』(1990)に関するこんな裏話もある。結果的に『パープル・レイン』(1984)の続編になってしまった『グラフィティ・ブリッジ』だが、当初、あの映画は全く異なる内容だった。

「プリンスとマドンナと私が『グラフィティ・ブリッジ』の当初の出演者だったの。あの映画は、プリンスとマドンナと私のために書かれた。それ以上でも以下でもない。
 あの映画は、本当は〈Lovesexy〉ツアーに関するものだった。あの映画の出演者は全部入れ替わってる。プリンスが脚本を書き、その大部分は〈Lovesexy〉ツアーでの私たちの経験を描いたものだったのよ。マドンナが手を引き、私もプリンスのもとを去った。辞めたのよ。だから、プリンスは脚本を書き直さなきゃいけなくなった。
 そこでイングリッド・シャヴェイズや他の人たちが集められたわけ。でも、メイヴィス・ステイプルズは当初からの出演予定者だった。彼女の役はずっとあった。シーラ・Eも出るはずだった。みんな入れ替えられちゃったのよ。と言うと嫌味ったらしくなっちゃうけど、でも、私は元の脚本を知ってるから。
 マドンナとプリンスが脚本を練ってるとき、私は一緒にスタジオにいた。物語は全く違ってたわ。2人が脚本を巡って言い合ったり、互いに褒め合ったり、互いの靴について話すのを聞いて私は笑ってた。マドンナがプリンスに“キャットと私でダンス対決をやらなきゃ”と言うと、プリンスが“それはどうかな。そんなことやりたくないだろ。キャットにダンスで挑むなんて”。彼はそんな風に言ってた。よく覚えてるわ。2人のパワフルな人間が一緒に同じ場所にいて、そこに私もいた。私は2人を端から眺める見物人みたいな感じだったわ。でも、映画は全く別物になってしまった」

 この話を聞く限り、そもそも『グラフィティ・ブリッジ』という映画は、映画『サイン・オブ・ザ・タイムズ』の〈Lovesexy〉ツアー版のような内容──より物語性とフィクション色を強めたそれ──だったと推察できる。実際、あのショウには、映画作品として発展させられそうな演劇的要素がたくさんあった。映画のモチーフにもなるはずだった『Lovesexy』は、キャット自身にとって非常に思い入れの強いアルバムのようだ。

「『Lovesexy』は本当に素晴らしい体験だった。みんなでスタジオに入り、一緒になって作り上げたの。部分的に個別録音もあったけどね。とても敬虔で、スピリチュアルでエモーショナルな体験だった。私がプリンスとやった中ではあれが一番よ。とても情熱的で私的な作品だった」

 〈Lovesexy〉ツアー中の'88年秋から'89年初頭にかけて、キャットはプリンスのもとでソロ・アルバム用の曲をいくつか録音している。順調に行けばPaisley Parkから'89年後半頃に発売されていただろうそれらのマテリアルの中には、「Cat Attack」「Cat And Mouse」「Nine Lives」といった未発表曲の他に、後にメイヴィス・ステイプルズのアルバム『The Voice』(1993)に収録される「A Man Called Jesus」も含まれていた。しかし、プリンスのバックアップでソロ・デビューする企画がありながら、キャットは'89年に彼のもとを去ることになる。離脱は彼女自身の意志によるものだった。

「'89年に私はプリンスのバンドを去った。自分から辞めた。クビになったわけじゃなく、自分の意志で辞めたの。私には自分の道徳観や価値観があるし、自分のことは自分で決める性分だから。
 納得いかないことを頼まれたのよ。だから辞めることにした。私の決断であって、プリンスの決断ではない。プリンスのもとを去る前にソロ活動の話があったわけでもない。プリンスが映画『バットマン』の仕事をやってる間も私は彼のもとに所属してたし。彼がある人物を解雇したんだけど……彼は私にその人を解雇させたがったのよ。それで辞めたの」

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『Lovesexy』時代のキャット

 プリンスのバンドを辞めた後、キャットはロンドンでティム・シムノンと共にソロ・アルバム『I Am Energy』の制作に入った。

「ロンドンへ渡り、ファグノリと組んでWarner Bros.かWEA International(現・Warner Music International)と契約する話になった。彼はRed Dot Musicという(WEA傘下の)自分のレーベルを立ち上げたばかりだった。アルバム・タイトルの“I Am Energy”ってのは、ステージを見た誰もが、私のことを“エネルギーの塊だ”って言ってたから。プリンスは私のことをエンドルフィンだと言ってた。私の衣装にも“エンドルフィン”ってよく書いてあったわ。しょっちゅう人から“キャット、君といるとたくさんエネルギー(元気)をもらえる”って言われた。それでアルバム名を“I Am Energy(私はゲンキ)”にしたの。
 でも、アルバムが発売されることはなかった。利害の衝突のせいでね。ファグノリが私のマネージャーだったんだけど(スティーヴン・ファグノリは'88年末にプリンスのマネージャーを解雇された)、彼はレーベルのオーナーでもあった。それで上手くいかなかったの。私が契約破棄を申し立てた結果、アルバムはお蔵入りした。〈Catwoman〉の後は何もリリースされなかったわ。
 〈Now It Rains〉がB面曲だった。どの曲をB面にしたいかと訊かれて、この曲には何かがあるなと思って。プリンスについて書いた歌なの。〈Now It Rains〉は今でも私のお気に入りよ。
 アルバムは完成した。でも、実際に原盤を所有してるのはプロデューサーのシムノン。Warner Bros.は彼に一銭も払ってないわ。彼が私の原盤をすべて持ってる。彼は色んな人をプロデュースした。ネナ・チェリーとかシールとか。プリンスのリミックスもたくさんやってる。彼とはすごくいいお友達よ。
 自分のビジネス・マネージャーのショーン・カーターと協力して、『I Am Energy』をリリースしようと考えてるの。なんとか発表に漕ぎ着けられないかとね。あのアルバムで、私はティム・シムノンと一緒に曲作りからプロデュースまで全部やったのよ」

 未発表アルバム『I Am Energy』の中には、「Now It Rains」と同じく、プリンスについて歌った「Are You Listening?」というバラードがあり、そこにはバック・ヴォーカルでボニ・ボイヤーとティーナ・マリーが参加しているという。よほどの自信作らしく、キャットは“こんなに美しい曲はまたとない。是非とも世に出したい曲”と言っている。'13年5月12日に行われたこのインタヴューで、“マネージャーと協力してリリースを考えてる”と言われていた『I Am Energy』は、残念ながら'16年現在も日の目を見ていない。

 自らの意志でプリンスのもとを去ったキャットだが、'13年にはこんな告白も。

「私は後悔なんかしない……と言いたいところだけど、後悔はいっぱいあるわ。後悔について本を一冊書けるくらいよ。一番の後悔は、プリンスのもとを去ったことね。ある人物について彼に話を持ちかけられ、私は自分の道を選んだ。長い目で見れば、彼が正しかった。確かにね。私は彼に頼みごとをされた。彼がその人物について言っていたことは正しかった。私は耳を貸さなかったの」

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『Lovesexy』時代のプリンスとキャット。トムとジェリー?

 キャットが最後にプリンスと話したのは、彼が亡くなる1年半ほど前だったという。'16年5月初頭のインタヴューによると、その頃、キャットは何らかの理由で入院していた(詳細は公表されていない)。30日間も昏睡状態が続き、医師が生命維持装置を外そうとしていた矢先、彼女は奇跡的に意識を取り戻した。プリンスから電話があったのはそのときだった。最初に病院に電話があったとき、キャットは衰弱のため話すことができなかったが、二週間後に再びプリンスが電話してきたときは、会話できるくらいにまで回復していた。

 キャットはプリンスに、自分が入院していることをどうやって知ったのかと訊ねた。

「色んな人から連絡をもらったと言ってたわ。彼は私を見守ってくれてた。ずっと気にしてくれてたのよ……」(◆)

 現在の彼女はすっかり体調を取り戻し、再びあの(と言うには、かなりオバちゃん化しているが)元気いっぱいなキャットに戻っている。'16年7月3日には、地元シカゴで行われた〈Chosen Few Music Festival〉というハウスDJイベントのプリンス追悼コーナーに出演して観客を沸かせていた。

 最後に、プリンスに関するキャットの'13年の発言を紹介しておく。ずばり、プリンスとは一体どういう人物だったのだろうか?

「私からすれば、多くの人がプリンスのことを誤解してると思う。彼は無口な独裁者のように思われてる。ある意味では独裁的だし、照れ屋だけど、無口とは程遠いわ。いったん知り合いになって、部屋に座って一対一で話すと、最高に面白い人なのよ。ずっと昔からの知り合いみたく感じること請け合いよ。
 まあね、確かに彼はプリンスよ。誰とでも話すわけじゃないし、中にはクレイジーなファンだっている。でも、ごく普通に知り合いとして話せば、彼も自分と同じくらい普通の人なんだって分かるわ。彼は卵が好き。私も卵が好き。彼は面白い。私も面白い。そして、彼は素っ裸で寝る!(笑)」


【キャット・グローヴァー/インタヴュー発言出典】
Sexy Dancer: Cat Glover Talks 2 Beautiful Nights | Dyes Got the Answers 2 Ur ?s (29 May 2013)
Prince's 'Cat' vows to keep his memory alive | Gary/Chicago Crusader (5 May 2016)





 おまけ。プリンスがキャットに捧げた「Happy Birthday 2 U」。'88年7月26日(午前2時)、ロンドンのカムデン・パレスで行われたキャットの誕生日パーティー・ギグにて。このアフターショウには、メイヴィス・ステイプルズ、ミーシャ・パリス、ロン・ウッド、グレッグ・フィリンゲインズらも参加していた。



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