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Dorothy Dandridge (part 3)

Carmen
カルメン(1954/米)
CARMEN JONES
監督:オットー・プレミンジャー
音楽:オスカー・ハマースタイン二世(詞)、ジョルジュ・ビゼー(曲)
出演:ドロシー・ダンドリッジ、ハリー・ベラフォンテ、オルガ・ジェイムズ、パール・ベイリー、ダイアン・キャロル、ジョー・アダムズ
製作:20世紀フォックス


 ドロシー・ダンドリッジを紹介しておいて、やはり『カルメン』についてきちんと触れないわけにはいかない。何と言っても、現在日本で観ることのできるダンドリッジのまともな出演映画はこれだけなのだ。彼女の決定的代表作……ということになっているが、さて、果たして本当にそうなのか。


 メリメ原作/ビゼー作の古典オペラを、オスカー・ハマースタインがオール黒人キャストで脚色した'43年のブロードウェイ・ミュージカルの映画化。舞台は19世紀スペインから現代のアメリカに移され、ドン・ホセ→米軍伍長ジョー(ベラフォンテ)、煙草工場→パラシュート工場の女工カルメン(ダンドリッジ)、ホセの許婚ミカエラ→シンディ・ルー(オルガ・ジェイムズ)、闘牛士エスカミーリョ→プロ・ボクサーのハスキー・ミラー(ジョー・アダムズ)、という具合に設定が変わっている。カルメンに誘惑されて真面目な青年ホセが血迷い、彼を捨てて闘牛士に走ったカルメンを嫉妬に駆られて殺す、という筋書きは一緒である。

Carmen

 ダンドリッジはこのミュージカル映画に“歌手”として出演しているわけではない。ダンドリッジをはじめ、多くの主要登場人物の歌唱はオペラ歌手による吹き替えである。彼らにオペラ的な歌唱技術がなかったことがその理由だが、ダンドリッジ、ベラフォンテ、ダイアン・キャロルにしても、全員立派に歌える人間である(ラジオDJ/レイ・チャールズのマネージャーとして知られるジョー・アダムズも、歌わせれば歌えそうな気がする)。逆に、彼らの歌唱を生かせるよう、編曲の方を変えるという発想はなかったのだろうか。ゴスペル、ブルース、ジャズの感覚を積極的に取り入れるなど、音楽的にも大胆な解釈を加えないと、一体何のためのオール黒人キャスト/アメリカ舞台の現代劇なのか分からない。

 実は、当初は吹き替えの予定はなく、ダンドリッジもベラフォンテも録音に備えて歌唱訓練まで受けていたという。しかし、監督プレミンジャーの最終判断は違った。以下はベラフォンテの弁。

「これは黒人映画だった。黒人はヨーロッパ人の目にはまだ珍しかったからね。それに、向こうでも興行的に成功しなければならなかったから、オットーはビゼー財団の機嫌を損ねるわけにはいかなかったんだ。財団側はハマースタインの脚色を気に入ってなかったしね。『カルメン』をフォーク・オペラに変えるのはあまりよろしいことではない、と。それで、財団側を刺激しないよう、主役の歌の吹き替えにオペラ歌手を2人雇うことになったのさ」(New York Post, 16 July 1986)

 要するに、安全策がとられた。これについて責める気にはならない。また、音楽のクラシック路線自体、基本的に'43年の舞台版を踏襲したものでもあるので、その舞台の映画化という点においては、この作品に何も落ち度はない。しかし、地の場面での演技がいくら良くても、ミュージカル場面が吹き替えであることで、彼らのせっかくの魅力が肝心なところで去勢されてしまうのはやはり残念だ(そうした意味で、'43年舞台版と比較しても劇中で異彩を放っているのは、パール・ベイリーが吹き替えなしで歌う「ジプシーの歌(Beat Out Dat Rhythm On A Drum)」。オケはクラシック編曲のままだが、彼女のブルージーな歌唱は新鮮で、ビゼーの古典楽曲が'50年代アメリカに生き生きと蘇った感がある。当時、出演者の中ではベイリーが一番の大物で、もしかすると吹き替えは彼女のプライドが許さなかったのかもしれない。ちなみに、オルガ・ジェイムズも吹き替えなしだが、これは彼女がジュリアード音楽院卒でオペラの素養があったため)。

 というわけで、飽くまで“女優”として出演しているダンドリッジ。しかし、この映画で私が一番不満を覚えるのは、歌の吹き替えでも編曲でもなく、実は彼女の演技なのである。


Carmen 自由奔放で何ものにもとらわれない情熱の女、カルメン。男を破滅に導く魔性の女。
 しかし、私にはこの映画のダンドリッジが、そのような底なしの吸引力を持つファム・ファタルや薄情なビッチにはどうしても見えない。彼女の演じるカルメンには、エスカミーリョに走った後で、“ごめんなさい、やっぱり私が悪かったわ”とホセのもとに戻り、ハッピーエンドになってしまいそうな情愛深さや理性、女としての緩さや脆さがどこかに感じられる。彼女のような女に、ひとりの男の人生を崩壊させることなど果たしてできるのだろうか。おかげで、理性的な好青年ベラフォンテは、わけもなく許婚を捨て、わけもなく破滅する、意味不明な一人相撲のような状態になってしまっている。

 これはダンドリッジの演技が云々というより、単に彼女が持っている生来のキャラクター、あるいは、プレミンジャーの描き込みの甘さに問題があると思いたい。“ダンドリッジはあまりにも繊細で洗練されすぎている”という批評は、5年後のプレミンジャーとの再会作『ポギーとベス』で彼女がベス役を演じた時にもあったようだが、全く同じことが『カルメン』にも言えると思う。彼女は確かに抜群に美しく色気もあるが、カルメンのような本能型のアグレッシヴなマンイーターやヴァンプ役には無理があるのではないか。
 黒いセックス・シンボルの衝撃に当時の人々の目は眩んだ。しかし、今の目で冷静に見ると、彼女の演技にはどうにも隙があるような気がしてならない。ダンドリッジのキャラクターは、カルメン役には何だか複雑すぎるのだ。

 プレミンジャーがダンドリッジに最初に与えた役は、オルガ・ジェイムズが演じたベラフォンテの許婚、清楚で純朴なシンディ・ルー役だった。これは実際、ダンドリッジでも映えたように思う。彼女はプレミンジャーの前でカルメンの格好をしてモンロー・ウォークを披露し、主役の座を勝ち取ったという。しかし、この映画の撮影中にダンドリッジをしっかり愛人にするプレミンジャーである。彼女の主役抜擢に下心がなかったわけではないだろう。プレミンジャーは男としては賢明だったが、監督としては決して最良の判断を下したとは思えない(では、カルメン役には誰が相応しかったのか、という話になるが、それには全く未知の女優、別の歴史が必要になる)。
 時代的な制約もあるのであまり文句はつけられないが、全体的には、良くも悪くもオール黒人キャストである点が売りの、白人が作った物珍しいだけの映画、という印象が拭えず、観ていて非常にもどかしさを覚えてしまう。

Carmen

 ダンドリッジはこの作品で、黒人初のアカデミー主演賞ノミネートという栄誉を得た。
 その年の主演女優賞には他に、ジュディ・ガーランド(『スタア誕生』)、グレイス・ケリー(『喝采』)、オードリー・ヘプバーン(『麗しのサブリナ』)、ジェーン・ワイマン(『心のともしび』)が候補に上がり、オスカーは最終的にグレイス・ケリーの手に渡った。ダンドリッジの落選は、決して肌の色のせいだけではなかったと私は思いたい(個人的には迷うことなくガーランドに一票を投じる)。
 『カルメン』の彼女を絶賛する後世の人々は、“偉大な黒人女優ダンドリッジの代表作”という先入観で、その演技を希代の名演のように錯覚しているだけではないのか。私は'40年代の彼女を贔屓にしているせいもあり、単に偏った見方をしているだけかもしれない。しかし、『カルメン』でのアカデミー主演賞ノミネートは、彼女自身のキャリアにとって本当に良いことだったのだろうか?

 ダンドリッジのキャリアを俯瞰すると、『カルメン』の成功直後、『王様と私』のタプティム役(*)を蹴ったところから歯車が狂ったような印象を受ける。しかし、実際にはこの最大の成功作『カルメン』こそが、そもそも彼女の不幸の始まりだったのではないか。彼女には、ステレオタイプな黒人役ではない、複雑で繊細なキャラクターを演じられる素地や品格が十分にあった。あるいは、ポワチエのように、(たとえ理想化された黒人像であろうと)白人と同じスクリーン上で堂々と渡り合い、次のレベルを目指せる可能性があった。しかし、彼女のような黒人女優に対する受け皿は当時のハリウッドにはまだなかった。
 『カルメン』のイメージに囚われ、彼女の女優としての最高到達点が単なる“黒いセックス・シンボル”で終わってしまったことが本当に残念でならない。『カルメン』は、ダンドリッジ最大の成功作でありながら、彼女の代表作ではない、と私は半ば強引に思うことにしている。


Bright Road 『カルメン』以外にダンドリッジが女優として出演した主な映画には、『ターザンと密林の王女』(1951)、『The Harlem Globetrotters』(1953)、『Bright Road』(1953)、『日のあたる島』(1957)、『The Decks Ran Red』(1958)、『Tamango』(1958)、『ポギーとベス』(1959)、『Malaga』(1960)があるが、どれも日本では未ソフト化(残念ながら私も未見)。プレミンジャー監督/ポワチエ共演の『ポギーとベス』にいたっては、『カルメン』と並ぶ彼女の代表作であるにもかかわらず、本国アメリカでも未ソフト化のままで、長く人目に触れていない。
 これらの作品の中で個人的に最も興味を引かれるのは、ベラフォンテ共演の2作品『Bright Road』『日のあたる島』。MGM製作の前者は、アメリカ南部の黒人小学校を舞台に、ダンドリッジ演じる新任教師と落ちこぼれの少年の心の交流を描いた作品で、大手映画会社によるノン・ミュージカルものとしては初の(ほぼ)オール黒人キャストとなる意欲作でもあった。教師という理知的な役柄はダンドリッジの個性にはマッチしているだろう。映画初出演のベラフォンテは、ここでダンドリッジを支える校長役を演じている(この映画の予告編では、同年公開のMGM作品『Remains To Be Seen』でダンドリッジが「Taking A Chance On Love」を歌う場面が使い回されている)。20世紀フォックス製作の後者では、カリブ海の島を舞台に、白人権力者と黒人の対立、異人種間の恋愛などがテーマになっているという。

 ダンドリッジのキャリアが日本でも再評価され、彼女の出演作が今後ソフト化されることを期待したい。
 

(*)『王様と私』のタプティム役を蹴ってしまったことは本当に悔やまれる。実際にタプティムを演じたのは、5年後に『ウエスト・サイド物語』でアカデミー助演女優賞を獲得するヒスパニックのリタ・モレノ。彼女はとても美しく、文句なしの好演なのだが(つたない英語発音が可愛い)、ただ、王に貢がれた奴隷としては、完全にステレオタイプなキャラクターに収まっている。黒人のダンドリッジが演じていれば、単なるエキゾチシズムに終わらない、より深みのある人物像になったのではないか(リンカーンの話や『アンクル・トムの小屋』の劇中劇も現代的な意味を持っただろう)。また、『カルメン』で大スターになっていたダンドリッジが演じるのであれば、中途半端に終始したタプティムと恋人を巡るサイド・ストーリーにも力が入れられ、映画の完成度も増したかもしれない。



Dorothy Dandridge (part 1)
Dorothy Dandridge (part 2)

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