2017 06123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 08

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

マイケルの最強ショート・フィルム10選【第9位】



 マイケル・ジャクソン追悼特別企画、独断と偏見で選ぶ“マイケルの最強ショート・フィルム10選(Top 10 Badass MJ Short Films)”。世間一般の評価とはあまり関係なく、単純にマイケルがヤバかっこいいヴィデオを10本選んで語ることで彼を偲ぶ連載エントリー。バッドでデンジャラスでインヴィンシブルな天才パフォーマー、マイケル・ジャクソンの魅力をより多くの人々に知ってもらえれば幸いだ。

 第9位は、早くも登場、この作品!


#9
smooth_criminal1.jpg
smooth_criminal2.jpg
smooth_criminal3.jpg

SMOOTH CRIMINAL (1988)
Directed: Colin Chilvers

 『BAD』からの第七弾シングル('88年10月24日発売)。クライム・サスペンス風の物語が歌われるアップ・テンポのデジタル・ファンク。仮題が「Al Capone」だったというから、当初から'20~30年代の暗黒街っぽいムードを狙った作品だったのだろう。ギャングもののコンセプトは、この曲のヴィデオにも引き継がれた。

 「Smooth Criminal」はもともと単体の音楽ヴィデオではなく、マイケル主演の長編映画『ムーンウォーカー(Moonwalker)』(1988)の一部として制作されたものである。
 『ムーンウォーカー』は、音楽ヴィデオを寄せ集たような変則的なオムニバス風の作品。その中核を成す劇映画仕立ての中編SFXファンタジー物語(42分)の中に、この約10分間にわたる「Smooth Criminal」のミュージカル場面が出てくる。実はこの中編作品自体が「Smooth Criminal」と題されており、本来は前後の物語部分も含めて語らなければいけないのだが、文脈的に重要な繋がりがあるわけではないので、ここでは基本的にミュージカル場面だけを問題にしたい(以下、「Smooth Criminal」という作品名は、原則的にこのミュージカル場面、あるいは単純に曲名を指す)。

 監督は『スーパーマン』シリーズ(1978~83)で特殊効果を手掛けていたコリン・チルヴァーズという技術屋。『ムーンウォーカー』には複数の監督が起用されており、チルヴァーズがSFXファンタジー物語のパートを担当した。この人選は、ミュージカル映画ではなく、基本的には特撮映画を撮るためのものだったと考えられる。チルヴァーズはミュージカル場面においてもきちんと仕事をこなしているが、彼の真価が発揮されているのは、マイケルがコインを投げたり、ギャングを撃ったり、45度に傾いたりする場面などに見られる特殊効果を使った演出であるように思われる。

 舞台となるのは、劇中でマイケルが立ち寄る酒場“クラブ30's”。子供たちを麻薬漬けにして世界征服を企む悪人(ジョー・ペシ)とマイケルの戦いを描いた物語の中で、マイケルが仲間の子供たちと落ち合う約束をしたのがこのナイトクラブ。店は無人の廃屋状態だったが、マイケルが扉を開けると、不思議なことにそこには'30年代の活況が蘇る。
 ここでマイケルは、白スーツ、ソフト帽、スパッツでキメたクールなタフガイを演じ、「Smooth Criminal」に乗せて、クラブの客たちと絡みながら様々なパフォーマンスを繰り広げる。招かれざる客として入店したマイケルは、女たちを誘惑したり、荒っぽいギャングたちを手際よく片付けたりしながら歌い踊り、やがてパフォーマンスはクラブ全体を巻き込んだ大規模な群舞へと発展していく。最後には店が悪の手先どもに包囲され、マイケルはマシンガンで応戦しつつ、店の女将によって裏口から逃がされる。

 「Smooth Criminal」は、ここでしか聴くことのできない歌詞を含む長尺の別ヴァージョン(サウンドもレコードとは異なる)。様々なアイデアが盛り込まれたダンス・パフォーマンスは、この時点でのマイケルの集大成とも言うべき内容で、限られた空間を舞台にした作品ながら見応えは十分。洒落者のギャングか、あるいは、歌詞に描かれているアニーという女の襲撃事件の犯人(鮮やかな手口の犯罪者=スムーズ・クリミナル)を追う私立探偵風情のマイケルも、いつになくスタイリッシュだ。ギャングもののコンセプトは、後のステージ・パフォーマンス「Dangerous」(1993~)や、ヴィデオ「You Rock My World」(2001)にも引き継がれた。
 斜め45度に傾く群舞場面があまりにも有名な作品だが、個人的には、ヴィデオの中盤、ゴスペル風の展開を見せる曲の中断部分で、マイケルが帽子を取って叫ぶ瞬間こそが最も熱いと思う(映画版「Smooth Criminal」の中断部分は、ショート・フィルム集『History on Film, Volume II』収録版よりも長く、更に盛り上がる)。

 「Smooth Criminal」は確かにミュージカル映像として非常に完成度が高い。これをマイケルのショート・フィルムのベストに挙げるファンも少なくないと思うが、しかし、この作品に関する私の感動のポイントは、実はちょっと別のところにある。マイケルはこの作品を、一体何のために、どんな想いで作ったのか──それを考える時、私は深い感銘を覚えるのである。

 マイケルはこの作品をある一人のミュージカル俳優のために作った。
 その人物とは、フレッド・アステアである。


人間ミッキー・マウス──フレッド・アステアとマイケル・ジャクソン

girl_hunt1.jpg
「Girl Hunt」のアステア(映画『バンド・ワゴン』より)

 「Smooth Criminal」は、フレッド・アステア主演『バンド・ワゴン(The Band Wagon)』(1953/MGM)の終盤に登場するプロダクション・ナンバー「The Girl Hunt Ballet」の影響を強く受けている。
 「Girl Hunt」は、ミュージカル俳優役のアステアが主演するレヴュー〈バンド・ワゴン〉の一幕という設定で展開する約12分間の劇中劇。女2人と宝石を巡るミステリーに、私立探偵のアステアが巻き込まれるクライム・サスペンス調のミュージカル場面である。ミッキー・スピレインのハードボイルド小説(“マイク・ハマー”シリーズ)を茶化したもので、このシークエンスでアステアは珍しくタフガイに扮している。アステアを翻弄する謎の美女2人を一人二役で演じるのはシド・チャリース。アステアと彼女がナイトクラブでジャズに乗せて繰り広げるダンス場面が最大の見せ場だ。
 白スーツ、白ハット、白タイに青シャツというマイケルの衣裳、また、ナイトクラブを舞台にしたギャングものという「Smooth Criminal」のコンセプトはここから来ている。

girl_hunt2.jpg
「Girl Hunt」──ナイトクラブに入店するアステア

 「Girl Hunt」の中で最もマイケル度が高い瞬間は、事件の手掛かりを求めて探偵役のアステアがナイトクラブに入店する場面だろう。クラブの客たちはいずれも奇妙な動きをしながら店に入る。アステアはこれに倣い、素性を隠すために帽子を目深に被りながら、前かがみに硬直したような奇妙な体勢で店に入っていく。似たような動きは「Smooth Criminal」(あるいは、そのステージ・パフォーマンス)にも見受けられるが、後年、マイケルは「You Rock My World」で実際これと全く同じ動きを見せている。
 また、このナイトクラブ場面の後半で展開するアステアとギャングたちの格闘場面(一連の動きは巧みに振付けられ、ダンスの一部として機能している)も、「Smooth Criminal」、「You Rock My World」、あるいは「Dangerous」のステージ・パフォーマンスに大きな影響を与えている。マイケルのギャングスタ・ダンスの美学は、完全に「Girl Hunt」に倣ったものである。

girl_hunt3.jpg
「Girl Hunt」──ナイトクラブで踊るアステアとチャリース

 格闘場面の前、招かれざる客としてクラブに現れたアステアは、店内のギャングたちと一触即発のムードの中、シド・チャリース演じる謎の美女とダンスを繰り広げる。チャリースの艶めかしい脚線美と、彼女に圧倒されながら踊るアステア。ミュージカル映画史に残る名場面のひとつである。

 シド・チャリースは'50年代ハリウッド・ミュージカルのトップ女優。抜群の容姿とダンス能力、優美さと妖艶さを兼ね備えた稀有な女優で、アステアの歴代ダンス・パートナーの中でも、ジンジャー・ロジャースリタ・ヘイワースと並んで最高のひとりに挙げられる。『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』『絹の靴下』などで披露された脚線美が殊に有名で、この人に格別の想いを抱いているミュージカル映画ファンは多い。アステアは彼女を“美しいダイナマイト”と評した。

 「Smooth Criminal」はもちろん「Girl Hunt」と多くの点で異なるが、決定的な相違点を挙げるなら、ずばり、このシド・チャリースの不在に尽きる。チャリースが演じた店のマダム風の女は、「Smooth Criminal」にも同じく登場しているのだが、マイケルとダンスで絡むことはない。その代わり、マイケルが客の女のひとりとボールルーム・ダンスを踊る場面があるが、それもごくあっさりしたもので、艶めかしさのようなものはほとんど感じられない。そのままコンセプトを拝借していながら、「Smooth Criminal」の場合、もっぱら「Girl Hunt」のシュールでマンガ的な側面が強調され、何かセクシュアリティが欠落した、去勢されたようなミュージカル場面になっているところにマイケルらしさが強く感じられる。

smooth_criminal4.jpg

 およそ男性的とは言えないマイケルが、アメリカ的マッチョイズムの権化のようなタフガイ像を演じることにはもともと無理があって、ファンはともかく、観る人によっては、「Smooth Criminal」のマイケルはグロテスクで滑稽ではないかと思う。
 同様の問題は、実は元ネタである「Girl Hunt」のアステアも抱えているのだが、「Girl Hunt」の場合、そうしたマッチョイズム自体をパロディ化することで、その問題点が巧みに回避されていた。アステアが演じるタフガイ像は、一種のギャグなのである。マイケルの場合、これを大真面目にやっているから、どうしても違和感や歪さが生じる。

 アステアは「Girl Hunt」で演じたようなハードボイルドなタフガイとは似ても似つかない、むしろ、それとは正反対の軽みやエレガンスを特長とするミュージカル俳優である。女性と踊る場合にしても、決してマッチョイズムを行使することなく、無性的な立場で女性の美しさを巧みに引き立てた。「Girl Hunt」におけるヴァンプ的なチャリースとの絡みにおいても、アステアは決してイカつく迫ったりせず、掴み所のない独特の存在感でチャリースの官能性を絶妙に際立たせている。男性としての役割を負っていても、アステアには一個の肉体としての男性の匂いが希薄なのだ。
 アステアと踊ると女性はみんな美しく官能的に見えた。アステアは、あたかも己の肉体性を消失させることによって、一緒に踊る女性の肉体を引き立てる。アステアが女性パートナーと踊るミュージカル場面を観て私が連想するのは、例えば『錨を上げて』『舞踏への招待』『メリー・ポピンズ』『ロジャー・ラビット』などに見られるような、実写とアニメを合成した映像である。実写世界の中で、まるでアステア一人だけがマンガのようなのだ。

 その無性的なスター性からしても、マイケルは間違いなくアステアの正統な後継者だったと思う。しかし、アステアよりも更に無性度が高いマイケルの映像作品においては、もはや女性すら出てこない。出てきたとしても、それはほとんどマンガのように記号化された女でしかなく、肉体の生々しい官能などは望むべくもない(「In The Closet」のような例外はあるが)。「Smooth Criminal」で展開されるのは、まさにそうした、すべてがマンガ/アニメ化されたような世界なのである。


mr_zero_gravity.jpg
ミスター無重力(zero gravity)、フレッド・アステア

 イギリスの小説家グレアム・グリーンが、'36年のThe Spectator誌上で、同年の映画『艦隊を追って(Follow The Fleet)』のフレッド・アステアを評して次のように書いている。

「ミスター・アステアは人間ミッキー・マウスとでもいいたくなるような存在だ。彼はミスター・ウォルト・ディズニーの、身体の動きで示すウィットや、信じ難いような機敏さに魅せられたのかもしれない。ミスター・アステアは、ミッキーとほぼ同様に、重力の法則から解き放されたファンタジーの世界にいる」(ボブ・トーマス著『アステア ザ・ダンサー』/武市好古・訳/新潮社/1989)

 “ミスター・アステア”を“マイケル・ジャクソン”に置き換えても、この評は十分に有効だろう。むしろ、これはマイケルにこそ相応しい評ではないだろうか。ムーンウォークで移動し、斜め45度に傾いてみせるマイケルは、まさに重力の法則から解き放されたパフォーマーと言える。そして、“重力の法則”を“セクシュアリティ”、または“肉体性”に置き換えると、それはよりマイケルを表すのに相応しい評になるかもしれない。

 「Smooth Criminal」に漂うマンガ的な感覚は、後年になるに従ってより顕著なものになる。マイケルは、セクシュアリティを超越し、人間の肉体性を超越し、まさしく踊るミッキー・マウスか、機械仕掛けの人形(ダンシング・マシーン!)のような存在になっていく。彼は、もはやアステアさえも及ばないレベルで、肉体のファンタジー化、つまり“人間ミッキー・マウス化”を遂げてしまうのである。男でも女でもなく、黒人でも白人でもない。大人でも子供でもなく、人間でもない。マイケルの超人的で歪なダンスを観る時、恐らく人は、それをミッキー・マウスのドタバタ劇でも観るような感覚で楽しんでいるに違いないのだ。

morph1.jpgmorph2.jpg
マイケル「Thriller」(1983)──ミッキー・マウスへの変身の始まり(左)
アーハ「The Sun Always Shines On TV」(1985)の変身場面(右)


 '70年代を仮にマイケルの肉体における“人間時代”、'90年代以降を“ミッキー・マウス時代”とすると、'80年代は、マイケルの肉体が実写世界からマンガ世界に切り替わっていく過渡期的な時代だったと言える(スティーヴ・バロン監督のアーハ「Take On Me」「The Sun Always Shines On TV」ヴィデオに登場する、実写とマンガの中間のようなイメージを思い浮かべて欲しい)。どんどん人種不詳化するルックス、曖昧さを増すセクシュアリティ、年齢不詳化するメンタリティ、その他、様々に報じられる奇行などによって、マイケルは我々の前で、ひとりの黒人男性から、人間離れしたミッキー・マウス(あるいはモンスター、すなわちファンタジー)へと変貌を遂げていった。

 マイケルの映像作品は、実際に変身イメージを劇中に取り込むことで、マイケル・ジャクソンという人物の変容のスリルを見事に体現していた。純情な黒人青年から狼男/ゾンビへ(「Thriller」)、ゲットーの黒人青年から無国籍的なバッド野郎へ(「Bad」)、優しいお兄ちゃんから超合金ロボへ(『ムーンウォーカー』)、人間から黒豹へ(「Black Or White」)──様々な変身を見せたマイケルだが、それが最もスリリングだったのは、彼がまだはっきりと黒人男性の肉体を持ち、同時に、その変人性を不気味に予感させていた頃に制作された「Thriller」ということになるだろう。モンスターは変身し始める瞬間こそが最もドキリとさせる。

 脱・人間を標榜する「Thriller」を自分の表現の頂点としてしまったことは、マイケルにとってあらゆる意味で不幸なことだったと思う。マイケルが「Thriller」を克服する唯一の方法は、人間ミッキー・マウスと化す前の普通の黒人男性に戻ることだったと思うが、それは残念ながら、肉体的にも精神的にも不可能なことだったように思える。

smooth_criminal5.jpg
『ムーンウォーカー』──草原で子供たちと遊ぶマイケル

 『ムーンウォーカー』は、マイケルのミッキー・マウスへの変身が佳境に入っていることを告げるような作品である。この映画でマイケルは、アニメーションと子供に囲まれ、現実から遊離したファンタジーの世界に生きている。ウサギになったり、スーパーカーになったり、ロボットになったり、宇宙船になったり、その変身イメージはもはや“何でもあり”状態である。
 そんな中にあって、「Smooth Criminal」は例外的に成熟した大人の世界をモチーフにしているが、それが逆に一層マイケルの肉体のミッキー・マウス性を露わにしているように思う。ほぼ無味無臭に近い、空虚とも言える平面的な男性像。だからダメだ、というわけではない。それをどう享受するかは、もちろん観る人次第なのだが、肉体のミッキー・マウス化を完遂していったその後のマイケルに関して言えば、パフォーマーとしての唯一無比の凄みに圧倒される一方、何か言いようのない寂しさと物足りなさを感じる、というのが、いちマイケル・ファンとしての私の正直なところだ。

 自伝『ムーンウォーク』の中には、アメリカで'71~73年に放映されたテレビ・アニメ番組〈Jackson 5ive〉に関するマイケルのこんな言葉がある。

「僕は以前の、ジャクソン5のアニメ・ショーが大好きでした。土曜の朝、よく早起きをしては言ったものです。“僕がアニメになっちゃった”」(マイケル・ジャクソン著『ムーンウォーク』/田中康夫・訳/CBSソニー出版/1988)

 アステアの肉体が現実世界と絶妙に接点を保っていたのに較べると、'90年代以降のマイケルの肉体が表象する世界は、あまりにも現実感が希薄で、マンガ的であるように感じる。執拗に変身を繰り返すマイケルを見ていると、彼は本気でマンガになってしまいたかったのかもしれないとも思う。

 一体何がそこまでマイケルを変身に駆り立てていたのかという問題には、ここでは踏み込まない。かつてひとりの黒人青年が放っていた肉体の神々しい官能こそを私はこよなく愛する、とだけ書いて、その点は留保したいと思う(私はこの文章を飽くまでミュージカル映画ファンとして書きたい)。


THE MAKING OF SMOOTH CRIMINAL

Vincente_Minnelli_funeral.jpg
'86年7月30日、V・ミネリの葬儀にて──左からマイケル、リー・ミネリ夫人、ライザ

 「Smooth Criminal」は、ある一人の映画人の死から始まった。
 
 '86年7月25日、映画監督のヴィンセント・ミネリが83歳で永眠。'40~50年代にかけて、MGMで多くの作品を撮ったミュージカル映画の巨匠。『若草の頃(Meet Me In St. Louis)』(1944)、『ヨランダと泥棒(Yolanda And The Thief)』(1945)、『ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)』(1946)、『踊る海賊(The Pirate)』(1948)、『巴里のアメリカ人(An American In Paris)』(1951)、『ブリガドーン(Brigadoon)』(1954)、『恋の手ほどき(Gigi)』(1958)など、芸術的な野心に溢れた作品を多く世に送り出し、ミュージカル映画の最後の黄金時代を牽引した。必ずしも完成度の高い傑作を撮る監督ではなかったが、その目の覚めるような鮮やかな色彩感覚、絢爛たる美術、美しい画作りで多くの映画ファンを魅了した。マイケルがオマージュを捧げた『バンド・ワゴン』は、ジーン・ケリー主演『巴里のアメリカ人』(アカデミー作品賞受賞)と並ぶ彼の代表作のひとつ。アステアとは『ヨランダと泥棒』『ジーグフェルド・フォリーズ』『バンド・ワゴン』の計3本で顔を合わせた。マイケルとも親交の深いライザ・ミネリは、ヴィンセント・ミネリの最初の妻、ジュディ・ガーランドとの間に生まれた唯一の子供である。

 '86年7月30日に行われたヴィンセント・ミネリの葬儀には、ライザと共にマイケルも参列している。場所は、ロス郊外のグレンデールにあるフォレスト・ローン記念公園。奇しくもそこは、23年後にマイケル自身が埋葬されることになる場所でもあった。ヴィンセント・ミネリの他、ウォルト・ディズニー、サミー・デイヴィス・Jr、ドロシー・ダンドリッジ、ナット・キング・コール、サム・クックらもこの墓地に眠る。

 「Smooth Criminal」の撮影が行われたのは、ヴィンセント・ミネリの葬儀から半年後にあたる'87年2月。長年のお気に入りでもあった『バンド・ワゴン』の「Girl Hunt」を取り上げることで、マイケルはこのMGMミュージカルの大監督に追悼の意を表した。同時にそれは、マイケルの終生の憧れであるフレッド・アステアに対する、初の本格的なトリビュートでもあった。「Smooth Criminal」には、往年のミュージカル映画に対するマイケルの深い愛情、そして、彼らの遺産を現代に継承しようとする現役アーティストとしての情熱が、これでもかというくらいに詰まっている。「Beat It」「Bad」「The Way You Make Me Feel」で『ウエスト・サイド物語』を発見するように、「Smooth Criminal」で『バンド・ワゴン』、そして、フレッド・アステアというミュージカル俳優を発見していく後世のファンもきっと多いに違いない。

girl_hunt4.jpg
「Girl Hunt」撮影現場でのアステアとマイケル・キッド

 「Girl Hunt」はマイケル・ジャクソン世代にとって格好のアステア入門映像になるはずだが、これで初めてアステアに興味を持ったマイケル・ファンが他のアステア作品を観ても、“???”かもしれない。「Girl Hunt」は、アステアのミュージカル場面の中では極めて異色な部類に入るものだからだ。
 まず、先述した通り、ここで演じられているタフガイはアステアのキャラとは全く異なるものであり、「Girl Hunt」は、飽くまでパロディ的性格を持った劇中劇に過ぎないということ。そして、ここでアステアが見せるダンスにしても、本来のアステアらしさとは趣を異にするものである。

 アステアのダンスの多くは、彼の盟友であるハーミズ・パンとアステア自身によって振り付けられているのだが、「Girl Hunt」で振付を担当したのは、クラシック・バレエをルーツに持つブロードウェイ出身の振付師、マイケル・キッド。ここでキッドは、バレエの複雑でシャープな運動性を取り入れつつ、シュールなナイトクラブでアステアとチャリースが踊るのに相応しい、メカニカルで奇妙に歪んだ印象を与える独特のダンスを創作した。細かく句読点が打たれたようなギクシャクとした動きは、流麗で淀みのないアステアのダンスとはかけ離れたものだが、ジャズ・ダンス的な要素を多く含むそれは、アステア流儀よりも確実にモダンであることは間違いない。振付の点においても、ギャングスタもののコンセプトにおいても、「Girl Hunt」は最も現代的なアステア作品と言えると思う。

smooth_criminal6.jpg

 「Smooth Criminal」で振付を担当したのは、マイケルの長年のコラボレーターの一人、ヴィンセント・パターソン(「Beat It」の白人ギャング・リーダー役)。共同振付としてクレジットされているのは、マイケルにムーンウォークを伝授し、「Bad」『Ghosts』の振付でも活躍する元シャラマーのジェフリー・ダニエル。ここで彼らは、「Beat It」「Thriller」でマイケル・ピーターズが創作した振付とはまた趣の異なる、ポッピング、ロッキング、ジャズ・ダンスが複雑に混じり合ったような、非常に鋭角的なダンスを生み出した。それはまさしく「Girl Hunt」のメカニカルなジャズ・ダンスの現代版といった趣である。恐らくこれに触発されたのだろう、妹のジャネットはジュリアン・テンプル監督のヴィデオ「Alright」(1990/「When I Think Of You」に続く、MGMミュージカルへのオマージュ第二弾)で、実際にマイケル・キッド本人を振付師に迎えている。
 また、マイケルが様々なヴァリエーションのムーンウォークを披露しているのも魅力的だ(ここで見られる、踵を軸にゆっくり回るムーンウォークが真正ムーンウォークで、直線的に後進する所謂“ムーンウォーク”は、バック・スライドと呼ぶのが正しい)。ダンサーの中には、ジェフリー・ダニエルと共にマイケルにムーンウォークを伝授したジェロン・キャスパー・キャニデイト Geron "Casper" Canidate、デレク・クーリー・ジャクソン Derek "Cooley" Jaxson、また、エレクトリック・ブガルーズのロボット・ダン Robot Dane(Dane Parker。「Beat It」のダンス場面で痙攣したような動きを見せる眼鏡&キャップの男)、同じくブガルーズ一派で、『Captain EO』『Ghosts』にも参加しているポッピン・タコ Pop N' Taco(Bruno Falcon)といったポッパーたちも含まれている。後にマイケルとジャネットのダンス面での右腕となるラヴェル・スミスとティナ・ランドンもこのヴィデオの出演者だ。


smooth_criminal7.jpg 「Beat It」「Thriller」のダンスは誰もが真似して踊ることができたが、「Smooth Criminal」になると、素人にはもはや付いていけないレベルになっている。帽子に手を当てて身体を折る振りあたりは頑張れば真似できるが、このヴィデオで一番の見せ場にもなっている、45度に身体を傾ける技だけは絶対に不可能だ。

 この傾斜アクションは、ヴィデオではワイアーで吊されることで実現している(写真を見ると、確かにスーツのウェスト部分に不自然な皺がある)。監督のコリン・チルヴァーズは、先述した通り『スーパーマン』シリーズで特殊効果を担当していた人物なので、マイケルはスーパーマンと同じ原理で傾いている、と言うこともできるだろう。コンサートにおいては、ステージ上から突き出たフックに特製の靴をはめ込んで足下を固定し、人力で傾くという方法でこのアクションが再現された。'93年にマイケルがこの仕掛けで特許を取っていることも知られた話だろう。ただ踊るだけでなく、ダンス場面の中にこうしたギミックを取り入れて観客を楽しませることを、マイケルはアステアやジーン・ケリーらのミュージカル映画でよく学んでいた。

sotsa.jpgsmooth_criminal8.jpg
キテます、傾いてます──ボウイの'87年ツアー(左)とマイケルの'92年ツアー(右)

 「Smooth Criminal」の傾斜アクションを誰がどのように思いついたのかは知らないが、『ムーンウォーカー』公開の1年前、デヴィッド・ボウイの'87年ツアーで似たようなアクションが登場しているので一応紹介しておく。
 「Sons Of The Silent Age」という曲の中で、ボウイと女性ダンサーがパントマイム風のパフォーマンスを繰り広げる。女性ダンサーはスキー板で両足を固定し、ボウイの手ぶりに合わせて身体を前後にゆらゆらと急角度で傾ける。スキー板を履いていることは観客にも明かされているので、決してトリックではないのだが、やっていることは基本的に「Smooth Criminal」のステージ版と一緒である。「Smooth Criminal」はボウイのこのツアー以前に撮影されているので、マイケルがここから想を得たということはあり得ないが、ステージでの再現方法に関して多少のヒントくらいは与えたかもしれない。
 尚、デヴィッド・ボウイのこのツアーには、ダンサーの一人としてエレクトリック・ブガルーズのスキーター・ラビットが参加。大規模なステージ・セットを導入したかなり演劇的なショウで、'87年11月にシドニーで収録されたライヴ映像『Glass Spider』が翌年にソフト発売されている。


hong_kong_cafe1.jpg
『足ながおじさん』──ジュークボックスにコインを投入するレスリー・キャロン

 傾斜アクションの他に、「Smooth Criminal」でもうひとつ観客を強く惹きつけたギミックは、ナイトクラブに入店したマイケルが遠く離れたジュークボックスにコインを投げ入れる冒頭の場面だろう。この演出に関しては、別のアステア映画『足ながおじさん(Daddy Long Legs)』(1955/20世紀フォックス)の中に、ほぼ元ネタと断定できる場面がある。

 主演のレスリー・キャロンが、幻想の中で“香港カフェ”という酒場に迷い込んでアステアを探すというシークエンスがある(「Nightmere Ballet」と呼ばれる約12分間のミュージカル場面の一部)。オリエンタルで妖しい雰囲気が漂う店内で、他の女たちと一緒にいるアステアを見つけたキャロン。そのまま後ろ向きにジュークボックスへ歩み寄ると、男性客の一人からコインを受け取り、彼女はそれを実に奇妙な方法でジュークボックスに投入するのである(上画像参照。ジュークボックスに倒れ込んで手をつくような動作でコインをガチャンと入れる)。続けて音楽が流れ出し、キャロンはアステアの気を引くため、店内の男たちと絡みながら妖艶なダンスを繰り広げる。

 ここでキャロンは情熱的な赤いドレス、アステアは白スーツにパナマ帽という格好で登場する(上の画像で左隅に手足が見えているのがアステア。横を向いたままなのでシャツの色は分からない)。キャロンとアステアの衣裳、また、妖しげな酒場という設定から分かる通り、この場面は、いわばアステアによる「Girl Hunt」のセルフ・パロディである(但し、残念ながらここでアステアは踊らない)。要するに、「Smooth Criminal」は、「Girl Hunt」を引用したミュージカル場面の冒頭に、同じく「Girl Hunt」を引用した別のアステア作品からの引用を更に付け加えている。もちろん、コインの投入方法そのものは異なるが、映画的に正しいジュークボックスへのコインの入れ方というものを、マイケルはここから学んだに違いないのである(そして、もしかすると、傾斜アクションのヒントもここから得た)。

hong_kong_cafe2.jpg
『足ながおじさん』──ビーズすだれを潜り抜けて店に入るレスリー・キャロン

 『足ながおじさん』の“香港カフェ”場面は、実はマイケルの別のヴィデオにも影響を与えている。「Smooth Criminal」繋がり、ヴィンセント・パターソンとマイケルが共同で監督した「Blood On The Dance Floor」(1997)がそれである。
 “香港カフェ”場面は、ジュークボックスにコイン投入~ダンス開始という上記の展開の前に、まずレスリー・キャロンが店に入るところから始まる。店の入口にはビーズのすだれが掛かっており、キャロンはこれを潜り抜けて入店する。冒頭、キャロンが入口に近づいていく様子が主観ショットで映され、垂れ下がるビーズの合間から店内の妖しげな様子が覗く。香港カフェの幻想的でエキゾチックな雰囲気作りに、ビーズのすだれが大きく役立っている。

botdf1.jpgbotdf2.jpg
「Blood On The Dance Floor」──ビーズでジャラジャラなダンス・フロア

 「Blood On The Dance Floor」の舞台となるクラブには、このビーズすだれがやたらと垂れ下がっており、これがヴィデオの印象を決定付けている。こちらは東洋ではなくラテン風情だが、エキゾチックで妖しげな雰囲気の店であることに変わりはない。同じく印象的なマイケルのスーツの色は、曲のテーマの“血”の色であると同時に、レスリー・キャロンのドレスの色でもあるだろう。マイケルを挑発する準主役のシビル・アズール Sybil Azur(やはり赤ドレス)がテーブルの上に乗って踊る場面も印象的だが、実はレスリー・キャロンも“香港カフェ”のダンス場面でテーブルの上に乗って踊っているのである。
 恐らくパターソンとマイケルの2人は、“あの香港カフェのムードいいよねえ。あれを現代的にアレンジできないかな?”などと話し合ってこのヴィデオを作ったに違いないのだ(出来自体は並だが)。


マイケルのアステア三部作

 マイケルのアステア作品からの引用はこれだけでは済まない。色々とあるのだが、ここでは「Smooth Criminal」(ヴィデオ/ステージ)、「Dangerous」(ステージ)、「You Rock My World」(ヴィデオ)の3つに話を絞ることにしたい。これらには、「Girl Hunt」を下地にしたギャングスタもの、という点で明らかに連続性がある。独自にコンセプトを発展させてオリジナルな作品を生んだマイケルだが、常にアステアを強く意識していたことはその引用から明らかである。「Smooth Criminal」「Dangerous」「You Rock My World」は、マイケルにとっての“アステア三部作”と言っても過言ではないのだ。

smooth_criminal9.jpgbojangles_harlem.jpg
'96~97年ツアーの「Smooth Criminal」(左)とアステア「Bojangles Of Harlem」(右)

 「Smooth Criminal」のステージ・パフォーマンスに、マイケルはアステアの遺産をもうひとつ付け加えた。'96~97年〈HISTORY〉ツアーで披露された「Smooth Criminal」では、曲の冒頭、ステージに巨大なスクリーン(垂れ幕)が掛かり、そこに巨大な踊るシルエットが投影されるという演出が見られた。これは『有頂天時代(Swing Time)』(1936/RKO)に登場するアステアのソロ・ナンバー「Bojangles Of Harlem」からの引用である。“ボージャングルズ”の愛称で親しまれた黒人スター・ダンサー、ビル・ロビンソンにオマージュを捧げたこのナンバーで、アステアは巨大な壁面に映る自分の3つの影と一緒に踊った。マイケルは'87年〈BAD〉ツアーの「Heartbreak Hotel」から同じような演出を見せていたが、スクリーンがステージ全体を覆い、2人のダンサーを左右に配した〈HISTORY〉ツアーの「Smooth Criminal」で、「Bojangles Of Harlem」との類似は決定的なものになった(マイケルのステージをスクリーン裏から眺めれば、その光景は限りなく「Bojangles Of Harlem」に近づくだろう)。


dangerous95.jpgtop_hat1.jpg
'95年の「Dangerous」のパフォーマンス(左)とアステア「Top Hat, White Tie And Tails」(右)

 マイケルが黒スーツで群舞を見せる「Dangerous」のステージ・パフォーマンス(初演は'93年1月25日のアメリカン・ミュージック・アワォード)。「Smooth Criminal」のギャング・コンセプトを引き継いだもので、実際、'95年からは曲の途中に「Smooth Criminal」が挿入されるようになった。
 モノトーンのスタイリッシュな衣裳、自分の分身を大勢引き連れたパフォーマンスという点で、この「Dangerous」の演出は『トップ・ハット(Top Hat)』(1935/RKO)におけるアステアのソロ・ナンバー「Top Hat, White Tie And Tails」を連想させる。そこでアステアは、トレードマークの燕尾服姿で登場し、同じ格好をした大勢の男たちを従えて歌い踊る。ステッキを銃やマシンガンに見立てて男たちを皆殺しにし、最後にアステア一人が残るという展開も、マイケルのパフォーマンスに通じるものがある。

get_happy.jpgsteam_heat.jpg
ガーランド「Get Happy」(左)とフォッシー振付の「Steam Heat」(右)

 より具体的な類似が認められるのは、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー主演『サマー・ストック(Summer Stock)』(1950/MGM)に登場するガーランドのソロ・ナンバー「Get Happy」。タキシードの上着&ハット姿で黒スーツの男たちと歌い踊る、彼女の代表的なパフォーマンスのひとつ(振付/演出は監督のチャールズ・ウォルターズ)。「Dangerous」冒頭では、男性ダンサーたちの乱舞に続き、こちらに背を向けて両手を上げた男の陰からガーランドが登場する「Get Happy」冒頭の演出がそのまま取り入れられている。その直後、床に倒れている男たちの間をガーランドが歌いながら歩き、ビートのアクセントに合わせて男が一人跳ね上がるという展開も共通するので、間違いなく意識的な引用である。
 「Get Happy」は、アステア共演『イースター・パレード(Easter Parade)』(1948/MGM)で撮影されながらお蔵入りしたガーランドのソロ・ナンバー「Mr. Monotony」の焼き直し。そちらでは激スリムで死ぬほどカッコいいガーランドが拝めるので、併せて観てもらいたい('94年のMGMアンソロジー映画『ザッツ・エンタテインメント PART3(That's Entertainment! III)』で公開され、現在では『イースター・パレード』DVDにも特典収録)。

 もうひとつ、「Dangerous」の雛型として特筆しておきたいのが、アステア信奉者でもあるボブ・フォッシーが振付を手掛けた『パジャマ・ゲーム(The Pajama Game)』(1957/ワーナー)のナンバー「Steam Heat」。フォッシー美学が炸裂した大名作で、キャロル・ヘイニーが黒スーツ、黒ボーラー、赤ボウタイ、白靴下という格好で群舞を繰り広げる。同じ振付が登場するわけではないが、その奇妙に捻れたような感覚のダンスには、マイケル・ファンも親しみを覚えるはずだ。フォッシーはストイックな黒装束を効果的に使い、肉感的かつグロテスクな独自のダンス・スタイルを作り上げた。彼の創作は、アステアやガーランドの古典とマイケルのスタイルを繋ぐ媒介としてあまりにも重要である。

 ところで、この「Dangerous」という曲は、ダンスの演出とはまた違った部分でアステアから大きな影響を受けている。Aメロが始まる前にマイケルがブツブツ喋っている語り(ラップ)部分に注目。目の前に現れた眩惑的な女のことが、以下のように表現されている。

“The way she came into the place. I knew right then and there. There was something different about this girl. The way she moved, her hair, her face, her lines. Divinity in motion. As she stalked the room, I could feel the aura of her presence. Every head turned feeling passion and lust. The girl was persuasive. The girl I could not trust. The girl was bad. The girl was dangerous.(女が入ってきた。普通じゃないとすぐに分かった。彼女の仕草、髪、顔、身体の線。その神々しい身のこなし。ゆったりと歩く姿にはオーラが感じられた。誰もが振り向き、熱い視線を送る。抗しがたい魅力。信用できない女だ。危ない。近寄るな)”

 元ネタはまたしても「Girl Hunt」。これはシド・チャリースに関するアステアの以下のモノローグからの引用である。
 
“She came at me in sections, more curves than a scenic railway. She was bad. She was dangerous. I wouldn't trust her any farther than I could throw her.(女が来た。悩ましい曲線美だ。危ない。近寄るな。信用できる代物じゃない)”

 “She was bad”以下は、「Girl Hunt」劇中で繰り返し登場する印象的なフレーズ。“She came at me in sections~”という表現も、「Dangerous」2コーラス目の冒頭でそのまま使われている(“She came at me in sections with the eyes of desire”)。もともと歌詞の時点で「Girl Hunt」を引用していたこの曲のステージ・パフォーマンスが、「Smooth Criminal」に続いてギャングものになったのは、半ば必然と言えるかもしれない。「Girl Hunt」がなければ『DANGEROUS』というアルバムのタイトルもなかったのだろうから、その影響は莫大である(尚、ここにはマイケルの前作のタイトルである“bad”という語も含まれているが、そちらの出所は「Girl Hunt」ではなく、ジェイムズ・ブラウン「Super Bad」に違いないだろう)。


yrmw.jpg
「You Rock My World」──バー・カウンターの上で踊るマイケル

 マイケルのアステア三部作の最後は、'01年のヴィデオ「You Rock My World」。酒場を舞台にしたギャングもので、「Smooth Criminal」と「Dangerous」を混ぜ合わせたような雰囲気だが、ここには更に別のアステア映画からの引用が含まれている。

ofmb.jpggrease1.jpg
アステア「One For My Baby」(左)と『グリース』のトラヴォルタ(右)

 マイケルがバー・カウンターの上に乗って踊り、ボトルを壁に投げつけて破壊行為に及ぶ場面は、『青空に踊る(The Sky's The Limit)』(1943/RKO)に登場するアステアのソロ・ナンバー「One For My Baby」に倣ったものだ。アステアがバーで酒に酔って自棄を起こすというミュージカル場面で、アステアはカウンターの上に乗って踊り、店のカクテル・グラスを派手に割りまくる。グラスを蹴って割るところなどは、「Black Or White」ヴィデオ後半のパンサー・セグメントにも影響を与えているだろう。これはマイケル・ファンにも是非観てもらいたい(楽曲、演出、ダンスのすべてがクールで、数あるアステアのソロ・ナンバーの中でも、この「One For My Baby」は個人的にフェイヴァリットのひとつだ)。また、先述した通り、「You Rock My World」では、「Girl Hunt」でアステアが酒場に入店する際のアクションも引用されている。
 ちなみに、「You Rock My World」のマイケルの衣裳は、『グリース(Grease)』(1978/パラマウント)のジョン・トラヴォルタを微妙に思い出させる(ダンス・パーティー場面)。どこにでも見られるような格好ではあるが、マイケルは『グリース』のトラヴォルタからネタをいくつもかっぱらっているので、もしかすると意識しているかもしれない(『グリース』のトラヴォルタについては、『ウエスト・サイド物語』のジョージ・チャキリスと共に別エントリーで紹介する)。

bang_bang.jpg
バー・カウンターの上で大暴れ──サミー・デイヴィス・Jr「Bang! Bang!」

 尚、バー・カウンターの上で踊りながら破壊行為に及ぶという「One For My Baby」の演出は、『七人の愚連隊(Robin And The 7 Hoods)』(1964/ワーナー)におけるサミー・デイヴィス・Jrのソロ・ナンバー「Bang! Bang!」でパクられている。ここでデイヴィスは、バー・カウンターの上で銃を両手に踊り、カウンターの中に並んでいる酒瓶や店内の色んなものを次々に撃って壊しまくる(最後にはマシンガンをぶっ放す)。バーを破壊するクレイジーなダンスは、アステアからサミー・デイヴィス・Jrを経て、マイケルに引き継がれたと言っていい。


目指せアステア──「Smooth Criminal」への道

jacksons_show1.jpg
バラエティ番組〈The Jacksons〉で披露された「Get Happy」のパフォーマンス

 マイケルは「Smooth Criminal」という作品をいきなりモノにしたわけではなく、それまでに熱心にアステア映画を観て研究し、それを自分なりに吸収・消化するべく、様々なイメージ・トレーニングや試行錯誤を繰り返していたはずである。
 それを裏付けるのが、CBSで'70年代後半に放映されたジャクソンズのシリーズ番組〈The Jacksons〉。マイケル、ジャッキー、ティト、マーロン、ランディの5人に、リビー、ラトーヤ、ジャネットを加えた8人のジャクソン兄弟姉妹たち(ジャーメイン以外の全員)が、毎回ゲストを迎えながら、歌、ダンス、コントなどを繰り広げる30分のバラエティ番組で、'76年6月16日から'77年3月9日まで全12回放映された。この番組では、ジャクソンズの持ち歌に加えて様々なナンバーがかなり凝った演出で披露されていたが、その中でマイケル(当時17~18歳)は既にアステア作品をいくつか取り上げているのである。


jacksons_show2.jpg
THE JACKSONS (Show #1)
Broadcast: 16 June 1976
Performance: Steppin' Out With My Baby

 番組1回目の放送では「Steppin' Out With My Baby」が登場。『イースター・パレード』でアステアが創唱したアーヴィング・バーリンのナンバー。白い燕尾服、トップハットにステッキを持ち(女性陣はピンクのドレス)、8人のジャクソン兄弟姉妹が全員でブロードウェイ・スタイルのタップを華やかに繰り広げる。最初にマイケルがソロで登場し、ラトーヤと踊った後、全員で群舞。兄弟姉妹が代わる代わるペアを組んで踊る様子も楽しい。
 マイケルがまともにタップを踏む姿が観られるのはこの番組だけだろう。マイケルは実はタップも普通に上手い。技術的なことよりも、とにかく動きの切れ、その天才的な踊りのセンスに驚かされる。ただのタップ・ダンサーに収まる器でないので仕方ないが、タップ・ファンとしては、マイケルには引き続きヴィデオやステージでもタップを披露してもらいたかったところである(マイケルはこの番組で黒人タップ・デュオのニコラス兄弟と共演したこともある。以前、当ブログのニコラス兄弟に関する連載エントリーの中で紹介したので、そちらも参照されたい)。
 このパフォーマンスの演出自体は、『イースター・パレード』に登場する「Steppin' Out With My Baby」とは関係ないが、その代わり、この番組で次にアステア作品を取り上げる際、マイケルはそこからの引用を見せる。


jackosns_show3.jpg
THE JACKSONS (Show #5)
Broadcast: 19 January 1977
Performance: They Can't Take That Away From Me - Broadway Rhythm - Puttin' On The Ritz

 番組5回目の放送で再びアステア・トリビュート。楽曲だけでは飽きたらず、遂に演出まで引用してアステアへの想いを表現。「They Can't Take That Away From Me(誰にも奪えぬこの想い)」は、『踊らん哉(Shall We Dance)』(1937/RKO)でアステアがジンジャー・ロジャースに歌いかけたロマンチックなナンバー。シナトラの歌唱でも知られるガーシュウィン兄弟作のスタンダードだが、これも創唱はアステア。アステア&ロジャース10年ぶりの再会作にしてコンビ最終作となった『ブロードウェイのバークレー夫妻(The Barkleys Of Broadway)』(1949/MGM)で使われたことでも印象深い(そこで2人が初めてこの曲で踊る場面は感動的である)。アステア&ロジャースを象徴するようなこの曲を歌いながら、マイケルは白い燕尾服姿で、ラトーヤをジンジャー役にボールルーム・ダンスを披露。まさに“誰にも奪えぬアステアへの想い”といった感じだ。
 後半は、「Broadway Rhythm」の“Gatta Dance!(踊ろう!)”のフレーズを挟んで「Puttin' On The Ritz」へ。『ブルー・スカイ(Blue Skies)』(1946/パラマウント)に登場するアステアの代表的レパートリーのひとつ(I・バーリン作)。マイケル&ラトーヤに、ジャッキー、ティト、マーロン、リビー+追加ダンサー4名(男性1名、女性3名。ランディ&ジャネットのチビッ子組は欠席)が加わり、全員で歌いながらタップ。もちろん、トップハットとステッキ付き。ここでは、通常速度で動く背景に、マイケル&ラトーヤのみをスロー再生で合成するという映像トリックが見られる。この演出は、先述した『イースター・パレード』の「Steppin' Out With My Baby」でアステアが使っていたものだ。「Puttin' On The Ritz」と「Steppin' Out With My Baby」は同系統の曲なので、ここぞとばかりに引用したのだろう。アステアに対するマイケルのただならぬ思い入れが伝わってくるメドレーである(ちなみに、アステアは『ブルー・スカイ』の「Puttin' On The Ritz」でも似たような映像トリックを使っているのだが、実はその演出もマイケルは後に自分の作品で引用することになる。詳細は別エントリーにて)。
 尚、メドレーの繋ぎに使われている「Broadway Rhythm」は、エレノア・パウエル主演『踊るブロードウェイ(Broadway Melody Of 1936)』(1935/MGM)のクライマックスに登場する大名曲。「Singin' In The Rain」を書いたアーサー・フリード&ナシオ・ハーブ・ブラウンの作で、ジーン・ケリー主演『雨に唄えば(Singin' In The Rain)』(1952/MGM)で、ケリーとシド・チャリースが繰り広げるミュージカル場面のモチーフとしても有名である。'82年にタコがリメイクしてヒットさせた「Puttin' On The Ritz」でも、この曲の“Gatta Dance!”部分が引用されていた。


jacksons_show4.jpg
jacksons_show5.jpg

THE JACKSONS (Show #6)
Broadcast: 26 January 1977
Performance: Get Happy

 過熱するマイケルのアステアごっこは、前回に続く番組6回目で頂点に達した。“え~、またアステアやんの? もう、マイケル一人でやってくれよ~”(ジャッキー、ティト、マーロン)、“え~、またジンジャー役やれって? もう、マイケル一人でやってよ~”(リビー、ラトーヤ)という会話があったかどうかは知らないが、恐らくマイケルのアステア馬鹿には他の兄弟姉妹もさすがに付き合いきれなくなったのだろう、ここでマイケルは遂に一人でアステア・トリビュートを敢行することになった。
 ここでマイケルが手を出したネタは、なんと「Girl Hunt」である。そして、歌われる曲はハロルド・アーレン作(「Over The Rainbow」「Stormy Weather」)のスタンダード「Get Happy」。これもシナトラの歌唱が有名だが、マイケルが意識しているのは、もちろん、先述した『サマー・ストック』におけるジュディ・ガーランドのパフォーマンスである。マイケルは、シャツの色を青から赤に変えた「Girl Hunt」のアステア・ルックで登場。「Girl Hunt」風なマンハッタンの書き割りを背景に、これまた「Girl Hunt」のシド・チャリースを模した赤ドレスの女性ダンサー4人と群舞を繰り広げる。女性ダンサーが床を滑ってマイケルの脚にしがみつく場面も、「Girl Hunt」(駅構内でブロンドのチャリースが登場する場面)からの引用だ。また、帽子のつばを親指と人差し指で摘むフォッシーの典型的アクションが登場する点も見逃せない。街灯に掴まるあたりは、「Singin' In The Rain」のジーン・ケリーを意識しているだろうか。当時のソウル時代のマイケルとしては異色以外の何ものでもないパフォーマンスだが、後から振り返ると呆れるほどマイケルらしい。
 後半では室内セットに舞台が移り、同じく女性ダンサー4人と黒い燕尾服姿でタップを繰り広げる。柄にもなくフライング・スプリットまで決めてしまうマイケルのノリノリぶりが微笑ましい。この後半部も良いが、見ものはやはり、後年のギャングスタ群舞の元ネタが詰まった前半部。「Smooth Criminal」発表の11年以上も前に、マイケルは既にそのプロトタイプとも言えるパフォーマンスをテレビで披露していたのである。


jacksons_show6.jpg
〈The Jacksons〉放送第1回目のオープニング
左からランディ、マーロン、ジャッキー、マイケル、ジャネット、リビー、ラトーヤ、ティト


 ところで、マイケル自身は後に自伝『ムーンウォーク』の中で、このテレビ番組のことを“すべてが嫌で嫌でたまらなかった”とボロクソに言っている。

「完全な間違いでした。僕らはこっけいな衣裳を着て、すでにテープに録音された笑い声に向かって、馬鹿げた喜劇のおきまりの所作を演じなくてはなりませんでした。本物ではなかったのです。テレビについて何かを学んだり、習得したりする時間もありませんでした。デッドラインに間に合わすために、1日に3曲もダンス・ナンバーを作り出さなくてはならないのです。(中略)
 テレビの持っている問題点は、短時間に、すべてのことを詰め込まなくてはならないというところです。完璧にやるだけの時間がないのです。生活は、スケジュール、それも、きついスケジュールに支配されるようになります。どこか満足できない部分があっても、それはただ忘れ去られ、次の仕事に入っていくのです。生まれつき僕は完璧主義者です。でき得る限り、最高の仕事をするのが好きです。(中略)
 そのテレビ・ショーは、セットはずさん、照明はたいてい貧弱、振り付けは急ごしらえ、といった有り様でした。ところがどうしたわけか、そのショーは大きなヒットとなりました。僕らの番組の裏には他局の人気番組があったのに、僕らはニールセン(視聴率調査会社)の視聴率でその裏番組をやっつけてしまったのです。CBSは、何とかして僕らをつなぎとめたかったようですが、僕はショーが失敗だということに気付いていました」(マイケル・ジャクソン著『ムーンウォーク』/田中康夫・訳/CBSソニー出版/1988)

 マイケルの言い分も理解できるが、限られた条件の中でも意欲的にアイデアが盛り込まれたミュージカル・ナンバーは、十分に魅力的で見応えがある。本業では絶対に見られないようなパフォーマンスが目白押しで、マイケルの才能の豊かさや、その創作の出自が確認できる点でも貴重だ。コントや司会においても、マイケルからやる気のなさが感じられるようなところは微塵もなく、飽くまでプロとして彼がこの番組に精一杯尽力していたことが分かる。本人の消極的な回想とは裏腹に、この番組は実はとても面白いのである。これは絶対にソフト化されるべきだ。


そして、アステアと共に

astaire_MJ_MM.jpg マイケルがフレッド・アステアを敬愛していたことは一般的にも知られた話だろう。'93年2月に行われた第35回グラミー賞の舞台では、小さい頃、ジャネットをジンジャー・ロジャース役にアステアの真似をして踊った思い出話も披露していた。アステアに捧げられたマイケルの自伝『ムーンウォーク』の中には、彼が初めてムーンウォークを披露した'83年のテレビ特番〈Motown 25〉の放映翌日、アステアから電話が掛かってきた時のことが次のように書かれている。

「モータウン25ショーの翌日、フレッド・アステアから電話がありました。これは彼の言ったとおりの言葉ですが、“ホントよく動くな。昨日の晩、みんな腰抜かしとったぞ”。フレッド・アステアは僕にそう言ったのです。僕は彼にお礼を言いました。すると、彼は言ったのです。“君は怒れるダンサーだ。私とおんなじだよ。私もステッキを使っておんなじことをやったものさ”。
 以前に1回か2回、彼と会ったことはありましたが、電話をもらったのはそれが初めてのことでした。彼はこうも言いました。“昨日、私はあの特番を観たんだ。録画しといて、今朝、またもう1回観てしまったよ。とんでもないダンサーだな!”。
 それは僕がそれまでの人生で受けた中で最高の賛辞でした。信じたいと思ったただひとつの賛辞でした。フレッド・アステアがそう言ってくれるということは、僕にとって、何事にもかえがたいものでした。後日、僕のパフォーマンスはエミー賞のミュージカル部門にノミネートされましたが、レオンタイン・プライスに負けてしまいました(註:邦訳書では“レオンタイン賞は逃してしまいました”と誤訳されている)。別に気にもしていません。フレッド・アステアが僕に、決して忘れることのない言葉をかけてくれたのです。それこそが僕の勲章でした。その後、彼は僕を家に招待してくれたのですが、彼は赤面してしまうほどに僕のことを褒めたたえてくれました。彼は、僕のやった〈ビリー・ジーン〉を、ひとつひとつ繰り返してみせました。映画でフレッドの踊りを振り付けたこともある偉大な振り付け師のハーメス(ハーミズ)・パンがはるばるやってきていたので、僕は彼らにムーンウォークのやり方を見せたり、彼らが強い興味を示した他のステップも披露したりしました」(マイケル・ジャクソン著『ムーンウォーク』/田中康夫・訳/CBSソニー出版/1988)

 アステア本人に独自に取材して書かれた'84年原書出版の評伝『アステア ザ・ダンサー』の中には、マイケルに関するアステアのこんなコメントも紹介されている。

「歌とダンスが同時にできて、しかもその両方がうまいとなれば、すごいなんてものじゃない。マイケルはまさしくそれなんだ。彼のことはほんの小さな子供だった頃から知っている。ジャクソン一家は私の家の近所に住んでいたことがあって、うちの前を自転車で通るたびに私に向かって手を振っていた。一家の全員と知り合いだし、マイケルと私とは今でも時々、電話で話すんだ」(ボブ・トーマス著『アステア ザ・ダンサー』/武市好古・訳/新潮社/1989)

 亡くなる前、アステアは“自分の後継者が誰か知らないままこの世を去りたくなかった。ありがとう、マイケル”とも語っていたという。アステアに憧れた黒人青年は、エンターテイナーとしてその肉体と精神を20世紀後半のショウビズに見事に受け継ぎ、やがてアステアさえも超えるユニヴァーサルなレジェンドになった。

astaire_childhood.jpgMJ_childhood.jpg

 アステアがこの世を去ったのは、「Smooth Criminal」が撮影された'87年2月から僅か4ヶ月後の'87年6月22日のことだった(享年88歳)。ヴィンセント・ミネリへの追悼として始まったはずの「Smooth Criminal」は、奇しくもアステアを追悼する作品にもなってしまった。かつての自分と同じ姿で踊るマイケルの映像をアステアが目にする機会があったかどうかは分からないが、観ればさぞかし喜んだに違いない。
 完成したヴィデオは、最終的に'88年10月13日にMTVで初公開された。そこから堰を切ったように始まるマイケルの一連のアステア作品の引用も、アステアの遺産を後世に伝えたいという想いがあってのことだろう。そして、そのマイケルもこの世を去った今、残された作品だけが彼の気持ちを静かに代弁している──“アステアの映画を観てごらん。素晴らしいよ!”。

 20世紀の前半と後半でそれぞれアメリカのエンターテインメントの頂点に立ったダンサー、フレッド・アステアとマイケル・ジャクソン。彼らの創作の背後には、我々凡人には想像することもできないような努力や苦労がある。時代と人種を超え、2人の天才は静かに通じ合い、固い絆で結ばれる。彼らの交歓に誰も立ち入ることはできない。

 天国でマイケルがアステアと幸せに踊っていることを心から願う。


おまけ

dream_ballet1.jpgdream_ballet2.jpg
「Dream Ballet」のアステア(映画『ヨランダと泥棒』より)

 白スーツ、白ハット、白タイ、青シャツのアステアと言えば『バンド・ワゴン』だが、アステアがこの格好でスクリーンに登場したのは、実はそれが最初ではない。その8年前、同じくヴィンセント・ミネリが監督した『ヨランダと泥棒(Yolanda And The Thief)』(1945/MGM)の中に登場する「Dream Ballet」の中で、既に同じコーディネートを見せているのだ(但し、スーツはダブルで、胸に赤い薔薇とハンカチを飾るなど、ディテールの違いはある)。
 「Dream Ballet」は、アステアが見ている夢という設定で繰り広げられる、約15分にも及ぶシュールで幻想的なミュージカル場面。自己陶酔的でかなり退屈なシークエンスなのだが、アステアが洗濯女たちに翻弄される序盤(写真)は文句なく素晴らしい。ちなみに、この映画にはもうひとつ「Coffee Time」という実に魅力的なミュージカル場面がある。


shine1.jpgshine2.jpg
「Shine」のジョン・バブルズ(映画『キャビン・イン・ザ・スカイ』より)

 アステアとは直接関係ないが、「Smooth Criminal」の源流として、『キャビン・イン・ザ・スカイ(Cabin In The Sky)』(1943/MGM)に登場するナンバー「Shine」を紹介しておきたい。『キャビン・イン・ザ・スカイ』は、ヴィンセント・ミネリの初監督作となるリナ・ホーン出演のオール黒人キャスト映画。「Shine」はタップ・ダンサーのジョン・バブルズが酒場で繰り広げるナンバーで、これが「Smooth Criminal」の'40年代版のような趣を呈していて実に面白いのである。
 ここでバブルズは洒落者のギャングスタとして酒場に現れ、デューク・エリントン楽団の演奏に乗せて歌い踊る。シチュエーション自体「Smooth Criminal」と似ているが、実際、彼が見せるトリッキーな動きや、ボーラーを目深に被るポージングには、容易にマイケル的な要素を見出すことができる。また、面白いことに、ここには「Smooth Criminal」のマイケルのように、バブルズが階段を上る場面まで登場する。現代の感覚で眺めると、バブルズの陽気で脳天気っぽいキャラに違和感を覚えるかもしれないが、それは当時の黒人芸人たちが強要されていたイメージなので、そのへんは差し引いて観賞してもらいたい。

 ジョン・バブルズ John Bubbles(本名 John William Sublett。1902~86)は、ピアノ担当のバック Buck(本名 Ford Lee Washington。1903~55)と共にバック&バブルズというコンビで活躍した人物。「Shine」場面にも相棒のバック(写真左の左端でピアノを弾いている男)と一緒に出演している。バブルズは“リズム・タップ”と呼ばれる現代のタップ・ダンスの基本スタイルを作った偉人。アステアも彼からの影響を公言していた。マイケルの相棒だったチンパンジーの名前は、このジョン・バブルズに由来しているような気がして仕方ないのだが、残念ながら私は真相を知らない。

 この『キャビン・イン・ザ・スカイ』は、映像史上最古(と思われる)のムーンウォークが登場する作品としても特筆される。「Shine」でバブルズが見せるエアウォーク(その場歩き)風のステップも見逃せないが、劇中で実際にムーンウォークを披露しているのは、同じくタップ・ダンサーのビル・ベイリーという男(詳細は'08年8月29日のエントリー“ムーンウォークの起源”を参照)。
 マイケルを通じて古いミュージカル映画に興味を持ったファンには、この映画と、同年公開のオール黒人キャスト映画『ストーミー・ウェザー(Stormy Weather)』(1943/20世紀フォックス)を併せて観ることを強くお勧めしておきたい(『ストーミー・ウェザー』はふざけたことに日本未発売だが、リージョン1の北米版DVDを手に入れてでも観る価値はある)。



FRED ASTAIRE in SMOOTH CRIMINAL


マイケルの最強ショート・フィルム10選【第1~10位】
マイケル・ジャクソン関連記事◆目録

| Top 10 Badass MJ Short Films | 02:24 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT