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Dorothy Dandridge (part 2)

DD4

 伝説の黒人歌手/女優、ドロシー・ダンドリッジ。
 この人は、現代であれば確実にビヨンセやジャネット級の大スターになっていた人である。そうしたタイプの黒人女性スターがいなかった(存在しえなかった)'40~'50年代に、彼女は果敢に道を切り開き、美しく輝いた。現代の黒人女性スターたちがダンドリッジに最大級のリスペクトを表すのも当然なのだ。

 ハリー・ベリー主演の伝記映画を観る、あるいは洋書の伝記本を読むのも悪くないが、彼女のキャリアを知るには、やはり何と言っても本物に触れるのが一番である。

 歌手ダンドリッジのキャリアは音盤としてはほとんど残されなかったが、幸い彼女が歌手として出演した映像はかなりの数が存在している。その多くは映画へのゲスト出演(本筋とは直接関係ないミュージカル場面)、“サウンディ(soundie)”と呼ばれる短編音楽映画('40年代に存在した現在のPVと全く同じ発想の映像メディア。1本3分間で、歌手やバンドの演奏を映像で観賞できる。映画館ではなく、レストラン、ナイトクラブ、ホテルなどに設置された、コイン投入で作動するジュークボックス式の小型上映機で楽しまれた。上映機はまさしくレーザージュークのような形をしている)、あるいはテレビ出演である。

 歌だけでも魅力的だが、ダンドリッジの魅力はやはりその美貌と合わさってこそ最大限に発揮される。ここでは、そうした彼女の実際のパフォーマンスが楽しめる映像群を紹介してみたい。


Sun Valley Serenade
SUN VALLEY SERENADE (1941)
Directed: H. Bruce Humberstone
Performance: Chattanooga Choo-Choo

 ソニア・ヘニー、グレン・ミラー楽団出演の映画『銀嶺セレナーデ(Sun Valley Serenade)』にニコラス兄弟と共に登場。映画中盤、雪山のロッジでミラー楽団がリハーサルをするミュージカル調の場面で、陽気なスウィング・ナンバー「Chattanooga Choo-Choo」を歌う。
 当時のハリウッド映画における黒人の役割と言えば、召使いか芸人役と大体相場が決まっている。黒人芸人たちは、白人男女のラヴ・ストーリーの合間に歌や踊りで登場して映画を盛り上げる(役名はなく、単に“スペシャルティ”としてクレジットされることが多い)。大抵は主役カップルが訪れるナイトクラブの場面などで自然に芸を披露するのだが、この映画のダンドリッジとニコラス兄弟は、ロッジ場面で何の前触れもなくいきなり登場するのでかなり驚く。
 テネシー州チャタヌーガまでの旅を歌った楽しい歌で、バックには汽車の書き割り。ニコラス兄弟と共に歌い、3人でタップを披露した後、ダンドリッジは書き割りの汽車に乗って一度退場し、後半でニコラス兄弟のアクロバティックなダンスがフィーチャーされる。ダンドリッジは黒のドレス&帽子姿に小さなパラソルを持って登場するが、これがとにかく信じられないほどチャーミング。歌も小粋で、彼女の気を引こうとするニコラス兄弟との絡みも実に微笑ましい。何度観てもうっとりしてしまう。後年のセクシー・ダイナマイトぶりも悪くはないが、この時期の彼女のカラッとした可愛らしさが私は一番好きだ。
 この頃、ダンドリッジは既にニコラス兄弟の弟ハロルド(左の背が低い方)と付き合っていて、'42年9月に結婚することになる。ハリー・ベリー主演の伝記映画でもこの撮影場面が再現されていた。

DD & Nicholas Bros1
'40年代初期、20歳頃のダンドリッジとニコラス兄弟。左から、ダンドリッジ、ハロルド・ニコラス、ヴィオラ・ニコラス(兄弟の母)、フェイヤード・ニコラス、ジェラルディン・ペイト(フェイヤードの最初の妻)、ハーブ・ジェフリーズ(友人/歌手/俳優)。ダンドリッジはまるでお人形さんのようだ


Lazybones
LAZYBONES (1941)
Directed: Dudley Murphy

 ホーギー・カーマイケル「Lazybones」のサウンディ。ダンドリッジはメイド役で登場するだけで歌わないが、これはなかなか面白い。
 女を侍らせてカーマイケルがピアノで弾き語りをしている。そこへ給仕役の黒人青年(ピーター・レイという人物らしい)と女給のダンドリッジが2人でお茶を運びに部屋に入ってくる。給仕は頭の上にトレーを乗せてバランスを取りながら、ダンドリッジと部屋を行ったり来たり。途中で何度も落としそうになり、横で見ているダンドリッジがハラハラしたりする。最後は無事にピアノの上にお茶を届けておしまい。最初はトレーが落ちないよう細工でもあるのかと思ったが、種も仕掛けもないようだ。上手いものである(何テイクも撮ったはず。楽しい撮影だっただろう)。
 監督は、ベッシー・スミスの短編『St. Louis Blues』(1929)、デューク・エリントンの短編『Black And Tan』(1929)、ポール・ロブソン主演の長編『巨人ジョーンズ』(1933/ハロルド・ニコラスも出演)などを撮ったダドリー・マーフィ。彼は「Lazybones」の他に、「Yes, Indeed!」「Easy Street」(1941)という2本のダンドリッジのサウンディも手掛けている。
 カーマイケルは「Stardust」「Georgia On My Mind」の作者として有名なシンガーソングライター。個人的には、「Hong Kong Blues」というノヴェルティ・ソングでこの人を初めて知った時の衝撃が忘れられない。その独特のすっとぼけたヴォーカルから、長い間コミカルな雰囲気の人物を思い描いていたのだが、実際には味のある二枚目で驚いた。ボガート&バコール主演の名作『脱出』(1944)では、カフェのピアノ弾き役で歌う彼の粋な姿をたっぷり楽しむことができる(バコールの歌付き。「Hong Kong Blues」も登場)。


Swing for Your Supper
SWING FOR YOUR SUPPER (1941)
Directed: unknown

 シー・ピー・ジョンソン楽団と共演したサウンディ。ダンドリッジの溌剌とした歌が聴ける。彼女が歌う場面はバストショットとアップの二種類のカットがあるが、前者はトランペット奏者を彼女の前方に配置して構図が工夫されている。ダンドリッジの見事なサザエさん頭も印象的だ。
 中盤で楽団の演奏がフィーチャーされ、パーカッションを演奏するシー・ピー、部屋の中で陽気に踊るリンディ・ホッパーたちの様子が映される。その後、再びダンドリッジの歌へ戻り、最後に部屋の扉の張り紙が大写しにされて終わる。張り紙には“ジェファーソン夫妻/リンカーン・ジョーンズ/家賃パーティ/さあ、中でジャイヴしよう/入場料25セント”とある。
 “家賃パーティ(Rent Party)”というのは、'20年代にアメリカ都市部の黒人たちが、払えなくなった家賃を捻出するために催した有料自宅パーティのこと。呼び物はジャズのピアノ演奏(軽食付き)である。複数のピアニストが代わる代わる演奏し、彼らはそこで互いの技術を競い合った。そこから生まれたのが、左手のリズムを強調したパーカッシヴな演奏スタイル“ブギ”で、このパーティ自体もそのように呼ばれていたという。家賃パーティが流行った背景には、南部から北部への黒人人口の大量移動に伴う、シカゴを中心とする都市部黒人居住区の家賃高騰があった。家賃パーティは、黒人の生活の知恵が生んだ立派な音楽文化だった。このサウンディは、そのパーティの様子をモチーフにしているわけである。
 シー・ピー・ジョンソン Cee Pee Johnson は'40年代に活動したジャイヴ系のバンドマン(ドラム/ヴォーカル)。私はこのサウンディで初めて存在を知った。「The "G" Man Got The "T" Man」などの代表曲は各種編集盤CDに収録されているが、「Swing For Your Supper」はこのサウンディでしか存在が確認できない。


Jungle Jig
JUNGLE JIG (1941)
Directed: unknown

 これもシー・ピー・ジョンソン楽団との共演。ソースによっては「Jig In The Jungle」とされている場合もある。これもこのサウンディでしか聴くことができない。
 "HARLEM JUNGLE CLUB" という、コットン・クラブを思わせるいかにもな看板が冒頭で映された後、場面は密林セットへ。ばかデカい鍋をトロンボーンでかき回している太っちょの黒人がいきなり出てきて、その画が異様に可笑しい。曲はタムタムのビートが効いたマイナー調の高速スウィングで、「Sing Sing Sing」系の佳作。ダンドリッジはリオのカーニバルのような格好で元気一杯に歌って踊る。肌の露出度は極めて高いが、セクシーというよりは、可愛らしいと言ったほうがしっくりくるか。「Swing For Your Supper」同様、コミカルな表情でパーカッションをドコドコ叩くシー・ピーの姿も印象的(上半身裸になぜかシルクハット)。この曲ではヴォーカルで合いの手も入れている。最後は、太っちょがかき回していた鍋の中から、宣教師らしき黒人がドヒャーッと登場(食べられるところだったのだろう。無茶苦茶だ)。
 トライバルなスウィング・ビートに乗って、ジャングル・ピープルは今宵も宴の真っ最中。思いきり差別的な黒人イメージだが、そんなことは意に介さず、全員ものすごいパワーで弾けまくる。血湧き肉踊る、なかなかにアナーキーな傑作サウンディだと思う。ちなみに、ダンドリッジは後の出演映画『ターザンと密林の王女』(1951)で、これと似たようなジャングル・クイーン役をやることになる。


Papper Doll
PAPER DOLL (1942)
Directed: Josef Berne

 ミルス・ブラザーズの大ヒット「Paper Doll」。“自分だけの紙人形を買ってこよう。誰にも横取りされない女の子。手の早い遊び人たちもちょっかいが出せない。彼女はいつも僕の帰りを待っていてくれる。嘘なんかつかない。移り気な本物の娘より、僕は自分だけの紙人形の娘のほうがいいさ”。全くダメダメな男の歌なのだが(今なら××系だと気持ち悪がられる)、これが甘く切ないメロディとハーモニーで歌われるとやはり普遍性がある。曲はあまりにも有名だが、そのサウンディがこれまた名作。ダンドリッジはここでなんと“紙人形”として登場する。これはハマリ役。
 他のメンバー3人が女といちゃついている横で、ドナルド・ミルスがひとり寂しくダンドリッジのブロマイドを見つめている(実際に彼女の名前が写真キャプションに確認できる)。彼が写真のダンドリッジをハサミで切り抜いていると、他のメンバーも集まってくる。切り抜いて地面に置くと、命が宿って彼女がチャカチャカと人形らしく踊り出す。踊るダンドリッジを4人が囲むようにして見つめる場面は、上手く合成で処理されていてとても幻想的。最後はダンドリッジがペコリとお辞儀をして終わる。
 発想といい演出といい、現在の音楽ヴィデオと何ら変わらないクオリティを持つ作品である。こんなものが普通に'40年代に存在していたのだから、案外、人類というのは進歩がないものだ。


A Zoot Suits
A ZOOT SUIT (FOR MY SUNDAY GAL) (1942)
Directed: unknown

 黒人喜劇役者のポール・ホワイトと共演したサウンディ。歌うのは'42年のヒット曲「A Zoot Suit (For My Sunday Gal)」。当時のズート・スーツ流行りに便乗して作られた歌で、一番売れたのはケイ・カイザー楽団のものらしいが、アンドリュース・シスターズ、ベニー・グッドマン楽団、ポール・ホワイトマン楽団、ボブ・クロスビー楽団などなど、実に多くによって録音されている。小粋ないい曲だ。ここではホワイトとダンドリッジの軽妙なデュエットが聴ける。
 “いかしたプリーツ入りのズート・スーツが欲しいのさ。上着はバカデカ、ズボンはダボダボ。バッチリきめて、日曜にあの娘に会うために”。ポール・ホワイトが仕立屋で一張羅のズート・スーツを注文する。同じくダンドリッジも仕立屋で一張羅を注文する。出来上がった服を試着して鏡の前でウキウキ踊る2人。そして、デート当日。ここで両者が初めて同じ画面内に登場し、ピカピカの服で仲良く楽しく歌い踊る。ホワイトの剽軽さ、ダンドリッジの瑞々しさ。2人のヴォーカルも最高にゴキゲンだ。
 服のディテールが織り込まれた歌詞をワン・コーラスずつ交互に歌う曲構成で、これが映像にも上手く生かされている。観ているこちらまでウキウキしてしまうようなサウンディ。素晴らしい。


Cow Cow Boogie
COW COW BOOGIE (1942)
Directed: unknown

 ダンドリッジがエラ・メイ・モーズの同年のヒット「Cow Cow Boogie」を歌うサウンディ。これは完全に彼女が主役。伴奏はピアノと間奏に入るハーモニカだけで、明るくあっけらかんとしたヴォーカルが曲にマッチしている。この録音もここでしか確認できない。
 舞台は酒場で、カウガールに扮したダンドリッジが、テーブルに座っている3人のカウボーイを前に歌う。バックには踊り子たちがいてダンドリッジを引き立てる。酒場内には他に、ピアノ奏者、バーテンダー、カウンターに寄りかかっている太っちょカウボーイがひとり。出演者はもちろん全員黒人。間奏ではテーブルにいるカウボーイがハーモニカを吹いたり、太っちょカウボーイが銃をコミカルにぶっ放したりする(ダドリー・ディッカーソンという喜劇役者らしい)。後半はダンドリッジと踊り子たちが揃って群舞。カメラワークやカット割りがのんびりしているのは仕方ないが、それでも十分魅力的。まるでジャネット・ジャクソンのPVでも観ているようだ。
 '40年代前半のダンドリッジはとにかく本当に最高である。ここでもセクシーなミニスカート姿だが、いやらしさは微塵もなく、キュートで朗らか、おまけにカッコいい。ヴォーカルもパンチがあり、歌手としても彼女の良さが一番自然に発揮されていたように思う。


Hit Parade of 1943
HIT PARADE OF 1943 (1943)
Directed: Albert S. Rogell
Performance: Harlem Sandman

 ジョン・キャロル、スーザン・ヘイワード主演の映画『Hit Parade Of 1943』にスペシャルティで出演。映画中盤、ナイトクラブを舞台にしたオール黒人キャストによる劇中レヴュー場面で、カウント・ベイシー楽団、ジャック・ウィリアムズ、ポップス&ルイと共に登場して歌を披露する。
 曲は映画のオリジナル挿入歌「Harlem Sandman」。夜更けに現れるお祭り野郎、“ハーレムの砂男”を歌ったドリーミーで楽しい歌だ。“彼は羊の代わりにベイシーを数えさせる(カウントさせる)”という歌詞が洒落ている。カウント・ベイシーによるブギのリフで始まり、ピアノの巨大な蓋が開いて楽団が現れる冒頭の演出がまず素晴らしい。続いてゴージャスなシルク・ドレス姿のダンドリッジが登場して曲の導入部を歌い、ベイシーのピアノの上に乗ってそのままワン・コーラス分を歌う。それまでの出演作とは異なる大人っぽい衣裳で、明らかにリナ・ホーンを手本にした歌い方、立ち振る舞いは、'50年代以降の彼女のキャラを思わせる。とはいえ、ルックスはまだまだあどけなく、いかにも頑張って背伸びをしている感じが微笑ましい。
 ダンドリッジがワン・コーラス歌い終えたところで、轟音と共に曲が中断し、“ハーレムの砂男”役のジャック・ウィリアムズが金斗雲チックなプロペラ飛行機に乗って登場。燕尾服、トップハット、マント姿で夜のハーレムに降り立ち、歌詞の通り、人々の(目ではなく)靴に砂を撒き、皆を夢の世界に誘って次々と踊らせていく。ウィリアムズはここで歌とタップを披露。この黒人ダンサー/歌手のまともな映画出演は本作くらいのようだ(芸風はバック&バブルズのジョン・バブルズに似ている)。
 ウィリアムズがハーレムを目覚めさせたところで、最後にフラッシュ・アクトのポップス&ルイが登場。彼らの映画出演もレアだ。芸風としてはベリー兄弟とニコラス兄弟を混ぜたような感じで、タップを踏みながら、スプリット、宙返り、高速スピンといった派手なアクロバットを次々と決める。映画出演に恵まれず、同時代の黒人ダンス・チームの中では格段に知名度が落ちるが、ここで見られるパフォーマンスは決して他に引けを取らない。
 当時のハリウッドで、オール黒人キャストによる長編ミュージカル映画は『キャビン・イン・ザ・スカイ』『ストーミー・ウェザー』(共に'43年)くらいしか製作されなかったが、黒人芸人が複数組登場する10分弱のレヴュー場面が、白人映画の中で治外法権的にフィーチャーされる機会は割とあった(4~5分の短い単独スペシャルティ出演よりも見応えがある)。短編や非ハリウッドの黒人向け映画とは違い、きちんと予算もかけられた豪華な長尺レヴュー場面は、ハリウッドで十分にチャンスを与えられなかった当時の黒人エンターテイナーたちの、映画スターとしての計り知れないポテンシャルを今に伝える大変貴重な記録である。


Atlantic City
ATLANTIC CITY (1944)
Directed: Ray McCarey
Performance: Harlem On Parade

 コンスタンス・ムーア、ブラッド・テイラー主演の映画『Atlantic City』にスペシャルティで出演。映画中盤、アポロ劇場を舞台にしたオール黒人キャストによる劇中レヴュー場面で、ルイ・アームストロング、バック&バブルズと共に登場して歌を披露する。
 曲はアップ・テンポの軽快なスウィング「Harlem On Parade」。まず、幕の閉じた舞台にダンドリッジが一人で登場して歌い始め、幕が開くと、ビッグ・バンドが演奏する賑やかなナイトクラブのセットが現れる。ダンドリッジは大きくサイドスリットの入った黒のミニスカート姿で、どことなく後の『カルメン』を予感させる出で立ち。'40年代初頭の出演作に較べると少し大人っぽくなっているのが印象的だが、ここでも彼女は元気溌剌。お立ち台の上でキュートに弾けながら歌い踊る姿は、まさしく小さな可愛いダイナマイトといった感じだ。'40年代ならではの彼女のパワーが炸裂していて最高である。
 その後、ルイ・アームストロングがステージを引き継ぎ、ファッツ・ウォーラーの「Ain't Misbehavin'」を歌う。これは前年の'43年12月に急逝したウォーラーへの追悼なのだろう。アームストロングの演奏が終わると、彼の紹介でバック&バブルズがピアノと共に登場。軽妙な掛け合いで「Rhythm For Sale」という曲を披露する。バックのピアノ演奏に乗せてバブルズがタップと歌を披露するが、ここではバブルズのピアノでバックが踊るという、通常とは逆パターンの珍しい光景も少し見られる。彼らのパフォーマンスの後、再び「Harlem On Parade」に戻り、ダンドリッジと出演者全員が揃って歌うフィナーレが続く。前述の「Harlem Sandman」同様、約8分間のこのレヴュー場面は、非常に濃密で素晴らしい内容なのだが、客席にいる主人公たちの会話でステージ映像が中断されるので、観ていてかなりイライラさせられる。
 ダンドリッジが歌手としてゲスト出演した同時期の映画には、他に同じくルイ・アームストロング共演の『Pillow To Post』(1945)がある。


Blow Out The Candle
THE COLGATE COMEDY HOUR (1951)
Broadcast: 4 November 1951
Performance: Blow Out The Candle

 テレビ初出演。'51年11月4日放映の〈The Colgate Comedy Hour〉で「Blow Out The Candle」を歌う。“キャンドルを吹き消して頂だい。ご近所に見られないように。キャンドルを消せば、スキャンダルもない。あなたとキスしているところを誰にも見られずに済むわ”という恋の歌で、ワン・コーラスごとに脇にある蝋燭を消していくという演出も見られる。クラブ歌手として既に成功を収めていた時期で、エレガントな大人の女にイメージ・チェンジされているのが分かる。
 「Blow Out The Candle」は、ポピュラー歌手のトニ・アーデンが翌'52年にColumbiaに録音してヒットさせている(兄のジャン・アーデンとのデュエット。演奏はパーシー・フェイス楽団)。作者のフィル・ムーアは、リナ・ホーン、マリリン・モンロー、エヴァ・ガードナー、フランク・シナトラらの音楽ディレクターを務めたことでも知られるハリウッドの作編曲家/ピアニスト。'40年代末からダンドリッジにディレクター/伴奏者として付き添い、彼女をクラブ歌手として成功に導いたのがこのムーアだった(彼はダンドリッジ・シスターズ時代にも彼女を指導している)。「Blow Out The Candle」はダンドリッジへの書き下ろし曲のようだが、残念ながら彼女のスタジオ録音はない。
 〈The Colgate Comedy Hour〉にダンドリッジは'53年11月22日に再び出演し、「If This Isn't Love」「Taking A Chance On Love」の2曲を歌っている。試験的にカラー放送された唯一の回らしく、これは是非とも見てみたい。ちなみに、「Taking A Chance On Love」は、彼女が歌手としてゲスト出演した同年のMGM映画『Remains To Be Seen』でも歌われている(音源はRhinoの編集盤『HOLLYWOOD SWING & JAZZ』収録)。


You Do Something To Me
FORD STAR JUBILEE: YOU'RE THE TOP (1956)
Broadcast: 6 October 1956
Performance: You Do Something To Me

 '56年10月6日にCBSで放映された90分のコール・ポーター特番に出演。『カルメン』でのアカデミー主演女優賞ノミネートからまだ間もない、彼女の商品価値が最も高かった絶頂期の映像である。曲は「You Do Something To Me」。これが凄まじい。
 ロングドレスにファー・ショールを纏い、ミディアム・テンポで優雅に歌うダンドリッジ。しかし、ワン・コーラス歌ったところでアレンジが劇的にアップに変わり、勢いよくショールが脱ぎ捨てられる。そして、度肝を抜くのが、彼女の着ているドレス。スカートのフロント部分が下腹部の位置までガバッと開くようにできていて、大胆に太股が露出されるのである。これは今の感覚で見てもドキッとするほどセクシーだ(アン・ミラーのダンス場面の演出を思わせる)。そこから男性ダンサーたちが4人加わり、非常にアグレッシヴで情熱的なパフォーマンスが繰り広げられる。明らかに『カルメン』のイメージを踏まえた演出。まるでビヨンセのような攻めっぷりである(実際、ビヨンセは'01年にMTVのテレビ映画でヒップホップ版『カルメン』を演じている)。
 個人的には、エロ路線を突き進むジャネットでも見るようで違和感も覚えるのだが、これが絶頂期のダンドリッジの一般イメージだったことは間違いない。そして、ここまで強烈なセックス・アピールを持った黒人女性スターの登場は画期的なことだった。このパフォーマンスは、確実にあらゆる人種の男たちの目をブラウン管に釘付けにしたはずである。
 この「You Do Something To Me」の演出は、彼女の伝記映画でもそのまま再現されている(プレミンジャーがダンドリッジのもとを去るモカンボ公演の場面)。ハリー・ベリーはこの映像を何十回も繰り返し見たはずである。


My Heart Belongs To Daddy
same as above
Performance: My Heart Belongs To Daddy

 同じくコール・ポーター特番から。「You Do Something To Me」の他に、もう1曲「My Heart Belongs To Daddy」も歌っている。マリリン・モンローが『恋をしましょう』(1960)でも歌うことになる名曲。これが『紳士は金髪がお好き』(1953)の「Diamonds Are~」的な演出で歌われる。
 冒頭、初老の裕福そうな黒人紳士が彼女にプレゼントの大きな箱を渡す。彼の退室後、ハンサムな黒人青年3人が登場し、彼女の気を引こうと付きまとうのだが、“私の心はパパのものよ”と突っぱねる。後半では、優雅なロングドレスから、脚を露出したセクシーなミニドレスに衣装替え。青年たちを部屋から追い出してしまった後、パパさんのプレゼントを開封すると、中からは、ダイヤではなく、可愛い子猫ちゃんが登場。これに頬ずりするダンドリッジの満面の笑顔で終わる。
 こうしたブリッ子キャラがダンドリッジに合っているかどうかはともかく、彼女が“黒人版モンロー”と言われていたことは実によく分かる映像である。尚、ここで彼女のバックを務めるダンサーたちは全員黒人だが、これは「You Do Something To Me」のリハーサル時に自分のバックが白人であることを知ったダンドリッジが、“どうして黒人が出ないのか”とCBSに抗議した結果なのだという。
 この特番には他に、ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、ゴードン・マクレー、シャーリー・ジョーンズ、ドロレス・グレイ、ジョージ・チャキリス(!)などが出演。ダンドリッジの出演部分以外は未見だが、当時のアメリカのお茶の間番組で、黒人女性がこれだけ女王さま状態というのは凄いものがあると思う。


Dandridge Sisters
'30年代末頃、ダンドリッジ・シスターズ時代のドロシー(中央)

 ここに紹介した映像群は、'40年代前半と'50年代の二つに時期が大きく分かれる。すっぽり抜け落ちている'40年代後半の数年間はどうなっているかと言うと、実はその間、彼女の芸能活動のペースは極端に落ちている。これは、彼女が'42年にハロルド・ニコラスと結婚し、更に翌年に娘を出産したためである。彼女は自分のキャリアよりもハロルドとの結婚生活を優先し、その間、ニコラス兄弟の巡業に妻として同行したり、娘のために時間や労力を費やすなどしていた(娘が脳障害を持っていることが誕生から数年後に判明する。いつになっても全く言葉を話さず、両親すら認識しなかったのだ)。
 彼女のキャリアは、この空白の期間によって大きく断絶しているのである。

Mocambo
'51年5月7日、ハリウッドの有名クラブ〈モカンボ〉初出演時の告知

 フィル・ムーアの指導を受け、クラブ歌手としてキャリアを再開してからのダンドリッジは、'40年代とは著しく印象が異なる。ムーアが彼女に与えた方向性は、白人層にもアピールするゴージャスで洗練された黒人女性歌手のイメージで、基本的にはリナ・ホーンの路線と全く同じものである(実際、両者は当時よく比較された)。レパートリーも、ブルース色の濃い黒っぽい楽曲は避けられ、白人受けするポピュラー寄りのもので固められた。印象的なのは、かつての天真爛漫さがなくなり、パフォーマンスが非常にスマートで意識的なものになっていること。声の質も歌い方も大きく変わった。限りなくリナ・ホーンの亜流に近いのだが、但し、ダンドリッジにはホーンほどの歌唱力がない代わりに、ある種の親しみやすさや、非常にキャッチーなセックス・アピールがあり、これが彼女ならではの魅力になっていた。

Riviera
'55年、ラス・ヴェガスのリヴィエラ・ホテルで公演するダンドリッジ

 '40年代と'50年代のダンドリッジの違いは、ある意味、例えば'70年代と'80年代のマイケル・ジャクソンの違いにも近いかもしれない。マイケルにはもともと白人層にもアピールするクロスオーヴァーな魅力があり、クインシー・ジョーンズのディレクションで'80年代にそれを完全開花させるわけだが、同時に、彼がもともと持っていたコアな何か(仮に“ソウル”とでも呼んでおこう)は確実にスポイルされていった。ダンドリッジの場合も、クロスオーヴァー路線を推進する過程で、表現のスケールが増した反面、本来持っていた生々しい魅力が残念ながら損なわれてしまった感は否めない。

 また、クラブ歌手として復帰して以降の彼女のパフォーマンスには、単純にムーアというディレクターの存在だけでは説明がつかないような、'40年代とは何か本質的な違いがある。はっきり言って、'50年代の彼女は、'40年代に較べると信じられないくらい歌えていないのだ。まるでパフォーマーとしての意識や質そのものが根本的に変わってしまったかのような、奇妙なゆがみのようなものすら感じられる。
 私は下手に彼女の人生に関する予備知識があるせいか、何かを確実に背負い込んでしまったような息苦しさ、不自然さを復帰後の彼女のパフォーマンスにどことなく感じてしまい、いまいち素直に楽しむことができない。'50年代のダンドリッジは、微笑んでいても何となく目が悲しいのだ(トップに掲載した朱色ドレスの写真は、'50年代ダンドリッジの典型的な顔という気がする。一見微笑んでいるようだが、実は彼女はちっとも笑っていない。顔の半分を隠して左右の表情を比較すると分かるが、左半分は沈鬱で、まるで虚空を見つめているようだ。意識的な笑顔であることがよく分かる)。

 彼女が生まれ持ったエレガンス、洗練された女性としての魅力は、もちろん一貫している。しかし、'40年代の彼女には、'50年代の全盛期さえ凌駕する、何ものにも代え難い天然ゆえの無敵の輝きがあったように思う('40年代の彼女の魅力を一度知ってしまうと、先に紹介した編集盤『SMOOTH OPERATOR』収録の後年の歌声などは、痛々しくて聴いていられなくなる)。何も考えずに歌っているような、一点の曇りもない底抜けに朗らかな20歳頃のダンドリッジが私は大好きだ。

DD & Nicholas Bros2
黄金トリオ。ダンドリッジとニコラス兄弟(前掲の写真と同じ時の撮影)
彼女が生涯を通して最も幸せだったのは、この頃かもしれない



 さて、ここに紹介した以外にも、ダンドリッジが歌う映像はまだまだ存在する。が、残念ながら入手は困難。彼女が出演しているサウンディは、上で紹介したものも含めて全10本が知られている。
 また、テレビ出演に関しては、日本でもお馴染みの〈The Ed Sullivan Show〉が最大の注目で、これに彼女は6回も登場している。判明している放映日、曲目は以下(www.crazyabouttv.comwww.tv.com を参照)。なんと「Smooth Operator」まで歌っている。

5/18/1952 - Do What Ya Wanna Do / Just One Of Those Things
4/3/1955 - Good For Nothing Joe / I Got Rythm
12/13/1959 - What Is This Thing Called Love / Baby Baby All The Time
2/14/1960 - Love / Smooth Operator
3/27/1960 - I Get A Kick Out Of You / That's All / One Of Those Things
2/5/1961 - Lonely Little Lady In The Dark / Everytime / Somebody

 今回紹介したサウンディとテレビ映像群は、DVD『In Concert Series: Dorothy Dandridge』『Swing Era: Dinah Washington』などで容易に見ることができる。また、ここでは取り上げなかったが、キャブ・キャロウェイがホストを務めた'81年の音楽ドキュメンタリー『ミニー・ザ・ムーチャー(Minnie The Moocher And Many, Many More)』(国内ソフトあり)、および、DVD『Harlem Renaissance: The Music & Rhythms That Started A Cultural Revolution』では、彼女のサウンディ「Easy Street」(1941)の断片を見ることもできる。

 いつか歌手ダンドリッジの本格的なアンソロジー映像集が製作されることを期待したい。



Dorothy Dandridge (part 1)
Dorothy Dandridge (part 3)

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