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Sinead O'Connor──あなたに代わるものはない



 明けましておめでとうございます。この女の顔なんか見たくない!というプリンス・ファンも少なくないと思うが、2017年の一発目のネタは、シネイド・オコナーNothing Compares 2 U」(1990)で行きたい。

 プリンスが全面的に制作を手掛けたザ・ファミリーのアルバム『The Family』(1985)のB面にひっそりと収録されていたこのバラードは、シネイド・オコナーのカヴァー版の大ヒットによって、名実共にポップ・ミュージック史に残る名曲となった。プリンス楽曲の優れたカヴァーと言うと、チャカ・カーン「I Feel For You」(1984)、アート・オブ・ノイズ feat. トム・ジョーンズ「Kiss」(1988)、ニーナ・シモン「Sign "O" The Times」(1993/2008)などがすぐに思い浮かぶが、シネイドの「Nothing Compares 2 U」は、オリジナル超えの名カヴァーとして昔から特に人気が高い。プリンス・ファンである私も、この曲に関しては(後のプリンスの自演版と比べても)迷うことなくシネイド版に軍配を上げる。

 シネイドが歌う「Nothing Compares 2 U」は、なぜこんなにも多くの人の心を捕らえるのだろう。ザ・ファミリー版の歌詞を和訳した前回記事に続いて、今回はシネイド版の歌詞──部分的にオリジナル版と異なる──を訳し、この比類なき名カヴァーの魅力について考えることにしたい。




 Nothing Compares 2 U
 (Prince)
 
 It's been seven hours + fifteen days
 Since U took your love away
 I go out every night + sleep all day
 Since U took your love away
 Since U been gone I can do whatever I want
 I can see whomever I choose
 I can eat my dinner in a fancy restaurant
 But nothing
 I said nothing can take away these blues,
 'cos nothing compares
 nothing compares 2 U
 
 あなたの愛が消え去って
 7時間と15日
 あなたの愛が消え去って
 昼間寝て夜出歩く日々
 あなたがいなくなって気ままに過ごし
 誰とでも好きに付き合う私
 洒落たレストランで夕食だってする
 でも決して
 決してこの憂鬱が晴れることはない
 だって あなたに代わるものは
 あなたに代わるものはないから
 
 It's been so lonely without U here
 Like a bird without a song
 nothing can stop these lonely tears from falling
 Tell me baby where did I go wrong
 I could put my arms around every boy I see
 but they'd only remind me of you
 I went to the doctor Guess what he told me
 Guess what he told me
 he said Girl U better have fun
 no matter what U do
 but he's a fool
 'cos nothing compares
 nothing compares 2 U
 
 あなたがいなくなってとても寂しい
 まるで歌を忘れた鳥のよう
 寂しくてどうしても涙が出てしまう
 教えてよ 私の何がいけなかった?
 色んな男の子と寄り添ってみても
 あなたのことを思い出すだけ
 医者に行ったら何て言われたと思う?
 何て言われたと思う?
 「お嬢さん 何でもいいから
 とにかく楽しみなさい」
 彼はバカだわ
 だって あなたに代わるものは
 あなたに代わるものはないから
 
 all the flowers that U planted mama
 in the back yard
 all died when U went away
 I know that living with U baby was sometimes hard
 but I'm willing to give it another try
 'cos nothing compares
 nothing compares 2 U
 
 あなたが裏庭に植えた花は
 どれもみな
 あなたがいなくなると枯れてしまった
 一緒に暮らすのが辛いときもあったけど
 もう一度やり直したいの
 だって あなたに代わるものは
 あなたに代わるものはないから


ザ・ファミリー版とシネイド版の歌詞の相違点

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元祖「Nothing Compares 2 U」を収録したザ・ファミリーのアルバム『The Family』(1985)
シネイド・オコナーのシングル「Nothing Compares 2 U」(1990)


 「Nothing Compares 2 U」は失恋バラードである。何らかの理由で恋人に去られた“私”(セント・ポール・ピーターソンが歌うザ・ファミリー版は“僕”)の深い喪失感が歌われている。失恋を経験したことがある人なら、ここで歌われている感覚は誰でも容易に理解できるだろう。

 ザ・ファミリー版とシネイド・オコナー版の歌詞は基本的に同じだが、異なる箇所が主に4つある。念のために検証しておこう。

 It's been seven hours and thirteen days(ザ・ファミリー版)
 7時間と13日経った
 It's been seven hours + fifteen days(シネイド版)
 7時間と15日経った

 まず、1番冒頭。“あなた”に振られてからの時間の長さが違う。シネイド版では2日長くなっている。理由は不明。“thirteen”より“fifteen”の方が響きが良いと思ったのか、あるいは、後発のカヴァーだから洒落で長くしてみたのか。7時間と13日経って失恋から立ち直れないザ・ファミリー版より、そこから更に2日経っても立ち直れないシネイド版の方が深刻であることは確かだが、シネイド版の方がより話者の深い精神的ダメージを感じさせるのは、単に“13日”が“15日”に変えられたせいではないだろう。何にせよ、ここで“1週間ちょっと”とか“もうじき2週間”などと曖昧に言わず、細かく時間を示したプリンスの作詞センスを賞賛したい。死んだ子の年を数えるような時間への眼差しが、“あなた”に対する“私”の想いの深さを聴き手に一発で悟らせるからである。

 I could put my arms around every girl I see(ザ・ファミリー版)
 色んな女の子と寄り添ってみても
 I could put my arms around every boy I see(シネイド版)
 色んな男の子と寄り添ってみても

 2番。話者(歌い手)の性別が変わったため、シネイド版では必然的に“girl”と“boy”が入れ替わっている。カヴァー版ではよくあることだ。この後に登場する医者の発言内にも同様の変更がある。医者(精神科医)は前年のプリンス作品「Let's Go Crazy」(1984)にも登場するが、同じように役立たずの人物として描かれていた。

 I know that living with me baby was sometimes hard(ザ・ファミリー版)
 僕と暮らすのが辛いときもあったろうけど
 I know that living with U baby was sometimes hard(シネイド版)
 あなたと暮らすのが辛いときもあったけど

 3番。ザ・ファミリー版では“僕”が“君”に辛い思いをさせたことになっているが、シネイド版では“me”が“U”に入れ替わり、“あなた”が“私”に辛い思いをさせたことになっている(拙訳では“あなた”の重複を避けるため、“一緒に暮らすのが〜”とした)。男が女に辛い思いをさせた点は同じ。シネイド版を純粋にオリジナル版の男女の立場を変えたヴァージョンと捉えれば、この変更は合点がいく。但し、後述するが、シネイド版における“あなた”の解釈によっては、この一節にはまた別の意味合いが生じてくるかもしれない。いずれにせよ、人間関係には様々な心労がつきものである。“me”から“U”への変更は、失恋バラードとしてのこの歌の意味を根底から揺るがすものではないだろう。

 All the flowers that you planted, mama
 In the back yard(ザ・ファミリー版)
 君が裏庭に植えた花は
 どれもみな
 all the flowers that U planted mama
 in the back yard(シネイド版)
 あなたが裏庭に植えた花は
 どれもみな

 最大の相違点はここである。裏庭の花に関する3番冒頭の一節には、ザ・ファミリー版とシネイド版のいずれも、途中に“mama”という呼びかけが入る(アルバム『The Family』に掲載されている公式歌詞では“mama”の一語が省略されているが、実際には歌われている。拙訳では敢えて訳出していない)。この“mama”は“お母さん”ではなく、“baby”や“sugar”や“honey”と同じような、男性から女性への親しみを込めた呼びかけ表現である(「Kiss」にも登場する)。“mama”を含むこの一節は、ザ・ファミリー版とシネイド版も一語一句同じなのだが、同じであるがゆえに意味が同じでなくなっている。“girl”と“boy”を入れ替えた男女逆転版であれば、“私”(女性)が“あなた”(男性)に向かって“mama”と呼びかけるのは道理に合わないからだ。“baby”や“sugar”に変えるべきところを、シネイドはそのまま“mama”と歌っている(アルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』に掲載の公式歌詞にも“mama”の一語が明記されている。拙訳では敢えて訳出していない)。シネイド版の歌詞がザ・ファミリー版と最も変わっているのは、この“mama”という一語が変えられていない点だろう。


“あなた”は誰なのか

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Rolling Stone誌の'90年6月14日号で表紙を飾ったシネイド・オコナー。グレーのタートルネックを着た彼女は『大人は判ってくれない』のジャン=ピエール・レオを彷彿させる

 シネイド版「Nothing Compares 2 U」は、彼女の2ndアルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』からの先行シングルとして'90年1月8日に発売され、英米をはじめ17ヶ国のチャートで1位を獲得した。そもそも彼女は、この埋もれたプリンスの名曲をどのように発見したのだろう?

 シネイド・オコナーとプリンスの間には、実は間接的に強い繋がりがある。'79年からずっとプリンスのマネージャーを務めていたスティーヴ・ファグノリ('01年に52歳で没)が、'88年末にプリンスから解雇された後、新たにマネージメント契約を結んだのがシネイド・オコナーだった。彼女と同じEnsign Records所属のカール・ウォリンガー(ウォーターボーイズ、ワールド・パーティー)のマネージメントをファグノリが担当していたことから、両者の間には以前から面識があった。シネイドによると、彼女はロンドンのカムデン・パレスで行われたプリンスのアフターショウ('88年7月26日。プリンスが「Happy Birthday」を歌ったキャットの誕生日ギグ)でもファグノリと顔を合わせている。

 スティーヴ・ファグノリは'89年末にシネイドのマネージャーに就任したが、彼女に「Nothing Compares 2 U」を勧めたのは意外にも彼ではなく、前任マネージャーのファクナ・オケーレイ Fachtna O'Ceallaigh だった。「Nothing Compares 2 U」がヒットしていた頃、シネイドはアイルランドのテレビ音楽番組でこう言っている。

「ファクナから聴かせてもらったの。元はミネアポリスのザ・ファミリーというバンドの曲よ。彼が私にそれを聴かせて、カヴァーしてみたらどうかと提案してきたの」(1990, The Beatbox, RTE)

 イギリスの別のテレビ番組ではこう言っている。

「彼(プリンス)が自分で歌わなかった名曲。彼の手で有名になっていないそういう作品を取り上げてみようと思ったの。ほんといい曲で、とにかく好き。プリンスがアルバムをプロデュースしたミネアポリスのザ・ファミリーというバンドの曲なの。確かアルバムが出てからすぐ解散してしまって、話題にもならなかった。惜しいわよね」(1990, Rapido, BBC2)

 アイルランドのEvening Press紙の出身で、クラナドやブームタウン・ラッツの元マネージャー、また、U2のMother Recordsの重役('88年に解雇)でもあったファクナ・オケーレイは、シネイドをレコード・デビューに導いた彼女の初代マネージャー。20歳近く年齢が離れた彼と、当時、シネイドは恋愛関係にもあったようだ。「Nothing Compares 2 U」の発表直前に二人は破局し、彼はシネイドのマネージャーを退任した(が、'08年にシネイドのマネージャーに復帰)。『I Do Not Want What I Haven't Got』のクレジットによれば、オケーレイは「Nothing Compares 2 U」の制作とミックスにも関わっている。

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シネイド・オコナー『I Do Not Want What I Haven't Got』('90年3月20日発売)

 当時、多くの音楽ファンがシネイドのカヴァー版によって「Nothing Compares 2 U」という曲を初めて知った。曲を聴いたほとんどの人がそれを失恋バラードとして捉えたはずだが、後年になって、シネイド自身は全く別の解釈をしていたことを告白している。以下は、『I Do Not Want What I Haven't Got』の発表20周年を記念して行われた'10年のインタヴューからの抜粋である。

──アルバム・ジャケットの少女を見て“誰これ”とか思います?

「とにかく若かったわよね。私はまるで赤ん坊だった。今の自分の長男と同じ年齢だったんだから変な感じだわ」

──これは自伝的な作品ですよね? いわば処女作のような。

「私の作品はいつも自分の人生の話だった。日記のようなね。そういう作品だったってことはよく覚えてるわ。完成したアルバムをEnsignに持っていったら、発売を渋られたもの。他人の日記を読まされるようだからって。そんなものが売れるわけないとね。“テレンス・トレント・ダービーの2ndアルバムのように倉庫に山積みになるのがオチだ”って言われたのをはっきり覚えてるわ」

──自分をさらけ出すことにためらいのようなものは?

「いいえ。そうせざるを得なかった。音楽のいいところは、実生活では言えないようなことを何でも言えること。何のしがらみもなくね。私の初期の作品は、いわば“更生作品”だった。私はかなり過酷な環境で育ったから、自分自身を治療する手段として音楽を使っていたわけ」

──お母さんとの関係のことですか?

「そうね。実際、アルバムの多くの曲は彼女について歌ったものだった。タイトルからして母親の夢から取ったものだし。夢の中に母が出てきて、私に向かって“これ以上何も欲しくない(I do not want what I haven't got)”って言ったのよ。私の中では〈Nothing Compares 2 U〉だって母親のことだし。〈The Emperor's New Clothes(裸の王様)〉はU2のことよ。意外かもしれないけど」

──本当に? U2をどう思ってたんですか?

「私は彼らのレコードが好きじゃなくてね。それで灰皿を作ってたくらいよ。コンロでビニール盤を溶かして作るんだけど……。〈Feel So Different〉は母親についての歌。〈I Am Stretched On Your Grave〉なんてそのまんまよね(苦笑)。〈You Cause As Much Sorrow〉も母親のことだし……」

──アルバム毎に10や12通りもまともに何か主張するのは若者にはしんどいですよね。普通、そんな年齢で知ってることなんて限られてますし。

「とにかく私はボロボロの状態だった。私は自分の問題をどうにかするために曲を書いてた。私の場合、たまたま幸いにもアルバムを数枚作れるくらいにボロボロだったってことね」

──でも、それって人に勧められることではないですよね。

「ボロボロになること? そりゃそうよ」(18 February 2010, Paul Du Noyer)

 シネイド・オコナーは幼少期に母親からひどい虐待を受けて育っている(詳しくは過去記事“Sinead O'Connor──ありがとうの歌”参照)。しかし、シネイドはそれでも母親のことを憎まず、愛していると言う。彼女の初期作品には、'85年に交通事故で他界した母親に関するトラウマを歌ったと思しきものが数多く見受けられる。

 カヴァー作品である「Nothing Compares 2 U」も例外ではないようだ。“あなた”を彼女の母親と捉えれば、“mama”の一語が変えられていない点も、辛い思いをさせたのが自分ではなく“あなた”になっている点も、すべて筋が通る。そして、シネイドの歌唱が、単に失恋の痛手を歌っているとは思えないほど痛々しく、悲しみや苛立ちでひどく混乱した印象を与えることも納得がいく。彼女が表現しているのは、自分の人生の根底をなす人物を失った者の言い知れぬ喪失感、孤独感である。

 オリジナルのセント・ポール・ピーターソンよりも、シネイドの歌唱の方がより感情的で真に迫っていると感じるのは私だけではないだろう。例えば、The Atlantic誌のソフィー・ギルバートという女性記者は、'15年の記事でザ・ファミリー版とシネイド版を比較してこう書いている。

「歌手のポール・ピーターソンは“教えてくれ、僕の何がいけなかった?(Tell me baby, where did I go wrong?)”という大袈裟な後悔の念を歌うが、彼の表現はお上品で、いかにもわざとらしい。感情の落ち込み具合ということでは、せいぜい週末が台無しになった程度で、人生のすべてが台無しになったという印象までは与えない」(21 April 2015, The Atlantic)

 シネイド版「Nothing Compares 2 U」が彼女の母親に向けて歌われていることを認識した瞬間、私の脳裡には、同じように母親をテーマにした別のある有名曲が浮かんだ。音楽史的な意味で、オリジナルのザ・ファミリー版を“母親”とすれば、その曲はシネイド版「Nothing Compares 2 U」にとっての“父親”と言えるかもしれない。


MAMA DON'T GO──お母さん、行かないで

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ジョン・レノン『John Lennon/Plastic Ono Band』('70年12月11日発売)

 ビートルズ解散後のジョン・レノンの初作『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』、その冒頭を飾る「Mother」。母親に捨てられたことで負った幼少期のトラウマを、簡素な言葉とサウンドで生々しく表現したポップ・ミュージック史に残る名曲である。失われた母親を強く求めている点がまず共通するが、「Mother」とシネイド版「Nothing Compares 2 U」は、歌唱や音作りも似ている。

 「Mother」は、ジョン・レノンがアーサー・ヤノフ博士の“原初療法”(長く抑制されていた幼少期の心の痛みを直視し、感情を外に解き放つことでトラウマを治療する精神療法)を取り入れた作品だった。そこで彼は、赤ん坊に返ったような無防備な叫び声を上げている。自分の感情に振り回されるように、時に弱々しく、時に声を荒らげるシネイドの歌唱は、「Mother」でのジョン・レノンのそれに非常にスタイルが近い。常識的な意味での歌唱力はセント・ポールの方が上かもしれないが、技術と表現力は必ずしも比例しない。彼女はセント・ポールとは全く違う流儀で歌っている。もしシネイドの歌唱を受けつけない人がいるとすれば、それはレノンの「Mother」を理解する回路を持たない人ではないだろうか。

 また、シネイド版「Nothing Compares 2 U」では、淡々としたドラム・ビートや控え目なピアノ伴奏によって主役の歌が最大限に引き立てられている。深いリバーブ感を伴った間を感じさせる音作りも「Mother」を彷彿させる。もしかすると、シネイド版「Nothing Compares 2 U」は、実際に「Mother」を意識して制作されたのだろうか?

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プロフェッショナル、屋敷豪太

 「Nothing Compares 2 U」のプロデューサーとして正式にクレジットされているのは、シネイド、ネリー・フーパー、ファクナ・オケーレイの3名だが、実際にオケのほとんどを作ったのが屋敷豪太だったことは、音楽ファンには割と知られた話だろう。彼は'08年に行われた日本のインタヴュー取材でこう言っている。

「ネリーがやってるものは全てナンバーワンになってた頃なんです。そうしてるうちにシネイド・オコナーにプロデュースを頼まれて、〈Nothing Compares 2 U〉の演奏を僕が担当するんですよ。それがまたヒットしちゃって」

──演奏っていうのはドラムだけじゃなくて?

「他も全部。ストリングスもピアノも全部打ち込みなんですよ」(2008, Musicman-net)

 あれだけヒットしたのに、当時、演奏者として屋敷豪太が受け取ったギャラはたったの5〜6万円だったという(悲)。プロデューサーとしてはおろか、編曲者、演奏者としても彼はアルバムにクレジットされていない。このあたりはシネイドの酷いところだと思うが、しかし、彼が「Nothing Compares 2 U」の制作に多大な貢献を果たしたことは、アルバムでエンジニアを務めたクリス・バーケットもきちんと証言している。シネイドの「Nothing Compares 2 U」を振り返る英Sound on Sound誌の'12年の記事で、バーケットは屋敷豪太のことをこう称えている。

「彼はとても才能豊かで創造的だった。ものすごく飲み込みが早くてね。すごい直感力を持ったミュージシャンさ」(February 2012, Sound on Sound)

 同記事では屋敷豪太もインタヴューを受け、「Nothing Compares 2 U」の制作について詳しく語っている。彼の発言を全訳しておこう。

「ネリー・フーパーとはソウルIIソウルのアルバムでも組んだことがありました。アレンジやプログラミングの他に、僕はドラムも叩いてたんです。それがすごく上手くいったんで、ネリーがシネイド・オコナーの〈Nothing Compares 2 U〉を手掛けることになったとき、僕にまたアレンジやプログラミングをやらないかと声を掛けてきたんです。エンジニアはアラベラ・ロドリゲスという女性でした。ソウルIIソウルでも録音とミックスをやってた人です。
 まず、ネリーの家でプリプロを制作しました。Notatorソフトを入れたAtariと、AkaiのS1100サンプラーでほとんど作りました。それからピンク・フロイドのBritannia Rowスタジオへ行き、いくつか音を加えました。ドラムをちょっと叩いたり、キーボードでチェロ・パートを弾いたり。とてもテンポが遅い曲で、バスドラやスネアの音は申し分なかったんですが、打ち込みのハイハットがしっくり来ませんでした。それでハイハットとシンバルを借りてきて、僕が生で叩きました。チェロ・パートもいまいちだったので、それもBritannia RowでAkaiのサンプラーを使って弾き直しました。
 すべてに納得がいくまで取り組みました。ストリングスも自然に聞こえなければいけない。これは上手くいったと思います。僕がすべてのパートを演奏し、オケは完成しましたが、シネイドが歌入れをしているとき、彼女とネリーの間で問題が起きました。原因は知りませんが、口論になったんです。そこで突然、彼は仕事から降りてしまいました。
 数週間後、別のスタジオで彼女がミックス作業をしているとき、たまたま僕が隣のスタジオに居合わせました。それを知った彼女が僕のところへやって来て、“ゴータ、曲をチェックしてくれない? ちょうどミックスが終わったところなの”と。で、音を聴かせてもらうと、僕の演奏がすべてそのまま残っていました」(同上)

 大変に面白い話だが、Sound on Sound誌のこの記事にジョン・レノン「Mother」の話は出てこない。ネリー・フーパーと屋敷豪太は、シネイドから“「Mother」みたいな感じの音にしてほしい”といった指示は受けていなかったのだろうか。

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エンジニア泣かせのシネイド・オコナー

 エンジニアのクリス・バーケットによると、シネイドはヴォーカルにコンプレッサーを掛けることをひどく嫌ったという。

「ある理由でシネイドはコンプレッションを嫌がった。毎朝スタジオに行くと、“コンプレッサーは使うな!(NO FUCKING COMPRESSORS!)”と書かれたA4の白い貼り紙がコンソールにあったよ。問題は、彼女のマイク歌唱のコツが逆だったことさ。普通、大声になるときはマイクから離れ気味に歌うんだけど、彼女は真逆だった。マイクから遠ざかって小声で歌ったかと思うと、今度はマイクに近づいて叫ぶ。ヴォーカルをよりパワフルに聞かせるための彼女なりの考えだったんだろうけど、ピーク音を抑えるコンプレッサーやリミッターなしでそんなものを録ってミックスするなんて、はっきり言ってオニだよ」(同上)

 ヴォーカル録りの悪夢は、アルバム制作中の6週間、ずっと続いたそうだ。

「シネイドはいかなる自動レベル制御も許そうとしなかった。理由を訊けば、そんなのはインチキだからだと言う。彼女は自分のヴォーカルをなるべく自然なものにしたがっていた。あの逆マイク歌唱法さえなければ良かったんだけどね。引き立つようにステージでそういうやり方を身につけたんだろうけど、普通の歌手とは完全に逆のことをやってたよ」(同上)

 彼女が生々しい歌にこだわっていたこと、常道から外れた表現を追求していたことは、こうした点からも窺い知れる。“逆マイク歌唱法”を除けば、クリス・バーケットはシネイドの歌唱を賞賛している。

「シネイドはワンテイクですべて決めた。手を加える必要なんてなかったよ。一気に歌った後、彼女は“ダブルトラックにしたい”と言った。で、やってみると、これまた完璧だった。これにはたまげたよ。部分的に歌い直す必要もないほど完璧にダブルトラックのヴォーカルを決める人間なんて、僕はそれまでお目にかかったことがなかった。なるべくしてなったという感じだったね」(同上)

 “ダブルトラック”というのは、ヴォーカルなどを二重録りして音に厚みをつける古典的な録音技術のことである。ジョン・レノンも好んでよく使っていた。「Mother」のヴォーカルはダブルトラックではないが、代わりに、似たような効果を自動的/擬似的に発生させる“ADT(Automatic/Artificial Double Tracking)”という録音技術が使われている。シネイド版「Nothing Compares 2 U」は、歌唱や編曲だけでなく、ヴォーカルのサウンドまで「Mother」に似ているのである。

 シネイドは当然ながらジョン・レノン信奉者で、'09年に発売された『I Do Not Want What I Haven't Got』の2枚組デラックス版には、彼の'73年の曲「Mind Games」のカヴァー(ダニエル・ラノワ制作/録音時期不明)が収められていたりもする。彼女の音楽的なヒーローは、ジョン・レノンとボブ・ディランである。

「私はポップ・スターになんかなりたくなかった。私が音楽業界に入ったのは、立ち直らなきゃいけなかったから。何もかも吐き出さなきゃいけなかった。'70年代育ちの私が好きだったアーティストたちは、とても個人的なことを表現し、心の痛みについて書いていた。ジョン・レノンは大きなお手本だった。それが私の覚えてる一番最初に聞いた音楽よ。オムツを替えられながら聞いてたの。あと、ボブ・ディランにも憧れた。彼は自分の汚い部分を隠さない。〈Idiot Wind〉を聴いて目の前がパッと開けたわ。“すごい、音楽だったら言っちゃいけないことも言えるんだ”って。歌の中では行儀が悪くてもいいし、怒ってもいいし、何でもありなんだと。とにかく、私は吐き出さないと耐えきれない苦しみを抱えてた。世界中を廻ってマイクで絶叫する以外に方法がなかったのよ」(2 August 2014, The Telegraph)

 '85年に交通事故で母親を亡くしたとき、シネイドは18歳だった。ジョン・レノンが17歳で同じく交通事故で母親を亡くしていることに気付いたとき、彼女はどう思っただろう。「Nothing Compares 2 U」の制作時、シネイドが「Mother」を意識していたかどうかは分からないが、ジョン・レノンからの強い影響がそこに反映されていたとしても不思議はない。屋敷豪太はそんな彼女の気質を直感的に読み取ったのか、あるいは、図らずもジョン・レノン的なサウンドに行き着いてしまったのか。制作者たちの意図がどうであれ、シネイド版「Nothing Compares 2 U」が「Mother」に似ているのは、もはや芸術的必然と言うしかないだろう。


NOTHING CAN BE COMPARED TO THE HUMAN FACE
──人間の顔に比ぶものはない


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シネイド・オコナー「Nothing Compares 2 U」(監督:ジョン・メイバリー)

 「Nothing Compares 2 U」の成功には音楽ヴィデオも莫大な貢献を果たした。パリ郊外にあるサン・クルー公園で撮影されたヴィデオは、しかしながら、その大半が黒背景で歌うシネイドの顔のシンプルなクローズアップ映像で占められている。感情を露わにしながら歌う彼女の繊細な表情の変化が印象的な作品だ。'90年のMTVアワードで年間最優秀ヴィデオ、最優秀女性ヴィデオ、最優秀ポストモダン・ヴィデオ(これほど古典的なヴィデオもないと思うが……)の3部門を受賞した「Nothing Compares 2 U」は、ジャネール・モネイ「Cold War」(2010)、マイリー・サイラス「Wrecking Ball」(2013)といった後続アーティストのヴィデオにも影響を与えた。

 このヴィデオが多くの人を魅了した理由については、カール・テオドア・ドライヤー(『裁かるゝジャンヌ』)の言葉を引く以外にない。

「この世に人間の顔に比ぶものはない。それは決して探求し飽きることのない領域だ。撮影所にいて、不思議な霊力に操られた繊細な表情を目撃すること。内から生き生きと輝き、表情が詩へと転じていく様を目にすること。これに勝る体験はない。顔の表情は映画において最も重要なものである。顔とは魂を映し出す鏡であり、カメラの前でその人物の思考や感情を示すものだ。役者にとって、監督の手を借りながら、観る者を引き込む自然で偽りのない表情を生み出すことは、互いに最高の体験なのである」(1955, Carl Theodor Dreyer: Thoughts on My Craft, Sight and Sound)

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カール・テオドア・ドライヤー監督『裁かるゝジャンヌ』(1928)

 ヴィデオ「Nothing Compares 2 U」で、“mama”の呼びかけが入る3番を歌っている最中、シネイドの大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。ヴィデオの中でも視聴者にとりわけ強い印象を与えた場面だ。それは狙ったものではなかったという。

「〈Nothing Compares 2 U〉を歌う私のクローズアップは、ヴィデオのほんの一部として使われるはずだった。でも、歌のせいで私は3年前に死んだ母親のことを思い出してしまって。男のことを歌ってるとみんな思ってるけど、よく見れば、私が泣き始めるのは“あなたが裏庭に植えた花は、ママ、どれもみな/あなたがいなくなると枯れてしまった(All the flowers that U planted, mama, in the back yard / All died when U went away)”ってところからなのが分かるはずよ。私は感極まってしまった。思いがけなくね。レコーディングのときは大丈夫だったのに、それが撮影中にワッと来た。カメラの前に座って母親のことを考えながら、泣き出さないように懸命に堪えてたわ。私は涙を一滴こぼしてしまい、そういうヴィデオに仕上がった。でも、そうなるはずじゃなかったのよ。ヴィデオは大反響で、そのせいで私のキャリアも変わった。おかしかったのは、ヴィデオが賞を獲ったとき、ジョン・メイバリー(監督)が“タマネギの皿に感謝だ”って。私が泣いたのはタマネギのおかげだって言ったのよ」(2011, I Want My MTV: The Uncensored Story of the Music Video Revolution)


NATURE ITSELF IS A GOOD MOTHER──親はなくとも子は育つ

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そんなTシャツどこで売ってんだよ……

 シネイド・オコナー版「Nothing Compares 2 U」は世界中の音楽ファンから絶大な支持を受けたが、中には彼女のカヴァーを快く思わない者もいた。オリジナル歌手であるザ・ファミリー(現・fデラックス)のセント・ポール・ピーターソンはそのひとりだ。

「最初は嫌いだった。気に入らなかったよ。あれは僕の歌だった。実際には僕の歌じゃないにしても、自分の持ち歌だとは思ってた。やり方が気に入らなくてね。彼女は現代風にしてしまった。これについてはプリンスとも意見が合うんだ。数ヶ月前にも2人で話したんだけどね。“あのカヴァー、いいと思ったかい?”と彼から訊かれて、“いいや。でも、お金が入って良かったね”と言ったら、“金のことはどうでもいい”だって。“おいおい、あれで儲かったくせに!”って感じだったけど(笑)。あれは僕のお気に入りで、とても強烈な曲だった。ああやって日の目を見て然るべきだったのさ。多分、僕の最愛のプリンス楽曲のひとつだね。とてもよく書かれていて、詩情がある」(5 May 2013, Rockerzine.com)

 同じくザ・ファミリーのメンバーで、オリジナル版「Nothing Compares 2 U」でバック・ヴォーカルを歌っていたスザンナ・メルヴォインも、シネイド版についてはあまり積極的に認めたがらない様子だ。

「“クソッ、あたしたちのと全然違う!”って感じだった。彼女は全く独自の解釈でヒット曲にした。自分に耳慣れたものとはとにかく違ってたから。みんなに言いたかったわ、“ちょっと待ってよ、私たちのヴァージョンもあるのよ。こっちを聴きなさいよ!”って。でも、その後、彼女やその仲間の人たちが私たちのレコードをとても気に入ってくれてると分かって嬉しくなったわ。それはすごく嬉しかったわね」(9 November 2011, Soul and Jazz and Funk)

 彼らにはオリジナル・アーティストとしてプライドがあるので、独自の解釈で自分たちよりも当たりを取ったシネイド版は、やはり素直には受け入れがたいものなのだろう。それは、恐らくプリンスも同じだ。シネイド版の大ヒットに誰よりもショックを受けたのは、作品の生みの親であるプリンス自身に違いない。

 死ぬほどプライドの高いプリンスが素直に敗けを認めるわけはないが、しかし、彼がシネイドのヴァージョンを評価していなかったとは思えない。「Mother」の面影が濃厚なシネイド版「Nothing Compares 2 U」だが、淡々としたドラム・ビートや優美なストリングス編曲には「Purple Rain」に通じる雰囲気もある(ついでに、ジョージ・マイケル「One More Try」にも)。嫌いなはずがないのだ。内心“やられた”と思ったのではないか。シネイド版を聴いて、プリンスは(一般の音楽ファンと同じように)「Nothing Compares 2 U」という曲の素晴らしさにハタと気付き、そこではじめて「Purple Rain」と並ぶ自分の重要作として認識するようになったのではないか。“これ、めっちゃいい曲じゃん。俺って天才!”と……。

 シネイド版がヒットした'90年から、プリンスは「Nothing Compares 2 U」を自分のショウのレパートリーに加えるようになった。'93年のベスト盤『The Hits』には、ロージー・ゲインズとのデュエットによるライヴ版が収録されている。プリンスの自演版は、フューチャー・ソウル感覚の摩訶不思議なザ・ファミリー版とはまた趣きの違う、非常にオーセンティックなソウル・バラード調である。『The Hits』で「Nothing Compares 2 U」と並べられている「Adore」に、“君の可愛い顔に敵うものはない(Nothin' baby could compare 2 your lovely face)”という類似表現がある点からも察せられるが、プリンスにとって「Nothing Compares 2 U」は、本来そのような、(失恋の悲しみと言うよりは、むしろ)かけがえのない人に対する慈しみの心を歌った甘美なソウル・バラードだったのかもしれない。シネイド版ほどの訴求力はないが、私はビタースウィートなプリンスの自演版も大好きだ。

 そんな“親の心”など知らぬ顔で、シネイド・オコナーは「Nothing Compares 2 U」を、恋人ではなく、母親との別れの歌として歌った。人は人生の中で様々な別れを経験するが、中でも親との死別は最も辛いものである。彼女の母親との関係は特殊なものだったが、その根底にある深い悲しみや疎外感、愛に飢える気持ちというものは、たとえ同じ人生を経験をしていなくても、人間なら誰でも理解・共感できるものだ。だからこそ、私たちはジョン・レノンの「Mother」にも感動する。シネイドが極めて原初的な感情を注ぎ、歌の意味を飛躍的に広げたことで、「Nothing Compares 2 U」は、より広い範囲の人々の心に届く普遍性を獲得した。“mama”の一語が不自然ではあるが、シネイド版は依然として失恋ソングとしての性質も保っていると思う。実際、多くの人がそう聴いたからこそ、曲はあれだけヒットしたのだろう。彼女の歌唱は、母親との死別の苦しみと同時に、失恋の苦しみも的確に捉えていたのである。

 そして、もうひとつ重要なのは、プリンスが書いた「Nothing Compares 2 U」という曲に、肉親との死別の苦痛さえも受容する普遍性がもともとあったということである。ミネアポリスの黒人ミュージシャンが書いた失恋の歌が、母親との関係に苛まれていたアイルランドの白人不良少女の心に響いた。それが本当に凄いことだし、同時に、ポップ・ミュージックというものの素晴らしいところだと思う。

 最後に、シャーデー・アデュの言葉を引用して本稿を締め括りたい。

「歌というものは、一度世に出たら皆のものになる(Once a song is out there, it belongs to the world)」(22 May 2012, SoulBounce.com)




※シネイド・オコナー「Nothing Compares 2 U」の決定版ライヴ映像。'90年10月29日〜30日、ブリュッセルとロッテルダムで収録されたライヴ映像作品『The Year Of The Horse』(1991)より。監督は、シャーデーやアニー・レノックス作品でもお馴染みのソフィー・ミュラー。ベスト・パフォーマンスとしては、'02年ダブリン公演を収録したDVD『Goodnight, Thank You, You've Been A Lovely Audience』(2003)の「Nothing Compares 2 U」を挙げておきたい。



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